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【参考資料】マルコポーロ FEB.1995 廃刊号 『(段落分け)ナチ「ガス室」はなかった。』
http://www.asyura2.com/0502/holocaust1/msg/311.html
投稿者 木田貴常 日時 2005 年 2 月 28 日 12:41:16: RlhpPT16qKgB2


マルコポーロ廃刊号記事「ナチ『ガス室』はなかった」(1995年)は、著者西岡昌紀
さん自らが、訂正の趣旨を踏まえて読むことを要請なさっています。
しかしながら、どこからどこまでを削除あるいは訂正して読んだらよいかは、単行本
「アウシュウィッツ『ガス室』の真実」を読み解いたとしても、読者が恣意的に解釈
できることではありません。
そこで、主要な訂正を施しながら記事が読み進めるよう、その道しるべを具体的につ
けていただくために、WEB上に再現された記事を段落に分けてみました。

これはまだ、作成途中のもので完成品ではありません。

下記の西岡昌紀様とのやりとりを踏まえて、作成しました。

「ナチ『ガス室』はなかった」における私の誤った記述等について
http://www.asyura2.com/0502/holocaust1/msg/279.html
投稿者 西岡昌紀 日時 2005 年 2 月 27 日 15:58:25

Re: 「ナチ『ガス室』はなかった」における私の誤った記述等について
http://www.asyura2.com/0502/holocaust1/msg/282.html
投稿者 木田貴常 日時 2005 年 2 月 27 日 19:41:37:

意見を明示している者に対する失礼な態度である。
http://www.asyura2.com/0502/holocaust1/msg/284.html
投稿者 代理投稿1 日時 2005 年 2 月 27 日 22:29:38

Re: 了解しました。西岡様には訂正本を読んでから質問いたします。
http://www.asyura2.com/0502/holocaust1/msg/290.html
投稿者 木田貴常 日時 2005 年 2 月 28 日 00:39:20

Re: 了解しました。西岡様には訂正本を読んでから質問いたします。
http://www.asyura2.com/0502/holocaust1/msg/292.html
投稿者 西岡昌紀 日時 2005 年 2 月 28 日 00:46:33

Re: 了解しました。西岡様には訂正本を読んでから質問いたします。
http://www.asyura2.com/0502/holocaust1/msg/294.html
投稿者 木田貴常 日時 2005 年 2 月 28 日 01:07:41

Re: 了解しました。西岡様には訂正本を読んでから質問いたします。
http://www.asyura2.com/0502/holocaust1/msg/297.html
投稿者 西岡昌紀 日時 2005 年 2 月 28 日 01:29:45

Re: では西岡様、いかがでしょうか?
http://www.asyura2.com/0502/holocaust1/msg/308.html
投稿者 木田貴常 日時 2005 年 2 月 28 日 09:12:41

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阿修羅読者各位へ

これは準備投稿です。
乱丁落丁などの不備をご指摘くだされば幸いです。
写真記事は追って付加いたします。


2005年2月28日 木田貴常

================================

西岡昌紀様

段落ごとの補注、または削除・訂正のご支持があれば、
お知らせくだされば幸いです。
挿入編集させていただきます。

なお、この投稿自体に著者として問題があれば、
私は投稿削除の要請をいたします。


2005年2月28日 木田貴常
.
.
.
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(参考資料)

マルコポーロ FEB.1995 廃刊号
『(段落分け)ナチ「ガス室」はなかった。』

http://yiori.tripod.com/nogas/
より再現

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.
(メインタイトル)-------------------------------------------------
.

マルコポーロ
文藝春秋社刊
花田紀凱編集長
FEB.1995 廃刊号
.
より、
.
戦後世界史最大のタブー。
ナチ「ガス室」はなかった。
(段落分け再現)
.
.
(リード)---------------------------------------------------------
.
一月二十七日、アウシュヴィッツ収容所は「解放」五十周年を迎える。
だが、ここには戦後史最大のタブーが秘められている。

