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ノーマン・G・フィンケルスタイン著、立木勝訳、『ホロコースト産業』―同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち、三交社、二〇〇四年十一月初版。
帯に曰く、
両親がワルシャワとナチ強制収容所からの生還者である著者が、歴史の真実と記憶を汚し、いまや米国ユダヤ人エリートのためのイデオロギー的兵器、政治的・経済的資産と化した「ホロコースト産業」の知られざる実態と背景を暴く、国際的大反響を呼んだ衝撃の書。
「ホロコースト意識」とは、「公式のプロパガンダの大量生産であり、誤った世界観である。その真の目的は、過去を理解することではまったくなく、現在を操作することである」(イスラエルのライター、ボアス・エヴロンの発言)
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本書の存在は知っていたのですが、日本語版が出版されたのを、阿修羅ホロコースト版のアマゾンのバーナーで知り購読しました。序論に作者が言いたいことが要約されていますので、序論の大部分を転載します。本文は目次を記します。おおよその内容はそれで理解できると思います。
この本はナチ強制収容所の生存者を両親に持ったユダヤ人の作者が書いた「ホロコーストの政治的利用」の告発書です。学者である作者が冷静に緻密に「ホロコースト産業」を暴露告発した書、このホロコースト版に興味を持っている方々に是非読んで戴きたいと思い紹介しました。
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序論 ユダヤ人以外の苦しみに心を開くべき時が来ている
※イデオロギー兵器としてのザ・ホロコースト
本書はホロコースト産業を分析し、告発するためのものである。以下の各章では、ザ・ホロコーストがナチ・ホロコーストのイデオロギー的表現であることを論証していこうと思う。大半のイデオロギーと同じように、これもわずかとはいえ、現実とのつながりを有している。ザ・ホロコーストは、各個人による恣意的なものではなく、内的に首尾一貫した構造物である。その中心教義は、重大な政治的、階級的利益を支えている。実際に、ザ・ホロコーストがイデオロギー兵器として必要不可欠であることは、すでに証明済みだ。これを利用することで、世界でもっとも強力な軍事国家の一つが、その恐るべき人権蹂躙の歴史にもかかわらず「犠牲者」国家の役ところを手に入れているし、合衆国でもっとも成功した民族グループが同様に「犠牲者」としての地位を獲得している。
どちらもどのように正当化してみたところで上辺だけの犠牲者面(づら)にすぎないのだが、この犠牲者面は途方もない配当を生み出している。その最たるものが、批判に対する免疫性だ。しかも、この免疫性を享受している者は皆ご多分に漏れず、道徳的腐敗をまぬがれていないと言ってよい。この点から見て、エリ・ヴィーゼルがザ・ホロコーストの公式通訳として活動していることは偶然ではない。(中略)
※アメリカ・ユダヤによるナチ・ホロコーストの「発見」
ナチ・ホロコーストについて初めて関心を持ったのは、ごく身近なところからだった。私の両親は、ワルシャワ・ゲットーとナチ強制収容所からの生還者だった。両親以外の親族は、父方も母方もすべてナチに殺された。(中略)
私は自分の子供時代にナチ・ホロコーストが割り込んできたという記憶がまったくないのである。……
……この点から見て、ホロコースト産業が確立されて以降数十年の迸るような怒りには、疑問を抱かずにおられないのである。
ナチ・ホロコーストを忘れていたことはもちろん悪いが、私は、アメリカ・ユダヤによるナチ・ホロコーストの「発見」はそれよりも悪いのではないかと思うことがある。確かに私の両親は、自分たちの受けた苦しみを胸の内にしまったままにしていた。それを公的に立証することをしなかった。しかしそれでも、今のようにユダヤ人の殉教を利用するよりはましだったのではないだろうか。……
※ユダヤ人以外の苦しみに心を開くべき時が来ている
