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これが「相対論批判」批判の例だな。
http://www.asyura2.com/0502/lunchbreak5/msg/735.html
投稿者 危機状況 日時 2005 年 8 月 29 日 13:32:45: EejynwrxlmrnQ

http://www.tenchi.ne.jp/~rszk/FAQ/Sci/Axion2.txt

 以前、窪田登司氏の書いた『アインシュタインの相対性理論は間違っていた』と
いう書籍の間違いを指摘しましたが、今回その続編である『「相対論」はやはり間
違っていた』が出たので、懲りずにまた指摘してみたいと思います。
 なお、前回の話は#1124〜#1174('93/7/27〜'93/8/16)にわたり17回のアップ
として本会議室に残っておりますので、興味がある方はどうぞ。
 また、私の文だけでは不公平でありますし、私が『著者が言ってもいない事を批
判している』のかも知れませんから、是非とも元の書籍を読んで確認してみて下さ
い。
 では・・・
 
  − 「相対論」はやはり間違っていたはやはり間違っていた その1 −
 
【常識をもって相対論を考え直す:森野正春氏】
 
 この章で述べている事はただ一つ。
 
      『時計が遅れるというような事は常識的に有り得ない』
 
それだけです(^^;)。相対論は未だに理解されておらず、かつ、質問する事すら許
されていないのだと力説されております。そして、相対論で出てくる『遅れた時計』
とは『狂った時計』の事だと述べています。
 そして最後には、時間の遅れというのは、物理学者も哲学者も説明出来ないと述
べています。
 
 内容はそれだけであり、相対論の物理的矛盾を突こうという考察は全くないので、
本会議室で議論する話題ではないでしょう。まあ、題目が常識でもって相対論を考
えるという事なので、それはそれでいいと思いますが。
 
 1つだけ本分を引用しますと、
 
 >  多くの人々がこの理論の魅力にひかれて、物理学者の書いた解説書を長い
 > 間、熱心に読んできたのですが、まだ誰もこの理論を理解し納得できないで
 > おります。
 
とあります。『誰も』というのが『物理学者以外』を指すのでしたら、日本には沢
山の物理学者がいる事になりますね(^^;)。
 
 ただ、知ろうとする気持ちを挫くような解説書(?)があるとすれば、確かに改
めるべきではありますから、著者の主張である『学問というものは理解することが
大切なのではないでしょうか。』には全面的に賛成致します。
 
                         axion


 
  − 「相対論」はやはり間違っていたはやはり間違っていた その2 −
 
【相対論は崩壊する:窪田登司氏】
 
 [前著への反応]と[読者の便りを分析する]
 
 著者への反論は、「学校で教えているから正しいのだ!」というような感情的な
ものだったという事です。これが本当なら、確かに著者の『問題提起』は有用だっ
たと言えるでしょう。内容が正しいか正しくないかは別にして。
 
 [アインシュタインと著者の考え方の違い]
 
 この部分で著者の立場が明確になっているので、反論がしやすいです。大抵のこ
の手の本は、自らの立場が明確でない場合が多く、反論のやりようがない事が往々
にしてあるので・・・。
 
 アインシュタインの立場と著者の立場を箇条書きに分けてみます(ただし、重力
や加速度運動のない、慣性系での論議)。
 
      アインシュタイン            窪田登司氏
 
   光は誰がどのような速度で見ても     光は一度空間に放たれると観測
  一定速度である。            者の運動とは切り放されて無関係
                      になる。よって、観測者の立場に
                      よって光速度も変わる。
 
   等速度運動しているロケット内部     ロケット内部で光を飛ばすと、
  では、外を見ない限り、自分が運動    ロケットが動いているか否かで光
  しているのかどうか分からない。     速度が変化するために、ロケット
                      の動きが検出可能。
 
   光をロケットから、横の方向に飛     光をロケットから、横方向に飛
  ばすと、ロケットが動いていようが    ばすと、ロケットが動いていた場
  いまいが、真横の壁にぶつかる。     合は、光が後ろの方へ流されてい
                      ってしまう。
 
となります。著者の考え方は、『相対論以前の段階にまで、物理学を戻せ』と説い
ているように、なるほど、100年前の理解であります。
 そして丁寧にも、著者自身がどちらが正しいかの検定方法を書いてくれています。
さらに、もしアインシュタインの仮定が正しければ、相対論は正しいでしょうと
述べていて、中々潔いです。それだけ自信があるという事でしょうか?
 では、その実験方法を述べましょう。
                                    
 装置は長い板とレーザー装置、    ___               
そして、受光するホトダイオー    | □ |受光部           
ドです。要は、長く飛んでも拡    |  |      B状態     
散しない光源と、光を感知する   A|  |   __________ 
ものがあればなんでもいい事に   状|  |   |レーザー    受光部|
なります。            態|  |   |■ →     □|
                  |  |   |         |
 著者の主張によると、光源を    |  |    ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 
出た光は、真っ直ぐ飛び、装置    | ↑ |              
の運動によって受光部への到達    |  |              
位置が微妙に異なる事になりま    | ■ |レーザー    ――――→   
す。                  ̄ ̄ ̄       地球の進行方向 
 Bの状態の場合は、光は受光                      
部へ真っ直ぐ到達しますが、Aの状態の時は、地球は太陽の周囲を秒速約30km
で動いているので、『光が受光部のある部分に到達した頃には、受光部が移動し
ているため』受光部の少し後ろへ流されて到達するという主張です。
 光は秒速30万kmのため、板の長さ(=レーザーと受光部の距離)が10mだ
とすれば、AとBとでは、光の到達点が1mm程ずれるであろうという結論になり
ます。
 
 ・・・と、著者の説明は明快であるし、主張もはっきりしております。ところが、
何故この実験を自分自身でしようとしないのかが分からない。
 ただ一言、
 
 >  これはレーザー光線を使って実際に実験してみれば分かることなので
 > すが、なかなかやろうとするグループがありません。
 
と書いてあるだけです。また、「教えてガリレオ!」という番組でもこの実験をや
ろうとしたプロデューサーの弁によると・・・
 
 >  「物理学者に相談すると一喝の元に、相対性理論は間違っていないか
 > ら、そんな実験は無意味だ! と言われ、実験にはこぎつけられません」
 > という返事で没になってしまいました。
 
という事です。そんな返事をする物理学者の顔が見たいものですが、根本的に、
『何で物理学者や、他のグループに頼るの?』というのが疑問です。
                                    
 この実験は、数万円で出来ます。第一、半       ___      
導体レーザーなんてそこらじゅうに溢れてい      /   \     
るので、わざわざ『半導体レーザーを使って     /____ \受光部 
研究している機関』に実験を依頼する事はあ    /鏡  :   □\   
りません。                   |   ::   : |   
 文具屋(?)でレーザーポインタを買って    |  : : : |   
くればよろしい。これが2万円前後。       |  ↑   ::  |   
 次に10mの板・・・ですが、これを回転    \     :  /   
させるとなると少々スペースが必要になるの     \■___鏡/    
で、少し工夫をします。マイケルソン・モー   レーザー \___/     
レーの実験の時のように、鏡で反射させれば                
いい。                      地球の運動――→   
 図のような状態の時、レーザーから出て鏡                
にぶつかった光は、ジグザクに動きながら、最終的に受光部に到達しますが、受
光部とは名ばかりの白い紙で十分です。
 図での地球の運動を考えると、(著者の主張ならば)光は行くときも戻る時も
後ろへ流されるので、受光部ではつもり積って、大きく光点がズレる筈です。
 そして、この装置自身が回転するようになっていればよい。つまり、中華料理
用のテーブルの上で実験をすればいいのです。テーブルを回して受光部での光点
がズレれば、著者の主張が認められます。
 なお、著者は太陽系全体、及び銀河系全体の速度も加わると述べていますが、
宇宙背景輻射による地球の動きは、600km/sという、地球の公転速度の実に2
0倍もの速度で動いています。
 つまり、著者の主張が正しければ、10m先に飛ばした光が狂うのは、1mmな
どという僅かな量ではなく、2cmも狂います。中華料理のテーブルが1mだと
して、鏡を一切使わなかったとしても、2mmも狂うのです。
 こんな精度の実験で確かめられるのならば、家庭でも十分できるのです。
 
 この実験。『中華料理を食べながら相対論の検証をするオフ』とでも称して
やってみませんか(^_^;)?
 
                          axion
 
P.S.  なお、前著の反論の時に、実際にこれと同等な実験(ただし遥に
    正確)なものがJ.P.CedarholmとC.H.Townesによって1959年に行
    われている事も書きましたし、レーザーによるマイケルソン・モー
    レー実験が行われている事も述べてあります。


 
  − 「相対論」はやはり間違っていたはやはり間違っていた その3 −
 
【相対論は崩壊する:窪田登司氏】 続き
 
 [アインシュタインの二つの仮定の矛盾]
 
 初っ端にこのような記述があります。
 
 >  アインシュタインは特殊相対性理論を作るに当たって、二つの仮定を
 > 置いたことは、再三述べてきましたが、これらの仮定は、じつは相反し
 > ている要請であることは、多くの科学者はすでに承知しています。
             ・・・ 中略 ・・・
 >  もう一度念のため二つの仮定というのを記しておきますと、光の速度
 > はどんな観測者から見ても一定だとする<光速度不変の原理>と、光は
 > 物体と同様にガリレオの相対性原理に従う運動をする、というものです。
 
この2つは確かに相反しています。そもそも特殊相対論はガリレイ変換を捨てた理
論ですから、著者の認識そのものが間違いです。
 
 ただ、後の文脈に、アインシュタインはこの2つを繋げるために、ガリレイ変換
を捨ててローレンツ変換を作った(採用した)という著者の正しい解説もあります。
 前著ではこのような記述は見られなかったため、少しは学んだようです。もっと
も、それ以外の主張は変わっていませんが(^^;)。
 
 また、前著の時も著者が主張しておりましたが・・・
 
 >  もしアインシュタインがこの世にいなかったら、相対性理論は間違い
 > なく生まれていません。
 
と、ここでも力説し、当時26歳であったアインシュタインが、数学的に幼稚だっ
たというような説明をしており、今の世ならば到底受け入れられないものであると
主張しています。
 
 アインシュタイン以前に『式の上で』相対論を完成させていた人々が大勢いる事
を著者はいまだに知らないようです。ローレンツ変換を考えて発表した人を、発表
年と、当時の年齢と共に書き出してみますと・・・
 
  ・ フォークト     37歳        1887年
  ・ フィッツジェラド  38歳        1889年
  ・ ラーモア      41歳        1898年
  ・ ポアンカレ     44歳        1898年
  ・ ローレンツ     39歳        1892年
  ・ アインシュタイン  26歳        1905年
 
となり、アインシュタイン以前にも先人が沢山いました。アインシュタインがこの
世にいなくても、特殊相対論は数年もしないうちに登場したであろう事は容易に想
像できます。詳しくは前回の時も書いたので割愛します。
 
 [ガリレオの相対性原理とマックスウェル電磁理論]
 
 ここで著者は、マックスウェルの電磁気学で登場する光速度一定を、アインシュ
タインがどのような考察をしてローレンツ変換を導出したかを述べています。この
部分は正しいようです。ただし、その変換式に物理的意味は無いとしています。
 
 理由は、『光速以外の何かの速度ωを発見したとき、それはいかなる座標系でも
不変であると仮定すると全く同じ論理展開ができる』からだそうです。
 その通りなんですが、これで変換式を無意味と主張する意図がよくわかりません。
 
 光でなくても、座標系によらない一定速度のものが登場すれば、それを記述する
ためには必ずローレンツ変換にぶつかるという『正しい主張』を著者はしていなが
ら、ローレンツ変換を『仮定から作られた虚構の式』とします。
 
 いや、『仮定から作られた式』という主張も正しい。光速度不変という『仮定』
があったればこそ、この式が作られた訳ですし、だからこそその後、光速度を精密
に測る実験が繰り返された訳ですので。
 
