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異ならない悲劇 日本とドイツ 西尾幹二氏の所論に寄せて(白鴎大学清水ゼミHP)
http://www.asyura2.com/0502/holocaust1/msg/137.html
投稿者 竹中半兵衛 日時 2005 年 2 月 22 日 15:49:19: 0iYhrg5rK5QpI

異ならない悲劇 日本とドイツ 西尾幹二氏の所論に寄せて

http://www.geocities.jp/dasheiligewasser/essay1/essay1-6.htm

(一)

 昨年(一九九七年)のドイツ音楽界はちょっとしたスキャンダルに揺れた。ベルリンのドイツ・オペラと言えば日本でも知られたオペラ劇団だが、この劇団が六月にイスラエルに公演に行ったときのこと。団員のコントラバス奏者がテル・アビブのホテルのロビーでビールを一杯やり、飲み代に「アドルフ・ヒトラー」とサインしてしまった。驚いたウェイトレスが「どういうことですか」と聞くと、「アドルフ・ヒトラーが払ってくれるってことさ」。ぎょっとするウェイトレスに「いや、冗談冗談……」と彼はすぐに弁明したらしいが、ホテル支配人が彼に対してホテルの部屋を引き払うよう要求。問題は広がった。劇団は彼を無期限の停職処分とし、即刻イスラエルからの退去を通告した。ボストンバッグを片手にベルリン北部の閑静な自宅に舞い戻った哀れなコントラバス奏者。彼の名誉のために付け加えれば、彼はこれまでもたびたびイスラエルを訪問、イスラエルの子供たちに音楽を教えているし、ベルリンの権威ある芸術学校「ホッホシューレ・デア・キュンステ」で教鞭を執ってもいる。その彼にしてこの始末である。イスラエル駐在ドイツ大使館はこのコントラバス奏者の「酩酊の末の」脱線を公式に陳謝した。ドイツ検察庁は彼を「扇動罪、侮辱罪で捜査する予定はない」と発表したが、「もし彼がヒトラーは正しかったと言ったのなら容赦はしなかった」と語ったものである(1)。当時ベルリンにいた私はこのニュースが面白く、ドイツ人がどういう反応を示すか見ていたのだが、案の定、TVなどでも「馬鹿なやつ」という感じで、停職処分を可哀想と言う雰囲気は皆無だった。

 このニュースがわれわれに何を伝えているかは、実はそう簡単でない。飲み代に「アドルフ・ヒトラー」と書いただけで、もしかしたら音楽家生命を失ってしまうかも知れぬきついペナルティを受けたこのコントラバス奏者を見て、今に変わらぬドイツでの反ナチの雰囲気を感じ取ることができるかも知れないし、あるいはまた、まったく逆に、アルコールが入るとつい本音が出てしまうドイツ人の懲りない性分を「やはり」と確認することもできるかも知れない。戦後ドイツ社会がナチの過去をどのように克服しようとしたかを表現するドイツ語に「フェアガンゲンハイツ・ベヴェルティグング」(Vergangenheitsbewaltigung)という長ったらしい言葉があり、「過去の克服」と訳しているが、実は上記二種の感想ないし確認は、この「過去の克服」の現況を虚心に見た場合に素直に出てくるものであって、ドイツにあっては、ナチ的なものに対する、少なくとも公的次元における厳しい指弾の態度と、その一方で、飲み屋や仲間うちで昔話をするときのルーズな許容性とが、互いに入り組んだまま共存しているというのが真相に近く、その両面が両面ともに戦後ドイツ社会のある部分を代弁していると見るべきなのである。事柄のそのような両義的な性格の中に、ドイツにおける「過去の克服」の実相を見ることができるし、見るべきなのだと私は思う。

(二)

