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バンダアチェ  津波は去ったが軍事支配は続いていた  豊田直巳
http://www.asyura2.com/0502/jisin12/msg/205.html
投稿者 愚民党 日時 2005 年 3 月 01 日 07:19:46: ogcGl0q1DMbpk

(回答先: スマトラ沖地震  「想像超えた光景」目撃 未曽有の惨状を振り返る 共同 投稿者 倉田佳典 日時 2005 年 2 月 26 日 18:22:05)

バンダアチェ  津波は去ったが軍事支配は続いていた

被災者の自立促すNGOの支援が必要

フォト・ジャーナリスト 豊田直巳さんに聞く

写真提供 豊田直巳さん

http://www.bund.org/interview/20050305-1.htm


昨年12月に起こったスマトラ沖地震津波は未曾有の被害をもたらした。なかでもインドネシア・アチェ州での被害は深刻だ。1月下旬にバンダアチェを取材したフォト・ジャーナリストの豊田直巳さんに話を聞いた。

津波がすべてを押し流した

――津波後のバンダアチェに行かれたと聞きましたが、現地はどのような状況でしたか。

★私は1月19日にバンダアチェに入り27日までいました。バンダアチェから約180キロ南に、津波の被害を最もこうむったムラボという街があります。このムラボまで海岸線を1時間ぐらいヘリコプターに乗せてもらって行きました。ムラボに着くまで眼下には何にもない状態がつづいていました。元から砂浜だったのではないかと思うぐらい何の痕跡もない。かろうじてポツンポツンとモスクだけが残っているのを見て、ああ街があったのだと分かる。そんな風景が180キロも続いていました。  

 例えて言えば東京から静岡市までの沿岸にある小田原・横浜・三島市などが全て壊滅したようなものです。村役場も全て破壊されていますので、死者数もかつての人口から生き残った人の数を差し引いて割り出すしかない。そんな状態を見て、本当に再建が可能なのだろうかと思いました。  

 しかしアチェは津波後の大混乱から落ち着き始めていました。配給物資が行き届いているかどうか分かりませんが、少なくとも今日明日飢えるという雰囲気ではなかった。  

 津波の被害がなかった地域では地震による倒壊の被害もなく、電気も水道も通っています。マグニチュード9の大地震が襲ったはずなのに、被害を受けた家屋がないというのは本当に不思議なことです。窓ガラス1枚、瓦1枚も壊れていないのです。生き残った人達は、テントなどに避難するほかに津波の被害をまぬがれた親戚の家などに避難していました。私がいた頃はまだ建設されていませんでしたが、現在は仮設住宅も整備されつつあります。そういう意味で物質的援助は足りている段階だと言えるでしょう。


 今後の問題は被災者の心のケアと、被災者が自活できるように資金支援をしていくことです。生き残った人達が仕事に行こうにも、職場そのものが津波でなくなったりしていますから。  

 例えば仮設住宅の建設でも、被災者を雇用して再建していくやり方があります。また現地では、いまだに大勢の人が遺体捜しをしています。村によっては大部分が津波の犠牲になったところもあるからです。少数の生き残った人達が自分の親族だけでなく村の人の遺体捜しをしている。そうした人々をサポートする支援が必要なのです。彼らは蓄えのお金もなければ、全く収入もない状態です。被災者が遺体を捜すことがある種の雇用につながるようにしなくてはならない。物資の配給に関しても、避難民が配給という「仕事」をして、給料を受け取るシステムが必要でしょう。

占領状態にあるアチェ


バンダアチェは長らくインドネシア政府から軍事的弾圧を受けてきた歴史があります。豊田さんは2000年にアチェに取材に行かれたと聞きましたが、当時の状況とは変わっていましたか。

★インドネシア政府は津波が起こって最初の数日間は外国の援助を拒否しました。外国人をアチェに入れたくなかったからです。そもそも去年の5月からバンダアチェには、外国人はNGOもジャーナリストも入れない状態でした。  

 2003年5月、インドネシア政府と独立を掲げる自由アチェ運動(GAM)との和平会議が決裂し、その直後に戒厳令が敷かれます。翌年5月からは非常事態宣言が出され、アチェに外国人は入れなくなったのです。ところが津波による被害が生じた結果、NGOやジャーナリストがワッとアチェに入れた。多分アチェの人にとって見れば、外国人がこんなに来ている情況というのははじめてだと思います。  

 しかしインドネシア国軍があちこちにいる状況は、2000年に訪れた時と同じでした。武装したインドネシア兵を乗せた軍用トラックがひっきりなしに走っているのです。兵士たちは救援に来たわけでもなく、銃をかまえて軍用車でパトロールしている。現地の警察官は警察署とか交番の前にマシンガンを持ってずらっと並んでいる。異様な光景ですよ。救援物資の配給所にも国軍兵士がいて、銃を持って威圧していました。彼らは津波の前と同じ行動をとっているのです。  