私の両親は、死ぬまで毎日のようにそれぞれの過去を追体験していたが、晩年には、大衆向けの見せ物としてのザ・ホロコーストにまったく関心を示さなくなっていた。父の親友にアウシュビッツの収容所仲間がいた。買収など考えられない左翼の理想主義者で、戦後のドイツからの賠償金も信念に基づいて受け取りを拒否していたのだが、最後にはイスラエルのホロコースト博物館「ヤド・ヴェシェム」の館長になった。父は心から失望し、なかなか認めようとしなかったが、最後にはこういった――あいつもホロコースト産業に買収された、権力と金のために信念を曲げたのだ、と。ザ・ホロコーストの演出が一層ばかげた形を取るようになるにつれ、母は皮肉を込めて、「歴史など戯言だ」というヘンリー・フォードの言葉を引いた。わが家では「ホロコースト生還者」の話はどれもこれも――収容所にいた者やレジスタンスの英雄の話もすべて――特殊な、捻れた笑いの種になった。ジョーン・スチュアート・ミルがはるか昔に理解したように、継続的な批判に晒されない真実は、最後には「誇張されることによって真実の効力を停止し、誤りとなる」のである。
両親はよく、ナチの大量殺戮をでっちあげたり利用したりすることについて、なぜ私がこれほど憤るのかわからないと言っていた。いちばん分かりやすい答えは、それがイスラエル国の犯罪的な政策と、その政策へのアメリカの支持を正当化するために使われているから、ということだ。また個人的な動機もある。私は、家族の迫害についての記憶を大切にしたいのだ。ホロコースト産業の今のキャンペーンは、「困窮するホロコースト犠牲者」の名の下にヨーロッパから金をむしり取るためのものであり、彼らの道徳レベルはモンテカルロのカジノのレベルにまで低下してしまっている。
しかし、こうした懸念を別にしてもなお、私には信念がある。私は、歴史記録の完全性を保存すること、そしてそのために戦うことが大切だと信じているのだ。本書の最後の部分で述べているように、私たちはナチ・ホロコーストを学ぶことで、「ドイツ人」や「非ユダヤ教徒」についてだけでなく、全ての人間について多くのことを学ぶことができる。しかしそのためには――すなわち真にナチ・ホロコーストから学ぶためには――その物理的な側面を縮小して、道徳的な側面を拡張しなければならない。これまでナチの大量虐殺を記憶に残すために、夥しい量の私的公的資源が投入されてきた。その結果は大半が無価値なものであり、ユダヤ人の苦しみではなく、ユダヤ人の強化への捧げものとなってしまっている。
ユダヤ人以外の苦しみに心を開くべき時がとっくに来ている――それが、私が母から受け継いだ最大の教えである。母からは、比べるな、という言葉を一度も聞いたことがない。母は常に比べていた。もちろん歴史的な区別は必要だ。しかし、「自分たち」の苦しみと「彼ら」の苦しみを道徳的に区別することは、それ自体が道徳のねじ曲げなのだ。「惨めな人々が二組いるときに、両者を比較して、一方が他方よりも幸せだと言うことはできない」とプラトンが言ったのは、人道的な面からだった。アフリカ系アメリカ人やヴェトナム人やパレスチナ人の苦しみを前にしたとき、母の信条はつねに変わらなかった――私たち全員がホロコーストの犠牲者なのだ。
二〇〇〇年四月 ニューヨーク市にて ノーマン・G・フィンケルスタイン
本文(目次)
第一章 政治経済的な「資産」としてのザ・ホロコースト
※戦後ある時期までナチ・ホロコーストは注意を払われなかった
※冷戦下、同盟国ドイツの過去に蓋をする
※第三次中東戦争(一九六七年)がすべてを変えた
※アメリカ最新の戦略的資産としてのイスラエルの「発見」
※アメリカの権力とぴったり歩調を合わせる
※アメリカで”突然流行”し、組織化されていったホロコーストの話題
※すべてはアメリカ・イスラエルの同盟の枠組みの中で起こった
※アイヒマン裁判で証明されたナチ・ホロコースト利用の有用性
※イスラエルが資産になった途端にシオニストに生まれ変わったユダヤ人
※新たな反ユダヤ主義をめぐる作られたヒステリー
※歴史的な迫害を持ち出すことで現在の批判を逸らす
第二章 騙し屋、宣伝屋、そして歴史
※ホロコーストの枠組みを支える二つの中心教義
(1)ザ・ホロコーストは、無条件に唯一無二の歴史的事件である。