 もとより、戦後ドイツの「過去の克服」をめぐるこうした錯綜した状況は、これまでも紹介されてきたし(2)、ナチ的過去を克服しようとする戦後ドイツの取り組みが決して単線的なものでないことは、ある程度の識者にならばかなり常識的理解になってきていると見てよい。にもかかわらず、私たちの中に、さきほどの哀れなコントラバス奏者のニュースなどに接したときに、これをどうしても日本の現象との対比で必要以上に評価してしまう傾向があることは否定できないであろう。端的に言って、このニュースを聞いた日本の論壇などは、今にいたるも脈々と流れているドイツ国民のナチに対する厳しい批判の眼を小さな驚きをもって眺め、戦後ドイツの反ナチ・コンセンサスは健在だ、と溜飲を下げてしまうのではないか。片や日本の自民党板垣正参院議員が元「従軍慰安婦」金相喜さんを前に「カネはもらっていないのか」と何度も尋ねたなどという記事を読むにつけ(3)、彼我の落差に「ああまたか」と嘆息する気持ちは私自身も、正直言って持っている。ドイツ国民は自国の「過去」にいかに潔癖に対処していることか、それに比べ日本の保守派政治家の一部に散見される「過去」への鈍感ぶりは何か、という訳である。

 日本の論壇、ジャーナリズム、市民団体、あるいはおそらく教育界の一部にも見られるこうした日独比較論は、ある意味で日本の戦争責任論の現在を表現しているわけで、ドイツを例証にしつつ、実はドイツを論じるのではなく、日本政府(あるいは日本社会)の過去の戦争に対する反省のなさを論難することを目的としている場合が多い。それはそれで言いたいことは分かるし、また確かに、中曽根内閣の文相藤尾正行氏に始まり近年では村山内閣の江藤隆実総務庁長官、さらに上述の板垣参院議員にいたる日本の一部政治家に見られる自国の歴史的責任を回避しようとする姿勢は目に余るものがあると私も思う。しかし、その場合でも、日本にいるわれわれが戦後ドイツのナチ克服の努力をどのような意味で評価するかという問題は、日本の戦争責任論の現在とはひとたびは切り離して論じる必要があるし、またそうしなければ、ドイツ固有の問題性というものは見えてこない。ドイツにおける「過去の克服」の努力は、それ自体、ポジの部分とネガの部分とが混在する複雑な過程であって、その矛盾した姿をそれとして捉える議論を踏まえずに、ただちに日本の類似した問題と対比し、そこから日本の「後進性」を揶揄するといったやり方をとれば、単にドイツの事情に通暁しないままに済ませるのみならず、実は日本の戦争責任論そのものの理解をも誤らせる危険がある。こうした中にあっては、戦後ドイツを論じる際に、ドイツにはドイツの抱える矛盾や問題点、あるいはそう言ってよければ「欺瞞」が存在することが明らかになったときに、「なんだドイツもやはりひどい。日本もそれほど反省するばかりでもない」といった、まったく安易な日独比較論が生まれかねない、と私は危惧する。

 このように言うのは他でもない。本稿でとりあげる一人の「ドイツ通教授」の日独比較論は、以上のような私の危惧を証明する実例を提供しているからである。彼、西尾幹二・電気通信大学教授は、藤岡信勝・東大教授とともに、今をときめく「自由主義史観」の代表的論客として、多くの著書、論文を書き、しばしばテレビにも登場し、実に戦闘的に自説を展開している人物である。もともとドイツ文学者でニーチェに関する著書も持つ西尾氏が、ドイツの事情に通暁する強みを生かして、すでにこれ以前にも日独の比較教育論や外国人労働者論などを熱っぽく語っていたのを承知している方も多かろう。その氏が九○年代に取り組んだテーマが戦争責任論であった。ときあたかも、韓国の太平洋戦争犠牲者遺族会による太平洋戦争中の被害に対する損害賠償を求める訴訟が提起され(一九九一年一二月)、戦争責任論が単なる論壇の問題ではなく、政府の戦後処理政策の是非を行政、司法、立法の各側面で問うものになっていた。戦後補償を求める側からは、ドイツにおけるナチ犯罪被害者に対する救済措置の例が論じられ、日本においても同様の措置が可能ではないかという議論が盛んになっていた。