 こうしたアチェの風景は、私が去年バグダッドで見た風景や、パレスチナでの風景と重なります。イラクのアメリカ軍がアチェのインドネシア軍であり、パレスチナのイスラエル軍がアチェのインドネシア軍なのです。アチェ人にとってインドネシア国軍は占領軍なのです。  

 アチェ人はアチェ語をしゃべり、インドネシア国軍兵士の大部分はインドネシア語しかしゃべれない。顔は一緒でも言葉は違う。国軍兵士たちは、自分たちはアチェ人とは違うのだと思っているのでしょう。  

 例えばアチェの住民からこんな話を聞きました。生き残った被災者が自分の家のあとに行き遺留品や遺体を探していたら、泥棒と間違われ国軍に撃たれた。その結果4人が殺された。あるいは国軍の兵士が被災地を見て「もっと死ねば良かった」と言っていたなどです。  

 インドネシア国軍の兵隊は、アチェ人は人間じゃないと思っている。人間じゃないと思っているから「もっと死ねば良かった」と言い、銃を向けているのです。私が軍隊的なものに嫌悪感を持っているから余計にそう思えるのかも知れませんが、彼らは差別意識を植え付けられてアチェに来ているのだと感じました。かつて我々の親父が中国に行き、中国人をチャンコロと言っていたのと同じ感覚です。  

 インドネシア国軍はアチェに救援に行っているわけでなく、最初から戦争に行っているのです。だから国軍が救援を妨害することもあり得る話です。国軍が、運ばれてきた救援物資を自由アチェ運動(GAM)の所に行く支援物資だと勝手に決めつければ、その物資は届かなくなるということです。テロリストへの支援を絶つために自分たちは良いことをしているぐらいに思うでしょう。  

 国軍兵士はパレスチナにおけるイスラエル兵と同じような心境にあります。占領軍兵士は「テロリストに狙われている私」という被害者意識をもつようになるのです。彼らの被害者意識は第三者からみればまるでとんちんかんなものです。インドネシア国軍が占領軍として駐屯しなければ誰も狙わないからです。国軍がいくらテロリストから住民を守るために来ていると言っても、アチェの住民からみれば抑圧者でしかないのです。

被災者が自活できる支援を


アチェでは今後もインドネシア国軍の軍事支配が続くのでしょうか。

★今回、アチェの小学校に行ったのですが、突然銃を持った国軍兵士が教室にずかずかと入ってきました。軍事的な威圧を日常的に行っているということなのでしょう。私はすかさず兵士の写真を撮りました。しかしこんな写真は5年前だったら撮れなかった。国軍のこうした行動を撮影すれば、その場でフィルムは没収され、国外退去となったからです。フィルムが没収される前に1・2発なぐられてもおかしくない状況だったわけです。今は国際的な関心がアチェに集まり、外国人が大勢いますので軍の行動もある程度縛られているのです。

 しかし外国人が全部引き上げてしまったら、津波前の人権侵害はそっくり復活する。街を再建するどころの話ではなくなります。そう考えるとNGOやユニセフなどの国際機関がアチェに来ているのはチャンスなのです。不幸にして津波の被害を被ったけれども、国際的な関心が今ほどアチェに向かっている時はない。いったん開いた窓を閉じさせない、継続的なNGOの支援が求められていると思います。  

 しかし日本の自衛隊などの軍隊がアチェに行く必要はない。軍隊というのは被災者を雇用することがないからです。軍隊が行っても被災者の自立には役立たないのです。  

 軍隊が災害復興に役立たないと同時に、日本の自衛隊派遣には歴史的問題があります。私はアチェで津波が引いた後に旧日本軍のトーチカが残っているのを見つけました。残っているトーチカを見て、改めて日本軍がインドネシアを占領したことを思い出しました。かつての日本の侵略の歴史が語られないまま自衛隊が派遣されるのは危険だと思います。  

 しかしなんと言っても軍隊の派遣では被災地が再建できないのは明らかです。私はアチェで被災民のキャンプに行ってつくづくそう思いました。キャンプに避難している人のほとんどは肉親を失っています。その中にイルマンという16歳の女の子がいました。家族がみんな死んでしまって兄と2人だけになったということでした。彼女は会った時は何をする気もなくなっていたのですが、私が日本に帰る頃にはボランティアを始めていたのです。  

 イルマンの姿を見て人間はすごいなと思いました。彼女はNGOのスタッフの働きを見て、自ら手伝いを始めたのです。神戸の震災でも被災民が被災民同士を助けていくことがあったでしょう。被災者だからかわいそうだと思うだけでなく、被災者にとって何が本当の支援になるかを考えればできることはたくさんあります。被災者が自活して社会を再建するにはNGOの支援が必要なのです。


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(2005年3月5日発行 『SENKI』 1171号4面から)


http://www.bund.org/interview/20050305-1.htm

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