実は「ホロコースト」=ナチスによるユダヤ人虐殺説には、今、大
きな疑問が投げかけられ始めているのだ。

ユダヤ人が悲惨な死を遂げたことは、間違いない。しかし、ガス室
で、計画的に殺されたという話には証拠が少ない。

戦後、西側に属した収容所にはすべてガス室が存在しなかったこと
が証明された。あったとされるのは東側の収容所のみ。

しかも、ガス室は密閉機能に欠け、使用されたガスは科学者の目か
ら見ると、とても大量殺人には使用できぬものであった。

実は、欧米では、この種の疑問が、ジャーナリズムを賑わしている。
当のユダヤ人学者さえ、疑問を呈しているのだ。

なぜ、日本のマスコミだけが、この問題を書かないのか。若手の医
師が、個人で調べあげた驚愕の新史実!
.
西岡昌紀●文
text by Masanori Nishioka
.
.
(段落1)-------------------------------------------------
.
 獣をいけにえとして捧げ、火で焼くという
ユダヤ教の儀式を「ホロコースト」と言った。
これが転じて、「ナチスのユダヤ人虐殺」を
意味するようになったのは、ナチスドイツが
アウシュヴィッツなどの強制収容所にガス室
を作り、毒ガスを使って計画的に虐殺、さら
にそれを焼いた――という恐ろしい話とイメ
ージが重なったからだ。
 ところが、このホロコーストが作り話だっ
たという説が、今、欧米で野火のように広が
りはじめている。
 戦後五十年近くもの間、語られてきたこの
「毒ガス虐殺」が作り話だといわれて、驚か
ない人はいないだろう。私自身、この話を六
年前に英文で読んだ時には、驚天動地の思い
をしたものである。
 私は一医師にすぎないが、ふとした機会
に、この論争を知り、欧米での各種の文献を
読み漁るようになった。そして、今では次の
ような確信に達している。
.
.
(小見出し1)-------------------------------------------------
.
まず、日本の新聞やテレビが言っ
ていることは全部忘れてほしい。
それから『シンドラーのリスト』
も一旦忘れてほしい。
.
.
(段落2)-------------------------------------------------
.
 「ホロコースト」は、作り話だった。アウシ
ュヴィッツにも他のどの収容所にも処刑用ガ
ス室などは存在しなかった。現在、ポーラン
ドのアウシュヴィッツ収容所跡で公開されて
いる「ガス室」なるものは、戦後ポーランドの
共産主義政権か、または同国を支配し続けた
ソ連が捏造した物である。アウシュヴィッツ
でもどこでも、第二次大戦中のドイツ占領地
域で、「ガス室」による「ユダヤ人大量虐
殺」などは一度も行なわれていなかったのだ。
.
(段落3)-------------------------------------------------
.
 こう断言する理由は後述するが、その前に
二つのことを言っておきたい。まず、第一に
私は、第二次世界大戦中にドイツが採ったユ
ダヤ人政策を弁護するつもりは全くないとい
うことである。たとえ「ガス室による大量虐
殺」が行なわれていなかったとしても、ドイ
ツが罪のないユダヤ人を苦しめたことは明白
な歴史的事実である。私はその事実を否定す
る者ではないことをここで明白にしておく。
.
(段落4)-------------------------------------------------
.
 第二は、近年、アメリカやヨーロッパで、
「ホロコースト」の内容に疑問を抱く人々が
急速に増えつつあるのに、日本の新聞、テレ
ビが、そのことを報道せず、結果的にはその
ことを日本人の目から隠しているという事実
である。最近は、論争を断片的に伝える報道
もでてきたが、そうした報道は、「ホロコー
スト」に疑問を投げかける者は皆「ネオナ
チ」か「極右」であるかのような「解説」を
加えている。事実は全く違う。「ホロコース
ト」に疑問を投げかける人々の中には政治的
には明白に反ナチスの立場を取る知識人やユ
ダヤ人さえ多数含まれているのだ。
.
(段落5)-------------------------------------------------
.
 例えば、プリンストン大学のアーノ・メー
ヤー教授は子供の頃ナチスの迫害を受けアメ
リカにわたったユダヤ人の一人で、日本でも
有名なきわめて権威ある歴史家である。彼は
「ガス室」の存在そのものまでは否定しない
「穏健な」論者だが、それでもユダヤ人の大
多数は「ガス室」で殺されたのではないとい
う「驚くべき」主張をしている。このことは
一九八九年六月十五日号のニューズウィーク
日本版でも取り上げられている。
.
(段落6)-------------------------------------------------
.
 また、同じくユダヤ系アメリカ人のもっと
若い世代に属するデイヴィッド・コウルとい
うビデオ作家がいる。彼は、ユダヤ人である
にもかかわらず、「ガス室によるユダヤ人虐
殺」は作り話だと、はっきり主張しているの
である。「ネオナチ」の中にも「ホロコース
ト幻説」を取り上げる人間はいるだろうが、
ユダヤ人の中にも「ホロコースト」はなかっ
たと主張する人間が現われていることは注目
に値する。
.
(段落7)-------------------------------------------------
.
 とにかく、まず、日本の新聞やテレビが言
っていることは全部忘れてほしい。それから、
『シンドラーのリスト』も一旦忘れて頂きた
い。映画は、歴史ではないのだから。
 そこで皆さんにまず、何が真実であったの
かを先に言ってしまおう。欧米の幾多の研究
を一口に要約し結論を述べ、証拠はあとから
示そう。そうした方が、皆さんにとって後の
話が理解しやすくなると思うからである。
.
(段落8)-------------------------------------------------
.
1.ナチスがその政策においてユダヤ人に不
当な差別を加え、様々な圧迫を加えたことは
紛れもない事実である。そして、アメリカと
の戦争に突入した後、ドイツ本国及びドイツ
の支配下に置かれたヨーロッパ諸国ではユダ
ヤ人に対する圧迫が強まり、ユダヤ人を強制
収容所に収容する政策が全ヨーロッパ的規模
で開始された。この点について、従来の説明
は大筋で正しい。

2.しかし、ヒトラー及びナチスの指導部は、
収用したユダヤ人達の「絶滅」を計画したこ
となど一度もなかった。ナチス指導部が計画
したことは、強制収容所に収容したユダヤ人
達を戦後、ソ連領内などの「東方地域」に
強制移住させることであった。彼らはこのユ
ダヤ人強制移住計画をユダヤ人問題の「最終
的解決(Endlo"ung)」と名付け、東部戦線で
ソ連を打倒した後、実行するつもりでいた。

3.ナチスドイツが、アウシュヴィッツなど、
ポーランド領内に建設した強制収容所は、戦
後ドイツがソ連を打倒、占領した後に実行す
る「最終的解決」のためのユダヤ人強制移住
計画の準備施設であった。すなわち、ナチス
ドイツは、アウシュヴィッツをはじめとする
ポーランド領内の収容所に収容したユダヤ人
達を戦争中は労働力として利用し、戦後、ド
イツがソ連に勝利した暁には、ソ連領内ほか
の「東方地域」に強制移住させる計画であっ
た。従って、この計画とは両立し得ない「ユ
ダヤ人絶滅」などをドイツ政府が計画、実行
したことは、一度もなかった。

4.ところが、ソ連戦線でドイツが敗退した
結果、「ユダヤ人強制移住計画」は頓挫する。
そして、戦争末期の混乱の結果、ユダヤ人達
がいた収容所の衛生状態が悪化し、チフス等
の疾病の爆発的発生が起きた。その結果、多く
の罪のないユダヤ人達が収容所内で死亡した。

