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PIANO的問題提起1 個人が非常に強くなった時代の、組織論。
―仮定としては、政・官・財・知とは無縁な、読者を想定している。
ところで、不特定多数者へ問いかけをしたいと思う。率直に感想をいただけるなら、2001年の、9・11に発生した、同時多発テロの惨禍による、WTC(ワールド・トレード・センタービル)の倒壊に際して、君の直感はどう叫んだと言うんだい?
知識人は喚いたが、人間関係が極めて限定的な、共同体に対して、教条的な、あるいは観念的な取引を行うしかない人間の悲哀は、ここにおいて無視する。
大切なのは一般の社会生活における、実直な感想だ。
21世紀はテロの時代?テロは許せない?テロとの戦い?
嗚呼、これじゃ普遍性がないよ。テロそのものに対する考察がない。テロとは?
無論、フランス語のテロール(恐怖)を語源から抽出して、わかったつもりになる。そんなのは言葉遊びだから、意味がない。少なくとも思想とは言えない。
君だって、一度や二度いじめられた事があるだろう。私はテロという事象の根幹に、謂れのない差別を見るよ。謂れのないというのは、気分的な差別であり、出自、性別、人種などの世界普遍的な概念が存在しない、ちょっと動けば、何故差別しているのか、わからなくなってしまうような、そんなあやふやな差別だ。
結局それは、性格が気に入らない、とか、よくわからないけどキモい、といったような、本当にどうでもいいことだ。先にも述べたが、出自や性別は、それを知られたくないなら、世界のどこへ行っても隠し続けるしかない。空間的な移動は、その世界普遍的な概念を解消することはない。だが学校や職場のいじめは、本人が、よほど致命的な欠陥を抱えていない限り、転校、転職により解決することが多い。
仮に、空間社会学、なんて研究領域があるのなら、いじめの解決を最終目標にして、研究するといいさ。
だが、私はいじめの問題を主題にしているわけじゃないぜ。
いじめというのは往々にして、法により裁かれない。成る程、確かに憲法をそのまま読めば、人間の尊厳を侵しているかもしれないし、暴行や窃盗の罪に問われる可能性もある。しかし、公安が本格的に動くことは稀だし、むしろ公安が動くことが不可能である領域において、陰湿の度合いは顕著であるのだ。
これは近代社会の、少なくとも近代法科学の、社会性に対する、最大の不適応であるが、‘法によって裁かれない、罪がある。’これは大いに問題だ。
仮に近代的官僚機構、もしくは正義の味方なんて奴がいたとしよう。そいつらが一層自己嫌悪し、やるせない感情に囚われ、無力であり、そして自己の存在意義を脅かすもの、それが法によって裁かれない、罪だ。
テロは、そのことと同様の構造を持った、正義の味方への逆襲だ。
米国の軍産複合体が、その上層部のテクノクラート(技術官僚)の協力を得て、己の利己的野心から、俗に言うインターネットを世界中に展開した。一般的な論者は、冷戦終了後の米軍の余裕を語ることが多いのかもしれないが、それは割愛する。
無知な論客に、あらかじめ断っておくが、米軍とその付属する情報収集機関は、全世界にエシュロン(象の檻)と呼ばれる、巨大な傍受装置を配備し、ネット上で交信される情報を、抽出、検証している。つまり、当掲示板の転送情報さえも、米軍は掌握可能なのであるから、その情報収集能力は屈指である。
本論からは多少ずれるが、戦後日本は冷戦終了前後までは、世界中に展開される、純民族資本の総合商社から、情報を入手していた。この方法は、電子送信技術が本格的に展開される以前においては、極めて優秀であったが、1990年代以降のバブル崩壊、政治能力の喪失によって、形骸化した。ただ付記すれば、日本の情報収集は、経済力との連動を強く意識し、軍事的な側面は軽視していたことから、現在の米国の路線とは異なっていた。
さて、いじめの問題に戻ろう。
世界中に展開した情報装置は、世界の距離を狭めた。ああ、確かに狭めた。
普通なら、ここで社会が一つになったと見るべきだ。上っ面だけじゃない、地球の反対側で起こった事件であれ、その対象の妄想まで見抜けるようになったら、それは隣人だ。
よく言われるように、米国資本、米国文化の放埓な導入に対して、極めて敵愾心を強めた集団がいるが、それが爆弾を入手し、ビルに突っ込んだ。ドカーン!!
