現在地 HOME > 昼休み5 > 916.html ★阿修羅♪ |
|
“健康麻薬”としての競技を味わわせ、自主的に体位を向上させる?
しかし長身のマスゲームは、閲兵式・観艦式みたいな自己満足だけだろ。
五輪代表選手で国民の体力が語られるなら、どうせ生活患者も能力障碍も居る
として、選りすぐって集めての英才教育に特化すればいいはず。なら、全員体育とは?
体育科では、手っ取り早く、多機能・勘・持久力を養うために総合競技として
何種類か「ゲーム」をやらせているようだが、それで体力を底上げしたいのか。
(定着するのが体育好きに限られ、分極するばかりで、昼夜没入されても国力には結ばないとして)
もはや本来的に国力、生産性の向上と、身体能力が比例しないんでは?
事務系個人の体力増進がジムで行われてるんだったら、体育の授業を検診
みたく交代制の順番待ち方式にして、学校にジムだけ置いて、筋肉を練成する
といいだろうし、専任のインストラクターは、筋力にも内臓機能にも、より直接的に
作用するらしき食事指導もして鍛錬させればよい筈、教練を課す何の大義がある?
もう集団演技にさえ転用しづらい体育なら、形骸の・息抜き・遊び‥‥そして?
戦闘(獣性に駆られた、敵陣攻略目的の兵務行為群)と、芸術(ポイント制の
鑑賞対象の、姿態や振る舞い)の中間ぐらいなポジションなんじゃないか?
性技も必須実習科目として、国民自体を
増産したほうが解り易いだろう。「重機としての
兵器」オペレータは、いまだに数がものをいうだろうし。