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75歳以上が対象の後期高齢者医療制度(長寿医療制度)がはじまった。オレの父親の所にも保険証が届いた。それに伴って、オレが勤務先の私立学校でもらっていた私学共済の加入者証も差し替えとなった。これまで使っていたものを返納し、父の名前が省かれたものを受け取ったのである。3年後にはそこから母の名前も消えることとなる。オレは父の名前が消された加入者証を受け取るとき、なんとも言えない寂しさを覚えたのだ。自分が父を守ってるという状況が失われたような気がして。
まだ前に勤務してたスーパーで働いていた頃、父は自分で国民健康保険の掛け金を払っていた。そのスーパーが廃業して父が失業してから、年金以外の収入が無くなった父を私は自分の扶養家族に入れ、自分の社会保険の被扶養者に含めた。そのおかげで父は自分で掛け金を払う必要が無くなったのだが、ちゃんと医療機関にかかるときは私の加入者証を提示して、その被扶養者であるということで医療機関を受診できたのである。昨年5月に父は心筋梗塞で入院したが、その医療費もわずかな自己負担額で済んだのである。病気にかかっても心配ない状態という形を維持できていたのが、私にできるささやかな親孝行だと思っていたのだ。
ところが、後期高齢者医療制度の開始によって、父は自分で保険料を払わないといけなくなったのである。それは父の年金から天引きされてしまうのである。これまでゼロだったものが、年間7万円ほどの負担になるという。つまり、父のお金がそれだけ減ると言うことだ。もしも減らさないようにするならば、その分をオレが負担してやらないといけない。つまり我が家では実質負担増になるわけだが、少なくとも親を自分の扶養家族に入れてるすべての方がオレと同じ状況になり、これまで払う必要の無かったゼニを払わなければならなくなるのである。
我が家は親と同居している。だからオレの両親はオレの扶養家族になってる訳だ。そのことをオレは当たり前だと思ってるし、これから親が年老いて介護が必要になればその世話も必要になってくるだろうとオレは思っている。世間にはさまざまな事情で年老いた親を一人暮らしさせている子たちもいるわけだが、幸いなことにオレは自分の家で一緒に暮らすことができているわけだ。生計を同一にする者として、父が入院したときはその入院医療費を払ったし、夜はいつも父親と一緒にプロ野球を観戦する。そうやって息子がそばにいて一緒に暮らすことがささやかな親孝行なんだとオレは思っている。
その親の保険料をオレが負担できなくなるというのはどういうわけだ。少なくとも、息子の共済加入者証で自分も医療機関にかかることができるというのは、父にとっても嬉しいことだったはずだ。そうして息子に守られてるということを日々実感できたはずなのだ。ところが自分一人の保険証に切り替わり、そのゼニは強制的に自分の年金から控除されてしまうのである。
しかし、すべてのお年寄りが年金を受給している訳ではない。国民年金を掛けずに老人になってしまった無年金者の場合、直接この掛け金を払わないといけないわけだが、たぶんそういう人は払わずに無保険になってしまう方が多いのだろう。もちろんそういう方々は現行制度の中でも無保険者だったわけだが。そうした人が払わない場合、取り立てようとしても払うべきゼニを持たないことが多いわけで、最終的にはきっと掛け金は踏み倒されるのだろう。つまりこのシステムの構造的欠陥は「取りやすい人だけから掛け金をとる」「掛け金を払わなくてもなんの罰則もない。むしろ得することもある」という究極の不公平システムをさらに加速するのである。
ゼニを払わないことで高齢無保険者がこれから徐々に増えてくる。そのツケが回ってくるのはどこか。医療機関である。中国の病院と違って「ゼニを持ってない患者は診療拒否」というわけにはいかないのが日本のルールなのである。最初からゼニを払う気など全くないモンスターペイシェントが増加するのは目に見えている。最終的にそいつらの分まで負担させられるのは、まっとうに年金を受給しているオレの父親のような高齢者なのである。
これまで保険料を払わなくてもよかった老人からゼニをぼったくり、年金だけで生活している方々のわずかな小遣いを奪い、お年寄りをどんどん不幸にする仕組み、それがこの後期高齢者医療制度なのである。こんな制度に賛成票を投じたクソ議員はいったい誰だ。そもそも国会議員どもはこの法律の中味を本当に理解していたのか。理解していてそれをすんなりと可決させてしまうおまえら野党はどうしようもない馬鹿だ。どうして全力で阻止しないんだ。
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