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地震被害ニアス島ルポ
インドネシア・スマトラ沖地震で壊滅した北スマトラ州ニアス島では、つぶれた家屋の下敷きになっている多くの人々の救出に、今も手がつかないまま。国外からの救援隊は到着するのに、ひび割れた滑走路と小さな港が救援物資の搬送を阻み、「孤島」と化している。避難民たちは食料や水さえ入手できず、わずかな蓄えも底をつき始めた。
(ニアス島グヌンシトリで、青柳知敏、写真も)
■ガソリン高騰
「政府は大量の救援物資を用意した。しかし、それを島に上陸させる手段がない」。対岸の港町、スマトラ島シボルガから、島最大の町グヌンシトリに向かうインドネシア海軍の艦艇内で、乗船していた兵士がそう明かした。
甲板と倉庫には白米や即席めん、飲料水の箱が山積みにされていたが、物資は島の数百メートル沖に停泊した船内から運び出せていない。
幅約四十メートルの岸壁が一つあるだけのグヌンシトリ港は、大型船が一隻接岸すると他の船は入港できない。
先行した船の積み降ろしが終わるまで、停泊状態で半日ほど待たねばならず、港の沖では民間のチャーター船を含め、常に四−五隻が列をつくっている。
島内の移動手段は主にバイク。もともと乗用車やトラックが少ない。援助隊が車両を運ぶ手段も船に限られるが、シボルガからの民間船は週に三便。不足するガソリンの値段は地震前の七倍に跳ね上がり、物資を積んで走るトラックは見かけない。
空港も、損壊した滑走路を復旧できず、軽飛行機かヘリコプターしか着陸できない状態。国軍はサッカー場を臨時の発着基地に充てている。
■底つく蓄え
外からの食料支援を待ち続ける島民の避難生活は、深刻度を増している。
商店からの略奪容疑で逮捕された人々は「家族が飢えている。泣いている」と供述し、政府の現地対策本部には「食料をよこせ」とのデモも押しかけた。
約二百人が避難するカトリック教会には、地震発生から四日たった今も援助物資が一度も届かない。避難している商店主らが、倒壊した店から食料や水を掘り出して運んでいるが、教会の責任者ベルナデス・ラサさん(49)は「もうすぐ底をつく。その先のことは、どうすればいいか分からない」。簡易コンロで炊いた二皿の白米を、五人家族が分けていた。
医薬品も足りない。発生三日目に再開した公立病院はロビーにベッドを置き、重傷患者が点滴を受けている。受付カウンターに立ったまま処置を受ける光景は、野戦病院さながら。床には血痕が付いたままだ。
■電話も寸断
ニアス島は、昨年十二月二十六日の巨大地震津波の最大被災地アチェ州に近いが、このときの被害は同州に比べて圧倒的に小さかった。人口約七十万の島で、死者は北部と西部の計百二十二人。東部にあるグヌンシトリでは揺れも津波も小規模で、避難した住民は一人もいなかった。
それでも、住民は地震に敏感になっている。今回の地震発生直後は暗やみの街をはだしで高台へと走り、自宅が全壊した主婦メリー・リムさん(55)は「誰もが『急げ』と叫んでいた」と恐怖を振り返る。わずか三カ月前のアチェ州の光景は、住民の目に「この世の果て」の惨状として焼き付いていた。
一方で、ジャカルタとの電話回線が寸断された島は、情報面でも孤立した。日本の気象庁などは発生後、インド洋沿岸諸国に津波の可能性を警告したが、ニアス島では当局からの住民に対する情報提供がなかった。
政府による被害状況の把握は遅れ、余震におびえる住民らは今も情報から閉ざされたままだ。停電が続き、新聞も届かない島で、国内外からのメディア記者に「もっと大きな地震が来るというのは本当か」と、聞き回っている。
http://www.tokyo-np.co.jp/00/kakushin/20050402/mng_____kakushin000.shtml