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オウム真理教の教義を語るコメンテーターの多くは「殺人、テロを肯定する部分がありとても危険だ」と言う。
もしかしたら彼らは宗教について全くの無知で、かの事件をきっかけに、オウムの教義を真剣に勉強しただけではないのだろうか?
聖書は「ユダヤ」「イスラム」「キリスト」の根本をなすものだが、彼らがオウムのそれと同じように「聖書」を勉強すれば、どんなこめんとが出るのであろうか?
北朝鮮には報道の自由はない。サッカーの結果さえ政治的に不利益があれば報道されない。
キリスト教の日曜学校や布教活動家も自分の宗教にとって不利益な内容は決して積極的には教えてくれない。
一貫性は無く、信賞必罰のかけらも無い。
残虐、血、偏執狂的な神。
ユダヤ民族の受難の歴史と語る人も多いが、それを言う人は「聖書」を読んでいない。
なぜなら、被害のエピソードより、加害のエピソードのほうがずっと多いからだ。
サッカーを見て熱くなり、キーボードを叩きつけた。
北朝鮮に暮らす人々とキリスト教徒の閉鎖的な情報環境。
完全に敵とみなして報道するマスコミ。
訳知り顔で、コメントを広げる無知なタレント。
アンチキリスト666が今回の試合を見るとこんな感覚を得る。