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「天皇の為に、国の為に、命を捧げるのは男子の本懐である。」と言う、「戦前の軍国主義」の教育を受け、特攻隊を血判して志願した経歴を持つ会長が、戦争末期の特攻隊員の心情について触れておくことにする。当時の若い特攻隊員の殆どは、神州不滅を信じ、日本の危機を救わなくてはならないと言う、崇高且つ至純な使命感のもとに、「数多の志願者の中から選ばれて、天皇の為に、神州を守る為に、命を捧げる栄誉ある機会を与えて貰った自分達は最高の幸せ者である。」と、喜んで敵艦に突入した若者達である事を忘れてはならない。日本が降伏するなど、彼等には全く想像もつかない事であった。戦死した後は「靖国神社に神として祭られ護国の鬼となる」覚悟のもとに、花と散ったのである。日本が降伏する場合も有り得ると認識していたら、特攻などやる者は一人もいなかったはずである。彼等の当時の死生観は、自らの尊い命を捧げる事で、多くの命が救われる事を願ったもの、つまり、神州を外敵の蹂躙から守り抜こうとする純真なものであった。
因みに、戦前・戦中の日本においては、神国は絶対に負ける事はない。最後は必ず勝つのであるから、日本が外敵に降伏する事など絶対に有り得ない。よって、生きて虜囚の辱めを受けることは、軍人として最大の恥辱であり、一家眷族は世間に顔向けが出来なくなる。「忠ならんと欲すれば孝ならず」などは間違っておる、忠孝一致である。親は子供が戦死した場合は、不肖の子が天皇のお役に立っことが出来て有難いと喜ぶべきであるとされた。そして「海行かば水漬く屍、山行かば草むす屍、おお君(天皇)の辺にこそ死なめ、かえりみはせず。」「武士道とは、死ぬ事と見つけたり。」「七生報国(一回だけ戦死した位では君恩に報いた事にはならない、七回生まれ替わって君恩に報い奉るべきである。)」の文言がもてはやされた。このような精神風土の中で育成された日本の軍隊は、天皇の命令(上官の命令)には絶対に従うという精神的な結束においても、皇軍としての矜持から発する軍律の厳しさにおいても、有史以来最強の軍隊であった事は間違いないものと思料される。
近代戦は国民全体が敵国と戦う総力戦であるから、仮に経済、産業、科学技術(暗号解読・レーダー等を含む)の総合戦力が日本と米国と同等であり、日本軍に米軍と同様の豊富な武器弾薬食糧が補給されていたと仮定した場合勝敗は明白である。日本の兵士は出征に際しては「勝たずば生きて帰らじ」「出征すれば死んで当たり前、生きて帰れたら運が良かった」の覚悟で、水杯で出征した。また、以上の思想は、一般国民の心の中にも浸透し、若者にとっては信念にまで止揚され、挙って軍人になる事を希望した。
軍国少年として教育された戦前の若者達の生活は、今日の価値観から見ると、思想統制により自由を剥奪された陰湿・悲惨なものであったと誤解される畏れがあるが、実態はさに在らず、その逆であった。「万世一系の慈悲深い天皇を頂点に戴く神国日本に生を受けた我ら若者は、諸外国の若者達と比べた場合、最高の幸せ者である。君恩に報いる為には、何時でも命を捧げる事が出来るように心身を鍛練して、学芸・武芸に励み、国運の隆昌に少しでも寄与出来る様に努力精進しなくてはならない。」という目的意識の基に、精神的には最高に充実した希望あふれる毎日を送っていたのがその実態であった。以上は、軍国少年としての戦前の教育を受けた会長の偽らざる証言である。
つまり、当時の若者はここまで天皇崇拝・天皇教にマインドコントロールされていたわけである。教育の力が如何に大きいものであるかを痛感させられる。
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