 何故著者がこれを虚構とするかというと、著者本人は座標によって光速度が変化
するという『仮定』に立脚して理論を組み立てているからです。
 この勝負。光速度測定実験がなければどっちもどっちです。もちろん、光速度が、
光源の動きや観測装置の動きがあったとしても一定であるという事は既に実験によ
って何度も確かめられておりますので、著者の『仮定』の方が間違いなのですけど
も。
 
                         axion
 
P.S.  レスありがとうございます、向さん。なんと、レーザーポインタは
    既に1万円を切っているのですね。いいやつでも1万5千円でオツリ
    がくる。
     ちなみに、レーザーのズレがあったとしたら、レーザースポットで
    照準を付けるライフルなどは使えませんね(^_^;)。100m先の標的
    を狙うのに±20cmも狂ってしまってはお手上げです。スナイパー
    は、コリオリ力の補正云々を考える以前に(ゴルゴ13は考えていた)、
    現在の地球の位置を常に把握しておかねばならなくなってしまいます。


 
  − 「相対論」はやはり間違っていたはやはり間違っていた その4 −
 
【相対論は崩壊する:窪田登司氏】 続き
 
 [マイケルソン・モーレーの実験について]
 
 著者の主張の中心部はこの節にあります。ただ、前著で主旨のほとんどは述べて
あり、それについての反論も既に述べてあるので、軽く解説します。
                                     
     C           マイケルソン・モーレーの実験は何度も出て
     ―          います。ABとACの距離は同じとして、光が
                A→B→Aと進む場合と、A→C→Aと進む場
       地球公転方向   合とで、時間的なズレがあるかどうか調べる実
     ↑  ――→v    験です。                 
                                     
                 A→B→Aの方は、光の速度c、地球公転速
                度v、距離AB=AC=Lとして・・・   
 光源〜→/  →   |B                       
     A                  L     L      
     □干渉計          T1 = ――― + ―――     
                       c−v   c+v     
                                     
                           2L         
                     = ―――――――――   式1
                       c(1−v^2/c^2)     
                                     
がでます。著者もこれは書いていて、『これは光速度が見掛け上、行きは(c−v)
に、帰りは(c+v)になっていることと同じです。』と述べています。ここには
異存ありません。まあ、しいて言えば、これは装置そのものが動いていると見る慣
性系から見た表現だという事です。
 
 次に、A→C→Aの場合ですが、AからCへ、あるいはCからAへ行く間に装置
が動いてしまうので、『AからCに向けて発射した光は、飛んで行っている間に鏡
Cは右方向に動いているので、本当は反射しないはず』と著者は書いています。
 
 確かに、『装置が地球と共に動いている事を観察する系から見て、真っ直ぐ上に
光を出せば』鏡Cにぶつからない事もあるでしょう。装置が止まっていると見る系
では、光は最初から後ろへ逸れていくようにセットされていると感じます。
 
 そこで、少し右前方に光を出します。著者によると『あらかじめそっちの方向に
うまく反射するように』セットする必要があるという事ですが、実際には自動的に
そうなります。
 『自動的にそうなる』というのは、シンクロトロン放射などで既に確認済ですし、
前著の反論の時に詳しく説明しましたので割愛します。
 
 著者の主張には、レーザー光は地球の動いている向きによって到達ポイントが狂
うというものがありますから(地球公転速度より、10mで1mmずれる)、首尾
一貫して間違っております。著者自身の考えに内部矛盾が無いのが救いです・・・。
 
 具体的に、A→Cに行くには、装置が    C       C’     
動いているとみる系において、A→C’    ―       ―      
に行くという事です。           ↑       /       
 到着にかかる時間はピタゴラスの定理          /        
により、                 L     /         
                          /      →v  
 (cT)^2 = L^2 + (vT)^2         /           
                     ↓  /            
であり、往復時間をT2 として、       A/      A’     
                                     
                   2L                 
          T2 = ―――――――――――   式2       
              c(1−v^2/c^2)^1/2            
                                     
です。式1と式2では分母に1/2乗のあるなしの違いがありますから、これが検
出されるとして実験がなされた訳です。著者はこれに反論します。
 
 式1を出す場合は、行きの光速度は見掛け上(c−v)であって、帰りは
(c+v)だとしました。だったら、今回も見掛けの光速度を考えて、c−v・cosθ
を使うべきであると主張します。                      
                                     
 前回の反論の時にも述べましたが、これはドップラー効果を示す時によく使う近
似であり、特別な発想ではありません。
 この式について著者に多くの質問があったそうです。今回著者はp132にこの
説明をしていまして、確かにドップラー効果の話をしています。
 
 実は、この部分に質問が集中したという点に少々ショックを感じています。
 すなわち、前著の説明を見て、『ああ、これはドップラー効果を導く時によく使
われる近似だね』という事に気付かない読者が多数いる事に他ならず、少なくとも
『高校で習う物理の範疇でのドップラー効果』の話が身についていない事になるか
らです。もっとも、高校で物理を取らなかった人も多いのでしょうけど・・・。
 
 余談ですが、この本に出てくる読者の反応(あるいは著者が尋ねた物理学者の反
応)というのは、著者の言う通り、あまり的を得た反論とは言えません。そういう
反論ばかりを著者が選んだのかも知れませんが、まともな反論は著者の耳に達して
いないのかもしれません。ちょっと心配です。
 
 さて、見掛けの光速度をc−vcosθとするという時点で「これはドップラー効
果の時の近似だ」と気付いたとしたら、後は著者の主張の間違いを指摘するのはそ
んなに難しくはありません。
 ドップラー効果を述べる時のこの近似が『どういう前提の元に近似されているか』
が分かっていれば、簡単です。それは、短時間のうちにθが大きく変わらないよう
な時・・・言い換えれば、ACとAC’がほとんど変わらない場合の時に使える近
似です。
 確かに、ACとAC’は、マイケルソン・モーレーの実験でもほとんど同じです。
ほとんど同じだからこそ干渉計を用いて苦労した訳です。しかし、この『ほとんど
同じな部分の差を測定するのがこの実験の本質』なのですから、『ほとんど同じな
のだから、それを使って近似しよう』という式が使える筈がありません。
 
 例えばもしこれが、次のように『分かりやすい間違い』だったらどうでしょう。
 
 【y=xという関数と、y=x^1/2という関数がある。xが1付近だったらど
  ちらの関数の答えも1に近く、そんなに差はない。だから、x=x^1/2とし
  て差し支えないだろう・・・】
 
今問題としているのは、この差がいかほどかを議論しているのであって、これを無
しと見なすような近似をしたら意味がないのです。
 
 右図を見て下さい。まず求める部分    |← vT2   →|      
というのは、AC’間の距離です。     C        C’     
 これをアインシュタインは、ピタゴ    ―・ .   ――――      
ラスの定理により、           ↑\  ・ .  θ/       
                      \  ・. /        
(AC')^2 = (CC')^2 + (AC)^2      \   D.         
                    L   \ /  ・        
としたのです。これは厳密にそうであ        E  ・   →v   
って、近似ではありません。           /     ・       
 著者の使用した関係は、AC’を2   ↓  /      .       
つの部分に分けて、まず、         A/θ      A’     
                     ――――            
   AC’= AD + DC’                       
 
とします。ADは、ACと同じ長さです(CDA’を繋ぐ点線はAを中心にして描
かれる円の一部)。
 そして、DC'を求める時に、近似vT2・cosθを使います。厳密には、この長さ
はEC'ですね。
 
 つまり、AD + DC'を求める時に近似して、AD + EC'を使ってもいいじ
ゃないかというのが著者の主張です。この時、距離ED分だけ余計に距離が加算さ
れますが、これによって、式2が式1の近似解へと変化するのでした。
 
 すなわち、T2<T1となるべき式が、T2を出す段階でEDという距離だけ余分に
走らされる近似式のためT2+(ED)/cという時間になり、T1=T2+(ED)/c
が成り立つ事になる。
 そして、(ED)/cは、『実験に影響ない』誤差だから、T1=T2としてもいい
だろうと著者は主張している訳です(^_^;)。
 
 第一、ピタゴラスの定理を使った厳密解を、わざわざ近似式に直してそちらを採
用するという話自身がかなり???なんですが・・・。
 
***
 
 さて、窪田氏の話はまだ続いていますが、前著とほとんど主張は同じであり、間
違い方も同じです。
 例えば、[同時の相対性]の話で、
 
 >  たとえば、列車の中央にいる人Dは列車の両端B、Cから同時に発した
 > 光を受ける。しかし、大地の人Aは列車の進行方向の先端Cから発した光
 > の方が先にDに届いたと主張する。
                       B_____D____C→ 
                                     
                             A       
 
という風に同時の相対性が書いてあるとして、これを攻撃していますが、この文な
ら私もNOと言います。この説明は間違っているからです。著者は、『相対論を正
しく理解してないので、こんなふうになってしまった』と述べていますが、私もそ
の意見に賛成です。
 正しくは、『列車の人Dも、地上の人Aも、Dへは同時に光が届いたと見る』の
が正解で、『ただしBとCの光の発射時刻は、AはBが早いと主張し、DはB、C
同時と主張する』とならねばなりません。
 
 この間違いはNHKのアインシュタインロマンでも放映された間違いで、後の再
放送でこっそり直されていたという、いわく付の間違いです。こういう主張が堂々
と載っている本は、早く訂正されるべきだと思います。
 
 以下、窪田氏への反論はここまでとして、次は右コマは軽くなるで有名な、早坂
秀雄氏の論を紹介します。
 
                          axion
 
P.S.  窪田氏にはそのうち反論をまとめて質問の手紙を書こうかと思ってい
    ます。質問内容はここにアップするつもりです(公開質問というのかな)。

 
  − 「相対論」はやはり間違っていたはやはり間違っていた その5 −
 
【エーテルと新しい非対称重力理論:早坂秀雄氏】
 
 本が出る前に指摘していましたが、早坂氏の右回りのコマは軽くなるという実験
に対する反証実験についての記述は一切ありませんでした。
 それどころか著者紹介の部分に次のような記述もあります。
 
 > 世界で最も権威ある米国の物理学専門誌『フ
 > ィジカル・レビュー・レターズ』(1989年)に
 > 発表した「右回転ジャイロによる重力減衰の
 > 効果」の実験はニュートンの万有引力の発見
 > に匹敵するといわれ,今後の追試実験が世界
 > 中で注目されている。
 
 もっとも、この部分は著者本人が書いたのではないでしょうが、どちらにせよ、
認識が甘いものです。
 「もしかすると著者本人が反証実験の事を知らないのではないか? それだった
ら仕方がない事かも?」と思うかも知れませんが、それはまず有り得ません。反証
実験は著者が発表したフィジカル・レビュー・レターズに載っているからです。
 自らが投稿した雑誌での反響を、自らが見ないなんて事があるでしょうか?
 