 こうした中で、戦争責任論(の否定)という新しい課題を背負った西尾氏は、次々と出される著書、論文の中でほぼ次の四点にわたり議論を展開したのである。まず第一は、第二次世界大戦にいたるまでの日本とドイツの国家体制、対外政策の本質的相違についてである。氏によれば、戦前日本の国家体制はナチ・ドイツの如き全体主義体制ではなく、その対外政策もナチの追求したような明確な目的をもったものでも犯罪的性質をもったものでもなく、当時の国際関係のもとではやむを得ない国益追求の結果に過ぎなかった。第二は、戦後ドイツにおけるナチ犯罪の清算のありかたについてである。日本の大マスコミ(特に朝日新聞)が鸚鵡返しのように賞賛するヴァイツゼッカー西独大統領(当時)の敗戦四○周年演説は、ナチという全体主義国家の史上稀なる大犯罪の清算を一部ナチ幹部を処罰することで済ませようとし、ドイツ国民全体の罪は堂々と否定している、と西尾氏は論難するのである。第三は、日独が犯した戦争犯罪の性質の違いである。西尾氏は、第二次世界大戦中にナチ・ドイツが行った犯罪行為は民族皆殺しを計画した「人道に対する罪」にあたり、戦前日本軍が犯した、そして世界史上のいずれも国家もそれなりに犯したに違いない通例の戦争犯罪とは質的に異なるものとする。第四は、日独の戦後補償の違いである。これまた大マスコミが称揚するドイツの戦後補償は、ナチの不正の犠牲者に対するものであって一般の戦争犯罪犠牲者に対するものではなく、日本にはドイツが負っているような「ナチ的不正」の犠牲者個人に対する賠償責任は存在しない、と西尾氏は突っぱねる。以上の四点である。

 このうち私は、第一のものは、仮に純粋に学問的議論として行われるならば、賛同するか否かは別として、またこの部分の議論が他の三つの議論と密接に関わっていることも承知しつつ、なお、氏の言い分にも耳を傾けることができると考えているし、またそうでないとしても、いずれにせよ私には手に余る課題と自覚している。しかし、残りの三つについてはとうてい納得できないものがある。以下、この三点について、日独を比較することの意味や限界といったことを念頭に置きつつ、若干論じたい。

 

(三)

 西尾氏自身が著書の中で回顧するとおり、氏の論文中の最高のクリーンヒットは、ヴァイツゼッカー演説とその日本での受容のされ方に対する反駁を意図した論文「ナチスと日本は同罪か ヴァイツゼッカー独大統領謝罪演説の欺瞞」であろう(4)。この論文は、一九八五年五月八日、ドイツ敗戦四○周年を記念してドイツ連邦議会で行われ、その真摯な内容に世界中から賞賛の声が寄せられたヴァイツゼッカー西独大統領(当時)の演説を、実はドイツ国民の罪を否定する巧妙且つ欺瞞的なものと、その評価を百八十度転換させることを企図した画期的なもので、その鮮やかな筆致に私などは思わず息を飲んだものである。この論文を読んだ読者、とくにドイツの事情に疎い読者の中には、ナチ犯罪に対する反省なり謝罪を実は巧妙に拒否するヴァイツゼッカー演説のしたたかな国家戦略に、ついうっかりと舌を巻き、戦後補償先進国ドイツのイメージを逆転させた人もいたと思う。