5.戦後、それらの収容所で病死したユダヤ
人らの死体を撮影した連合軍は、そうした病
死者達の死体を「ガス室」の犠牲者であるか
のように発表した。
.
(段落9)-------------------------------------------------
.
 読者の多くは、こんな話をすぐには信じら
れないに違いない。当然である。すぐに信じ
られる方がどうかしている。私も最初は信じ
ることが出来なかった。読者と同様、私も物
心ついてから、あの恐ろしい「アウシュヴィ
ッツのガス室」についてくりかえし教えられ、
聞かされてきた者の一人であって、あるきっ
かけから真実を知るまでは、「ガス室による
大量虐殺」を疑ったことなど、ただの一度も
なかったのである。
.
(段落10)-------------------------------------------------
. 
しかし、ある機会から「ホロコースト」に
ついて実は論争が存在することを知った私は、
この論争に関する文献を買いまくり、読みま
くった後、「ホロコースト」が作り話である
という確信に至ったのである。
「ホロコースト」に疑問を投じる人々は、自分
達のことを「ホロコースト・リビジョニスト
(Holocaust revisionist)」、すなわち「ホロコー
スト見直し論者」と呼んでいる筆者は、一医
師であり歴史学を専攻したわけでは全くない
が、六年前(一九八九年)に、ふとした機会
に彼らの存在と研究を知り、その後、複数の
大学教授に手紙などを書いて意見を求めてみ
た。その結果、有名な国立大学教授を含めた
日本の学者たちがそれらホロコースト・リビ
ジョニストたちの主張を全く論破出来ないこ
とを知り、日本のアカデミズムのあり方に疑
問を抱かずにはいられなくなったのである。
.
(段落11)-------------------------------------------------
. 
また、英字紙マイニチ・デイリー・ニュー
スの投書欄で一九九三年五月に大論争をやっ
たことがあるが、その時もリビジョニズムの
正しさを確信する経験をしている。
 気の早い読者は、「ホロコースト・リビジ
ョニスト」達は、「ネオナチ」かそれに似た
人間だと思うかもしれない。実際、「ネオナ
チ」の中にも「ホロコースト」の虚構を強調
するグループはいる。だが、「ホロコースト
・リビジョニスト」の中には、明らかに反ナ
チスの立場を取る個人やユダヤ人も多数含ま
れているのであって、「ホロコースト・リビ
ジョニスト」を「ネオナチ」や「反ユダヤ」
などという枠でくくることは余りに事実と懸
け離れている。
.
(段落12)-------------------------------------------------
.
 その反証として最も明らかなものは、最初
の「ホロコースト・リビジョニスト」とも呼
べる歴史家が、フランスのポール・ラッシニ
エ(Paul Rassinier)という大学教授で、彼が、
戦争中、フランスのレジスタンス運動に参加
して、戦後、そのレジスタンス活動の故にフ
ランス政府から勲章まで授与された人物だっ
たという事実ではないだろうか?
 このラッシニエという学者は、元は地理学
者で、左翼思想の持ち主だったため、反ナチ
スのレジスタンス運動に参加したのであるが、
そのレジスタンス活動の故に、ナチス占領下
のフランスでゲシュタポに捕らえられ、強制
収容所に入れられたという人物なのである。
ラッシニエは、ドイツ西部の収容所に収容さ
れ、戦争末期には、そこでチフスにかかると
いう苦難まで味わっている。
.
(段落13)-------------------------------------------------
.
 そのラッシニエが、「ホロコースト・リビ
ジョニズム(見直し論)」の「開祖」となっ
た理由は、単純である。ラッシニエは、戦争
中、反ナチス活動の故にドイツ西部の複数の
強制収容所に入れられていたのであるが、彼
は、それらの収容所の何処でも「ガス室」な
ど見たことはなかったのである。
 ところが、戦後、ニュールンベルク裁判や
欧米のマスメディアが、戦争中ラッシニエが
収容されていたドイツ国内の収容所に「ガス
室」が存在し、多くの人々が殺されたと言い
始めたためにラッシニエは驚き、彼自身の左
翼という政治的立場とは別に、「ドイツの強
制収容所にガス室などなかった」と、声を大
にして主張し始めたのであった。
.
(段落14)-------------------------------------------------
.
 しかし、フランスのマスコミは、ラッシニ
エがレジスタンス活動家として、ドイツの収
容所を実際に目撃した人物であったにもかか
わらず、彼を非難し、その証言を無視した。
ラッシニエは、その後もこのことについて語
り続け、さらには学者として、ナチスの収容
所政策全体を調査、研究し続けるが、その主
張を無視されたまま、一九六七年に死去して
いる。しかし、彼に触発されたフランスの知
識人の間から、もちろん「ネオナチ」等とは
全く無関係に、「ガス室はあったのか?」と
いう疑問が上がり始めるのである。
.
(段落15)-------------------------------------------------
.
 このように、学術研究としての「ホロコー
スト否定論(または見直し論)」は、第二次
大戦後、ドイツではなくフランスで誕生した
ものなのだが、「ガス室による大量虐殺」に
疑問を投げかけた最初の歴史家が、いわゆる
「ネオナチ」などではなく、フランスの左翼
知識人で、戦争中レジスタンスに参加してナ
チの弾圧まで受けた人物であったという事実
は重要である。
 そして興味深いことには、この最初の「ホ
ロコースト否定論者」ラッシニエの個人的体
験の中に、後年、「ホロコースト」論争の焦
点となるいくつかの問題が、集約されていた
のである。
.
(段落16)-------------------------------------------------
.
 そのひとつは、ラッシニエが収容されたの
が、アウシュヴィッツやマイダネックなどの
ポーランド領内のナチス強制収容所ではなく、
ドイツ国内に作られた強制収容所であったと
いう点である。これは、極めて重要なことで
あった。
 どういうことかというと、ナチスドイツが
大戦中ヨーロッパに建設した強制収容所のう
ち、ドイツ本国に作られた強制収容所につい
ては、戦後十五年経った一九六〇年に、「公
式見解」に驚くべき変更が加えられているの
である。これは少しややこしい話なので、じ
っくり説明しよう。
.
(段落17)-------------------------------------------------
.
 今日、「ホロコースト」に関するいわゆる
「定説」は、以下のようになる。
〈ナチスドイツは戦争中、ドイツ本国及び、
占領したポーランドなどに大小多くの収容所
を建設し、ユダヤ人や政治犯、ジプシーなど
を収容した。それらの収容所には二種類があ
った。一つは、ユダヤ人などを単に収容し、労
働を行なわせただけの収容所であったが、も
う一種類は「絶滅収容所」で、そこにはあの
恐ろしい「ガス室」があって、人々は強制労
働をさせられただけでなく、「ガス室」によ
って計画的に殺されていた。アウシュヴィッ
ツ収容所は、この後者の代表である。ナチス
が、自国ドイツの領土内に作ったのは、前者
の「ガス室」のない収容所だけで、「ガス
室」を持った「絶滅収容所」は、占領したポ
ーランド領内だけに作られ、そこで六百万人
