現在地 HOME > 昼休み5 > 207.html ★阿修羅♪ |
|
“実は殆ど進んでいない”平和運動の基礎を以下に“感寤の程度領域”で捉えたが、如何か。
1 形式の形式↓ それ自体への関心として、首尾一貫、循環するまで伸張されてきた手段。
2 哲学の形式⊥ 原理へと全体を求める際に体系を生み、体系が原理を保証し、回帰する。
3 実践の形式↓ 結論として悟得したもの。悟了の錯誤と、探求の途絶でありうる余生と死。
4 主観の形式⊥ 実践の形式で検証可の悟道を避け、固定の無制限と移動の虜囚に至る。
5 善悪の形式↓ 善悪は(悪が)自由を「補償」し、善は「不自由」の悪を成す。最初で最後。
6 構築の形式⊥ 哲学と錯視され、相対化の誇張であったり、真実でありうる魅力の量感。
哲学の形式という過程で、善悪の形式が、形式の形式を、客観的に必要とするように、
状況主観‐趨勢主観の魅力として、善悪の形式は構築の形式を主観的に必要とする。
>人間は人間の眼の内から出られぬにせよ、適切な形式を得て善悪と自由は映す<