現在地 HOME > 管理運営8 > 784.html ★阿修羅♪ |
|
(回答先: この点に関してはルルルンさんに一票です。組織は無責任、最終的に責任を取る覚悟のあるのは一本独鈷、生身の人間だけです。 投稿者 ROMが好き 日時 2005 年 7 月 04 日 21:23:28)
複数ハンドルだろうが、単数ハンドルだろうが、問題は議論の中身だ。
中身が稚拙であれば、実名だろうが、複数ハンドルだろうが、誰が書いても同じ。
阿修羅のような掲示板の存在意義は、匿名性と、参加者同士の議論の深さにある。
そのことを問題視せずに、ひたすら個人攻撃というか、組織攻撃を行うのは、何か弱みでも握られているからだろうか。
権限を剥奪、などという言葉が簡単に出てくるところに、阿修羅の危機を感じる。
しかも、管理者に向かってとは。
ワヤクチャさんのときもそうだったが、自分たちに耳の痛い議論には、議論で対抗するのではなく、別の方策で封殺しよう傾向が最近目立っている。
>基本的に組織と言うのは無責任と思っています。組織と言うのは人格がないからです。ただ法人格として擬制しているだけで生身の人格とは別物です。
人格があれば、責任を持つ議論ができる(をする)、というのだろうか。拙劣な議論の典型だ。
実名(筆名)で登場しているTVのコメンテーターや政治家、評論家は、すべて責任ある発言をしているというのだろうか。
発言が個人に帰すことと、その発言が責任ある発言かどうかは、基本的に何の関係もない。
署名記事でも、稚拙で無責任な議論はいくらでもある。
阿修羅の様な匿名掲示板では、書かれたことがすべてだ。
それを誰が書いたのか、どのような思惑で書いたのか、どのような権威や裏付けがあるのかを判断する材料は、書かれた中身以外にない。
このことはインターネット登場以前には考えられなかったことだ。
誰でも自由に、しかも匿名で参加できる場所で、安易に(あいまいな理由づけで)「権限の剥奪」などという言葉を使うことは、阿修羅の、そしてインターネットという新しい公共空間の可能性を封じ込めることにしかならない。