のユダヤ人が、計画的に殺された……〉
.
(小見出し2)-------------------------------------------------
.
読者に知って頂きたいことは、
戦時中から戦争直後にかけて、
アメリカやイギリスが報道操作を
行なっていたという事実である。
.
(段落18)-------------------------------------------------
.
 ところが、この「定説」は、戦争直後に連
合軍が発表した話とは違うのである。
 戦争直後、ドイツを占領した連合軍は、ア
ウシュヴィッツをはじめとするポーランド領
内の収容所ばかりか、ドイツ本国の収容所に
も「ガス室」があったと主張していた。
 つまり、戦争直後には、今の「定説」とは
違うことを主張していたわけで、「定説」の
内容は、変わっているのである。
.
(段落19)-------------------------------------------------
.
 例えば、ミュンヘン郊外にダッハウ(Dac
hau)収容所という収容所があった。戦争末
期にこの収容所を解放したアメリカ軍は、こ
こで大量殺人用の「ガス室」を発見したと発
表して、一枚の写真を公開した。それは、黒
い鉄の扉の前に一人のアメリカ兵が立って、
その扉を見つめている写真である。その扉の
上には、ドイツ語で、Vorsicht! Gas! Lebe-
nsgefahr! Nicht o"ffnen!(注意! ガス!
生命の危険! 開けるな!)という警告が書
かれ、白いドクロのマークも描かれている。
.
(段落20)-------------------------------------------------
.
 その写真にアメリカ軍が加えた説明(キャ
プション)がどんなものだったか。
「死体焼却炉の側という便利な場所に作られ
たガス室が、アメリカ第七軍の兵士によって
調べられているところ。これらの部屋は、忌
まわしいダッハウ収容所で、被収容者を殺す
ためにナチの衛兵たちが使っていたもの」
 ドクロのマークが描かれた鉄の扉に Gas!
という文字が見える写真を見せられ、その写
真にこんな「解説」を付けられたのでは、ダ
ッハウには大量殺人用の「ガス室」があった
という発表が「真実」として受けとめられた
のは当然である。実際、アメリカが発表した
この写真や生存者の「目撃証言」により、戦
争直後には、世界中がダッハウに「ガス室」
があり、その「ガス室」で戦争中多くのユダ
ヤ人が殺されたと信じていた時があったので
ある。
.
(段落21)-------------------------------------------------
.
 ところが、後から明らかになったことは、
その写真の黒い扉は、確かに「ガス室」の扉
ではあったが、人間を殺すためのガス室など
ではなく、シラミなどで汚染された衣服を消
毒するためのガス室だったという人を食った
ような事実であった。すなわち、戦争末期の
ドイツ強制収容所では、衛生状態が著しく悪
化し、発疹チフスなどの発生が大問題となっ
ていた。その対策として、DDTを持たない
当時のドイツ軍当局は、サイクロンB(Zyklon
B)という青酸系殺虫剤を使って、ユダヤ人
をはじめとする被収容者達の衣服の消毒を行
なっていたのである〔このことについては、
Arthur Butz著 "THE HOAX OF THE 20TH
CENTURY"(published by the Institute
for Historical Review,1976)など、幾つか
の本が書かれている〕。
.
(段落22)-------------------------------------------------
.
 ドイツでサイクロンBという青酸系殺虫剤
が生産、販売され、殺虫作業などに広く使用さ
れていたことは、秘密でも何でもないが、ドイ
ツがこのサイクロンBを大量殺人目的に転用、
六百万人ものユダヤ人を殺したというのが、
「定説」の主張するところなのである。
.
(段落23)-------------------------------------------------
.
 サイクロンBを使って、人間を大量に殺す
ことが到底不可能であることは後から説明す
るが、ここで読者に知って頂きたいことは、
戦時中から戦争直後にかけて、アメリカやイ
ギリスがこのような報道操作を行なっていた
という、あまり知られていない事実である。
読者は、湾岸戦争中にイラクの原油放出のせ
いだといって世界中に放映された、あの油ま
みれの水鳥を記憶しているだろうか? あの
水鳥は「イラクの原油放出」などとは関係が
なく、何者かが、プロパガンダの目的でウソ
の注釈(キャプション)を加えて流した「ヤ
ラセ映像」であったことが明らかになってい
るのだが、この種の報道操作は、湾岸戦争の
水鳥が最初ではなかったのである(木村愛二
著『湾岸報道に偽りあり』汐文社刊、一九九
二年、参照)。第二次世界大戦中、メディア
に対して厳重な検閲を実施していたのは、日
本やドイツだけではなかった。アメリカも、
新聞、雑誌、ラジオ、そして映画などに厳重
な検閲を行なっていた。ダッハウで撮影され
たこのトリック写真は、そのような検閲があ
ればこそ可能だったのである。
.
(段落24)-------------------------------------------------
.
「ダッハウのガス室」だけではない。ドイツ
を西から攻略したアメリカ、イギリス連合軍
は、ドイツ西部で強制収容所を解放した際、
いくつもの「ガス室」を「発見」した筈だっ
たのである。彼らは、そう発表し、戦後しば
らくは、そう語っていたのである。それなの
にそれを彼ら自身が今日全く語らなくなった
のは一体何故なのだろうか?
.
(段落25)-------------------------------------------------
.
 それは、一九六〇年八月二十六日のことで
ある。当時、西ドイツ(ドイツ連邦共和国)
政府の第二次世界大戦や「ホロコースト」に
関するスポークスマン的地位にあった歴史学
者、マーティン・ブロサット博士(Dr.Martin
Broszat)が、突如として、ナチが大戦中「ガ
ス室」を作ったのはドイツ軍に占領されたポ
ーランドだけで、ドイツ本国に「ガス室」は
なかったという意味の声明を発表したのであ
る(Die Zeit, 1960.8.26)。
.
(段落26)-------------------------------------------------
.
 ブロサット博士は、ミュンヘンの現代史研
究所という西ドイツ政府の機関で所長の立場
にあった人物だが、この研究所は、これまで
「ガス室」の存在を「証明」するために実に
多くの発表を行なっており、西ドイツ政府の
歴史に関する見解を代弁する団体とみなされ
ている。その現代史研究所の所長、ブロサッ 
ト博士が、突然、昨日までは「真実」とされ
ていたダッハウやブーヒェンヴァルトなど、
ドイツ本国の収容所における「ガス室」の存
在を否定したのである。
 その日を境として、「ホロコースト」に関
する「真実」は「改訂」され、昨日まで「存
在した」と主張されていた「ダッハウのガス
室」や「ブーヒェンヴァルトのガス室」は、
実は存在しなかった、という話に変更された。
 しかも、ブロサット博士は、その声明の中
で、このような「真実の変更」がなされた理
由を一言も説明していないのである。
.
