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1 (言及がメタで連接する各所において)
2 「世界全域への言及が成立した時点」、
3 それが「真実だと言い切られた時点」で、
それは客観として語られた、客観(普遍妥当
する)との主張が為された「当人が語る客観」で
あると思われる。真ではなくても「虚偽の客観」を
主張している、というかたちにまでは成る筈である。
4 だが裏付けが取れずば客観とは断定できまい。
ただし主観でしかないとの内容も言い果せず仕舞いに
なるだろう。他方で真実として語られることが有れば、それ
では否定できず、主観での否定に留まってしまう筈だ。無論、
双方が主観であることまでは成立はしうるだろうが当然、事実が
そうであるという保証はできないであろう。そもそもが客観の形式で
語った客観の主張を絶対視し、片や主観であると弱め“主観だけの
世界である”との主張内容と整合性を保っているだけかもしれない。
論理的には上記のようになるが、論理であれば常に正しいだろう。
論証を常に正しい論理で築く時点で、それは主観ではない筈だ。