 まず演説の関連部分を簡単に確認しておこう。この演説の中でヴァイツゼッカーはドイツ人の罪と責任の問題をこう語る。(ユダヤ人を人種としてことごとく抹殺する)「この犯罪に手を染めたのは少数です。…… 中略……人々の想像力は、ユダヤ人絶滅の方法と規模には思い及ばなかったかもしれません。しかし現実には、犯罪そのものに加えて、余りにも多くの人たちが実際に起こっていたことを知らないでおこうと努めていたのであります。……中略……一民族全体に罪がある、もしくは無実である、というようなことはありません。罪といい無実といい、集団的ではなく個人的なものであります。人間の罪には露見したものもあれば隠しおおせたものもあります。告白した罪もあれば否認し通した罪もあります。充分自覚してあの時代を生きてきた方がた、その人たちは今日、一人びとり自分がどう関わり合っていたかを静かに自問していただきたいのであります。……中略……罪の有無、老幼いずれを問わず、われわれ全員が過去を引き受けねばなりません。全員が過去からの帰結に関わり合っており、過去に対する責任を負わされているのであります」(5)。

 これに対して西尾氏は言う。日本の戦争責任論者が称揚してやまないこの演説は、自国の罪を認めるどころか、実はドイツ人としての「集団の罪」は一切認めず、罪をもっぱら一部ナチ実行犯に押しつけ、その結果、残りの九九パーセントは難を逃れて「しゃあしゃあとしている」のである。氏によれば「ドイツ民族がユダヤ民族に行った絶滅政策を真に反省し、清算するなら、……道徳上の論理を突きつめるなら……ドイツ民族の絶滅を容認せざるを得ないであろう。その恐怖が『集団の罪』は存在しない、という必死の自己防衛の言葉になって表れている」ということになり、ヴァイツゼッカーはこの自己保存欲求に沿って演説を組み立てたというのだ。「罪のあるのはナチ党幹部か直接犯行に関係した実行犯のみであって、自分には関係がないという主張を言外に秘めているのが、罪は個人的で、集団的ではないという言葉の意味である」(傍点原文)、と(6)。

 この西尾氏の批判に対し、これはヴァイツゼッカー演説の趣旨を誤解していると言うことも可能であろう。強制収容所でのガス殺人がいかに無慈悲で非人間的なものであったとしても、また、この種のナチ犯罪が犯罪行為を現場で担当したSS隊員のみならず、ユダヤ人を強制移送するため集合場所に追い立てるのを手伝った警察官とか、移送列車を運転したドイツ国鉄職員とか、その他大勢の「一般ドイツ人」の協力なしには遂行できなかったものであるとしても、それでも犯罪人は多数の個々人であって、「ドイツ人」という集合ではない。ヴァイツゼッカーの指摘は、犯罪の個人責任性に立脚する近代法社会のコンセンサスに照らして、突飛なものでも、常識はずれのものでもない。「集団の罪」を否定している、とヴァイツゼッカー演説を鬼の首でも取ったように非難しているのは、西尾氏くらいのものであろう。だからこれは誤解なのだ。しかし、それにしても本質的な誤解である。今しばらく、この問題を考えてみよう。

 さきに私は、「過去」に対する戦後ドイツ社会の両義的対応に関わって、ナチ的なものに対する公的次元における厳しい指弾の態度と書いた。これをドイツ社会の反ナチ・コンセンサスと言ってもよい。戦後ドイツにあっては、このコンセンサスを乱す行為は手痛い制裁を覚悟しなければならなかった。ドイツの政治家がナチを肯定するかの如き言辞を吐くことは、自らの政治生命を失いかねない危険極まる行為であるし、知識人とジャーナリズムは、ナチの再来を許さない強固な民主主義社会を建設することを自らの社会的責任と自認する。全部ではないが、かなりの数のギムナジウム教師が、教室で子供たちを前にナチを批判することに教育者としての誇りと社会的責任を感じているように私には見える。