(段落27)-------------------------------------------------
.
 こうして、今日我々に教えられる「定説」
が「公認」されたのであるが、これは、考え
てみればドイツ本国に関する限り、ラッシニ
エの主張をそのまま認めたものに他ならない。
 ブロサット博士が、この声明を出した後、
ナチの「ガス室」は、ポーランドのみに作られ
た、という「定説」が世界で定着し、一九七五
年には、「ナチ・ハンター」として有名なユダ
ヤ系活動家、サイモン・ヴィーゼンタール氏
までが、ドイツ本国に限っては、「ガス室」が
なかったことを認める発言をしている。
.
(段落28)-------------------------------------------------
.
 戦争直後には、「ブーヒェンヴァルトのガ
ス室」を目撃したという「証言」があった。
「ダッハウのガス室」を目撃したという「証
言」もあった。これらの「証言」は、ニュー
ルンベルク裁判にも提出されていたのだが、
こうした「証言」が本当であったなら、「定
説」を支持する人々は、何故、ダッハウやブ
ーヒェンヴァルトに「ガス室」があったとい
う彼らの主張を取り下げたのだろうか? 答
えは、一つしかない。
 彼らが発表した「証拠」や「証言」の中に本物
は一つもなかったのである。恐ろしいが、こ
れが真実なのである。
.
(段落29)-------------------------------------------------
.
 注目して頂きたいのは、この書き変え以降
も、「ガス室があった」とされる収容所はす
べて東側、つまり共産圏に存在し、ジャーナ
リストの自由な調査が不可能な地域であった
という事実だ。
「ダッハウのガス室」だけではない。例えば、
ある作家は、アウシュヴィッツ及びブーヒェ
ンヴァルトの強制収容所に入れられていたと
いう体験の持ち主であるが、その著作の中で、
自分がアウシュヴィッツで目撃したという情
景を書いている。彼は、その中で何を見たと
書いていただろうか?
.
(段落30)-------------------------------------------------
.
 驚かないで頂きたい。その作家は、「ガス
室」のことなど一言も書いていないのである。
かわりに子供や赤ん坊が炎の中に投げ込まれ
るのを見たと書いていたのである。一九五八
年の著作の中で、「火炎による大量殺人」の
光景をありありと描写していたのである。い
うまでもなく、今日、アウシュヴィッツで火
あぶりが行なわれていたと主張する歴史家は
いない。とすると、この作家が「目撃」した
光景は、一体何だったのだろうか?
 アウシュヴィッツで、人間が生きたまま火
に投げ込まれるのを見たと書いていたこの作
家は、一九八六年にノーベル平和賞を授与さ
れている。ちなみに、「ホロコースト」とい
う言葉は、前述した通り、いけにえの動物を
火にあぶるユダヤ教の儀式に由来するが、こ
の儀式名が「ナチスのユダヤ人大虐殺」を意
味するものとして使われだしたのは、このよ
うに戦後まもない時期には、「ナチスは、ユダ
ヤ人を生きたまま火に投げ込んで殺した」と
いう話が語られていたことに由来している。
 今日、アウシュヴィッツのユダヤ人が「ガ
ス室」ではなく、「火」に投げ込まれて殺され
た、と主張する歴史家はいないのだが……。
.
(段落31)-------------------------------------------------
.
 このように、「ホロコースト」に関しては、
「間違い」とか「見間違い」では、到底説明
し得ない内容の書き換えがくりかえされてき
た。そして、もっと重要なことは、そのよう
ないい加減な「証言」だけに「ホロコース
ト」の内容が依拠していると言うことなので
ある。つまり、「ホロコースト」には、「証
言」以外に何も物証がないのである。
.
(段落32)-------------------------------------------------
.
 そう言うと、読者は驚くかもしれない。
「アウシュヴィッツには、ガス室が展示され
ているじゃないか」とか、「あの靴の山は何
なんだ」「あの髪の毛は何なんだ」等々、読
者が当惑する顔が私には目に浮かぶ。私もそ
う思っていた。しかし、ああした「物証」は
何ら物証ではない。ただ、それらに付けられ
た「解説」だけが、それらの物品を「物証」
のように見せているのである。
 例えばここに靴の山があったとして、一体
その靴の山だけで、どうして靴の持ち主たち
が「ガス室」に入れられ、殺された、と証明
できるのだろうか? 髪の毛も同じである。
こんなたとえは不謹慎かもしれないが、私が、
靴や髪を沢山集めてテレビ局に赴き、「隣の
人が浴室をガス室に改造して、人を殺してい
た」と言ったら、テレビは私の言ったことを
ニュースとして報道するだろうか? ただし、
死体は何処にもないので、私は、「灰になる
まで焼却したのだ」と言う。
.
(段落33)-------------------------------------------------
.
 これが、「ホロコースト」である。この話
と「ホロコースト」の違いは、靴の山や髪の
山を「発見した」と言ったのが私ではなくソ
連軍であったことだけである。仮りに私が靴
や髪を見せても、それだけでその持ち主が
「ガス室」の死者だったと鵜呑みにする人は
いないだろうが、同じことをソ連がポーラン
ドでやったら、世界中が信じたのである。何
故、信じたかと言えば、世界中のマスメディ
アが、それを伝えたからである。何故ソ連の
発表をアメリカをはじめとする世界のマスメ
ディアが何の検証もせずに報じてきたのかは、
ここでは論じない。
 しかし、気が付いて欲しいことは、このよ
うに証拠能力のない「物証」も、マスメディ
アが伝えると、「物証」のように思われてし
まうということである。それが、「ホロコー
スト」を支えるものなのである。
.
(段落34)-------------------------------------------------
.
 では、「ガス室」はどうかということになる
が、これも物証ではない。今日の「定説」によれ
ば、ナチスドイツは、自国ドイツ領内には「ガ
ス室」を作らなかったが、占領したポーランド
に「ガス室」を作り、六百万人のユダヤ人を計
画的に殺した、と説明されている。
 だから、「ガス室」の実物がポーランドに
実在しなければならないが、まず第一に、今
日のポーランド領内でその「ガス室」として
展示されているものがある場所は二カ所しか
ない。一つは、アウシュヴィッツであり、も
う一つはマイダネックという場所だ。あとの
「ガス室」は、「存在したが、戦争末期にドイ
ツが証拠隠滅の目的で破壊し、なくなった」
と説明されている。
.
(段落35)-------------------------------------------------
.
「破壊され、なくなったガス室」がどうして
実在したといえるのかといえば、またしても
「証言」なのである。
「ガス室」の「実物」とされるものはアウシ
ュヴィッツとマイダネックにしかないのだが、
実はそれら「ガス室」というコメント付きで
ポーランド当局が展示している部屋は、処刑
用ガス室に必要な構造、特徴を全く備えてい
ないのである。
 例えば、今日アウシュヴィッツに展示され
ているあの有名な「ガス室」は、半地下式の
「ガス室」で、すぐ隣に四つの焼却炉を持つ
「焼却室」が併設されている。というよりも、
そのような半地下室をポーランドの共産主義
