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このような場での「言葉のやりとり」ってなんなんだ?と思う。
顔も見えず、どこの誰かもワカラン人と、意見を交換する。
「もうこない」っていう内容をわざわざ書く人。
「訴えるぜ!」っていう内容をわざわざ書く人。
「全否定だぁ」って相手に絡む人、それに応じて熱くなる人。
右でも左でも、どんな志向(思考)を持ってても、どこかにゃ本質があるはずだと思う。
それだけに、相手の言わんとすることと、その内容に真剣になりすぎてはいけない。
お互いに、お互いの視点からは正解を言ってることがあるからだ。(多いと思うよ)
ここでの議論が国政を決めちゃうってんなら話は別さ。
ここに来て、読んで、理解しようとして初めて意味があるんだろう。
いろんな人に影響を与える事はあるかもしれない。
けどね、「オレは・・・」っていう視点が大事だと思うんよ、読む側も、書く側も。
新人さんが投稿してきた時「育てちゃる」っていう姿勢がミエミエな場合がある。
生まれ育った環境がそれぞれだったんだから、それを前提に読み、対応するべきで、そんなんが欠落すると、ただのサル山になっちゃうよ。
ここをはじめて観た(見たではない)のは、イラクでの捕虜騒ぎの頃。
それ以前からは時々見てたが、そんなに関心はなかった。
それでもいろんな主張があり、いろんな見識があり、熱と色が凄かった。
最近の阿修羅さんは、去年までのプロ野球みたいだね。
狭いところで、マンネリに近い状況が出来てきてる。
「アサヒ」でも「サンケイ」でもいいじゃん。
セパ交流戦みたく、ゴッタ煮でさ。
全否定しない事。(していい場面は絶対にあるが)
大人チックな応答を心掛ける事。(ワザとならどーよ?)
譲れないところでぶつかり合えば、お互いの理解はもっと深まると思うんだよね。
自分の中に取り入れてもいいような意見もどっかに捨てちゃってないかい?
オレは自由人。
スポーツマンでもあって、とても軽く、馬鹿者だ。
いつもの組み合わせでの議論には「華」がないと思う。
ボヤキすぎっすな。