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林 博史 様
意見書を拝見し、「教科書もそうか」とあきれました。このように他人の著書の 「戦争を知らない人のための靖国問題」(上坂冬子、文春新書)
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一部を引用して勝手な解釈を加えて著者の真意と異なる結論へ誘導する
「詐欺的手法」は、この頃よくあるようです。そのたぐいの「インチキ本」、
「トンデモ本」の摘発、検証が必要でないか、と思うことが度々ありますが、
ついに教科書も! ですか。
ご存じかも、と思いますが「戦争を知らない人のための靖国問題」
(上坂冬子、文春新書)に吉野作造が日本の大陸進出・支配を支持していたように
書いています。吉野の原文を読んでみると、上坂の歪曲・歴史偽造にあきれて
しまい、次の文を書いて友人たちに回しました。人を介して著者(上坂本人)にも
送りましたが返事はありません。
星田 淳(北海道)
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[歪曲・詐欺的手法は歴史偽造の常套手段]
の中で、著者は吉野作造に言及し次のように述べています。
> 吉野作造という政治学者が1916年に「満韓を視察して」と題する論文を
> 「中央公論」6 月号に寄せていた。日本の朝鮮総督府は国家の威厳を示しつつも、
> 現地の人々に近代文明に属する機会や、植民地以前になかった生活上の便宜を
> 与えていると述べて、日本の植民地政策に好意的に評していた。
はて? 果たしてそうか? 大正デモクラシーの旗手とされ、エスペランチスト
でもあった吉野作造。この3年後、1919年の3.1運動について
朝鮮統治の誤りに対し、何らの反省も示さない政府および総督府、そして
言論界や日本国民にに対しきびしい批判を加え、また
「支那・朝鮮の排日と我国民の反省」(「婦人公論」8月号)では「朝鮮統治は
余りに独立民族たる朝鮮人の心理を無視したものであった」と述べています。
朝鮮の併合前ではあるが クリスチャンだった彼が 1903 年、本郷教会発行の
「新人」で「中国人・朝鮮人と話すのに日本語は不可」とエスペラントをすすめた
のは、「優越的(支配的)立場を利用して自分の言語・文化を他民族に強制すべき
でない」との考えを示したものでした。
どうも違和感が大きいので、「満韓を視察して」の原文を探して読んでみると、
上坂冬子の説明に大きな疑問がわいてきました。
上坂の引用した総督府の統治に対する一定の評価の文はありますが、そのあとに
「--- しかるに今一々朝鮮人に親しく会ってその言うところを聞いてみると、
豈はからんや今なお日本の統治に対していろいろの不平を言うものが案外に
少なくない ---」と、朝鮮人から聞いた不満を細かく紹介しながら
在留日本人の朝鮮人に対する蔑視や、官吏として採用された朝鮮人の日本人と
比較しての差別待遇を詳しく批判し、「--- 要するに朝鮮人は大体において唯今の
日本統治に非常な不満を持っている。--- それを憲兵の力で押さえて朝鮮の秩序は
維持されているが、住民の幸福はどうだろうか −」と、述べています。
日本の朝鮮統治礼賛どころか批判のトーンの強い文です。
著者(上坂)は吉野論文の満洲に関する部分を引用して
> 満州に関しては、今後さらに経済的に発展していくべきで、
> 日本の実力が満州のみならず、蒙古の奥地まで及ぶように
> ならなければ理想が実現されたといえない、という意味の
> ことを述べている。同論文から90年たった今、日本の実力を満州から蒙古の
> 奥地までもと唱えた吉野博士の見解に異論を唱えたい人がいるに違いない。
と、思わせぶりな書き方。どうやら「大正デモクラシーの吉野博士でも日本の
満蒙進出(侵略)を支持していたよ」と言いたいようですが、いったいこの
著者(上坂)はほんとに原文を読んだのでしょうか。読んだらそんな理解は
できないはずです。原文を読んで私は「なーんだ」と思いました。
吉野が述べているのは上に引用の原文でもわかるように「経済的発展」のこと。
> 満州のみならず、蒙古の奥地まで及ぶように
という「日本の実力」は「経済的実力、経済的発展」のこと。私としても
「異論を唱える」気はありません。現在日本の(経済的)実力は満洲・蒙古どころか
全世界に及んで多様な製品を輸出していますが、いいことじゃありませんか。
その吉野の意図をねじ曲げて「軍事的進出・支配を支持」と思わせたいらしい
著者(上坂)はさらにコメントしています。
> 1932年に日本が満州を建国したのを犯罪のように言う人もいるが、
> 吉野作造博士が蒙古の奥地までも統治すべきだといわんばかりの随想を
> 述べたのは、一つには列強の侵略を意識してのことだと思われる。
ここで著者(上坂)の真意が見えてきます。列強(外国勢力)が入ってくる前に
満洲・蒙古を取ってしまえという考えを吉野作造も支持していたよ」と
思わせたいのでしょう。果たしてそうだったか。
吉野の原文をちゃんと読めば上坂のデッチあげがよくわかってきます。上記の
> 日本の実力が満洲全体は勿論蒙古の奥までにも及ぶやうにならなければ、
> 我々の満洲経営の理想が完全に実現されたものと云ふ事は出来ない。
は、確かにあります。この「満洲経営」「満洲に於ける日本統治」は当時日本が
もっていた満鉄沿線地域の管理運用の権利で、領土支配ではありません。
この文の続きはこうです。
> 然らば満洲に於ける日本統治の現状は、果して此理想を実現するに適応する
> ものなりや否や。
と、満洲の当時の状況を細かく分析して
> 第一に--- 我々は支那人をして日本に満洲を政治的に併呑するの野心あり
> などとの疑念を起こさせざるように務むることが必要である。--- しかるに
> 今日日本官民の為すところを見るに、あるいは時に支那人から日本の不当なる
> 野心を疑わるるの種となるようなことを軽率に行っておりはしないか。
と述べ、満洲で当時日本が行っていた中国の主権侵害の多くの例を挙げて、
その後日本がデッチあげた満洲事変、満洲国建国のような侵略行為は
絶対あってならぬことと厳しく戒めています。
ところで、吉野は1933年に死去したので、31年の満洲事変については『中央公論』
昭和7年1月号に発表された「民族と階級と戦争」が最後の論文になりました。
この内容は満洲事変への全面的な批判で、軍は自衛権の発動を名目にしているが、
実態は支那への内政干渉であり、帝国主義的行動であると述べています。
彼の態度は「満韓を視察して」を書く前から一貫して近隣アジア諸国民(朝鮮を
含めて)との理解・友好をめざし、日本の侵略的行動を予想してきびしく
警告していたのです。
こう見てくるとあの上坂冬子の本は吉野の文の1部を引用して、吉野の意図とは
正反対の結論を導くもので、まさに「歴史偽造の書」というべきものです。
こんなものに だまされてはいけません。
このたぐいのデタラメは小泉内閣以来目立っています。小泉首相の
「憲法前文の理想実現のためイラクに自衛隊を出す」など、あの前文の理解を問う
国語の試験に本気でそう答案を書けば、落第のレベルでしかない。
衆議院で多数をとった以上、いい加減な答弁でも法案は通せる、と
国民をなめきっているのが見え見えです。
首相がそうなら閣僚も、政府与党の別動隊の反憲法・反教育基本法勢力も
それにならってデタラメをしゃべり放題のように見えます。国民のアタマをあまり
おかしくされないうちに、ひどいデタラメを摘発して「正しい、美しい日本語の
使い方」を示すべきでないか、と思います。教育・歴史関係の方、
いかがでしょうか。 星田 淳