政権が、戦後「ガス室」として展示してきたの
である。この部屋が仮りに説明されている通
り、殺人用ガス室だったと仮定してみよう。
すると、まず、この「ガス室」には窓がないこ
とに気付く。窓というより、窓を取付ける穴が
何処にも開けられていないのである。
 窓そのものは、処刑用ガス室にとって必要
とはいえないが、窓を取付ける穴が一つもな
いということは、換気扇を付ける場所がない
ということである。
.
(段落36)-------------------------------------------------
.
 処刑用ガス室においては、一回処刑が終わ
るたびに換気をしなければならない。換気を
しなければ、次の犠牲者たちを「シャワー
だ」とだまして「ガス室」に入れることは出
来ないのだから、これはガス室にとって必要
欠くべからざる機能なのである。
 しかし、そのために必要な換気扇を付ける
場所が、アウシュヴィッツの「ガス室」には
ない。アウシュヴィッツの「ガス室」で使用
されたことになっている「毒ガス」は青酸ガ
スだが、青酸ガスの物理的性質の一つに、壁
や天井に吸着しやすいというやっかいな性質
があり、例えば倉庫などで青酸ガスによる殺
虫作業を行なった場合、自然の通風では、殺
虫作業後の換気に二十時間前後を要したとさ
れている。
 とすれば、アウシュヴィッツの「あの部
屋」が「ガス室」だった場合、換気扇がない
のだから、出入り口または天井の小穴(そこか
ら青酸ガスが投げ込まれたことになってい
る)から換気したとして、一日に一回しか
「ガス室」での処刑は行なえなかった筈であ
る(何という非効率的な「民族絶滅」だろう
か?)。
.
(段落37)-------------------------------------------------
.
 その上、アウシュヴィッツの「ガス室」に
は、処刑用ガス室の設計において常に要求さ
れる高い機密性がなく、青酸ガスで内部を充
満させた場合、外部に青酸ガスが漏れるのは
必至であると、アメリカのガス室専門家ロイ
ヒターは指摘している(彼のレポート"THE
LEUCHTE REPORT" は一九八九年ロン
ドンで出版)。つまり、外にいるドイツ兵が
青酸中毒になってしまうのである。
.
(段落38)-------------------------------------------------
.
 サイクロンBの成分であるシアン化水素自
体は確かに猛毒だが、使用に際し、長時間の
加熱を必要とする。つまり、長時間の加熱を
行なわなければ「毒ガス」それ自体が発生し
ないのだが、それは、サイクロンBが、もと
もとそのような方法で使用する殺虫剤だった
からに他ならない。ただ缶を開ければ、青酸ガ
スが発生するようなものではないのである。
.
(段落39)-------------------------------------------------
.
 ここは、非常に重要な点なので分かりやす
く説明しよう。DDTを持たなかった第二次
世界大戦中のドイツ軍は、このサイクロンB
を殺虫剤として使用していたが、問題は、
「ホロコースト」があったと主張する人々が、
この殺虫剤サイクロンBが「ガス室」で使わ
れたと主張していることにある。つまり、彼
らは、ドイツが殺虫剤サイクロンBを大量殺
人用に転用し、アウシュヴィッツなどの「ガ
ス室」で使用したと、戦後一貫して主張し続
けているのである。
 これは、「ホロコースト」という物語の核
心部分であるが、実は、物理的、化学的、医
学的に不可能なことなのである。
.
(段落40)-------------------------------------------------
.
 サイクロンBは、缶に入っている。「ホロ
コースト」を扱ったテレビドラマや映画では、
この缶をドイツ兵が開け、「ガス室」の屋根
に取付けられた穴から放り込むと、直ちに缶
の中から「毒ガス」が出て、ドイツ兵の足下
の地下式「ガス室」にいる人々が「毒ガス」
に悶え苦しみ、死んで行くという場面が描か
れているが、これは絶対にあり得ない。サイ
クロンBの缶の中身はシアン化水素(HC
N)、すなわち青酸ガスが吸着したチョークや
パルプのかけらなのである。青酸ガス(HC
N)を発生させるには、それらの(青酸ガスを
吸着した)チョークやパルプをヒーターで長
時間加熱しなければならないのだ。これを燻
蒸という。
.
(小見出し3)-------------------------------------------------
.
戦後、連合軍が押収した
ドイツ政府公文書の中に、
「ユダヤ人絶滅」を命令した
文書は一枚もなかったのである。
.
(段落41)-------------------------------------------------
.
 アウシュヴィッツ等の強制収容所では、戦
争末期に発疹チフスなどの感染症が多発し、
それらの病原体を媒介するシラミの駆除が大
問題になっていた。こうしたシラミが、被収
容者の衣服に付着することが多かったため、
ドイツ軍当局は、被収容者の衣服をサイクロ
ンBによって燻蒸、消毒していた。
 もっとも十分な効果は得らず、ある資料に
よれば、サイクロンBによる燻蒸では、蛾を殺
すのにも二十四時間が必要だったという。こ
の程度の殺虫剤をドイツは大量殺人用の毒ガ
スに転用したということになっているのだが、
蛾を殺すのに二十四時間もかかった殺虫剤で、
人間を数十分以内に殺せたのだろうか?
.
(段落42)-------------------------------------------------
.
 このサイクロンBが、アウシュヴィッツな
どの「ガス室」で「大量殺人」に使用された
という主張は、「ホロコースト」の中心的「教
義」である。しかし、その根拠も、実は、
「証言」しかないのだ。その「証言」の中で、
最も重要なものは、アウシュヴィッツ収容所
の所長ルドルフ・ヘスのもので、「自白」の
調書や、処刑される前に書いたとされる「回
想録」がある。
.
(段落43)-------------------------------------------------
.
 しかし、これらの文書は、イギリス軍やポ
ーランド当局が一方的に発表したもので、ヘ
スが本当に述べたという証拠は何もない。
(このルドルフ・ヘスは、戦後イギリス軍に
捕らえられ、イギリス当局の取り調べを受け
た後、ポーランドに引き渡され、ポーランド
で処刑された人物で、戦時中英国に渡った大
物のヘスとは別人)
.
(段落44)-------------------------------------------------
.
 アウシュヴィッツ収容所の所長(司令官)
だったルドルフ・ヘスが書いたとされる文書
が重視される理由は、ヘスこそが、アウシュ
ヴィッツ収容所でサイクロンBによる大量殺
人を立案した人物だとされているからだ。し
かし、これらの文書を読むと、科学的には絶
対あり得ないことが沢山書かれている。
 例えば、ポーランドでヘスが書いたとされ
る「回想録」の中にこんな描写がある。「ガ
ス室」でユダヤ人達が死んだ後、ドイツ兵達
が「ガス室」に入り、ユダヤ人達の死体を外
に搬出する様子の描写なのだが、ドイツ兵達
は物を食べたり、タバコを吸ったりしながら
黙々と死体を運び出したと述べられている。
 しかし、これは絶対に嘘である。「物を食べ
ながら」ということは、ガスマスクを付けずに
処刑直後のガス室に入ったことを意味する。
.
(段落45)-------------------------------------------------
