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もうすぐ大地震がやってくる
宝永(1707年)、安政(1854年)大地震ではどうだったのか
http://www.bund.org/opinion/20050225-1.htm
天野雀
東海、東南海、南海地震は単独で発生しない
2005年1月17日は阪神大震災からちょうど10年。当時私自身も、奈良の実家で地震の揺れを体験した。私の住んでいた場所では震度4程度だったが、今まで感じたことのない大きな揺れに、家が潰れるのではと恐怖を感じた。しかしあの瞬間、神戸の街は壊滅的な破壊を受けていた。家々は潰れ、ビルは倒壊し、高速道路がなぎ倒され、一瞬のうちに多くの命が奪われた。
誰が関西でこのような大地震が起こると予想していただろうか。今や待ったなしの状況にあると言われる東海地震、それに連動して起こるであろうと言われる東南海、南海地震。まちがいなく私たち一人一人の行動が生死を分ける。
阪神大震災以降、地震の活動期に入ったと言われる日本列島。30年以内の発生確率はプレート地震である東海地震が70〜80%、同様の東南海・南海地震では50〜60%だ。古文書や遺跡の研究では、これら3つの地震が90年〜150年間隔で発生していることがわかっている。もっとも最近に起きたのは、昭和19年(1944年)12月7日の昭和東南海地震(M7・9)と、昭和21年(1946年)12月21日の昭和南海地震(M8・0)だ。およそ60年前に発生している。それでこの2つの地震についてはまだ発生周期に入ってはいないが、東海地震は、「安政東海地震(1854年)」以来150年間発生していない。まさにいつ起きてもおかしくない状態にある。
過去の発生記録からいえば、いずれも単独で発生することはなく、東海地震、東南海、南海地震のいずれか2つが、または3つが同時発生する可能性がある。前回の東海地震の発生時には、そのわずか32時間後に南海地震が起こったのだ。このときの東海地震、南海地震の推定震度はそれぞれマグニチュード(M)8・4。次に発生するであろう地震が、この震度と同じくらい、あるいは下回るということは言えない。
大阪市西区と浪速区との境界をなす木津川には大正橋という橋が架かっている。この橋の東の袂に「大地震両川津波記」という碑文と大きな石碑が立っている。以前は橋のすぐ横にあったのだが、今では橋から少し離れた場所に移転されている。この碑文は1854年の安政南海地震のあった翌年に、被災した地元の住民が後生に地震の恐ろしさを伝えるため、また犠牲になった人々を弔うために建てたものだ。地元の人々から「お地蔵さん」とよばれ、地蔵盆には祭りをおこない供養がされる。
碑文には安政南海地震の当時のなまなましい様子が記されいる。東海、南海地震がおきたと同時に、前兆と思われる大きな地震が発生していたともある。
嘉永7年(1854年)6月4日零時ごろに大きな地震が発生し、大阪の街の人々は驚き、余震におびえながら4、5日の間、不安な夜を明かした。この地震で三重や奈良で死者が数多く出た。
同年11月4日、午前8時ごろ大地震が発生した(安政東海地震)。以前から恐れていたので、空き地に小屋を建て、年寄りや子どもが多く避難していた。地震が発生しても水の上なら安心だろうと小船に乗って避難していた人もいたところへ、翌日の5日午後4時ごろ再び大地震が起こり(安政南海地震)家々は崩れ落ち、火災が発生し、その恐ろしい様子がおさまった日暮れごろ、雷のような音とともに一斉に津波が押し寄せてきた。
「大黒橋から西の道頓堀川、松ヶ鼻までの木津川の南北を貫く川筋は一面壊れた船の山ができ、川岸に作った小屋は流れてきた舟によって壊され、その音や助けを求める人々の声が付近一帯に広がり、救助することもできず多数の人が犠牲になった」
このとき大阪市内だけで約7千人の死者と8千隻の船が破壊された。水の都と言われるほど大阪の町には川がたくさんあり、その川を地震の大津波が遡って逆流し、船に避難していた人々を飲み込んだ。船は凶器となって人々に襲い掛かり、陸でも多くの人々が犠牲になった。碑文にはこのような大惨事になったことへの人々の反省も見られる。
