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文藝思想誌『葦牙』http://www1.odn.ne.jp/~cal16920/ASHIKABI-TOP-PAGE.htmlに下記を見つけました。シュレダ・ドイツ国首相の演説については、すでにどなたかが論評されていたかと思います。ここにコピペしたのは、演説への一読者(多分)からの感想文です。えばりくさっており、へ理屈ばかりで一片の理念も感じさせないあのポチを嫌というほど見せ付けられているためでしょうか、その格調に違いに私も共感します。しかし、これは、シオニストの思惑にまんまとのせられたということなのでしょうか?ポチの低劣なパフォーマンスが実は一役かってしまったということなのですかね。
尚、葦芽journalの最新号エッセイに木村愛二さんのホームペイジが紹介されています。
感想文ーーーーー
私はこれはずっと覚えておくべき演説だと思います。特にブッシュの二期目の就任演説を聴いたあとではなおさらです。この演説がおこなわれた六〇周年記念式典ニュースの映像を、私は二年半前、たった一度だけ自分がその場所にたった紛れもない実在の場所の出来事として見ました。
もう比べるまでもありませんが、小泉首相はじめ歴代の日本首相が原爆記念日、あるいは敗戦記念日に繰り返す空虚な言葉(そこでいつも使われる「悲劇」という言葉の無責任さ!)に比べ、シュレーダー首相の演説のなんと重く、痛々しく、正直なことでしょう。
私は、TVのニュースで、「悲劇を繰り返さない」という日本語訳に何度も接し、本当にそういう言葉を使っていたのか疑問に思っていました。やはり、シュレーダー首相はそんな責任不在の言葉は使っていないですね。彼が良く使う「恥」という言葉が印象的です。直接戦争犯罪に手を染めたわけでない子孫が受け継ぐ戦争責任を、このような言葉で表現しているのだと思います。
「人々の思考の粗暴化と道徳的に自制を失ったことが、その前史であったのです。確実なことは……ナチイデオロギーは人間が望み、そして人間によってつくられたのです」
ナチスの戦争犯罪に加担したと知れば、戦後身内でも告発してきた、強制労働の補償を大企業が二一世紀も続けているドイツ国民がこの言葉を言わせているのですね。
アジア太平洋戦争の侵略行為でさえ、ABCD包囲網の必然的結果だと正当化しながら、北朝鮮への経済制裁は戦争ではない、と居直る世論を許している国の政治家からは、こういう言葉はきかれません。
ドイツを理想化することはできませんが、同じ経済発展を遂げたといっても、戦後、責任ある補償をしながら発展してきたドイツと、食い逃げのような日本とでは、ここまで差が開いてしまった。イラク侵略に対する姿勢も当然の帰結なのかもしれません。
私達の国の代表者が、堂々とこうした演説を行う日が来るよう、願わずにはいられません。
(石丸 朗)
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§アウシュヴィッツ強制収収容所解放60周年にあたって§
―ドイツ連邦共和国ゲアハルト·シュレーダー首相の演説―
訳·梶村太一郎
ゲアハルト·シュレーダー連邦首相は一月二五日の演説で、六〇年前のアウシュヴィッツ強制収容所の解放を回顧した[訳注1]。このベルリンの国立劇場で開催された国際アウシュヴィッツ委員会[訳注2]による追悼行事には、多くのヨーロッパ諸国からの、元囚人と若者たちが参加した。
演説は以下のとおり……。
尊敬するアウシュヴィッツ·ビルケナウの生存者のみなさま、淑女、紳士のみなさま。
みなさんの前で話すようご招待くださった国際アウシュヴィッツ委員会に感謝を申し上げます。
私は、このご招待は決して当然のことではないと信じています。現在においてもそうではありません。私たちドイツ人には、人類最大の犯罪を前にして沈黙するほうがふさわしいのかもしれません。絶対的に反道徳的で無意味な何百万という殺人を前にしては、政治的言語は役に立たない危険があるからです。
私たちは、いかなる人間の想像力をも超えてしまった把握できないものを把握しようと望むのです。私たちは最後の答えを無駄に求め続けているのです。
残っているのは、少数の生存者と、その子孫のみなさんであります。
残っているのは、殺人施設の残骸と、歴史資料であります。
その他に残っているのは、殲滅収容所において、悪が示した確証であります。
それ以降、悪はもはや政治的、ないしは学問的な範疇ではないのです。アウシュヴィッツ以後に、いったい誰が、悪が存在し、ナチズムの憎しみに駆られた民族虐殺に、それが姿を現したことを疑うことが出来るでありましょうか?
