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左寄りと評されるローマ発有力紙 レップブリカのサイト上にあるブログから。
ユダヤ系と思われる筆者が、今週末のイタリア地方選挙に向けてのベルルスコーニ首相を
どうみているか(どう伝えたいか)、またベルゲン-ベルゲン収容所の表現に興味を
惹かれました。
記事中(*)はkamenoko注です。
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BlogTrotter by Reonardo Coen 3月30日
http://blog.repubblica.it/rblog/page/LCoen
ファシストからの数え切れないハッキング攻撃を受け、ブログを2重書きすることにした。
ガゼッタ・デル・スッド(*イタリア南部の新聞)のコラムから、シルビオ・ベルルスコーニ
首相が召集をかけた。「勧告させてもらおう。すべてのカラブリアの友よ、この選挙を軽く
みてはいけない。よって投票に行って欲しい。この地域を左翼に譲り渡してはいけない。
重要な政策をなんら持たず、頭が過去に向いており、我々が成し遂げたすべての改革を
取り消すと脅しをかけ、相続税を頂点に引き上げ、増税を目論み、私有財産を解体しようと
している左翼に。
首相による左翼とは、「権力を手中にしそれを行使することだけを最終目的とする」そうだ。
そうかな、左翼とは・・左翼に過ぎないだろう。
ベルルスコーニは続ける
「親愛なる穏健な(*収入の少ないという意味もある)友よ、日曜と土曜は投票に行こう。
フォルツァイタリア党(*首相の党)の候補は、自由の家イタリアをより体現している。
労働やビジネスの世界を経験した彼は、地元に大きな公共事業をもたらした。2度目の
当選で受けた71.5%の信任は、カラブリア州のどの自治体よりも高い数字であり、あなた方の
地方の比類なき、有効かつ誠実な改革者としての力量が立証されたことを意味する」
1945年3月30日。ハンブルグのベルゲン-ベルゲン収容所にてアンネ・フランク没す。
4月15日にイギリスによって開放されるまで、この収容所において同じ病気チフスで
何千人もの人が命を落とした。
「お日様が輝く空は真っ青。なんて素敵なそよ風。誰かと話がしたくてたまらない。
自由になって、友だちが欲しい。ひとりになりたい。そしてとっても、とっても泣きたい」
自由が剥奪され、不満が一杯で、不安と苦痛に苛まれた心模様を日記に表現した頃、
アンネの隠れ家生活は1年半に及んでいた。「たぶん春だわ。目覚ましが告げている。
体と心がそれを感じている」。感覚のもつれが落ち着きを失わせたのか、いや動揺させた
のか。混乱、絶望を感じていたのかもしれない。日々の生活はもはや、彼女に何も与えて
いなかった。どんな小さな兆候も。
殺人者ナチスとその無言の支援者たちはアンネから命を取り上げたが、声を止めることは
できなかった。運命はアンネに冷酷だった。他の600万人のユダヤ人たちにも同様に。
そして第二次大戦で命を落とした5千万人の男女と子供に対しても。
60年前、彼らの犠牲が自由と民主主義への道のりを開いた。60年前の春、イタリアは
まだファシストの独裁とナチスの占領を蒙っていた。
・・60年後、我々は本当に自由だろうか?イタリアに民主主義は存在するだろうか?
・・・終了