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相馬御風『貞心と千代と蓮月』
http://www2s.biglobe.ne.jp/~Taiju/teisin_01.htm
かうして二人はつひには師弟の關係、年齡の相違、性のけじめをさへ超越して、全くのあどけない幼兒の如き交りにまで進むことが出來た。七十餘歳の老僧と、三十餘歳の美しい尼僧とが人目など寸毫も憚らずに、或は毬をつき、或はハヂキをし、或は野に出て花を摘んだりして嬉戲してゐたーさうした光景を想像すると、私はそれだけでも得がたい朗らかな氣分に誘はれる。何といふ不思議な貴い愛の姿であらう。
しかし、そのやうな樂しい月日の間にも、良寛の肉體上の老衰は年一年とその度を増して行つた。そして貞心と相識つてから五年目の冬になつて、つひに再び起つことの出來ない病臥の身となつた。
梓弓春になりなば草の庵をとくとひてまし逢ひたきものを
良寛が貞心を慕ふ思ひは、そこまで行つて全く極度に達した。深い積雪に閉ぢこめられた此頃をか弱い女人の身でどうして遠い道のりを歩いてなど來られるものかと思へば思ふほど、良寛にはます\/貞心にあひたい思ひが増すのであつた。
しかし、いかに雪が深からうとも、貞心はぢつとしては居られなかつた。彼女はつひに萬難を排して師の許へ驅けつけたのであつた。
いつ\/と待ちにし人は來りたり今はあひ見て何か思はむ
良寛は泣いて喜んだ。彼はもうその時は自分でも眼前に死の闇の横つてゐることを充分覺悟してゐたのであつた。 それにしてもかうして最後の十日あまりを最愛の尼弟子のやさしい介抱をうけて靜に此世を去つて行くことの出來た良寛和尚は、何といふ惠まれた人であつたらう。
生き死にの境はなれて住む身にもさらぬわかれのあるぞ悲しき
泰然として死に直面してゐた良寛和尚の前に、貞心も亦何等の躊躇もなくかうした最後の言葉を示すことが出來たし、良寛は更にそれによつて心の靜けさをいさゝかたりとも動かされるやうなことがなかつた。良寛の口からはそれに應じて次の如き誰の作とも知れぬ一句が靜かに洩らされた。
裏を見せ表を見せて散るもみぢ
かうして裏も表も見せつくした玲瓏たる心の安らかさを保ちつつ天保二年正月六日良寛和尚は穩やかな最後の眠りに就いたのであつた。そして同時に此の稀有な淨さと、あたゝかさと、ほがらかさと、美しさとを持つた老僧と尼僧との現世に於ける交りも永遠の結末を告げたのであつた。
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良寛が没したのは現在の新潟県三島郡和島村なので「深い積雪に閉ぢこめられ」ていたというわけです。
こういうのもいいですね。ただし肝心のお相手がおらんかったら話にならんけど。はて。こまったこまった・・・