このように確定することはしかし、古い「悪魔のヒトラー」の話に逃げ込むことではありません。ナチイデオロギーには前提が無かったのではありません。人々の思考の粗暴化と道徳的に自制を失ったことが、その前史であったのです。確実なことは……ナチイデオロギーは人間が望み、そして人間によってつくられたのです。
淑女、紳士のみなさま、
赤軍によるアウシュヴィッツ解放の六〇年後の今、私は民主的ドイツの代表者として、みなさまの前に立っております。私は、虐殺された人々に対して、また特に強制収容所の地獄を生き延びたみなさまに対して、私の恥を表明いたします。
ヘウムノ、ベウジェッツ、ソビブール、トレブリンカ、マイダネック、そしてアウシュヴィッツ·ビルケナウ(訳注3)、これらが、犠牲者たちの歴史に、しかしまた、ヨーロッパとドイツの歴史に、これからも結びついた名前であり続けるでしょう。そのことを私たちは知っております。
私たちは哀悼とともに、また深刻な責任とともに、この重荷を背負っております。
何百万人という子供たち、女性と男性たちが、ドイツの親衛隊隊員と彼らの援助者たちによって、ガスで窒息死させられ、餓死させられ、銃殺されました。
全ヨーッパのユダヤ人、シンチ·ロマ、ホモセクシャル、政治的敵対者、戦争捕虜、そして抵抗運動の闘士たちが、冷たい工業的な完璧さによって殲滅され、または死にいたるまで奴隷化されました。
それまでのヨーロッパの数千年の文化と文明には、これより深い亀裂が起こったことはありませんでした。戦後になってこの歴史的な亀裂の全体的像が把握されるまでには、かなりの時間がかかりました。私たちはその亀裂を知っています、しかし私は、私たちがいつかはそれを理解することができるかを疑っています。過去は、よく言われるように「克服」されようとはしません。それは過ぎ去ってしまうものです。しかし、その痕跡とその教訓は現在にまで到達しております。強制収容所で起こった悲惨と苦悶と悲嘆は、これからも決して埋め合わせることはできません。ただ犠牲者の子孫と生存者のみなさまに、一定の償いを実現することは可能であります。 連邦共和国はこれまでの長いあいだ、男女市民の正義感に依存しながらその政治と司法においてこの責任に向かい合って来ました。
淑女、紳士のみなさま、
私たちがここで見ているのは、一九四五年の夏の解放後の囚人たちの(会場に掲げられた·訳者)写真ですが、若い男女たちがしっかりと抱き合っています。これらのひとたちは、解放後には他の大半の生存者たちと同じく、たいへん異なった道を踏み出しました……イスラエルへ、南北アメリカへ、ヨーロッパの近隣諸国へ、かれらの故郷へと。
幾人かはしかし、かつていわゆる「最終解決」が決められた国であるドイツに残り、またはふたたび、ここへ帰ってきました。
それは、だれにとっても尋常ではない、難しい決心でしたし、ほとんどの人々にとっては、それは自由裁量ではなくて、完全な希望の欠落の結果だったのです。しかしながら、彼らの傷ついた人生にも希望が帰って来ました。そして多く人々がドイツに残ったのです。
私たちはそのことに感謝しております。今日では、ドイツのユダヤ人共同体はヨーロッパで三番目に大きなものです。そして活気があり、成長しています。新しいシナゴークが建設されています。いまやユダヤ人共同体は、私たちの社会と文化のかけがえのない一部になっており、そうであり続けています。
その栄光にあふれ、同時に痛みの多い歴史は、責務であると同時に約束であり続けています。
学ぶ能力のない反ユダヤ主義者からは、私たちは彼らを国家権力をもって守ります。反ユダヤ主義がいまだに存在することを否定してはなりません。それと闘うことは全社会の課題です。反ユダヤ主義者たちが、私たちの国だけではなくどこでも、ユダヤ人市民を、圧迫したり、傷つけたりすることに成功して、私たちの国に恥をもたらすようなことは、二度と許されないのです。
