現在地 HOME > 昼休み5 > 843.html ★阿修羅♪ |
|
1 “1元陰謀論者”は、「単独の支配一族が表面上(表面に
おいて)は、あたかも対立しているかに振る舞う」ように視るものとする。
2 “2元(多元)陰謀論者”に依れば「複数の勢力」が絶えず鎬を削り、
常時、工作活動を仕掛け合っているかの構図が描かれるものとする。
1’
前者にしてみると、支配する者が対立を演じるのは、
その「敵」が事実上、被支配者であるから、ということになるだろう。
したがって対立という見かけの計略に乗せられないことが肝要で、当然のごと、
2元(多元)陰謀論者は対立しないこと、即ち、予定調和な
統合に向け、示唆・教導への傾向性を帯びるはずである。
2’
後者の場合には、対立する双方へと善悪を対応させることで、
何れに加担すべきかを論じることが可能となるだろう。
直近の集団に属するのはもちろん、想定される2大勢力形成の流れに甘んじ、より有利な
特定の陣営に割り当てられることを、寧ろ危うげなき選択として自明視するのではないか。
はたして陰謀論は、その広がりからこそ、必然的に「対立論」と「非対立論」
という組み合わせで、高次に「対立」するもの、といえるかもしれない。
この高次の「対立」が予想され、絶えず検証される位相に世が在るならば、既に支配形態は、
次の「段階」に移っているものと思われる。またそうでなければ支配など到底覚束ないであろう。
してみると論理的帰結としての高次の対立も、展開された規模での具体的闘争としては、
人為か偶発か必然か何れにより多くを負うかは定かでなく、それゆえ事実関係が何処までも
奥深く分け入らせるかの如き様相を呈するに至るとなれば、その元は予想しうる「対立」でありながらに
して、まさにその「陰謀」が加味されたことで既に、とかく思われるほどには乗り越え
可能なものになっているとは限らない実相なのかもしれないのである。