現在地 HOME > 昼休み5 > 305.html ★阿修羅♪ |
|
PRIDEやK−1等の格闘技ブームが落ち着いてきた。
最強の称号をハッキリさせたい欲望が日本人には強いのかもしれない。
古くは「力道山」「猪木・馬場」「長州・藤波」「タイガーマスク」「アンドレザジャイアント・ハルクホーガン・スタンハンセン」「UWF(U系団体)」「闘魂三銃士」「三沢・川田」など。
上記の団体やレスラーはあくまでエンターテイメントの世界での最強であり、決して暴力のリアルな世界での最強ではなかった。
「空手」「柔道」「ボクシング」などはリアルであっても階級とその競技内での最強である。
でも「総合格闘技」はどうか。
「柔道金メダリスト」対「レスリング金メダリスト」などカテゴリーを越えて最強を競うとしている。(横綱まで)
私も総合格闘技をし、戦う事で金銭が発生する。
つまり「私利私怨」で戦っているのではない。(遺恨試合はあるが意識高揚のためのウエイトが強い)
ガチ(本気)であり、ピエロではない。
前回の試合で右足親指を骨折し、右の目じりを4針縫った。鼻骨も折れていた。
相手は左肘を脱臼した。
お互いに「名誉」の為に戦い「最強」を目指した。
最近、PRIDEの試合を見ていて思った事がある。
格闘技をしていて「最強」を目指す事は「暴力」なのだろうか?
「虐殺の定義」が語られているが「暴力の定義」とは何だろうか。
実際戦っている立場でも消化できていない。
多分、総合のチャンピオンは市街地でノールールで戦った場合(ケンカ)きっと誰よりも強い。
でも「暴力」のつもりはないんだ。
フニャコ君、蝶野を書かないですまんかったね。