 具体的に、早坂氏が出した論文は、Phy.Rev Lett.63,25,2701(1989)に載ってお
り、それは1989年12月18日号です。
 が、既に次の号であるPhy.Rev Lett.64.8,825(1990)には反証実験が載っており
ます。
 自らが出した論文の次の号に載っている反論を『見ていない』筈はないでしょう。
もちろん、それ以外にもネイチャー等に反証実験が載っており、追試が成功したグ
ループはなく、早坂氏の実験より精密な実験で、否定的な結論が出されています。
 
 このような状況で『今後の追試実験が世界中で注目されている』と書くのはかな
り恥ずかしい事だと思うので、早坂氏のためにも、是非書き換えてあげたら如何か
と思います(本人が書いたのではない筈ですから)。
 
 [エーテルを否定したマイケルソン・モーレーの実験と最近の実験結果]
 
 まず著者は、現在の量子力学や一般相対性理論には「場」の概念は不可欠である
事を述べています。これは確かに正しい・・・というよりも、どちらも「場」を使
った理論なのですから。
 ところが、その次に、
 
 >  すなわち、空間は空虚なものではなく、「何か」が充満しているものと
 > している。その何かというのは、ダークマターか背景輻射か何か分からな
 > いが、いわゆる真空のエネルギーである。
 
という記述があります。どこからダークマターや背景輻射の話か出てくるのか?
そして、何故それが『いわゆる』真空のエネルギーになるのか分かりません。
 ダークマターや背景輻射というのは、空間の『上に』置かれているもので、空間
『そのものの』性質とはなんら関係ないものです。
 
 この手の誤解はちょくちょく見られるものですが、要するに『空間の性質』の話
と『空間の中に置かれた物体の性質』の話とがゴチャゴチャになっている訳です。
 
 続いて、最近のエーテル検出の話として、シルバーツースという人と、マリノフ
という人の実験を紹介しています。
 巻末に実験内容が載っていて、まだ詳しくは読んでいないのですが、シルバーツ
ース氏の論文は初っ端から面白い。
 
 まず最初に、光速度cは、振動数νと波長λから、
 
                  c = νλ             
 
であると述べた後、光速度が変化する場合は波長λが変化し、νは変化しないとあ
る。確かに、音波が空気中から水中に入るような時はそうなっています。
 そして、『マイケルソン・モーレーの方法では、光速度を測ることはできない』
と述べる訳ですが、この装置は光速度はエーテルに対して一定だとして考えられた
ものであって、λやνが出てくる幕はありません。
 もちろん、エーテルの濃い所から薄い所に出るような場合は別ですが、装置が同
一のエーテルの中にドップリ使っているという設定では無意味な話です。
 
 もしかすると装置が置かれていた場所では、たまたま東西方向と南北方向とでエ
ーテルの密度が違う場所だったのかも(^_^;)。今ならこういう議論は“笑い話”に
なりますが、100年前は実際にそういう話があって、地下室ではエーテルが引き
ずられていたのだとか言われて、山のてっぺんで実験したりもされています(^_^)。
 
 まあ、巻末の論文については、暇があればまた追及してみたいと思います。
 
 [特殊相対性理論との関わり]
 
 ここでは窪田氏と同様な意見が述べられておりまして、加速器での素粒子の衝突
実験等の加速度運動を伴う現象に、特殊相対論のような慣性系に適応すべき理論で
議論ができるのかという話をしています。
 そして、
                               _______
 > 磁界によって屈曲された素粒子飛跡の時間の遅れなどにt。/1−v^2/c^2
 > をどのように応用しているのだろうか。
 
と述べられています。著者は東北大学の教授だそうですから、本に書く以前に、学
生に直接聞いてみればいい。
 原理は簡単で、慣性系の運動則というのは、速度一定(dx/dt=一定)の運
動則でありますから、加速度が含まれる方程式に直したい場合は、それら方程式を
もう一度時間微分すればよろしい。
 このあたりの事はニュートン力学でもお馴染みです。例えば、ニュートン力学で
の運動量mvから、力Fとの関係を
 
                   d                  
              F = ――(mv)             
                  dt                 
 
としたように、
                 d     mv             
            F = ――(―=======)         
                dt /1−v^2/c^2          
 
とすればいいだけです。少なくともニュートン力学を変形できる人ならば、特殊相
対性理論の、加速度運動への応用も楽にこなせます。
 
 この手の変形は特殊相対論の入門で登場する部分ですから、「どのように応用し
ているのか」という疑問が著者にわくという点が不思議です。
 
 ただし一般的には、『特殊相対論は加速度運動には手も足もでない』みたいな認
識がありますから、物理に一度もタッチしてなく、自ら何も計算した事がない人が、
ブルーバックスのような啓蒙書のみを読んでこのような疑問を抱いたというのなら
ば、話は分かるのですが・・・。
 
 くどいかも知れませんが、『特殊相対論を加速度運動をする物体にどのように適
応するか?』という問題は、大学1年の教養問題レベルなのです。
 
 次に、著者は、A.Aspectの実験について述べています(実は、FSFで、いろもの
物理学者さんが述べているのですが、著者はこのアラン・アスペの名前をそのまま
ローマ字読みして「アスペクト」と称しております。名前がアランである事からも
分かる通り、この人はフランスの人で、アスペクトとは読まないでしょう)。
 
 詳しくはEPRパラドックスについて話をせねばならず、何度も出てきた話題で
すので割愛しますが、要するに、1つの場所から分裂した2つの粒子は、一方の性
質が決定されると『たちどころに』もう一方の性質も決定されるという実験です。
 この『たちどころに』という部分が問題であり、この点を突いて著者はアインシ
ュタインの特殊相対性理論は間違っているとする訳です。
 
 著者の誤解は、一方の粒子の性質が決まった瞬間に『何かその情報を伝える伝令
粒子が他方へ飛んでいる』というような感覚を持っているという事。
 アスペの実験は、このような隠れた粒子がない事を示したのであって、特殊相対
論の話とはなんら関わらないのでした。
 
 この実験の示したものは、古典的な局所的存在というものは存在していないとい
う事の証明です。『たちどころに』収縮するのは波動関数であり、ある見えない粒
子が光速度を越えて介在しているのではありません。
 
 相対論とは関係なく、アインシュタインは局所的存在こそ全てという哲学を持っ
ていたので、量子論の解釈としての彼の主張が誤りであったという事は言えます。
著者はこの点を述べていて、それは確かに正しいのですが、そこから相対論の是非
を云々するデータはありません。
 事実、このアスペの実験を通しても、『有益な情報を光速度以上のスピードで他
方に送る事はできない』のですから。
 
 [重力の非対称性]
 
 冒頭で述べたように、著者の右回りのコマ実験は否定的追試実験結果が出ていて、
それに対する著者本人の反論等は何も出ていません。ところが、この節では、
 
 > 私の行っているジャイロによる重力変化の実験が正しいならば・・・
 
と、話を切り出しています。まずやるべき事は、追試実験が何故否定的結果に終わ
ったかを追及する事だと思いますが(まさしく、マイケルソン・モーレーのエーテ
ル検出否定実験の時ように)。
 
 という事でこの節の中身についてはいくら力説しても仕方がないものですが、重
力の非対称性の説明として、カルタンの非対称場の理論を引用しています。
 カルタンの理論について私はあまり知らないのですが、著者の話を読むと、接続
   μ
係数Γνσの対称性の話らしい・・・。
             μ
 確かに一般相対論では、Γνσに対する対称条件・・・
 
                 μ     μ             
                Γνσ = Γσν            
 
を仮定しており、それを元に組み立てられています。
 
                μ      μ             
               Γνσ = −Γσν            

となるような部分を取り扱うには捩率という話が出てきますが、アインシュタイン
はこれを統一場理論に使いました。もっとも、統一場理論は完成しませんでしたが、
こういうねじれを持った空間を考える理論は色々あるようです。
 
 が、これがどうして重力の非対称性と結び付くかが分かりません。もっと詳しく
説明を聞かねば是非は言えませんが、どっちにせよ、まずは実験の否定的結論を著
者に論駁してもらわない事には埒が開きません。
 
                         axion


 
  − 「相対論」はやはり間違っていたはやはり間違っていた その6 −
 
【相対論を打ち砕くシルバーハンマー:日高 守氏】
 
 [シルバーハンマーとは何か]
 
 著者によると、シルバーハンマーというのは、理論が構築された後に発見され
る『見落とされた関数』の事だそうです。要するに理論構築の土台となった部分
に単純なミスが見付かると、親亀コケたら皆こけたというように総崩れになると
いう事のようです。
 まあ、確かにそうです。逆説的ではありますが、この本に書かれている『相対
論は間違い』とする説は、著者の言うシルバーハンマーによって崩れているので
すから(+実験事実の誤認もあります)。
 
 [二〇世紀最大の発見]
 
 この節で著者は『歴史的な式E=mc^2が一般に知られているような重要な意
味を全く持っていない』とし、それを説明しています。実は、私個人も歴史的な
意味という事から考えれば、当時はそれほど意味を持っていなかったのではない
かと思っています(ただし、著者の主張とは全く別の考察からです)。
 
 第一、アインシュタイン自身も1905年9月の論文を書いた後、E=mc^2
についてあまり確信を持っていなかったようです。結局、ラジウム塩などを使っ
た実験についての実験的考察をしており、実験で確かめられる事を期待していた
フシがあります。
 もっとも、1910年には、エネルギーと質量のが換算があまりに差があるの
で、『当分の間は観測不可能』だと思っていたようですが(三十数年後にあんな
に判り易い形で検証されるとは思っていなかった)。
 
 まず、E=mc^2を最初に定式化したのはポアンカレであり、1900年の事
でした。この『「相対論」はやはり間違い・・・』を書いた著者達は、異口同音
に「相対論はアインシュタイン一人がデッチあげた」という主張でありますので、
この当たりの話は知らないのかもしれません。
 前著の批判の時に、『アインシュタインがいなくても、特殊相対論は生まれて
いた筈で、それは多分ポアンカレによるものだろう』という主旨の事を述べたと
思います。
 
 ポアンカレのE=mc^2導出の経緯はニュートン力学+マックスウェルの電磁
気学的なものです。
 ポアンカレは光の質量について考えました。光についても、運動量p=mvが
成り立つと仮定して、パルス的な光の質量を考えます。ここで、電磁場の運動量
密度と関係のあるポインティング・ベクトルを使った運動量保存則を考えて、
p=E/cを導出し、m=E/c^2としたのでした。
 また、質量が速さに依存する(いわゆる相対論的質量)事を示したのは、ロー
レンツが最初で、1899年の事です。ローレンツはローレンツ変換を既に導い
ていたので、単なる式の変換で導出できたと思われます。
 ただし、ローレンツはあくまでニュートン力学の範疇で組み立てており、縦質
量だの横質量だの色々と作ってまして、相対論が生まれる前後は、質量の定義が
(静止質量を含めて)3つもあったようです(^_^;)。
 
 さらに、電磁質量の話まで遡れば、エネルギーと質量が互いに変換可能だとい
う考えは二十数年前まで遡れたりしますが、歴史的な事ばかり述べても仕方ない
ので、このへんで切り上げます。
 
 一応、このくらい述べておけば、E=mc^2という変換式が『当時、それほど
ユニークな考えではなかった』事は分かるでしょう。アインシュタインのユニー
クさはもっと別のところにあります。
 
 さて、それでは著者が指摘しているアインシュタインの論文(巻末資料2)に
ついて考えます。内容は次の通りです。
 ・・・あ、そうそう。この巻末資料2にケアレスミスを見付けました(^^;)。
本文上から8行目に出てくる『座標系K』というのは、『座標系K。』ですよね?
間違えたのは、アインシュタインかな? 訳者(の一人)の湯川博士かな。まあ
そんな事はどうでもよろしい。
                    z。               
 まず物体Bが空間に浮いて    z  ↑      __       
おり、そこに両脇から2つの    ↑  | S    | |    S’ 
光がやってきます。これが、    |  | ○〜→  |B|  ←〜○  
SとS’です。          |  |      | |       
 この2つの光はどちらも     | K。|       ̄ ̄       
E/2のエネルギーを持ち、   K|  ・――――――――――――→x。
最終的にBにぶつかり吸収さ  v↓・―――――――――――――→x   
れます。ぶつかった後も物体                       
Bは、中央に留まりつづけたままです。ここまでは、K。系で見た時の話。 
 
 次に、K。系に対してz軸方向に負の速度vを持つ慣性系Kを考えます。この場
合は物体Bはz軸正方向へvの速度で動いています。そして、2つの光SとS’は
光行差現象により、角度α(=ほぼv/c)で上向きに角度を持ちながらBへぶ
つかるように観測されます。
 重要なのは次です。
 
 >  K。系における考察から,Bの速度はSおよびS’の吸収のあとで変わ
 > らないことがわかる。
 
 SとS’は共に運動量を持っています。それが角度αでぶつかっているのに、
物体Bの速度は変化していないのです。
                         v           
                         ↑           
       __               __          
   S   | |   S’     S  → | | ←  S’    
   ○〜→ |B| ←〜○      ○― ̄α |B| α ̄―○     
       | |           """""""| |"""""""      
        ̄ ̄                ̄ ̄          
       K。系               K系          
                                    
