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■主張の客観性と感情論の違いについて
『つまり、知は学としてすなわち体系としてのみ現実的であり、叙述されうるということ、さらに、哲学のいわゆる原則とか原理とかは、真である場合には、原則もしくは原理なのだから、すでにそれだけの理由で偽でもあるということである。』(ヘーゲル『精神現象学』平凡社ライブラリー、39頁)
ここで言われる原理や原則は、普遍的なものでなく、生成するものであるということでしょうか。例えば、ヘーゲルは植物の成長を例えにして以下のように語っています。
『つぼみは、花が咲くと消えてしまう。そこで、つぼみは花によって否定されるということもできよう。同じように、果実によって花は植物の偽なる定在と宣告され、その結果植物の真としての果実が花に代わって登場することになる。・・・この等しい必然性があって初めて、全体という生命がなり立つのである』(前同18項)
他人の批判に耳を傾ける場合、その批判が実際の内容と一致しているかどうか確認されなければなりません。そこで、その批判が的を得ている場合ならば、主張を修正する必要が生じてくるでしょう。批判のあり方として、陥りやすい間違いは、他人の「良い」「悪い」といった主観的である想念をその場に持ち込んで他者を批判することです。学としての知は、理性的な働きにより経験を形式化した集積の結果として、すべての人々に適用できるようにする開かれたものでなければなりません。
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