.
 サイクロンBで人間を殺せるかどうかの議
論は棚上げして、仮りに殺せたとしよう。と
すれば、処刑が終わった「ガス室」内部は、
人間の致死量を超える濃度の青酸ガスが充満
している筈である。そこにガスマスクを付け
ずに入ったというのだろうか? そして、
「タバコを吸いながら」という描写はどうだ
ろうか? 青酸ガス(シアン化水素)は、水
素化合物、即ち爆発性の気体なのだ。
.
(段落46)-------------------------------------------------
.
 さらに言えば、「ガス室」のシャワーから
青酸ガスが噴霧されたというよく知られた話
も全く馬鹿げている。
 青酸ガスは、空気より軽いのである。その
青酸ガス(シアン化水素)をガス室の屋根の
穴から缶ごと投下し、シャワーを経由してそ
の下にいるユダヤ人達を殺したという話が、
広く信じられているが、空気より軽い青酸ガ
スが、「ガス室」の天井からその下のユダヤ
人達へと、上から下へ拡散するだろうか?
.
(段落47)-------------------------------------------------
.
 もう一つ、読者を驚かせることを言おう。
 ヒトラーは、「ユダヤ人絶滅」など、一度
も命令していなかったのである。
.
.
(小見出し4)-------------------------------------------------
.
プロパガンダとして流布
された「ガス室」の話が、検証
されぬまま「歴史」に転化した
のが「ホロコースト」
.
(段落48)-------------------------------------------------
.
 連合軍は、戦後ドイツで大量のドイツ政府
公文書を押収した。それによって、戦争中ド
イツ政府が何を検討し、何を命令していたか
が明らかになるからだが、その押収されたド
イツ公文書の量は、アメリカ軍が押収したも
のだけでも千百トンに及んでいる。
 ところが、戦後、連合軍が押収したそれら
のドイツ政府公文書の中に、ヒトラーもしく
は他のドイツ指導者が「ユダヤ人絶滅」を決定、
命令した文書は一枚もなかったのである。実
際、連合国は、ニュールンベルク裁判において、
ドイツの指導者が「ユダヤ人絶滅」を決定、命
令した証拠となる文書を提出していない。
.
(段落49)-------------------------------------------------
.
 これに対しては、「ナチが証拠を隠滅した
から文書が残らなかったのだ」とか、「ユダヤ
人絶滅計画は極秘事項だったので、命令は全
て口頭でなされたのだ」とかいう反論が予想
されるが、そうした主張は、あくまでも「仮
説」でしかない。事実としてそのような文書
は、今日まで一枚も発見されていない。
 もし証拠となる命令文書はあったが隠滅さ
れたとか、命令が口頭でなされたとか主張す
るなら、その証拠を提示するべきである。実際、
アメリカにはこのような主張をする人々がお
り、それなりの「証言」や談話の記録、会議録、
手紙などを引用する人すらいるが、結論から
言うと、彼らが引用するそれらのものは、全く
「証拠」になるようなものではない。
.
(段落50)-------------------------------------------------
.
 具体的には、ニュールンベルク裁判におけ
るハンス・レマースの証言、ハインリヒ・ヒ
ムラーが一九四三年十月四日に行なったとさ
れる談話の筆記録、ヴァンゼー会議という会
議の記録、ゲーリングが一九四一年七月三十
一日に書いた手紙、ベッカーという軍人のサ
インがあるソ連発表の手紙等々であるが、こ
れらの文書は、しばしばそれらの反論者たち
によって「ユダヤ人絶滅を命令、記録したド
イツ文書」として引用されるものの、よく読む
と、全くそんな文書ではないのである。
.
(段落51)-------------------------------------------------
.
 それどころか、ドイツ政府が計画した「ユ
ダヤ人問題の最終的解決」なるものの内容が、
実はユダヤ人の「絶滅」等ではなく、ユダヤ
人の強制移住であったことを明快に示す文書
が、押収されたドイツの公文書の中に多数発
見されている。
 それらの文書は、ポーランドに作られたア
ウシュヴィッツ収容所等へのユダヤ人移送が、
ドイツ政府にとっては「一時的措置」でしか
なかったことを明快に述べている。そればか
りか、当時のドイツ指導部が、その「一時的
措置」の後には、収容したユダヤ人達を「東
方地域」に移送する計画であったことをはっ
きりと述べてもいるのである。
 これは、アウシュヴィッツをはじめとする
収容所の建設目的が、これまで言われてきた
ような「ユダヤ民族の絶滅」ではなく、「東
方地域への移送」であったことの動かぬ証拠
である。これこそが、ナチスドイツが計画し
た「ユダヤ人問題の最終的解決」という用語
の本当の意味だったのである。
.
(段落52)-------------------------------------------------
.
 くどいようだが、私は、強制移住ならよい
などと言っているのではない。私は、このよ
うなナチスの差別的政策を支持、正当化する
つもりは毛頭ない。私が問題にしていること
は、「歴史家」や「ジャーナリスト」たちが戦
後語り続けてきた「歴史」が、余りにも事実
と懸け離れたものだったということなのであ
る。彼らは、誰かがそれを指摘することを
「ナチスの弁護」というのだろうか。
.
(段落53)-------------------------------------------------
.
 アウシュヴィッツに収容された一人にマリ
ア・ファンヘルヴァーデン(Maria Vanher-
waarden)という女性がいる。全く無名の人
ではあるが、この人が一九八八年の三月に、
カナダのトロントで述べた証言は極めて興味
深いものである。
 彼女は、一九四二年にアウシュヴィッツ及
びそこに隣接するビルケナウ強制収容所に収
容されたのであるが、列車で移送される途中、
同乗したジプシーの女性から、アウシュヴィ
ッツに着いたら、彼女たちは皆「ガス室」に
よって殺されてしまうのだという話を聞かさ
れた。当然、彼女は、ジプシーが語ったその
話に恐怖を抱いた。
 興味深いのは、その後である。彼女の証言
によると、アウシュヴィッツに到着すると、
彼女たちは服を脱ぐよう命令された。そし
て、窓のないコンクリートの部屋に入れられ、
シャワーを浴びるよう言われたという。ここ
で、彼女たちの恐怖は頂点に達した。列車の
中でジプシーの女性から「ガス室」で殺され
るという話を聞かされていたからである。と
ころが、彼女の頭上のシャワーから出てきた
ものは、「ガス」ではなく、水だったのである。
.
(段落54)-------------------------------------------------
.
 読者は、この証言をどう思うであろうか?
このような証言は、他にもいろいろあるのだ
が、戦後半世紀もの間、何故か、こういう証
言は「ガス室」が存在したと主張する人々に
よって徹底的に無視されてきたのである。証
言は、証言でしかない。しかし、一つの事柄
について対立する証言がある時、物証も検証
せずに、一方の「証言」だけを取り上げ、他
方を検討すらしないというやり方が、正当な
ものといえるであろうか?
.