「その昔、宝永4年(1707年)10月4日の大地震(宝永南海地震)のときも小船に乗って避難したために、津波で水死した人も多かったと聞いている。長い年月が過ぎ、これを伝え聞く人はほとんどなかったため、今また同じように多くの人々が犠牲になってしまった」
安政南海地震の津波は高知市内で高さ11mを記録した。家屋の倒壊、流失は約4万にのぼり、死者は数千人に達した。このとき坂本竜馬も故郷である土佐(高知県)にあってこの地震に遭遇している。地震の恐ろしさに対する人々の認識が低かったゆえに起きた悲劇だが、それは現代の私たちにも通じる教訓である。
直下型地震もすぐ近くに来ている
政府の地震調査委員会の2004年8月23日の発表では、「南関東直下でマグニチュード(M)6・7〜7・2の地震が起こる確率は30年以内で70%、10年以内では30%とする」となっている。阪神大震災の発生率を、同じ予測法で計算しても、発生前日でさえ最大わずか8%に過ぎないというから、南関東直下での地震の発生も非常に近いものとなっているのがわかる。
地質学的に見ても、東京は沖積層と呼ばれるやわらかい地盤の上にある。地震に非常に弱い都市なのだ。極端な例でいえば豆腐の上にのっかっているようなものなのだ。直下型での揺れがやわらかい沖積層に伝わるため、揺れは非常に大きくなる。新幹線、首都高など大量輸送機関に被害が出れば、被災地へのアクセスは遮断されてしまう。阪神大震災のときにも阪神高速が倒壊し、被災地へ救援に入ることが困難になった。救援の遅れによる被害の拡大はありうる。
首都での地震被害は莫大な経済的損失を生む。首都直下地震では被害が100兆円にも及ぶと予測される。新潟中越地震の被害額がおよそ3兆円、阪神大震災の被害額はおよそ10兆円だからだ。そうなれば日本経済が壊滅的な打撃を受けるのがわかる。
地震を予測するシステムはどうなっているか
高い確率で発生すると言われる東海、東南海、南海地震ではあるが、完全に予測することは現代では不可能である。しかし前兆現象をとらえ、備えるという研究は進み、実用段階に入っている。そのひとつが「音響測距」といわれる観測方法だ。海底プレートの動きを観測するのは、厚い海水が障害になって電波や光を使った観測が難しい。そこで音波を使いプレートの移動を測定する方法が用いられている。海底に音波を発する海底局を設置し、GPSによって位置を正確に決めた船で音波を受信し位置の変化を測る。名古屋大学と海上保安庁が共同で御前崎沖に設置している。
地震の揺れを探知して「直前警報」を出すリアルタイム地震情報システム「SAS」は、1991年にメキシコで開発されている。開発の契機となった1985年のミチョアカン地震(M8・1)では、メキシコ太平洋岸を震源とする地震が320キロ離れたメキシコ市まで及んだ。9500人を超える死者を出す大惨事となった。プレート地震であるこの地震は、ほぼ同じ震源域で繰り返し発生している。
地震が発生してから揺れが伝わるまでには一定の時間がかかる。初期微動といわれる縦揺れは秒速が約6キロ、その後主要動と言われる大きな横揺れが秒速約4キロで伝わる。このタイムラグを利用し、メキシコでは太平洋岸に約25キロ間隔で10台の地震計を設置し、地震計で探知した情報を秒速30万キロの電波で首都に伝える。これによって大きな揺れがくる1分前には予報ができるシステムが作られている。
日本でも10年前から同様のシステムをJRが新幹線の路線に配備している。気象庁の「ナウキャスト」は、東海地震の揺れを震源域から200キロ離れた首都圏へ伝えるための試験配備を平成16年2月に行っている。
今年の4月からは首都圏、近畿圏などの300世帯で、大規模な緊急地震速報実験が行われる。「10秒後に震度5の地震が来ます」といった地震速報が、地震到着の10〜15秒前に各家庭にアナウンスされる。住宅メーカーの積水ハウス、大和ハウス工業、三洋電機、大阪ガスなどの企業が共同で実験を進めるというが、気象庁が提供する「緊急地震速報」のデーターを独自解析し、各地の予測震度や到達時間をインターネットを通じて配信する。10秒前に察知できれば、火を消したり、机の下に入るなどの避難行動をとれるという実験結果があるという。
