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人の命は大事だと誰もがいう。であるなら、人の命がお金が無いために奪われることはあってはならない。そうした合意の上に、社会権や憲法25条だとか、福祉国家というものが築かれたはずだった。ところが実際に行われたことは、人の命の等級付けであり、低く見積もられた命の廃棄であった。そうした分類の政治、廃棄の政治を拒否する。当たり前の、本当に慎ましい要求は、ベーシック・インカムである。全ての人が、その生を営むのに必要なお金を無条件で保障されなくてはならない。生きていくことは支払われるに値する。市民としての義務は、生きることが保障されなくては、果たしようがない。「衣食足りて礼節を知る」とはそういうことだ。
繰り返しておこう。重要なのは、<すべてのひとに無条件で>支払われることである。ベーシック・インカムにおいては、われわれは誰も何者であるかを問われることはない。ひとの生を分断するような序列化はすべて拒否され、あらゆる生のあり様が無条件に肯定される。働いているか否か、男か女か、老いているかいないか、などの差異に基づいて構成された人間のヒエラルキーを拒み、よりラディカルな平等の地平を眼差すことが可能となる。
ベーシック・インカムの下では、ひとは生存のために必ずしも働かなくてもよい。このように生存のための労働からひとを解放するベーシック・インカムの要求はだから、生存のために労働を強制する資本主義社会の秩序に根源的に敵対しうるものであった。それはまた、支払われる労働から排除されてきた者、不払い労働を強制され―それゆえに拒否し―てきた者など、<分け前>を不当に少なくしか/あるいはまったく用意されてこなかった者の、その分け前を登録することによって、そこに不和を生じさせうるものでもある。
これまで分け前を用意されてこなかった、非正規労働者も、野宿者も、学生も、女も、子どもも、外国人も、ベーシック・インカムを当たり前に要求してゆくこと、分け前なく者がその分け前を登録し、そこに不和を生じさせること。ベーシック・インカムの要求は、それゆえに、政治を私たちの手に取り戻すことなのである。
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