 歴史を振り返ってみれば、敗戦直後、ナチはこれまでとは百八○度違う、新しい出発のための基礎となる否定的媒介の役割を果たした。反ナチの一致点こそ戦後ドイツ国家の正当性の根拠とされた。「ナチでない」ことが「戦後」の身分証明書となったのである。この意味では、反ナチ・コンセンサスは「反ナチ」にではなく、むしろ「コンセンサス」の方により重い意味があったとも言える。つまり、戦後ドイツ国家の正当性証明こそ反ナチ・コンセンサスの役割であって、そのドイツ社会のありかたそのものは、必ずしも反ナチ・コンセンサスによって自動的に保証されるようなものではなかった(7)。

 分かりやすく言えば、ドイツの反ナチ・コンセンサスは日本で言えば反戦争コンセンサスである。「あんな戦争はもうこりごり」という一致点に戦後日本は自己の存立基盤を見出したのであって、その象徴がヒロシマ・ナガサキであり、戦没者追悼であり、憲法九条であった。そのようなものとしての反戦争コンセンサスの無思想性については、ここでは触れない。ドイツにおける反ナチ・コンセンサスは所詮、日本における「もうこりごり」コンセンサスと同根のものである。だから、やや単純化して言えば、ドイツで否定されているのはナチであって、国際政治の延長としての戦争それ自体では必ずしもなく、官僚機構や国防軍についても必ずしも否定はされない。一方、日本で否定されているのは戦争それ自体もしくはそれを具体的に担った軍、特に陸軍であって、太平洋戦争に帰結した日本の近代化過程そのものでは必ずしもなく、また、ここが重要なところだが、戦争の渦中で発生した日本軍の非人道的な犯罪行為そのものでもない。ヨーロッパとアジアの双方で侵略戦争を起こして大敗し、国土と人心の崩壊の後に「奇跡の復興」を遂げた両国が反省の焦点としたのが、一方は「ナチ」であり他方は「戦争一般」であった。この違いを考えないと、ドイツと日本の過去との関わりがなぜこれほどまでの差異を生んだのか、なぜ諸外国からはドイツの「過去の克服」が賞賛され、それに比べて日本は反省が足りないかのように言われるかの謎が解けない。

 それはさておき、反ナチ・コンセンサスが戦後ドイツの出発点を形成したとする場合、それでは否定さるべきナチとはいったい誰のことを指していたのか、またナチとドイツ国民一般との関係はどのようなものであったのかという一見自明に見える問いかけが、俄然、重要な意味を持ってくる。なぜなら、ナチ体制とは、ヒトラー率いるナチ党が反対政党を弾圧し、議会と法律を無視して就中ユダヤ人迫害等の人権抑圧の専制政治を敷き、ヴェルサイユ条約体制を乱暴に蹂躙して、あげくは第二次世界大戦を引き起こした、あの体制のことであり、同時にまた、そうしたナチ党のやり方をドイツ国民の少なからざる部分が歓呼の声を挙げて支持した、あの体制のことであったからである。戦局が徐々に悪化し、最後には国土が焦土と化し、ヒトラーも自殺して中央統治機構が事実上消滅してしまった敗戦ドイツの地で、すべてに見放されたドイツ国民がこれまで崇拝してきたナチに幻滅するにとどまらず、さらに進んで反ナチのコンセンサスを得なければならなかったとすれば、いずれにせよナチと自分たちとをどこかで分離する必要があったに違いない。端的に言って、反ナチ・コンセンサスとはナチを一般国民とは別の犯罪者集団と認定し、ナチ・ドイツを犯罪者集団によって簒奪された国家と規定することによって可能とされた一致点だったのである。ここでは、ナチ党幹部やSS(親衛隊)隊員といったものを除く一般国民は、ナチの権力掌握を許し、彼らの犯罪行為を手を拱いて傍観していた責任は感じざるを得ないとしても、ナチそのものではなく、ましてや大量虐殺に手を染めた犯罪者ではなかった。「過去の克服」とは、このナチ的犯罪者集団の再来と、彼らによる国家権力の再びの簒奪を許さないことであって、「克服」の担い手たるドイツ国民一人一人は、ナチの犯罪行為を「他者」の行為として非難し弾劾はするものの、自らは決して罪を告白する主体ではなかった。