極右勢力と、かれらのうっとうしい標語や落書きに対しては、警察、憲法擁護局、そして司法が特別な注意を払うに価するものです。しかし、ネオナチスと古いナチスとの闘いを、私たちすべてが共に政治的に実行しなければなりません。ネオナチスの不快な挑発と、常に繰り返されるナチスの犯罪を瑣末なものにしようとする、新たな試みに向かって断固として対抗することは、すべての民主主義者の共通の義務であります。民主主義と寛容の敵に向かっては一切の寛容があってはならないのです。
淑女、紳士のみなさま、
アウシュヴィッツの生存者のみなさまは、私たちに、眼をそらすな、耳をこらせ、注意深くあれと要求しています。彼らは私たちに、人権犯罪をずばりと指摘して闘うよう要求しています。これらは、例えば今日、アウシュヴィッツの追悼施設を自分の眼で確かめている若者たちによって聞き届けられるでありましょう。彼らはかつての囚人たちと話し合っています。彼らは追悼施設の手入れをしたり、その保存の手伝いをしています。彼らは、彼らに続く世代に対し、国家社会主義の犯罪について啓蒙することに力を貸すでありましょう。
淑女、紳士のみなさま、
現在生存しているドイツ人の、圧倒的多数は、ホロコーストに対する罪を負ってはいません。しかしながら、彼らは特別な責任を負っています。国家社会主義の戦争と民族虐殺を心に刻むことは、私たちの生きた状態の一部[訳注4]となっております。かなりの人々にはこの一部が堪え難いのであります。
しかしながら、この心に刻むことが私たちの国民的アイデンティティーに属していることが変わるものでは全くありません。国家社会主義の時代とその犯罪を心に刻むことは、ひとつの道徳的義務であります。私たちはこれによって、犠牲者、生存者、また彼らの係累に対してのみ責任があるのではなく、否、私たち自身にとっても責任があるのです。
淑女、紳士のみなさま、
忘れてしまおうとすること、記憶を抑圧してしまおうとすることの誘惑が、大変に大きなものであることは確かです。しかし私たちはそれに負けてしまうことはないでしょう。
ベルリンの中心部のホロコースト警告碑の石柱の広場[訳注5]は犠牲者たちに生命も尊厳も返すことはできません。生存者と彼らの子孫たちには、たぶん彼らの苦悩の象徴となりうるでしょう。私たちすべてにとっては、忘却への警笛として役に立つでしょう。
ここで、私たちに確かなことは……私たちが、かつて国家権力によって、自由と正義と人間の尊厳が踏みにじられことを忘れるならば、自由も正義も人間の尊厳もあり得ないということです。ドイツの多くの学校で、企業で、労働組合で、また教会で私たちの手本になることが行われています。ドイツは自らの過去に立ち向かっているのです。
ショアー[訳注6]から、ナチスのテロから、私たちすべてにある確信が生まれてきました。それは「二度と許さない」という言葉で最も良く表現されています。この確信を私たちは守ろうと望みます。
すべてのドイツ人も、またすべてのヨーロッパ人も、国家共同体全体が、敬意を持って人間的に平和のうちに共生することを、いつも新たに学ばねばなりません。
ジェノサイド禁止条約は、ホロコーストの直接の国際法規の教訓であります。それは、異なる門戸、文化的特徴、宗教、および皮膚の色のすべての人間に、生命と人間の尊厳を世界中で尊重し、擁護することを義務づけています。ここにおいても、あなたがた国際アウシュヴィッツ委員会は、すべての人間の利益のために、みなさまの特徴ある働きをもって闘っておられます。
みなさまとともに、私は殲滅収容所の犠牲者の前に頭を垂れます。もしいつの日か犠牲者の氏名が人類の記憶から消えてしまわねばならないとしても、彼らの運命は忘れ去られることはありません。なぜなら、それは歴史の中心に安置されているからです。(演説おわり)