 
 アインシュタインの考察を整理して書き出してみます。
 
 その1 K。系で見て物体Bは、SとS’が衝突した前も後も常に静止してい
    た。このため、K系でみれば、衝突前も後も常に、速度vでz軸方向へ
    進んでいる筈である。
 
 その2 K。系でみれば、SとS’の衝突によって、これら2つの持つ運動量
    は相殺されるが、K系でみれば角度α(=ほぼv/c)でBにぶつかっ
    ている。よってK系で見ると、相殺されないz軸方向の運動量が残る筈
    である。
 
 その3 K系でみたBの最初の運動量は、Bの質量をMとすれば、Mvである。
    その後、SとS’がぶつかった後、消え損ねた運動量は[その2]の考
    察から・・・
 
           (Sの運動量+S'の運動量)sinα
    である筈だ。
 
 その4 SとS’の元々の持っていたエネルギーをそれぞれE/2とすれば、
    マックスウェルの電磁気学から、それぞれが持っていた運動量はE/2c
    になる(注:ここも資料に誤植があります。う〜む、この資料は結構い
    い加減だな^^;)。
     そこで、sinα=約v/cという近似を使えば、Bに与えられた運動量
    は、
       (E/2c + E/2c)×(v/c) = Ev/c^2
 
    となり、元々のBの運動量Mvと併せて、
 
                Mv + (E/c^2)v
    となるであろう。
 
 その5 普通、運動量が増えれば速度が増す。しかし、[その1]の考察により
    速度vに変化は無かった。さてどうするか?
     運動量は元々Mvであって、運動量が増えたのにも関わらずvが増えな
    いのであるから、運動量保存則を満たすためには質量Mが増えたと見なす
    以外に方法がない。そこで、SとS’が衝突した後のBの質量をM’とす
    る。
 
 その6 すると運動量保存則は、Mv + (E/c^2)v = M'v となる。よっ
    て、
               M’− M = E/c^2
    となる。
     今回増えた質量分はまさに、M'−Mであるから、増加分(M'−M)を
    新たにMとすれば、
                  E = Mc^2
    
    とできる。
 
ざっとこうなります(この短い論文の中に2ヶ所も誤植があるとは、活字をひろった
印刷屋のミスだなきっと(^^;)・・・)。
 
 これに対する著者の反論は・・・
 
 >  「物体の運動量Mvと輻射複合体S、S’の運動量(E/c^2)を足すと
 >  運動量M'vになる」
 >   この仮想実験の結果はいったい何処から得られたのでしょうか。
               ・・・ 中略 ・・・
 >   実はこの結果は実験データがないから仮定したものなのです。その仮定と
 >  は、「質量MにエネルギーEが吸収されたのち、質量M'に増加したと仮定
 >  する」というものです。
 
となっていて、最初から質量とエネルギーの等価性を記述した式だったとします。す
なわち、最初から等価だとした式を使って、等価式を出しているだけだと・・・。
 
 ある意味では、著者の主張はもっともだと思います。しかし、前述した[その5]
の思考過程をみて下さい。運動量が増えて、なおかつ速度が変化していないという前
提では、運動量保存則を満たすためには、質量が変化したと考えるのが一番妥当です。
 
 ただ、いきなりアインシュタインが、何のお膳立てもなく『質量が増加したのだ』
などと述べても誰も相手にしなかったでしょう。
 そこで、冒頭に述べたような歴史的背景が重要になります。質量とエネルギーが等
価になるという考えは、電磁質量の概念や光のエネルギーと質量の関係をポアンカレ
が考察していたように、『特殊な前提の時には』有り得るだろうという考えは既にあ
ったのです。アインシュタインはそれを一般化したのでした。
 
 著者の指摘は、この論文には観測や実験での事実の記載が一切なく、仮想実験だけ
で書いてあるので『間違っている』というものです。確かに、エネルギーを与えられ
ると質量が増えるというような実験事実は当時ありません。
 だからこそその後の実験が必要だったのですし、実験結果の前に質量とエネルギー
の等価性を見抜いたからこそ、アインシュタインの名が有名になっている訳です。
 
 ただ、ここで出てきた一連の考察を考えると、質量を増やすのが一番もっともな選
択である事は理解して頂けたのではないかと感じております。
 それとも、『光が絡んだ場合は、運動量保存則は成り立たない』と考える方を選び
ますか? もちろんそれも1つの方法ですし解決策ではありますが、後の実験によっ
て否定される事になるでしょう。
 後の世になって『アインシュタインの選択が正しかった』のが分かったのであって、
論文が出た段階で正しいか否かは分からなかったのです。
 
 なお、基本的な著者の誤り(意図的かも)として、ここで登場するアインシュタイ
ンの論文は1946年のものであり、後年になってからのものです(アインシュタイ
ンは、後年2通りの方法でこれを解いています。1934年の講演と、この1946
年のものです)。
 
                         axion
 
P.S.  この章の著者、日高守氏は、数式の省略を許さない人のようです。
    普通は、パッと見れば何を省略しているのか分かるモンですが、それ
    を間違いとして指摘します。
     一方アインシュタインは、数式に関しては何でも略して書いてしま
    っています。同じものを何度も書くような無駄はせず、極めて合理的
    (過ぎる^^;)です。
     多分、日高氏が、テンソル表記で常に登場する『アインシュタイン
    の縮約の規則』を見たら、「間違っている!」と声を大にして言うと
    思います(^^;)。これらテンソル表記をクドクトと書いてた日にはもう
    紙が足り無くなるは、頭はこんがらがるわで大変です。


 
  − 「相対論」はやはり間違っていたはやはり間違っていた その7 −
 
【相対論を打ち砕くシルバーハンマー:日高 守氏】 続き
 
 [それでも相対論?]
 
 この節では、著者の数式の省略を許さないという姿勢が露になります。例えば
時間τを別の時間tと関連づけるとしてτ(0,0,0,t)と書いた後、それの時間微分
として、
 
                 dτ                 
                 ――       dは本当は偏微分記号
                 dt                 
 
としてある部分に反論します。τ(0,0,0,t)の時間微分ならば、
 
               dτ(0,0,0,t)               
               ―――――――    dは本当は偏微分記号
                  dt                 
 
とすべきであろうと(^_^;)。その通りです。それはもちろんそうなんですが・・
・なんと言うか、こういう突っ込みをされると凄く疲れそう(=o=)。
 
 話が前後しますが、著者は冒頭の一節にこのような文を書いています。
 
 >  そういう私は相対性理論を疑ったことが一度もありません。まったく
 > 理解できなかったのです。なぜ間違った式を使っているのか。なぜ物理
 > 学者までもが小学生でもわかる数学トリックに騙されてしまうのでしょ
 > うか。
 
・・・多分著者のような性格だと、相対論だけでなく、他の理論も全く先に進め
ず、「何故間違った式を・・・」と連発する事になると思いますが如何でしょう
か?
 これは『数学屋さんが見て、物理屋さんの使う数学がいい加減なので、少々気
を悪くしている』というレベルの話ではありませんよね。
 
***
 
 次に、光が時刻τ0の時にX軸に沿ってx’まで進み、τ1の時に反射し、τ2で
原点に戻った時の事を考えます。ここで、装置と共に動く慣性系からみれば、
 
        1              光源       反射板  
        ―(τ0 + τ2) = τ1    □ 〜〜→    | v→
        2              0 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄x'   
 
であるとできます。何しろ装置と一緒に運動していると見る系では、光源も反射
板も止まっているのですから。
 そして、今度は装置を動いていると見る系・・・すなわち観測者に対して装置
はvの速度を持って動いていて、光源も反射板も動いているとします。その観測
者のいる系の時間をtとし、τはtとその空間座標であるx,y,zを使って、
τ(x,y,z,t)で表せるとします。
 なお、τを使う座標系では、空間はξ,η,ζで表す事にしています(もっと
見慣れた記号を使ってもらいたかった>アインシュタイン^^;)。
 
 そこで、上の式を『書き直して』、
 
 1                x'   x'            x'  
 ―[τ(0,0,0,t) + τ(0,0,0,t + ―― + ――)] = τ(x',0,0,t + ――) 
 2               c-v  c+v           c-v  
 
とアインシュタインはしています。著者はここにも反論します。ただ単にτ0,
τ1,τ2を、一般的な関数としたτ(x,y,z,t)に書き直しただけの式に対し、
 
 >  逃げる泥棒とすれ違うより追いかける方が時間がかかるように、運動
 > している線分上を光が往復すれば復路よりも往路に時間がかかり、運動
 > 系の記述とは一致しなくなります。
 
と述べます。
 つまり、装置が動いていると見る系では、光源から反射板へ到達する時間の方
が、反射板が速度vで逃げているので長くなり、反射した後は、逆に光源が近付
いてくるから時間が短くなると説いています。もちろんその通りです。
 もし書き直した式が、装置を動いていると見る座標系として、
 
             1                      
             ―(t0 + t2) = t1            
             2                      
 
となっていたら確かに間違いですが、このような式はどこにも出ていません。す
なわち、著者の反論すべき式は、巻末のアインシュタインの6月論文の中には全
く出てこないのです。
 著者はここで詰ってしまって、相対論の論文の先を見ていないようですが、こ
れは単なる著者の勘違いですね。
 
 なお、復路は時間が短く、往路では時間がかかるという事実は、
 
 1                x'   x'            x'  
 ―[τ(0,0,0,t) + τ(0,0,0,t + ―― + ――)] = τ(x',0,0,t + ――) 
 2               c-v  c+v           c-v  
                 ^^^^^^^^^^^              
                   ↑                
               この部分にしっかりと記述されてます。
 
***
 
 次に、著者は、観測者が速度0、速度1、速度vで動く場合、極端には光に乗
って光を見た場合に、その光速度は、
 
 > 光速度不変ではすべてcと答える事ができます。あなたは? やはり運動
 > している観測者の速度に関係なく光速度はcですか? それぞれのデータ、
 > 0や1、vやcはどうなったのでしょうか。それらをすべて無視しません
 > でしたか?
 
