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(回答先: シオニストはイスラエル建国のために反ユダヤ主義者を必要とした 投稿者 木村愛二 日時 2005 年 3 月 09 日 20:00:33)
再掲:イタリアのシオニズム「シオニストは反ユダヤ主義を必要とした」
以前の私の投稿
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http://www.asyura2.com/0403/bd35/msg/671.html
日時 2004 年 5 月 17 日 18:26:06:
ベルルスコーニを罵倒する:(3)シオニズム=イスラエルとのクサ〜イ関係
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から、以下の部分を切り抜いて再び投稿いたします。
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[引用開始、前略]
ここに非常に興味深い資料がある。これは世界シオニスト機構(WZO)のThe Hagushama Departmentのサイトに載せられた「Fascism and Zionism」と題されるSuzanna Kokkonen(おそらくユダヤ系フィンランド人)の論文である。これも長文なので最後の「Italian Zionism」の部分のみの訳とするが、わかりやすい英文であり、これがシオニスト自身の言葉であり認識であることを考慮に入れて、ぜひとも全体に目を通していただきたい。
引用個所の以前には、イタリアのユダヤ人の簡単な歴史、20世紀初期のユダヤ人の人口統計などが載せられ、そして概略で次のようなことが書かれてある。
イタリア統一まではバチカンがイタリアの最大権力でありユダヤ人に敵対していた。しかしイタリアでは他の欧州諸国とは異なり反ユダヤ主義は非常に弱かった。ムッソリーニもファシズムが反ユダヤ主義ではないと言い「ユダヤ人問題はイタリアには存在しない」とまで言った。ただムッソリーニはあいまいな態度で信用できない人物だった。30年代の後半、彼はシオニストを英国帝国主義の手先とみなした。それでもユダヤ人自体を排斥することはなかった。ファシズム運動に参加したユダヤ人も多かったのである。しかし、ヒトラーとの同盟がそれを変えた。
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【訳出、引用開始:前略】
イタリアのシオニズム
イタリアはシオニズムにとって征服することの難しい国だった。イタリアのユダヤ人が自分たちの歴史と習慣に引き比べてシオニズムに対してある種の違和感を持った可能性がある。しかしイタリアには自由人と被抑圧者のはっきりした格差が無かった。ユダヤ人はあらゆる社会分野と政党で良い地位を占めていた。加えて、この国には反ユダヤ主義がほとんど無かった。もちろん、反ユダヤ主義がシオニズムが成功を収めるために必要であるかどうか、には議論のあるところだ。有名なイタリアのユダヤ人でシオニストのダンテ・ラッテス(1876年生まれ)はこの二つの現象【反ユダヤ主義とシオニズム:訳者】の関連を確信していた。ロシアでは反ユダヤ主義のポグロムが、自分の育った国を全面的に拒否するようになるシオニストを産んだ。ラッテスによれば、イタリアに同化してしてしまったユダヤ人は同じことにはならなかった。たとえ一人のイタリアのユダヤ人がシオニストになったとしても、彼はイタリアで生活することを決して止めなかったろう。実際、ラッテスはこのことを、同化がイタリアのユダヤ人にとって危険であるにせよ、反ユダヤ主義の欠落がイタリアをユダヤ人にとっての理想郷にしたのだ。イタリアのユダヤ人たちはほとんどユダヤ教徒のイタリア人ではなかった。
ユダヤ人社会とファシスト政権の関係の急速な発展のために、the Unione delle Comunita Israelitiche Italiane【イタリア・ユダヤ人共同体連合か?:訳者】が1930年に設立された。この連合の最も大切なメッセージは、ユダヤ教とイタリアのユダヤ人一般はシオニズムとは無関係である、という「事実」であった。指導者たちは、連合の声明に反対する際には、個々のユダヤ人の責任を強調した。この連合はシオニスト運動ではなかったのだ。一方シオニストたちはシオニズムについてファシスト党を説得しようと試みた。彼らはシオニズムがイタリアの政治的利益にとって有益であることを主張しつづけた。そして彼らは同時にユダヤ人コミュニティーの残りの者に対してシオニズムに関心を向けるようにしようと試みた。
イタリアのシオニズムの最初の段階は、およそ1900年から第1次世界大戦までであるが、東ヨーロッパのユダヤ人に対する人道的支援を組織することに費やされた。二つの大戦の間の合間は思想と理論を作る期間であり、1935年以後のみにシオニスト運動が潮流が変わったことに気付いたのだった。実際には人種主義と反ユダヤ主義はイタリアの政治的な環境では大きな要因にならなかった。この原因については、イタリア人自身の性格や歴史のある文明を含めて、多くのことが言えるかもしれない。しかし、反シオニズムがイタリアで鳴り響き、そしてムッソリーニがそれを十分に利用することを学んだ、という事実は残る。前の章で我々が見たとおり、ムッソリーニはシオニズムを中東における英国の野望と結びついていると考えた。全体主義国家の中でファシストの新聞でプロパガンダと脅迫のキャンペーンが始まるのはすぐだった。