皆、ここまではわかる。しかし米国資本、米国文化の放埓な導入は、確かに‘法で裁かれない、罪’だった。要するに不条理な、組織の隅で起こるいじめとなんら変わらない。
そして情報の多様化は、私怨を爆発させ、社会の表と裏の関係を曖昧にし、反社会的存在、つまり社会の裏が日常に進入してきた。本来、このような穢れた仕事は、専門に請け負う、反社会的存在が確固としてあり(まあ、やくざだな。)、それは社会的に必要悪だったが、社会的存在と反社会的存在が無分別になってしまったわけだ。
だからインターネットで、麻薬も、爆弾も、果ては核兵器も、入手可能だ。
いいかい。仮に今引きこもっている知人がいたら注意しろ。こちらはその気がなくとも、彼は私怨を募らせているかもしれない。毎日が欝でしょうがない。
救いようがないのは、幼少のころよりいじめ(法で裁かれない、罪。)を受け、性格が歪んでしまった、‘根本的な意味での、社会的弱者、犠牲者’だ。
私はあらゆる引きこもりを糾弾するのではないが、仮にその中にインターネットで、PNB(ポータプル小型核爆弾)を入手したなんて奴が出てきたらどうする?
彼は、中学校の校舎へ、かつての職場へ、私怨から爆弾を仕掛けるかもしれない。
大きい学校なら、数千人単位で死亡者が出るだろう。犯人も殉死か?
これじゃ、9・11を未来永劫繰り返すことになる。
しかし、個人が核爆発を起こせるなら、現代の個人は史上最強だ。そう思わないか?
どうする。どうする。君ならどう〜する〜?任せるんだ(以下省略。)
三バルカンがいるなら、任せたいところだが・・・。
とりあえず、この問題の根幹にあるのは、法で裁かれない、罪の拡大にあるから、それを減耗するに尽きる。先の空間社会学の研究は、一つの対症療法だろう。
ただ、反道徳的行為が必ずしも、法で罰せられないことが、この問題の言い換えであるから(例示するなら、数年前に、髪を染めること。)、近代法社会の限界ではある。
江戸期の大岡越前流の、法なんて無視してもいいし、厳密にはそのようなものはないから、参加者全員が納得できる可能性を探る(三方一両損、など。)という、共同体的な信頼に重きを置くこともできるし、それなら米国と中東に確固たる信頼はないので、世界的視点から見ると無効だが、日本国内ではそれでいいのかもしれない。
ただ、学校の先生は、無論、会社の上司は、大岡越前にはなれない。
最後に述べておくが、組織とは目的に対して集合する必要はない。どういうことか?
終身雇用制度が崩壊し、米国に盲従しない経済制度を確立したいなら、資格性終身雇用制制度の導入を、私は推奨する。
中学生は、義務教育推進者、という資格を、そして卒業後は義務教育卒業者、という資格を一生保有する。国家が倒産してしまわない限りね。
そして、パソコン検定上級者は、同様にパソコン検定上級者の資格を終身的に保有し、国家がその尊厳を守って、終身的にその技能の向上に努める。そういった、資格グループという、観念的な、自由度の高い集合体から、現行の派遣社員というような名目で、各企業のオフィススペースに出向する。企業は、その資格組織の一員を利用する代償として、その資格組織の運営に対して、報酬を付与し、その一部は無条件で、組織の成員に対して授与される。ガイドラインは、こんな感じか?
個人が習得する資格は、決して一つではないから、個人の趣向に合わせて、多様な資格を組み合わせて、創造力を発揮したり、似通った資格を集中的に取得して、プロフェッショナルとして振舞うのもいいだろう。
それなら空間社会学的に、資格は個人の内面に存在して、観念的な組織に属し、企業へ出向する際は、自由に移動を繰り返すことができる。言ってみるとこれだけのことだが、私は当面の組織の理想系は、この点かな、と思っていますよ。
いじめも激減するだろう。何故なら、法で裁かれない、罪とは、組織の中で視点が硬直化することだ、気分転換ができないことだ、共同体でないものを共同体と看做すことだ。共同体の効率的な再編は、いじめを減少させる。
情報の責任は誰が負うの?一つの資格組織がプロバイダーを運営して、ネット社会の中の、組織の成員の発言を監視してくれ。小型エシュロンであり、非常に自由な、匿名の監視社会だ。
2005年2月22日 大学生PIANO
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