とします。
 無視はしていません。運動する観測者の速度を取り入れて、なおかつ光速度は
cなのです。
 この部分は、相対論を『信じている』人の中にも多くの誤解を生んでいますの
で仕方がないかもしれませんが、光速度が『観測者の動きは無視して』常にcな
のではなく、『観測者の動きを考慮してもc』なのです。
 
 速度v1とv2の物体があって、それぞれの上で相手の速さを見れば、相対論で
は、
                 v1 + v2               
            v = ――――――――             
               1+v1v2/c^2             
 
と算出されますが、v1をcとしてしまうと、『v2が何であってもv=cとなっ
てしまう』のであって、決して計算していないのではありません。
 相対論に反対する人だけでなく、相対論をブルーバックス程度でカジッた人で
も『光だけ特別』としてしまう風潮があるために、このような間違った指摘がま
かり通る事になります。
 
 もちろん経緯としては光速度不変が先にあって、それに合うように速度合成則
が算出されたのですが、決して光だけが特別だとして扱っている訳ではありませ
ん。
 
 著者の主張している速度合成則は多分、
 
        v = v1 + v2  (ただし、0≦v<c)
        c = c      (cには何足してもc)
 
というような、cだけを特別扱いしたものでしょう。相対論はそんな理論ではあ
りません。
 
                        axion


 
  − 「相対論」はやはり間違っていたはやはり間違っていた その8 −
 
【相対論を打ち砕くシルバーハンマー:日高 守氏】 続き
 
 [マイケルソン・モーレーの実験について]
 
 この『「相対論」はやはり間違っていた』の本の中で、もっとも下らないと思
われるミスはここにあります。                      
                                ←v /
 著者はマイケルソン・モーレーの実験の類似             / 
思考実験として、45度の傾きを持った鏡にぶ     光〜→    /  
つかる光を考えています。そして、鏡が止まっ           /   
ていれば(図のような場合)鏡は90度反射さ          /45度  
れて真上に届くとしています。ここまではよろしい。
 ところが、鏡がvの速度で光に近付いたりすれば、光は真上では無くてナナメ
前方に飛ばされるとします。つまり、著者は光をサッカーボールと同じようなも
のとして扱っていて、反射すると鏡の速度がベクトルとして加わると思っている
ようです。
 マイケルソン・モーレーの実験は、エーテル内を飛んでいく光の『波』を考え
ていますが、波はそれを伝える媒質に対して常に同じ速度で動きます。反射鏡が
動こうが光源が動こうが関係ありません。
 
 このような、反射鏡による光の速度変化の主張を堂々と述べているのは、本書
の中でも日高氏だけです。窪田氏もその他誰もが、少なくとも『波』としての光
の性質だけは間違えていません(他の著者が指摘しているのは、『エーテルに対
して動いている観測者』が見る光速度についてです)。
 この波の性質は中学校で習ったと思いますが・・・いや習わなくても水面の波
紋を見れば誰でも理解出来る筈です・・・。
 
 また、続いてこの著者の勘違いをさらに決定づける端的な思考実験もあります。
マイケルソン・モーレーの実験で、エーテル                
流と平行に走る光の方の考察で、行きの光の       時速100km     
見掛けの速度がc−vで、帰りがc+vとす    ___________ 
る部分に、著者は反論します。この部分に反    |          |
論する人も、本書の中では日高氏だけだと思    |          |
います。                    | ○〜→     壁|
                        |時速101km      |
 図のように時速100kmで走る列車があ    |__________|
り、101kmで飛ぶボール(ここで既に波      ○○   ○○   
ではなく、物体を登場させている)があると                
すると、列車内部では、101−100=1であり、時速1kmの速度のボール
に見える。                               
 マイケルソン・モーレーの実験では、行きはc−vだからいいとして、帰りは
c+vだから、この考えをボールに当てはめると、この計算は、
 
    『列車内で時速1kmで壁にぶつかったボールが反射すると
     時速201kmで跳ね返ると述べている!       』
 
と同じだと主張し、マイケルソン・モーレーの計算を間違いだとするのです。こ
こまでくるとさすがに目がテン(・_・;)になってしまいます。
 
 船が時速101kmで航行していて、後ろから波が時速101kmでくれば、
船上では、時速1kmで近付いてくるように見えますし、一旦反射して船と逆向
きに走り出した波は、時速201kmで離れて行きます。それでいいんです。
 
 ・・・ところで、この本には監修っているのでしょうか?
 
                        axion


 
  − 「相対論」はやはり間違っていたはやはり間違っていた その9 −
 
【一般相対論と量子力学の概念的矛盾:竹内 薫氏】
 
 この章は他の著者のものと違って『まとも』です。どうして、この本の中に入
っているのか不思議なくらいです。
 
 内容は、一般相対論が繰り込み不可能であるために、量子力学と相容れない事
や、空間や時間を量子化しようとした、スナイダーやヤンの話であり、短いなが
らも中々面白い小論です。
 
 また、宇宙背景輻射の赤方偏位が量子化されているかという議論など興味深い
話もあります。
 やや、簡単な比喩が多すぎるので、もっと本格的なものも読みたくなりました。
 
 ・・・しかし、他の論に混じってこういうのが入っているというのは、逆にビ
ックリしますね。
 『まとも』な本が並ぶ本屋の列に、数冊ある疑似科学本という状況はよくあり
ますが・・・。
 
                        axion


 
  − 「相対論」はやはり間違っていたはやはり間違っていた その10 −
 
【時間と時刻を混同している相対論:石井 均氏】
 
 まず、著者の発想は、よくも悪くも『理系的発想』ではありません。他にうま
い表現が見付からないのですが・・・。
 
 なんでも、C.P.スノーという人が『人類には自然科学的文化と人文科学的
文化の二種類があって、この2つは中々融合しない』と嘆いたそうですが、著者
の文章にはそんな雰囲気があります。
 よって、著者の文章に対して私が『自然科学的発想でもって間違いを指摘する』
のも何か場違いな気もしますし(やろうと思えばいくらでも出来る文章なのです
が)、著者がやっている『人文科学的発想による相対論批判』も、大いに的外れ
であります。
 ただこういう『的外れ』が悪いといっている訳ではありません。それは人間の
二大思考の一方の形態であり、どちらの発想も私は好きですので・・・。
 
 なにやら概念的な話になってしまいましたが、以下に具体例を挙げて見ましょ
う。
 
 タイトルにもあるように、著者は『時刻』と『時間』を明確に区分します。そ
の方法は、自然科学的発想で見られるような、「ある時刻と別の時刻の差を時間
という」みたいな(そんな定義があるかどうか知りませんが)ものではありませ
ん。
 
 >  一時刻プラス一時刻は一時刻であり非数学的で絶対である。これに
 > 対して、一時間プラス一時間は二時間であり数学的で相対的である。
 > このことから明らかなように真に絶対的時刻としての時間というもの
 > は非数学的でもある。したがってニュートンの考えている意味とは異
 > なる意味において絶対時間(時刻としての時間)というものが現実に
 > 存在するのである。
 
と、このように著者は展開します。事実、著者は本文中でアインシュタインだけ
でなくニュートンの考えている絶対時間の考えも否定しています。要するに、時
刻というのは非数学的なものであるというのが著者の主張であります。
 
 >  時刻というのは、どの系にも同時に存在する絶対的なものである。
 > 時間は時刻間の差である。ということは時間は絶対的なものであると
 > しなければならない。
 
という一文もありまして、ここでいう『絶対的』という表現は、著者の言う『非
数学的なもの』でありましょう。
 
 これ以上引用しても同じだと思いますが、著者は時間は数学では切り取れない
絶対的なものだという主張からこれを書いている訳であり、物理的・数学的な間
違いを突いている訳ではありません。
 ですから、こういう反論の場合は「そうですか」と言う以外にありません。時
間を数学で考えるなという事で門前払いをしているのですから。
 
 人それぞれによって、何を『真理』としているかは違うので、これ以上『自然
科学的真理』によって著者の文を追及することは止めます。
 例えば、ゴッホやルノアールの絵画を『自然として正しく描かれている“写真”
とは異なっているので認めない』というような主張は、誰だってしないのではあ
りませんか? ちなみに著者は画家だそうです。
 
                        axion


 
  − 「相対論」はやはり間違っていたはやはり間違っていた その11 −
 
【世界線の屈折と光速度不変の原理の見直し:馬場駿羣氏】
 
 [窪田氏の快挙]
 
 この章は、前章の石井氏と同じような短さですし、数式も全然出てこない章で
す。ただし、著者の発想は完全に『理系的発想』ではあり、そこに書かれている
のは単純に間違いです。
 こういう場合は、反論のしがいがあります(^_^;)。
 
 前章と本章の文を比べると、疑似科学と言われるものにも2種類ある事がわか
り、大変面白いです。
 例えて言えば、前者は全く異なった『宗教』を唱えているお坊さんであり、後
者は『内容の間違ったお経』を唱えているお坊さんです。余計混乱する例えだっ
たかな(^_^;)。
 
 さて、本章の著者の特徴は、結構歴史的な事実に詳しく、途中までは正しい道
筋を進んでいるのに、いきなり『明確な理由もなしに』間違っているといい出す
という手法が多いです。
 
 とりあえず、よくある勘違いとして、
 
 >  現在、相対論とりわけ特殊相対論は物理学会ではほとんど宗教的信仰
 > に近いレベルで一般に絶対的信望を得ているようではあるが、学者の中
 > には相対論不信論者がかなりあるのも事実なのである。
 
と書かれています。『宗教的信仰』というものがどんなものか分かりませんが、
少なくとも特殊相対論が受け入れられているのは、実際にその理論を元にして作
られた装置が動くからですし、逆にニュートン力学で設計した場合にはうまく動
かないからです。
 『相対論不信論者』がかなりいる事は結構な事です。彼等が相対論の穴を発見
してくれる事を期待しましょう。しかし、大抵の場合は、ある理論の穴を見付け
る人というのは、その理論を熟知している人なんですけどね。
 
 分かりやすくするために、相対論という部分を『流体力学によって飛行機が飛
ぶこと』として考えてみましょう。
 
    現在、流体力学によって飛行機が飛ぶということは物理学会ではほと
   んど宗教的信仰に近いレベルで一般に絶対的信望を得ているようではあ
   るが、学者の中には、あんな鉄の塊が飛ぶ筈がないという主張がかなり
   あるのも事実なのである。
 
・・・要するに、実際に飛んでいる事をどう説明するかという点がごっそり抜け
ている訳です(^_^;)。
 
 [ローレンツ収縮について]
 
 ここで著者は、マイケルソン・モーレーの実験結果につじつまを合わせるため
にローレンツがローレンツ収縮を導入した事や、その後の特殊相対論の登場で、
それが事実として認められた事などを述べています。この部分は特別妙なところ
はありません。
 
 次に著者は、ローレンツ収縮は『実際に生じるものか』あるいは『見掛け上の
ものか』という2つの意見があるとしています。これも、特殊相対論発表当時に
は混乱の元となりました。
 どうやらローレンツ自身は、晩年まで『空間の縮み』という概念を理解してな
く、物質の縮みに還元して話をしていたようです。もっとも、実際に理解してい
たのかどうかは今となっては分かりません。
 
 著者は、ローレンツ収縮が『実際に起こる』としている人として、ローレンツ
自身とパウリの名を挙げています。そして、『見かけのもの』としている人とし
て、ジェーコフとランダウを挙げています。
 パウリがどのような事に言及していたのか、私は知りませんのでこれについて
はなんとも言えません。
 
 ローレンツ収縮は『空間の縮み』ですから、『空間の上にある物体』は、縮ん
でいるのが普通になります。
 ただし、表現として難しいのは、猛スピードで動いている物体が縮んでいるの
を見る立場では、『相手が縮んでいるのは紛れもない事実』ですが、相手の物体
に乗っている人がみれば『自分の乗っている物体は止まっていて、何も縮んでい
ない』訳です。
 なお、著者によると、この部分は、
 
 >  たたし、特殊相対論では運動系と静止系とはあくまで相対的に取り扱
 > われるので、こちらから見れば相手の長さが短くなり、向こうから見れ
 > ばこちらの長さが短くなるという内部矛盾を抱えることになる。
 
と、『正しい認識をしているにも関わらず』、一番最後でいきなり『内部矛盾』
とだけ書かれていてその説明はありません。
 双方から見れば、相手の立場が違って見えるという事を『矛盾』というならば、
普通のガリレイ変換の場合も、双方が『自分が止まっていて相手が動いていると
感じる』という内部矛盾を含んでいる事になってしまいます(^^;)。
 
 『矛盾』というのならば、例えば「運動系から見ると、静止系の人は左右から
の光を同時に見た筈なのに、静止系の人はそうではなかったと主張した」という
ようなものでなくてはなりません。特殊相対論ではそのような矛盾した帰結は出
てきません(これを勘違いしたのが窪田氏です)。
 
 さて、著者はローレンツ収縮が実際に生じるとして主張した人物に、窪田氏の
前著で序文だけ紹介されて序文だけけなされた(^^;)スコベリツィン氏を挙げてい
ます(そういえば、森野正春氏の稿も、内山龍雄氏の書いた「相対性理論」の序
文にケチを付けていた。序文はケチが付けやすいのかな?)。
 紹介された問題は、2台の宇宙船が全く同一な加速をすると、その間隔は当然
ながら常に同じなのに、2台を繋げたロープはローレンツ収縮によって切れてし
まうという話です。
 この話は本当ですが、これをローレンツが主張した『実際の縮み』と混同して
いる点に、著者の限界があります。
 