 ところで、反ナチ・コンセンサスの形成過程でナチと自分たちとを明確に分離して捉えようとはしても、ドイツ国民の多くにとり、ナチ時代にこの政党を支持してヒトラーに歓喜の声を挙げた体験は深いトラウマのように胸中深く、戦後の各時代を通じていつまでもいつまでも沈潜し続けてきたに違いない。このトラウマを五○年後に呼び覚まし、ドイツ国民の罪という問題を衝撃的に告発したのは、九○年代ドイツの最大の論争となった「ゴールドハーゲン論争」であった。アメリカの歴史学者D・ゴールドハーゲンの著書『ヒトラーの自発的死刑執行人 普通のドイツ人とホロコースト』は、ユダヤ人虐殺が一部のSS隊員によって行われたのでなく、ごく普通のドイツ人によって喜々として行われたのであって、反ユダヤ主義はドイツで根付いていたどころか、ユダヤ人の放逐こそドイツ社会に広まった意志だったのだと論じた(8)。この本が最初アメリカで出版され、次いでドイツで独訳が出ると、ドイツ国内は騒然となった。ほとんどの「良心的」ドイツ知識人はゴールドハーゲンの著書の一面性、学問的瑕疵を口を極めて論難した。しかし、それにも関わらず、ゴールドハーゲンの議論はむしろ一般のドイツ人の中で反響したように見える。私自身の経験から言うと、昨年春にポツダムで開かれたゴールドハーゲン論争をめぐる連続研究会で、専門歴史学者がゴールドハーゲンの著書を口を極めて批判する一方、ドイツ人の中に蔓延していた反ユダヤ主義の存在がなければ虐殺もあり得なかったではないか、歴史学者はナチ体制の構造を精緻に分析したつもりかも知れないが、それだと結局誰も悪くない、悪いのはナチ体制という抽象的な構造ということになってしまうではないか、と素朴に質問する一般参加者の声が印象的だった。

 それでは、ナチをドイツ国民一般とは分離した犯罪者集団と規定し、ドイツ国家をその犯罪者集団によって簒奪された国家とみなす立場は、歴史の真実に背く虚偽に過ぎないと言うべきだろうか。私は必ずしもそう思わない。それは虚偽というよりも、法律用語で言う一種の擬制と言った方が近い。本当はそうではないが、そうであると見なすのである。敗戦ドイツの再生に当たり、明白に犯罪行為を立証できるナチ犯罪者以外は無罪と推定することによって、カール・ヤスパース流に言えば、ドイツ国民の圧倒的多数から「刑法上の罪」を免除する。そして、残る善良な市民はナチ犯罪がドイツ国家の名において犯されてしまったという意味で「政治的な罪」を受け入れるとともに、自らもナチ体制のどこかの部分を消極的であれ担ってきたという意味で「道義的な罪」を、またあのような犯罪が自分の近くで起こってしまったことから由来する「形而上的な罪」を個人の内面において引き受ける(9)。こうして、これら四種の罪をドイツ国民それぞれが適当な程度に引き受けることによって、ドイツ国民総体としては罪の問題を解決し、自らの心中深く食い込んでいるトラウマから解放されようとしたのである。いったいナチ・ドイツのような犯罪的政策を遂行した国家を継承する国民が、これ以外にどのような選択肢を持ち得ただろうか。下世話に言えば、反ナチ・コンセンサスは一般国民の「シロ」を前提としなければ成立しない。ナチ犯罪の追及、ナチ的過去の仮借ない糾弾と批判的研究、後の世代への教育などは、自分たちがナチ犯罪者ではないと自認するからこそ実現できるのであり、その意味でドイツにおける「過去の克服」は常にナチという「他者」を批判することによって成り立ってきたのだと言わなければならない。

