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(回答先: SOS!混乱中につきどなたか教えていただけませんか? 投稿者 フニャコ 日時 2005 年 2 月 16 日 12:58:33)
もちろん観測者が誰もいなければ宇宙は存在しない、というわけではなく、それはわからない、ということになるはずですが、しかし、わからないといっても誰がわからないのか、それもわからない。困るんです。
こういってる私がいるということは、少なくともわたし自身は現におるんではないか、と思ってるわけですが、実はそう思ってるつもりの私が誰かの、たとえば宇宙を創造した神様の妄想の中に発生した人格であったりする可能性もあるので注意が必要です。他人の妄想の中で生きてるんですから私の存在そのものが妄想であり、その考えることももちろん妄想です。で、その場合神様が気をそらせた瞬間に私はいなくなるわけです。これも困りますけどね。だから実際問題として私が実はフニャコさんの妄想の中に発生した人格であるかも知れないんあって、その場合、
ん?・・・・・(消滅)・・
「今」というのは過去と未来の境目のことですから本来時間的な長さはないはずなんですが、我々が普通「今」という時、イマ、という言葉を発するのに要する時間つまり0.1秒から0.2秒ぐらいの長さのことをいってることになるんですね。ところが「今この瞬間」などといおうもんなら1秒ぐらいかかります。厳密にいおうとすればするほど長い時間になる。『「今」を定義する』(イワン・クチカラノビッチ・デマカセンスキー著。飯井家源太郎訳。人並書店刊)というぶ厚い本があったりしたら、その本を読み終わるまでの数日間がそこで定義された「今」という瞬間の長さになる。そして実際「今の日本人は昔にくらべて・・・」なんていいますが、この「今」というのはかなりの長さの期間をいってるわけで、なんといいかげんなものなんだろう、こういう国民だから学力低下とかいうことになるんではないか、これは根本的に考え方をかえなくては、ゆとり教育も考えなくては、ということになるんです。違うかしら。
で、原因と結果が逆になる例ですが。
桶屋がもうかるとつい気が大きくなっておねえちゃんを囲います。で、そのおねえちゃんといちゃついてるところに奥さんが現われて、アンタ、何シテンノヨ、キーッとかいってそこにあった茶碗を旦那に投げつけたら旦那のおでこに当って茶碗が割れ、その破片がおねえちゃんの目にはいって失明してしまい、かわいそうにおねえちゃんは旦那に放り出され仕方がないからゴゼさんになって門付けをするために三味線を・・・あれ、おかしいなぁ。
確かに原因と結果が同じになることはあるんですよね。
ちょっと違うかも知れませんが数学なんかで、これを左辺に代入して、そして通分して、とかやったあげく、0=0、なんてことになることがよくありませんでした?もちろん、0=3、なんかになれば自分の計算が間違ってたんだろうと思うんですけど、0=0だもんなぁ。こまるのよなぁ。
こういう国民だから・・・もういいか。