(2)ザ・ホロコーストは、非ユダヤ人がユダヤ人に対して抱く不合理で恒久的な憎悪が最高潮に達したものである。
※唯一性はホロコーストの枠組みにおける所与の事実
※ホロコーストの唯一性をめぐる議論の不毛さ
※ホロコーストの唯一性からユダヤ人の唯一性の主張へ
※異教徒による永遠の憎悪というザ・ホロコーストの教義
※反ユダヤ主義の非合理性はザ・ホロコーストの非合理性から導かれる
※ユダヤ人の選民意識を強化したザ・ホロコースト
※コジンスキー『異端の鳥』におけるホロコーストのでっち上げ
※『断片』のヴィルコミルスキーはユダヤ人ですらなかった
※アラブにナチズムの汚名を着せようとするホロコースト擁護論者たち
※ホロコースト文学の批判的研究に対する執拗な中傷と圧力
※でっち上げられたホロコースト否定論というお化け
※なぜアメリカの首都に政府運営のホロコースト博物館があるのか
※策略の核心はユダヤのためだけに記念すること
第三章 二重のゆすり
※年々水増しされる「生存するホロコースト生還者」の数
※ドイツはすでに一九五二年に諸ユダヤ人機関との賠償金協定に調印していた
※請求ユダヤ人会議は保証金を犠牲者の社会復帰のために使わなかった
※ホロコースト期ユダヤ人資産の所有権を主張するホロコースト産業
※「数十億を盗み取った五〇年にわたるスイスとナチの陰謀」
※「スイスの銀行に資産が存在したことを証明できる者」はほとんどいなかった
※公聴会のポイントは「センセーショナルなストリーをつくりだす」こと
※調査結果が出る前に金銭による和解へ向けて圧力をかけるホロコースト産業
※スイスを脅す二つの戦略としての集団訴訟と経済的ボイコット
※ついに屈服したスイスは一二億五〇〇〇万ドルの支払いに同意
※最終和解で「困窮するホロコースト生還者」がどう扱われるかは不明
※ベルジュ委員会報告『スイスと第二次世界大戦中の金取引』
※ヴォルカー委員会『スイスの銀行におけるナチ迫害犠牲者の休眠口座に関する報告』
※実際の休眠ホロコースト口座総額は世界ユダヤ人会議の主張より桁違いに少なかった
※アメリカの銀行ではホロコースト期の休眠口座はどうなっているのか
※アメリカの銀行を調査せよという運動は起きなかった
※スイスの次はドイツに対するゆすりが始まった
※ドイツはまったく保障していないという言いがかり
※補償金の請求額をつり上げるために存命生還者の数が増やされる
※六〇万以上の生還者がいるとしたらナチの最終的解決は杜撰なものだったことになる
※ゆすりの最大の山場は東ヨーロッパに対するもの
※アメリカによる経済制裁という棍棒を振るうホロコースト産業
※巨大な金持ち官僚機構となったホロコースト産業はますます凶暴化していく
結論 死んでいった者にできるもっとも品位ある態度、それは……
※自分を見つめるより他人の犯罪を非難する方がずっと容易だ
英国系白人が北米大陸を支配することは神の意志だとした「自明の宿命」という一九世紀アメリカの考え方は、ほとんどすべてのイデオロギー的および実践的要素について、ヒトラーの生活圏政策に先鞭をつけるものだった。
※アメリカがいつ、ザ・ホロコーストを持ち出すか
アメリカは公式の敵による犯罪ではホロコーストを思い起こすが、自国が関わっている場合は知らぬふりをするのである。
※「比較するな」という言葉は道徳的ゆすりを働く者のお題目
人間の向上に関わる者にとって、悪を見分ける試金石は、比較を排除することではなく、もしろ歓迎することにある。……
「比較するな」と言う言葉は、道徳的ゆすりを働く者のお題目なのである。……
今日の問題は、ナチ・ホロコーストを理性的な研究テーマとして再構築することだ。そうなって初めて、われわれはそこから学ぶことができる。ナチ・ホロコーストの異常性は、出来事自体からではなく、それを金儲けに利用しようとしてその周囲に生い茂ったホロコースト産業から生じている。ホロコースト産業など初めから破産している。あとはただ、公に破産宣告するだけだ。店じまいさせるべき時はとっくにきている。死んでいった者のためにできるもっとも品位ある態度は、彼らの記憶を保存し、彼らの苦しみから学び、その後は、彼らを安らかに眠らせてあげることなのである。