(段落55)-------------------------------------------------
.
 このファンヘルヴァーデンという女性の証
言で興味深いことは、彼女の証言に出てくる
ジプシーの女性が、何処で「ガス室」の噂を
聞いたかという問題である。それを確かめる
方法はないが、それに関連して、アメリカの
歴史家マーク・ウェーバーは、戦争中、連合
軍が、ラジオやビラによってドイツ占領下の
ヨーロッパに対してこの「ガス室」の噂を意
図的に流布させていたことを『アウシュビッ
ツ神話と真実』の中で指摘している。
 すなわち、戦争中の心理作戦としてのプロ
パガンダの一つに、この「ガス室」の話が織
り込まれていたのである。そのようにして流
布された戦争中の「ガス室」の話が、戦後検
証されぬまま「歴史」に転化してしまったの
が「ホロコースト」に他ならない。
.
(段落56)-------------------------------------------------
.
 アウシュヴィッツをはじめとする強制収容
所で戦争末期にチフスが発生し、多くの死者
を出したことは、明白な事実である。このこ
とについては「ホロコースト」があったとする
人々も異論を唱えてはいない。
 ナチスが建設したユダヤ人収容所で衛生業
務に当たったドイツ軍軍医による記録、ドイ
ツ西部で解放直後の強制収容所の衛生状態を
観察したアメリカ、イギリスの医師たちによ
る報告などは、一致して、戦争末期から戦争
直後にかけての強制収容所でのチフスの発生
のひどさを詳細に記録しており、このことに
ついては論争の余地はないものと思われる
(J・E・ゴードンなど)。
.
(段落57)-------------------------------------------------
.
 問題は、ドイツがそのような状況にどのよ
うに対応したかであるが、ドイツ軍当局は、
ユダヤ人を戦時下の労働力として温存したか
ったのであり、意図的に衛生状態を悪化させ
たと考えさせる証拠は見つからない。
 例えば、ドイツ政府の中でユダヤ人問題を
総括する立場にあったハインリヒ・ヒムラー
は、チフス等の病気によるユダヤ人の死亡が
多いことに神経をとがらせ、収容所の管理者
たちに対し、もっと死亡率を低下させよとい
う命令を出してすらいる。例えば、一九四二
年十二月二十八日の日付けで強制収容所の統
括司令部がアウシュヴィッツ収容所に送った
命令書には、こう書かれている。
「収容所の医師達は、これまで以上に被収容
者の栄養状態を観察し、関係者と連携して改
善策を収容所司令官に提出しなければならな
い」
 これは、ヒムラー自身の言葉ではないが、
この命令書はヒムラーの次のような言葉を引
用しているのだ。
「死亡率は、絶対に低下させなければならな
い」
 この命令は、言われているような「民族皆
殺し」と両立する命令であろうか?
.
(段落58)-------------------------------------------------
.
 当時のドイツ指導部がこのような命令を出
したのは、ユダヤ人達が労働力として貴重だ
ったからだろう。それが別に「人道的理由」
で出されたものだとは思わない。
 しかし、こうした生の資料(一次資料)か
ら気付くことは、ナチスの政策自体は非道で
あったにせよ、我々が『シンドラーのリス
ト』などから与えられてきた強制収容所のイ
メージは、歴史的事実とは懸け離れたものだ
ということである。一例を挙げるなら、『シ
ンドラーのリスト』の中で、ゲートという収
容所の司令官が、朝、ベランダから面白半分
にユダヤ人を銃で撃ち殺すショッキングな場
面があるが、これは絶対にウソである。
 何故なら、当時の強制収容所では、確かに
ユダヤ人等の被収容者が体罰を加えられるこ
とはあったが、それには事前に書類を提出し
て許可を得ることが義務づけられていたから
である。その書類は、ベルリンにまで送らな
ければならなかったし、もし、この手続きを
無視すれば、そのドイツ兵は、軍紀違反で厳
罰に処せられたのである。
_このことは、戦後西ドイツで法務官吏を勤め
たヴィルヘルム・シュテークリッヒ(Wilhelm
Sta"glich)が自著 "AUSCHWITZ:A Jude
Looks at the Evidence"の中で述べている
し、アメリカの歴史家セオドア・オキーフェ
(Theodore O'keefe)なども述べている。中に
は、死刑に処せられたドイツ人すらいる。
.
(段落59)-------------------------------------------------
.
 お分かりだろうか? ナチスの政策そのも
のは不当であったにせよ、そのドイツにおい
て、ユダヤ人などを虐待したという理由で死
刑に処せられたドイツ人がいたのである。
「ユダヤ民族の絶滅」がドイツの目標であっ
たなら、何故そんな厳罰に処する必要があっ
たのだろうか?
 ナチスドイツがユダヤ系市民に対して行な
った様々な差別政策や弾圧は、民主主義の原
則に対する明白な挑戦であり、その最終局面
としての強制移住計画は、私自身を含めて、
誰もが不当と言わざるを得ないものである。
 しかし、だからといって、ドイツがやって
いないことまでやったと強弁することは間違
っているし、そのことで、戦後生まれの若い
ドイツ人が罪人扱いされることも、こうした
事実を検証しようとする言論を政府が抑圧す
ることも明らかに間違ったことである。
.
(段落60)-------------------------------------------------
.
 詳しく述べることが出来なかったが、六百
万人という犠牲者数にも全く根拠がない。そ
もそも、ドイツが最も占領地域を広げた時で
すら、そこにいたユダヤ人の数は、四百万人
もいなかったという指摘もある。
.
(段落61)-------------------------------------------------
.
 最後に、一言言っておきたい。
 アウシュヴィッツをはじめとする強制収容
所で生命を落としたユダヤ人達の運命は、悲
惨である。彼らは、その意志に反して各地の
収容所に移送され、戦争末期の混乱の中でチ
フス等の疾病によって生命を落としていった。
その運命の悲惨さは、日本軍によって苦しめ
られた中国の民衆や、原爆の犠牲者と同様、
現代に生きる我々が、忘れることを許されな
い今世紀最大の悲劇の一つである。現代の世
界に生きる我々は、それを忘れる権利を持た
ない。しかし、そうであるからこそ、真実は
明らかにされなければならないし、虚構を語
ることは許されないのである。
 この記事をアウシュヴィッツその他の地で
露と消えたユダヤ人の霊前に捧げたい。
 
================================================================

以上
http://yiori.tripod.com/nogas/index.html
http://yiori.tripod.com/nogas/marco0.html
http://yiori.tripod.com/nogas/marco1.html
http://yiori.tripod.com/nogas/marco2.html
http://yiori.tripod.com/nogas/marco3.html
http://yiori.tripod.com/nogas/marco4.html
より

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