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(回答先: Re: 『ゲッペルス日記』は? 投稿者 木田貴常 日時 2005 年 3 月 04 日 08:33:02)
たけ(tk) 様
素朴な疑問ですが
引用なさった
> ところが歴史はまわり、時代がかわり、ソ連が崩壊し、ソビエト時代のあらゆる秘密文書が外に流れ出した一九九二年七月のはじめに、モスクワのロシア国立公文書館で、ナチス・ドイツの宣伝相であったあのゲッペルスの自筆日記が発見された。ヨゼフ・ゲッペルスこそ「カチンの森」事件を最初に世界へ向かってスターリンの犯罪だ
と呼びかけた張本人だった。その本人の日記に驚くべきことが記されていた。そのいきさつについては一九九二年十一月号の『中央公論』に作家の逢坂剛氏が書いているが、ゲッペルス日記の一九四三年九月二十九日付にはつぎのように書いてあった。
>「遺憾ながらわれわれは、カチンの森の一件から手を引かなければならない。ボリシェビキは遅かれ早かれ、われわれが一万二千人のポーランド将校を射殺した事実をかぎつけるだろう。この一件は行くゆく、われわれにたいへんな問題を引き起こすに違いない」と。ゲッペルスは一九四三年四月段階では対外的にソビエト政府とスターリンの犯罪だと声明しつつ、同年の九月の日記には「われわれが殺した事実」を認めつつ、このことがナチスとヒトラーへはねかえってくることを心配しているのである。
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上記の引用文は、
http://maa999999.hp.infoseek.co.jp/ruri/gulfwar_02_05_03.html
(ソフィア先生の逆転裁判2〜ユダヤの嘘を暴いてドイツの無罪を勝ち取れ〜)
より
とのことですが、
そこには、
> 参考資料:ゲッペルス日記 1943年9月29日
> 一九九二年十一月号『中央公論』より
とあります。したがって私は、一九九二年十一月号『中央公論』に注目したかったのですが、よく注意すると、そこには、
> 一九九二年十一月号『中央公論』より
(アドレス:www2u.biglobe.ne.jp/~NKK/new_page_19.htm)
とあります。
驚きましたが、
www2u.biglobe.ne.jp/~NKK/new_page_19.htm は
中央公論とは全く関係ないアドレスでした。
<正統マルクス主義万歳!>というページでした。
http://maa999999.hp.infoseek.co.jp/ruri/gulfwar_02_05_03.html
(ソフィア先生の逆転裁判2〜ユダヤの嘘を暴いてドイツの無罪を勝ち取れ〜)
は全く主義主張の違う
www2u.biglobe.ne.jp/~NKK/new_page_19.htm
(<正統マルクス主義万歳!>)
というページから、何の注釈も無く、
ごっそり長文をコピペしたのでしょうか?
マナーの問題というよりも、文脈の異なる文章の一節の、
木に竹を接ぐような按配に、
ちょっと首を傾げています。
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たけ(tk) 様が、
(1)<正統マルクス主義万歳!>による、中央公論逢坂剛論文の引用コピペ
(2)<ソフィア先生の逆転裁判2>による、<正統マルクス主義万歳!>の引用コピペ
もし、このコピペ&コピペの事情をご存知でしたら、教えてください。
あくまでも、「もしも」です。