 つまり、この2台の宇宙船の話と、ローレンツが述べた物体の縮みとは別のも
のです。
 
 ローレンツの主張: 物体は、エーテルの流れる方向には、その圧力によって
          物体が縮む。縮み方は鉄でも綿でも同じでなければならな
          い。なお、空間が縮むなどという概念はない。
 
 スコベリツィンの: 宇宙船が速度を増していけば、ローレンツ収縮によって
2台の宇宙船    その間隔は短くなるべきである。しかし、宇宙船の縮み方
          がローレンツ収縮に『追い付かない』場合は、宇宙船の間
          隔は空間の縮みに対して相対的に伸びていることになり、
          いずれ切れてしまう。
 
 ローレンツの主張は数式的には相対論と同じですが、概念としてはニュートン
の絶対空間の考えから一歩も出ていません。よって、当時、ローレンツ自身が懸
念を示したように、鉄でも綿でも材質に因らず『同様な縮み方をするのは何故か?』
という疑問がありました。
 エーテルではなく空気の流れならば、鉄の棒はあまり縮みませんが、綿の棒は
結構縮んでしまうでしょう。この部分がローレンツには分からなかった。
 アインシュタインの場合は空間そのものを縮めてしまったので、空間上にある
物体の材質には因らなくなりました。
 
 なお、スコベリツィンの2台の宇宙船の話は、相対論に詳しい人でも以外に間
違える人が多く、中々面白い題材であります。具体的にどのように悩むかは本会
議室の#925の私の発言から、#926のあっぷっぷさんの反論、#927のTOSHIさんの発
言と続く一連の発言を見て下さい(お二人とも相対論には詳しい人からの反論と
いう点が面白いです)。
 
                         axion


 
  − 「相対論」はやはり間違っていたはやはり間違っていた その12 −
 
【世界線の屈折と光速度不変の原理の見直し:馬場駿羣氏】 続き
 
 [時間の遅れ]
 
 この節の著者の説明は、相対論の反論ではなくて賛成の立場で書かれているよ
うに受け取れてしまいます。結局のところ何に対して反論しているのだかよく分
かりません(^^;)。
 
 まず、ローレンツ収縮で述べた『内部矛盾』と同様な発言があります。2つの
時計があって、一方AがBを見て時計が遅れていると見たならば、BがAを見た
場合は進んでいると見るのが常識だと述べています。
 ・・・それって単にAの時計の進み方が『機械の故障で』進んでいるだけじゃ
ないかと思いますが(^^;)。
 なんでも、このような双方の時計が遅れているという事があり得ないと数式的
にも容易に説明できるとかで、著者の書いた別の本『ローレンツ変換の新解釈』
には、それが載っているそうです。そちらの本は持ってないのでコメントできま
せん。
 
 次に、「しかし、時間の遅れは実際に観測されている」という反論に対して、
具体的にはハーフエルとキーティングの飛行機による実験(実際には「ハフェー
レ」の筈である。元がJ.Hafele(とR.Keating)なので・・・)が登場します。
 著者は次のように指摘します。
 
 >  しかしながら、私の研究によれば前述のヘイらの実験およびハーフ
 > エルらのジェット機世界一周の実験では時計の遅れが確かにあったと
 > 言うが、前者の実験では遠心力、後者の実験では重力というように力
 > の場が作用したのである。これはもはや一般相対論の範囲に入るので
 > ある。
 
・・・その通りです(^_^)。ちなみに、ヘイらの実験というのは『横ドップラー効
果』を調べた実験であるという事ですが、私個人の浅学の中では知りませんm(__)m。
ただ、横ドップラー効果を確かめようとした実験というのは、色々あって実験的
にも確かめられておりますが、今は詳しくは述べません。
 
 で、ジェット機世界一周による実験の方は、前回の時にも述べたのですが、著
者の言う通り『一般相対論的効果』を無視できません。というより、速度の違い
が原因の特殊相対論的効果よりも、重力の効果の方が大きいくらいです。
 
 よって、当然ながらこの実験では、著者の指摘を待つまでもなく、最初からこ
の事を考慮した上で実験をし、見事特殊相対論と一般相対論両方が絡む理論結果
と実験結果が一致を見たのでした。
 
 以上のように、著者の指摘は正にその通りとしか言えない訳でして、これが何
の反論になっているのかよく分かりません。
 著者は実験者の名前まで調べているのですから、当然実験内容は知っている筈
だと思いますから、この指摘で何を言わんとしているのか分からないのです。
 もしかすると、相対論の批判をしているフリをして、実は援護しているのでは
ないかとも取れたりします(トロイの木馬かな)。
 
 次に高速で飛ぶ中間子の寿命が伸びた話を著者は持ってきていますが、具体的
な内容はなく、自らの書いた「ローレンツ変換の新解釈」の宣伝をするのみに留
まっています。
 
 そして、次に、『双子のパラドックス』の事がでてきますが、ここでも、相対
論が正しいという主張とも受け取れる発言がなされていて面白いです。
 
 内容を要約します。双子のAがロケットへ乗り、Bが地球に残ったとすれば、
特殊相対論では双方の時計が遅れるから互いに相手の方が若いという矛盾した結
果になる。が、Aの方は引き返す段階で加速度運動が必ず必要になるから、一般
相対論の等価原理を適応すれば、この加速度が重力場のごとく作用する。その結
果Aのみが一方的に時計が遅れる事になる・・・。
 
 これもその通りであります。このまんまの説明が相対論の啓蒙書にもシバシバ
登場するくらいですから。
 そして、次のように著者は続けています。
 
 >  一般相対論では時計の遅れが可能なのであるから、このような理論に
 > 取扱上の誤りがなければ事実として興味のある問題ではある。しかし、
 > その反面これは理論的に当然の帰結でありもはやパラドックスではなく
 > なるのである。
 
・・・これもその通りで、パラドックスは存在しないという結論が一般相対論に
よって説明された訳です。
 
 ここまでの説明では、著者は『相対論に対して単に懐疑的』なだけであり、間
違った主張にはなっていない事になります。
 
 [同時刻の相対性]
 
 ローレンツ変換をローレンツが導いた時、立場によって変化する時間を『局所
時間』と呼んで『真の時間』と区別しました。真の時間というのはエーテルに対
して止まっている物体の時間という事になろうかと思いますが、その後そのよう
なものが存在しない事が次第に明らかになります。
 
 著者は『局所時間』を、時間と空間座標の合の子であって、数学的技巧に過ぎ
ないとし、
 
 >  しかしこのような合の子時間に対応する真の時間がこれらとは別にあ
 > るわけで、そしてそれらは容易に見出すことができるのである。
 
としています。ローレンツ変換では、式をいかように変換してもローレンツ変換
に戻ってしまうので、『真の時間があったとしても、検出は不可能』だったから
困ったのです。
 ただ一言「容易に見出すことができるのである」と言われても困ります(^^;)。
その『容易な真の時間の見出し方』を是非書いてもらいたかった。もしかすると、
それを書くには、この本の余白は狭すぎたのかもしれませんけど・・・。
 
 [光速度不変の原理の見直し]
 
 著者は、速度vで近付く物体からでる光は本当はc+vとなっているが、観測
するとcとなる・・・という新理論(?)をうちたてています。
 ただ、その変換方法は書いてありません。
 
 >  ・・・きわめて簡単なルールにしたがってこの世界線が運動座標系と
 > 静止座標系の境界で屈折することになり、動く光源から出る光は静止系
 > で観測するとc+vの速度が必ずcになることを見事に説明しうること
 > がわかった。
 
とだけ書いてあります。『きわめて簡単なルールで・・・見事に説明できる』な
らばそれを是非書いてもらいたかった。もしかするとそれを書くには・・・以下
同文。
 
 ちなみに、この説を反駁するのは簡単です。著者は観測地で測定した時のみc
と観測してしまい、観測しなければc+vだと言っているのですから、光速度を
直接測るのではなくて、ある距離を光が通過する時間を測ればよい。
 
 ネズミ取り方式とでもいいましょうか(^_^;)? 警官がひょいと出てくると、
その瞬間に速度が遅くなって捕まらないのだから、ある距離離れた2点にセンサー
を置いて、その2点を通過する時間を調べればいいんです。
 光を使った距離計ば実際にそういう原理で現在使われてますけどね(^_^;)。
 
                         axion

 
  − 「相対論」はやはり間違っていたはやはり間違っていた その13 −
 
【相対性理論のどこがおかしいか:後藤 学氏】
 
 [窪田登司氏の本]
 
 まずは、著者が窪田氏の本を読んだ感想が述べてあります。そして、特殊相対
論の『3つの仮定』があり、そのうち2つがおかしいと述べています。
 3つとは、
 
   1.特殊相対性原理
   2.光速度不変の原理
   3.時空座標の二点間距離の不変性(あるいはローレンツ変換といって
                                 もいい)
 
です。普通は1と2だけなのですが、著者は3を付け加えています。この段階で
著者は既に、特殊相対論の何が新しかったかを理解していない事がわかります
(ちなみに著者が変だとしているのは、2と3です)。
 
 ローレンツ変換はアインシュタイン以前にも知られていました。しかし、それ
はマイケルソン・モーレーの実験を説明するため、ローレンツ収縮という発想が
先にあり、どの程度縮めば実験に合うかと考えられたものです。すなわち、実験
事実に合うように作られました。
 
 しかし、アインシュタインは、基本原理となる1と2『のみ』から、3を初め
て導出したのです。
 それまでは『実験式』に近かったローレンツ変換を、2つの仮定を想定して、
そこから演役的に導いたのです。
 よって、著者が『重大な仮説』として3を付け加えている事そのものが、既に
特殊相対論の意義を理解していない事になります。
 
 第3の仮説を付け加えるという失敗(あるいは認識不足)は過去にもよくあっ
た事であり、著者だけのものではありません。
 かのポアンカレも、1と2の仮説と共に、物体は動くと縮むという『ローレン
ツ収縮』そのものを仮説として導入しています。
 もちろん、『ローレンツ変換』が1と2から導かれるのですから、ローレンツ
収縮も1と2から導かれた訳で、第3の仮説として付け加える必要性はありませ
ん。
 
 という事で、著者のくっつけた第3の仮説は、八十数年前のミスの繰り返しな
のです。新たな指摘が付け加わっているのなら話は別ですが、そうではありませ
ん。
 著者曰く、
 
  > こうした指摘は本稿が歴史上初めてだと思います。
 
と述べています。
 
 [アインシュタインの相対性理論のどこがおかしいか]
 
 ここで著者は3つの仮説(3つ目は著者が余計なお世話でつけたもの)につい
ての説明をしています。
 1つ目の『特殊相対性原理』については特別新しい事を言っている訳では無い
ので割愛します。特に妙なところもないと思いますし。
 
 2つ目の『光速度不変の原理』について著者は反論します。反論と言っていい
のかよく分からないのですが、要するに『常識とは反している』とは言っていま
す。そして、
 
 >  まずいことに、アインシュタインの相対性理論から帰結する、そうし
 > た奇妙な現象は、普通の人では理解できない分、とても神秘的であり、
 > 場合によってはSF的ですから読者に夢を与えてきました。
 
と述べています。夢を与えたかどうかはともかく、『普通の人は理解できない』
という部分が大いに疑問です。少なくともローレンツ変換を求める程度の事は中
学校3年程度のレベルで可能です。必要なのはピタゴラスの定理と二乗やルート
計算ができればいいのですから。
 もっとも、数学セミナーあたりのTEA TIMEを見ると、数学という言葉自
身に既に恐怖を感じる人がいる事が語られたりしているので、『普通の人は理解
できない』というのは、『普通の人』から見ると『普通の事』なのかもしれない。
 でも、著者はテンソル解析や連続体力学を専門としている(変形が専門なのか
な? 微分幾何あたりも出てくるだろう)のだが・・・?
 