問題なのは地震観測のため気象庁が設置した地震計や、震度計などの故障が多発していることだ。その数は01〜03年の間に894件にのぼっており、地震計は1箇所につき平均2・6回、震度計はおよそ4分の1で故障が発生している。気象庁は故障内容について詳細に分析せず、同様の機器を使う自治体にも公表していなかった。とても磐石の体制で臨んでいるとはいえない。
原発震災がおきないわけはない
それにもまして危険なのが原子力発電所の存在だ。知ってのとおり静岡県御前崎市にある中部電力浜岡原子力発電所は、静岡県御前崎にあり東海地震の震源域のほぼ中央にある。浜岡には原子炉が1〜5号機まであり、1、2号機はすでに30年を経過した老朽機だ。5号機が1月稼働をはじめたが、世界で最大級の地震を想定したといわれても、そうかなと思ってしまう。
阪神大震災では地表で最大水平地震力で900ガル(ガルは地震の揺れの加速度の単位)を記録した。浜岡の耐震基準では原子炉格納容器底の岩盤近傍での水平方向の揺れ(水平地震力)の値を想定している。またすべての耐震設計において直下型地震も想定されており、その垂直地震力は水平地震力の半分を考慮するとなっている。
1、2号機の「設計用限界震度」は水平地震力450ガル、3〜5号機が650ガルだ。岩盤近傍の値を地表面に換算するなら、ほぼ2倍すれば近い値になると言われる。1、2号機の値は水平地震力900ガル、3〜4号機では1300ガルが想定されていることになる。
しかし重要なことは、今の定期点検および共用期間中検査の技術基準では、重要な構造物であっても設計寿命の40年まで検査が行われないものもあるという点だ。30年経過した現在でも一度も検査されていない箇所が存在するのだ。これは関西電力美浜原発3号機での配管破断事故で、事故を起こした配管は検査項目に上っていながら、30年間検査から抜け落ちていたことなどでもわかる。美浜では人為的ミスから取り返しのつかない大事故が起こってしまったが、浜岡原発は老朽機を2基もかかえ、しかも海岸線にあるので、津波に襲われることは必至だ。津波で冷却配管が破断されれば、日本列島は核汚染にさらされる。そうなれば百万人単位の死者が発生する。運転を中止するしか被害をなくす方法はない。
できる対策はないものか
中央防災会議による東海地震での被害想定によれば、ほとんどの人が就寝している午前5時に発生した場合、建物の倒壊による死者が全体の3分の2を占める。阪神大震災の場合、地震が直接の死因になった犠牲者5500人の85%が倒れた家屋や家具による圧死だった。家屋の耐震補強は費用が高いため、また自治体からの補助も十分でないなどの理由で多くの人が対策をとれないでいる。そこで倒壊した家屋から身を守るために「防災ベッド」なども開発されている。アーチ型の鋼でできた防護フレームに囲われたベッドで、5人くらいが逃げ込める一時避難場所にもなる。価格は20万だが高いか、安いかは被災後でなければわからない。
家庭内ですぐにできる対策はある。地震の際、タンスやテレビなどの大型の家具は凶器となる。家はつぶれなくても、家具の下敷きになって命を落とす危険性はある。また窓ガラスは地震の衝撃で割れて、避難の際の妨げになる。そこで家具は寝室、子ども部屋には背の高いものを置かないことが基本だ。また、家具は一列に並べず、分散して配置する。家具を置く場合は、市販の転倒防止器具などで固定をする。固定器具にはチェーンやベルト、L字型の金具、突っ張り棒などがある。L字金具やチェーンは壁側、家具側とも、柱や芯(固い部分)などの下地があるところにネジ止めする。ネジは40ミリ以上のものを使用し、石膏ボードなどを貫いてしっかり下地に食い込ませる。突っ張り棒を使う場合は天井の下地を選んで設置し、ときどき緩みがないか点検する。
ガラスは割れると非常に危険なので、棚、窓などには飛散防止フィルムをはり、万一ガラスが割れても飛び散らないようにしておく。ガラス棚などは中の食器などが飛び出さないようロック機構をつける。
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http://www.bund.org/opinion/20050225-1.htm