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いかりや爆さん、Alexです
お書になられた、ドイツ魂というもの、読みながらはたして
この国では何にあたるんだろう、と考えていました。日本語の
象徴的な概念用語にはとまどうことがたすうですが、これを
かりに、誇り、国民精神と訳すと、たぶんこういうもの
はこの国では無いです。ぼくはずっと前からナチズムに興味が
ありました。普通はこれは早く忘れなければならないもの、
タブーとして受け止められていますので、だれも真剣に考えません。
ナチは悪いものでした、謝罪しました、補償しました、いまさら
なにが悪い、もう謝ったんだし金も払ったんだからいいかげんにしろ
というような口調です。
では一体誰が何がナチズムをつくりその台頭を許したのだろうか、
これについて考える時、ドイツ人はナチの過去清算よりも
さらに厳しい状況にさらされるからです。すなわち人格と精神の
根本的な否定です。僕はナチズムはイデオロギーでもなく政治運動でも
戦略でもない、ドイツ人の精神性、そのすべてが完全な形で全体で
現れた象徴だと思っています。こう考えると、ドイツ魂は依然として
死んだわけではないのです。
ユダヤ人被害者、家族にたいする補償というのも、なんら感情がとも
なったものではなく、ただ単に国家の不正があったのだから、それは
清算されるべきである、というだけです。そのようにして完全に
物理的な尻拭いをしていけば、だれからも文句は言わせない、という
姿勢につながりますし、都合がよいわけです。ですから指導者は
ひざまづき頭をたれて謝罪して、その嘘なきに世界がだまされる
ということです。だったら日本はなにをすればよいのでしょうか。
安部さんが南京で切腹でもすれば、アジアの戦後保障に
つながるのでしょうか。
安易な謝罪はむしろ憎悪の発展につながると思いますし、
軽はずみな補償は貧乏人とサギ師にたかられるだけです。
謝ればよいのでもなく、補償をすればよいとも思いません。
その辺の微妙な調整をゆっくりとしながら、隣国達と
かかわるのが問題ではないでしょうか。ただこれはあくまでも
国際政治上のもんだいであり、多大な人命と財産が犠牲になる
世界絡みの危険なゲームの上での、スタンダートでは
ないかと思います。
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