 3つ目は、著者が勝手に作った仮説ですが、端的に言うと、2つの座標系
(x,t)と(x',t')で、光がAからBへ移動したとき、
 
      2   2     2        2   2      2   
 (xB−xA) − c(tB−tA) = (xB'−xA') − c(tB'−tA') = 0 式1
 
としてしまうのがおかしいと述べています。そして時間軸を虚数単位にする必然
性が感じられない(つまり人為的だ)としています。
 つまり、それぞれの括弧の中身をΔにして、
 
             2    2   2                
           △x − c △t = 0           式2
 
とする必然性が感じられないと言っています。ピタゴラスの定理ならば、3次元
空間で考えて、
              2     2     2            
            △x + △y + △z           式3
 
なのに、何故、時間軸を付け加える時だけ、マイナスをつけて、
 
          2     2     2    2  2         
        △x + △y + △z − c △t = 0    式4
 
てなモンにせねばならないか分からないという訳です。
 
 これは実に簡単な話で、作為的な都合合わせでもなんでもありません。必要な
考えは、『距離=速度×時間』という物理法則のみです。
 
 ある瞬間に光源から光が左右に飛び出したと   ←〜〜 ・ 〜〜→   
します。実際は3次元を考えて球面状に広がる       光源  ―――→x
光を考えればいい。
 
 △t秒後、光はどこまで進みますか? 距離=速度×時間なので、
 
               △x = c×△t          式5
 
でしょう。ただし実際には−△xにも光は飛んでいる(左右に広がったのだから)
ので、
                 2    2   2            
               △x = c×△t          式6
 
とすべきであって、なおかつ、3次元空間に広がる光ならば、
 
          2     2     2    2  2         
        △x + △y + △z = c △t        式7
 
とせねばならないという・・・ただ単にそれだけのモンです。式7の右辺は、
△tの間に光が進む距離の二乗を『(速度×時間)の二乗』で表しているのに過ぎず、
左辺はピタゴラスの定理によって球面に広がっている事を示しているに過ぎませ
ん。
 この式7は、数学の幾何学で言う『球』の公式そのものです。もっとも球の場
合は半径rで考える事が多く、右辺はr^2となってますけど・・・。
 
 アインシュタインは他の慣性系から見ても式7が成り立つとして考えました。
どのような慣性系から見ても光は『球状に広がる』という仮説です(光速度不変)。
 
 なお、著者はこの考えから『直接に』ローレンツ変換が出てくる事は承知して
いますから、式7が単に『球状に広がる光を表した式』である事を説明さえすれ
ばそれで済みます。
 
                         axion

 
  − 「相対論」はやはり間違っていたはやはり間違っていた その14 −
 
【相対性理論のどこがおかしいか:後藤 学氏】 続き
 
 [静止座標系は設定できないか]
 
 著者は自ら「絶対静止系」の存在を是としていると述べています。ですから、
なにを絶対基準とするのかをここで述べています。
 
 取敢えず、窪田氏の絶対静止系の考えは弱いとして、地上での『振動数』の分
かっている光を使えばc=nλとなっていて、このcが電磁気学で導出される、
c=1/(ε。μ。)^1/2と同じならばそれは絶対静止系であるとしています。
 なおnは振動数でλは波長であると思われます。
 
 後藤氏の考え方の本論はもう少し後ろに書いてありますが、どちらにせよ波長
と振動数を基準とする考え方は実験で否定されます。振動数は観測者に対する光
源の運動によって変化するからです。これは実際に観測されている事実です(著
者は後の章で横ドップラー効果の話をしているのですが、何故ここで気付かなか
ったのか不思議です)。
 で、そのような時でも光速度cは不変だったという観測事実もまたあります。
 
 そして、本論の著者の考え方は2つあります。
 
 その1。地上は電磁気学的に宇宙から孤立していると言えるので、地上の実験
は地上が静止基準系としてよいという考えです。
 この考えは、マイケルソン・モーレーの実験が発表された『直後から』既に指
摘する人がいたほど、平凡な考えです。エーテルを信じている人ならば、まずこ
の考えが浮かぶでしょう。実験を行ったマイケルソン自身も同様の指摘を考えて
います。
 つまり、地球上では、「エーテルが地球に引きずられて、地球と共に動いてい
る」という主張です。この主張の真偽を確かめるために、地球にあまり引きずら
れないであろうと思われる丘の上で同様の実験が行われていたりします。
 
 著者は、電離層より下の地上がアヤシイとして、
 
 >  とくに、この電離層のために、地球が電磁場的にある程度、外宇宙か
 > ら孤立系を成していることも十分あり得ることです。
 
と述べています。個人的には何故十分あり得ることと思ったのだろうと感じます
が、まあ感じ方は人それぞれです。
 このへんは、昔同様な主張に答えるために丘の上で実験をしたように、是非電
磁層より上の空間で直接実験をしてもらいたいです。やっぱりシャトルの装置を
載せて外で実験するのが一番かと。丘の上の実験は1904年ですから、シャト
ルはまだ無かった訳でして・・・。
 
 シャトルに載せたマイケルソン・モーレーの実験が為されれば、それは直接的
な反論になりますが、そのような事がなくとも、既に100年近く前から地球に
静止座標系を持ってくる場合の矛盾点は指摘されています。
 宇宙空間へ出て実験せずとも丘の上の実験で十分なのです。その丘の上で『星』
が見えるならば・・・。
                              ☆      
 望遠鏡で星を観測すると、1年で星の位置          ↓c     
が僅かずつながらずれる現象があります。こ                
れを光行差現象といいます。                       
 これは真っ直ぐ降る雨に対して走ると、ナ                
ナメに傘をささねばならない事と同じ原理で、     __――――__  
夏と冬とでは地球の公転の向きが逆なので、  ←v ―   地球   ― 
星から降ってくる光の向きが微妙にずれるの                
でした。
 
 さて、地球周辺は外部と孤立した絶対静止系であると仮定します。星からの光
は、地球に近付くまでは地球と無縁な静止系にあるという事になります。そして、
地球の電離層の下に入ると、地球絶対静止系の傘下に入る。
 このようなモデルの場合、光行差現象は全く観測されない筈です。
 
 光は地球に入るまで真っ直ぐ降っていた。そして、地球孤立系の中に入ると、
地球に対して静止している系で動くのですから、光の経路は傾きません。
 ただし、現実には光行差はマイケルソン・モーレーの実験以前に既に観測され
ていました。だからこそ問題となったのです。
 
 光行差現象を説明するためには → 地球が孤立した静止系であってはならない。
 
 マイケルソン・モーレー実験の → 実験装置は地球に孤立した絶対静止系の
 説明には             中にあるとせねばならない。
 
この2つは矛盾です。当初、マイケルソン・モーレーの実験は『光行差が観測出
来ない』地下室で行われたことからイチャモンが付けられ、その後、『光行差現
象が直接観測できる丘で』、この実験が再度行われたのです。
 
 よって、この矛盾点を説明しない限り、地球を孤立した座標系と見ることは不
可能です。
 なお、著者のもう1つの考え方というのは、地上の議論では地上に絶対静止系
を定義し、太陽系規模の議論では太陽系を絶対静止系にしようという考えです。
どちらにせよ、光行差現象とマイケルソン・モーレーの実験を同時に説明できる
代物ではありません。
 
                         axion

 
  − 「相対論」はやはり間違っていたはやはり間違っていた その15 −
 
【相対性理論のどこがおかしいか:後藤 学氏】 続き
 
 [アインシュタインの相対性理論が導く神秘的で奇怪な現象]
 
 まず、最初にガリレー的な立場と称して、vAとvBで走る2人の人の相対速度
や光と人の相対速度の話が出てきます。
 『ガリレー的』と言っているので、光速度は観測者の運動により変わっていま
す。ここでの著者の計算は間違いありません。
 まあ、問題なのは、
 
 >  ガリレー的など専門用語を使いましたが、そんなガリレー変換など
 > 知らない中学生や小学生でも理解できる疑う余地のない真実と断言で
 > きます。
 
という言葉だけでしょうか? 真実かどうかは実験で確かめるべきものです。事
実、光速度はガリレー的な和法は使えないのですから。まあ、これは光だけでな
くて、光速度に近付くほどガリレー的な和法が使え無くなるので、光に限った事
ではありません。
 
 次に、相対論的な速度に対しての話になり、3つの異なった系について話が出
てきます。
 ここで『静止』しているのは、3番目                  
の座標であり、1と2は、3に対して動    ↑      →v2     
いています。そして、その相対速度は、   1|             
v1 及びv2 です。             ・――――――――――→x2'
                                    
 著者はここで、使い古された反論を述  ↑     →v1        
べます。               2|               
 v1 が光速度の8割であり、v2 が、  ・――――――――――→x1'  
光速度の8割で逆向き(図の左向き)に                  
動いていたとすると、3から見て、1と   ↑              
2の相対速度は光速度の1.6倍になる   3|              
のではないかと・・・。          ・――――――――――→x3  
                                    
 この話は、多くの啓蒙書に登場するありふれた疑問です。つまり、光速度の8
割で左に飛ぶ宇宙船から、光速度の8割で右に飛ぶ宇宙船を見たら、光速度の
1.6倍で動いているように見えるのではないかという話。
 著者はこの指摘を、
 
 > こうした明確な形での指摘は、歴史上も本書が初めてです。
 
と述べています。著者はどのような相対論の本を今まで読んでいたのか不思議で
す。
 
 そもそも『光速度を越えない』というのは、観測者がいる静止した系から考え
て、光速度以上の速さで動くものはないという事であり、左右に0.8cで動く
宇宙船同士が1.6cで離れているなんて事を最初から否定していません。
 一方の宇宙船から他方を見たら、光速度の1.6倍だったのなら話は別ですが、
そうではないのです。
 試しに、左右に光速度の8割で離れる宇宙船から双方を見ても、光速度を越え
る事はありません。
 
 著者はこのあたりの事をよく理解していないのか、次のような話を続けてもっ
てきます。
                                    
 光速度に近い速度で動くAを考えます。    C    A→  ←B→ 
Aを『光速度に近い』と見ているのは、     静止   光速度  光速度 
Cです。                       に近い      
 ここで、Bを光とします。Bは、Aに                  
とってもCにとっても光速度です。そしてBは図において、右に行く場合と左に
行く場合とがあります。
 
 著者の反論は、AとBの関係が、Aにいる観測者から見た場合と、Cにいる観
測者が見た場合とで違うという点について行われています。
 
 つまり、Aから見るとBは、右が左かに光速度で飛んでいくのであるが、Cか
ら見るとBが右に動いている場合は、ABの距離はほとんど変化無く、Bが左に
動いている場合は、光速度の2倍で離れているように見えるのが変だと言ってい
ます。
 
 Cから見て、AとBが同じ方向に移動していれば、AとBの速度の差はほとん
どないのですから距離の変化がほとんどないのは当然ですし、逆向きならば、光
速度のほぼ2倍で離れるのも当然です(光速度の0.8倍で左右に離れる宇宙船と
同じ)。
 著者の反論は、『AとBが同じ向きの場合、Cから見ると短時間ではほとんど
距離の変化がないのに、AからみればBが光速度で遠ざかるのは奇妙だ』という
事でしょう。
 
 これを説明するのは簡単です。CからみてAの時計はほとんど動いていません。
Cから見てAの時計が1秒進む時にAとBの距離がどの程度離れるかを考えれば
いい。ただし、Aから見た場合は空間のローレンツ収縮もありますからその計算
も必要になりますが・・・。
 
 どのみち、Cから考えて『AがBをどのような速さと認識しているか』という
事は計算可能です。それを『奇妙なこと』と片付けるかどうかは別問題ですが、
種々の実験の結果を見ればどちらの主張が正しいかは明らかです。
 
 なお、著者は続けて『加速し続ける』宇宙船を考えて、
 
 >  加速度計により獲得した速度を知ることはできます。その速度に上限
 > はなく、光速の何倍にもなり得ます(もちろん、加速用の燃料は十分あ
 > るとしています)。
 