普段のムッソリーニは無分別に振舞った。1923年に彼はチャイム・ワイツマンに会った。ワイツマンの記憶は、これは後でダンテ・ラッテスによって批判されたことだが、彼は第2次大戦後の自分の不満について書いただけだった。ラッテスは、ワイツマンがイタリアでのファシズムとシオニズムの関係を理解しておらず、またユダヤ人とファシストたちのユニークな関係をわからなかった、と感じた。ムッソリーニはまたシオニスト長老のメンバーのジャコブソン博士を迎え入れた。イタリア=パレスチナ委員会がその結果設立され、後にムッソリーニはナフム・ソコロフ【前出の「Zionism and Italian Fascism, 1922-1933」では『ナウム・ソコロウ』となっている:訳者】と会った。私はムッソリーニの空虚な約束がこのときになされたと推測したい。しかしながら彼はどちらの側に加わるべきか分からなかったし、また「ユダヤ人の資金」と「世界的な権力」を信じていた。実際、ムッソリーニは、ヒトラーが反ユダヤ主義のレトリックを展開することで大きな過ちを犯している、と考えた。
ムッソリーニの策略については言うまでも無いことに、イタリアのユダヤ人コミュニティーの間に恐れがあった。そしてシオニストは次第に大きなコミュニティーから孤立していった。レオーネ・カルピの指導のもとにある修正主義運動はシオニズムと「イタリア主義」とを結びつけようとしてみた。そしてその運動の役割は「シオニスト的思想」と呼ばれた。ローマではダンテ・ラッテスがシオニスト新聞「イスラエル」の編集長だったが、それをムッソリーニが自分の家に配らせた。一度ならずラッテスはページをムッソリーニへのメッセージで埋めた。どんなメッセージか? 明らかに、イタリアのユダヤ人がシオニストであって同時にイタリア市民としての忠誠心を持ちつづけることができることを、イル・ドゥーチェ【ムッソリーニのこと:訳者】に説得するメッセージであった。
ある意味で、イタリアのシオニズムは、ファシズムがその眠りから覚めて起き上がるまで、眠っていた。シオニズムはファシズムからの脅迫に直面せざるを得なくなったときにやっと政治問題化した。イタリアはシオニスト運動にとって実に難しい国であり、イタリアの一般のユダヤ人はシオニスト運動から自分を遠ざけたいと願った。このことは、シオニストたちがやがて来ることに十分準備できていたことを意味するだろうか。最終的に、ラッテスはユダヤ人との関係を壊したのはファシズム自体ではなく、決定的な要因はドイツとの同盟である、と主張した。ラッテスによると、初期のユダヤ人の間の反ファシズムはユダヤ教のせいではなく、むしろ彼らがイタリア人だからであった。当然だが、イタリア人の反ファシストたちがいたのだ。
シオニズムは非常に小さな運動として始まった。そしてファシズムはイタリアのユダヤ人の間では人気があった。シオニズムはファシスト運動から受けていた注目のためにより政治的になった。シオニストたちはユダヤ人コミュニティーの中で孤立していった。最終的に、ドイツとの同盟がムッソリーニのイタリアを反ユダヤ主義と人種主義に導いていったのだ。
【訳出、引用終わり】
http://www.wzo.org.il/en/resources/view.asp?id=585
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注目すべきことは、この文章作者が、「反ユダヤ主義がシオニズムが成功を収めるために必要である」ことを、作者自身は用心深く「議論のあるところ」と断ってはいるが、主張している点である。シオニストにとって、反ユダヤ主義の薄いイタリアという国が「非常に難しい国」であり、ナチス・ドイツとの同盟によってやっとのことでシオニズムを浸透させることができた、という論旨は明白だろう。
再度強調するがこれはシオニスト本流のサイトに載せられたものである。いくら「研究論文」とはいっても、この主張が「中央」のそれとかけ離れたものであれば、決して公開しないだろう。つまり、シオニスト自身が以上のような見解をおおやけに認めているのである。
ただ、この論文の作者は、イタリアのユダヤ人が元々セファラディであってシオニスト本流のアシュケナジではなかったことを無視している。これは欺瞞だ。そして、イタリアをドイツとの同盟に追いやったのがイギリスであり、結局はイギリス(つまりロスチャイルドを主体とする英国ユダヤ)の策略であったことにも思い当たっていない(あるいは意図的に省いている)。
ここまでくれば、シオニズムの発展とイスラエル建国、そしてその拡大にとって、ヒトラー=ナチスの果たした役割の大きさがはっきりとしてくるはずだし、その背後の存在も浮かび上がってくる。
[引用終わり]