としております。ここで、『加速度計により獲得した速度を知ることができます』
という発想自身がニュートン力学的です。
 
 要するに『v=atを相対論に入れたら変な結果になる』と述べているだけで
す。特殊相対論においては、加速度aはどの観測者によって観測されたものかで
変化するものであり、絶対的な量ではありません。
 
 著者はこれを『全く理解できないこと』としていますが、著者が理解できるか
どうかが問題ではなくて、観測・実験に合うかどうかが問題ですね。
 
***
 
 その後もツラツラと話が続くのですが、最後には『とても信じられないことで
す』で終わっていたりします(^^;)。信じられるか否かの問題に持ってくるという
のは、森野氏の主張であるところの『相対論は常識に反する』という反論(?)
と通じる点があります。
 
 また、双子のパラドックスにおいては、『相対論者が反対論者を無視した』と
か、『元々の相対論の根本的仮説から生じる、どうにも解くことのできない矛盾』
などと述べているだけです。
 普通の相対論の教科書には、双子のパラドックスの事は『特殊相対論の章で』
大抵は説明があります。著者は多分その説明が理解できなかっただけだと思われ
ます。実際に計算してみて矛盾がでない事を確認すればすむだけなのですから。
 
                         axion


 
  − 「相対論」はやはり間違っていたはやはり間違っていた その16 −
 
【相対性理論のどこがおかしいか:後藤 学氏】 続き
 
 [アインシュタインの相対性理論が導く神秘的で奇怪な現象]続き
 
 双子のパラドックスについて、著者は独自の話を展開してますが、『アインシ
ュタインの話はこのように矛盾がある』という主張に始終しています。
 
 面白いのが最終的に述べられている『宇宙線(μ中間子)の寿命の伸び』の説
明です。地球座標で考えると、μ中間子は寿命が伸びることになるが、μ中間子
座標で考えると、時間が遅れるのは地球の方だと述べます。これは正しい。
 
 ところが著者は、μ中間子座標での考えから『μ中間子は、超光速で飛び込ん
でくると考えざるを得ません』と結論しています。
 正しくは、μ中間子座標でみると、地球はローレンツ収縮によってひらべった
くなっているので、短い寿命でも地表面まで達する事ができる(もちろん光速以
下で)となります。
 
 なお、全く関係ない話なのですが、『μ中間子』というものは実在しません。
レプトンとしての『μ粒子』が正解です。μ粒子が発見された当時、湯川氏の中
間子論が出た時であり、宇宙線の中にこの中間子相当の質量であるμ粒子が見付
かったので、μ中間子という間違った名前が一時生まれたのが歴史的経緯です。
 なお、湯川氏が予言した中間子は後にπ中間子として発見されています。
 
 [マイケルソン・モーレーの実験について]
 
 まず著者は、この実験を批判する人なら         M2       
まず必ず指摘している『この実験は100         ―       
年以上前に行われた』という事を述べます。                
 もちろん、知ってか知らずか、最近でも         /P2      
この実験は、レーザー光線を使って最新の         ↑       
エレクトロニクスを駆使して検証されてい                 
るものであるという事を述べません。      □ →  /  →  |M1
                      光源S   P1       
 どうもこの本に登場する人物は全てこの                 
傾向があるようです。そして、新たに検証        ―――      
すべきだと結論つけます。されているのに・・・。    焦点面      
 また自分では決して調べようとはしない                 
ようです。現在ならば、実際にレーザーを使って大学1年の学生実験で行われて
いる実にポピュラーな実験だと言うのに。
 少なくとも理学部のある大学ならば、どこにでも検証装置はあると思いますよ。
 
 まず図を説明しますと、光源Sから出た光はハーフミラーP1に当たり、M1とM2
という2つの鏡方向へ分離されます。この鏡で反射された後、再びP1へ戻った光
が、焦点面のスクリーン(実際には望遠鏡があった)で合成され干渉縞を作りま
す。P2は、P1と同じ厚さのガラスです。
 
 著者は、この実験において、P2に挿入されているガラスに注目します。このガ
ラスがなければ干渉縞はできないと主張します。まあ、実際にやってみれば分か
る事ですが、P2はあっても無くても縞はできます。
 
 P2を挿入したのは、M1とM2へ行く光の道筋を同等にするためです。P1はハーフ
ミラーですが、その反射する金属面は、光源側               
にあります。光がこの金属面に当たって、再び       ___M2    
戻ってくるまでに通過するガラスの厚さを考え         _     
ます。                          //     
 M1に行った光は、金属面を素通りしますが、       //P2     
素通りする時にハーフミラーのガラス部分を抜        ̄       
けます。また帰り道も、金属面に当たるまでに      金属面_     
このガラス面を通ります。よって、2枚分の厚       ↓//   | 
さのガラスを通過します。           光源   //P1   |M1
 M2へいった光は、ハーフミラーの表面で反射        ̄     | 
されてしまうので、ハーフミラーのガラス部分               
は通過しません。よって、M1へいく光と対等にするために、わざとP2というガラ
スを挿入し、行きと帰りでガラス2枚分という条件にしたのでした。
 このガラスの存在は、実験の『テクニカルな』部分に属するものですから、エ
ーテル検証実験としての『概念的な図』にはあまり登場しません。
 
 著者はP2の存在を知っているにも関わらず、その意義については知らないのか、
あるいは意図的に述べていないのか分かり兼ねますが、ともかく『P2がないと干
渉縞ができない』などという奇妙な(そして間違った)結論を引き出します。
 なんでも、P2から直接反射する光が干渉縞を作るのだとか(ニュートンリング
的な発想のようで)・・・。
 
 著者は文頭において明確に、M1とM2が反射鏡で、P2は『透明ガラス』と述べて
いるのに、後になってP2からの反射云々と述べ始めます。
 
 P2は透明なのですから反射はありません。もし僅かに反射があったとしても、
最初から反射する事を目的とした反射鏡M2より多くの反射があったとは思えませ
ん。さらに譲歩してP2が鏡であったとしても、P2の角度から考えて、P1へ光が戻
っていく筈はありません。
 
 また、本に書かれている図では、ハーフミラーの金属面が逆になっており、P2
の意義を全く無視した図となっております。著者は一体何を調べたのでしょう。
 
 また、著者はこの実験で、P1〜M1間および、P1〜M2間の距離を、厳密に同じく
するのは不可能だし、『干渉縞の動き』を調べるのだからピタリと合わせる必要
は無いと述べています。
 その通りです。後になって、わざと双方の距離を変えた実験まで行われている
程ですから。
 
 で、著者の結論は、この実験はちゃんとしたデータが取れるほど誤差が小さく
無かったのではないかというものになります(^_^;)。
 やはり、著者は現在もこの実験は行われていて、当時の数万倍の精度で確かめ
られている事実を知らないか、あるいは無視しているようです。
 
 [光のドップラー効果について]
 
 ここでの反論は簡単です。著者はガリレー的なドップラー効果とアインシュタ
イン的なドップラー効果について述べており、どちらが正しいかは精密な実験に
よって確かめるべきとしています。
 
 この実験は1938年にH.E.Ives&G.R.Stilwellによって検証されていますから
(J.Opt.Soc.Am.,28(1938)225-226)既に著者の主張は間違っている事が分かって
います。
 
 [電場による電子の加速実験について]
 
 著者の主張によると、電場がかかっている中を電子が飛ぶ場合、電場がある事
で『全くの真空とは明らかに異なる』から、光速度以上の加速はできないそうで
す。
 じゃあ、重力場や電磁場のない『全くの真空』でもって、電子を加速するには
どうしたらいいんでしょうね(^_^;)。
 
 また、ここでも、電子の立場にたつと、ずっと加速され続けるから超光速度に
なるという主張が繰り返されています。
 
 [質量とエネルギーの関係について]
 
 著者は、
               ___                  
    >  E=mc^2;m=m。//1-β^2;β=v/c  ・・・・・・・・・(82)式    
 
という式に対し、
 
 >  もし、全質量m。が電磁波となって消滅してしまうのであれば、
 > 式(82)は意味があるかもしれませんが、そんなことは思考上以外
 > は考えられないことです。
 
と述べています。電子−陽電子の対消滅は『思考上以外考えられないこと』なん
でしょうね、きっと(^_^;)。
 
 [測量的長さと視覚上の長さ]
 
 この章は単に『幾何光学的な問題』を述べているだけです。これは、ニュート
ン力学でも相対論でも出てくる視覚上の効果です。
 
 これについていくら述べても、相対論への反論にはなりません。
 
 [実験的検証に付す以前の数学的遊戯]
 
 ・・・この章はタイトルだけで内容は既にわかるでしょう。
 
***
 
 一応、これで『「相対論」はやはり間違っていたはやはり間違っていた』は全
て終わりです。残りは窪田氏に送る質問だけですね。
 
 しかし、世の中にはいろんな人がいるという事がよく分かります。この手の本
は基本的には好きです。ジャンジャンと奇想天涯なものが出てきて欲しいのです
が、表面的には派手でも中身は20世紀初頭に出尽くした議論だったりするので、
もうちょっと頑張ってもらいたいですね。
 進歩がないと歯応えがなくていけません。TV番組のリバイバルではないので、
子供騙しではつまりません。
 大人が子供向けの番組を見なくなるのは、子供にとっては初めてのネタで興奮
しても、大人にとっては見飽きたものだからだと思います。
 まあ、「おお、また似たような話が出とる」と、ニヤニヤしながら見るという
『某時代劇的楽しみ』というのもあるのですけどね(^_^;)。
 
                        axion

 

http://www.asyura2.com/0505/senkyo12/msg/813.html

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コメント
 
1. ギア[2] g02DQQ 2016年9月24日 21:44:49 : sRH2nIW2Vg : bv8HlD8Sp98[2]
相対論の正体は「暗算」
http://members3.jcom.home.ne.jp/m_hidaka/01_trick/01_01_03.html

素人ですが、上記サイトの相対性理論は間違っているというのは正しいと
思います。
ちなみに私は、固体の時間の進み方と光速度には全く関係がないと思ってます。
「古典物理学」と新たに「質量を持つ物体の加速」の法則を作成するだけで
わざわざ相対性理論を使わなくても実証実験と同じ結果の法則が考えられる
と思うのですが、「質量を持つ物体の加速」で時間の遅れを定義した法則は
存在しないのでしょうか?


2. 2022年5月28日 12:38:11 : IIUck6vPdU : TXRPSk13NDhCZC4=[6] 報告
光速について
ウィキペディアの分散(光学)に「プリズムによる光の分散」という動画が。白色光がプリズムで分光されています。分光後の赤と紫の光では光速は異なっています。一目瞭然。
3. 2023年3月21日 18:01:23 : QeMyQT1Wzw : YzFlYjZySGJjNUU=[1] 報告
球殻定理

太陽、水星の描かれた A 図、B 図があります。A 図では太陽とその中心から右に伸びる重力の作用線上にある水星が描かれています。両星の隔たりは 50 です。B 図では A 図と異なり水星は左右二つの半球に分かれています。半球をひとつの球体としたときの中心と二つの半球の重心との隔たりはそれぞれ 1 とします。B 図では重力の大きさの式の分母は 49 と 51 の自乗、2401 と 2601 です。

A 図では重力の大きさは2500、B 図では2501です。球体のサイズは重力の大きさに係るようです。球殻定理は成立しないのでしょう。水星の近日点の移動は水星のサイズが主たる理由でしょう。

註) この投稿では太陽の重力だけが考察の対象です。

4. 2023年8月13日 16:24:38 : udiJQAIu3Y : VldkT2pkdHJRaFU=[1] 報告
光速はバラバラ、値の半数は c を超えるでしょう。

定義値となっている光速の値は 1973 年に行われたエベンソンらの測定(波長と周波数の)によっています。誤差はプラマイ 1.1 m/s です。ここで測定器を測定部と光源部とに分離しましょう。そのいずれかを誤差以上の等速度で動かせば(光路方向に)異なる測定値が出るでしょう。半数は c を超える値でしょう。

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