 さて、西尾氏に話を戻そう。氏の批判が、ヴァイツゼッカー演説がナチ犯罪者以外のドイツ国民一人一人の刑法的意味での無罪を論理的前提としているという意味であるならば、私はそれを首肯する。それはドイツの反ナチ・コンセンサスの要諦であり、戦後ドイツ社会が自らの過去を克服しようとした際に必要不可欠とした前提条件であった。しかしこのことは、ドイツ大統領が自国民に対し四○年以上前の自らの過去を内省するよう要請したこと、また、戦後生まれの若者も含め、個人として罪があるかないかに関わりなく、先人たちの残した過去からの帰結には、ドイツ国民全員が責任を持っていることを明言したこと、こうしたことの意義を否定することであってはなるまい。西尾氏はこの演説がドイツ民族の生き残り策だという。それはある意味で当然なのだ。ヴァイツゼッカーは西独大統領であり、その資格においてドイツ連邦議会で演説を行った。彼は個人の資格で個人的見解を披瀝したのではない。自分の演説が西ドイツ国民に、イスラエルと西欧の諸国政府・国民にどう受け取られるかを綿密に計算しながら文面を推敲したに違いない。自分の演説が、西欧社会、ひいては国際社会における自国の認知と名誉回復に資するであろうことを祈念したに違いない。だから、西尾氏が生き残り策という場合、それをドイツ国家の将来を展望するといった通常の意味で使ったのなら私は肯定する。しかし、氏は決してそういう意味で使っているのではない。そうではなく、一見反省をしているかに見せながら、実は冷徹な国家・国益の論理からすべてを処理しようとする欺瞞的政策という意味で、生き残り策と言っているのである。このような言いがかりはヴァイツゼッカーには迷惑であろう。確かに、この演説の当時、これをほぼ同時期に行われた当時の中曽根首相の「軽井沢セミナー演説」(アジア太平洋戦争の侵略性を認める「東京裁判史観」からの脱却と日本人のアイデンティティの確立を訴えたもの)と比較し、彼我の「反省度」の違いを浮き立たせようとするが如き一面的論調も一部にあったことは事実であろうが、そのようなことは、結局のところ日本におけるドイツ理解の浅薄さに起因するのであり、ドイツ文学者でもある西尾氏がやるべきことは、過去の重圧に晒された戦後ドイツ社会の苦悩と苦闘を氏の専門分野から具体的に紹介し、そこから日本の私たちが受け取ることのできる示唆を提示することにこそあったであろう。

 

(四)

 それにしても西尾氏は、「集団の罪」の問題をなぜこれほど執拗に採り上げるのだろうか。その理由は、氏がナチ犯罪を国家の犯罪、組織犯罪、ドイツ人総ぐるみの犯罪とみるからである。ナチ・ドイツが犯罪者国家であり、それに属するすべての人間が何らかの程度において犯行に関与しているとしなければ「集団の罪」という発想は出ようがない。では、氏がナチ犯罪をそのようなものと考えるのは何故だろうか。それは、氏がナチ犯罪と日本の戦争犯罪とを比較して、日本の戦争犯罪はナチの組織的大犯罪とは全然質が違うと言いたいからである。まずは氏の言い分を聞いてみよう。

 西尾氏はとりあえず日本軍の戦争犯罪行為それ自体はあったものと認める。「日本が中国その他の前線で戦争犯罪……を起こした事実は必ずあったに相違ない」と。しかし「どんな国家も戦争をすれば、戦争犯罪を犯す。ナポレオンはヤッフェの戦いで敵兵三千人を瞞して停戦させ、降伏後、家族もろとも銃剣で虐殺せしめた。米国は日本に原爆を落としている。どちらも戦争犯罪である。しかしナポレオンのフランスも、今次大戦の米国も、全体としては犯罪者国家ではない。犯罪もすることのある国家にすぎない。……日本は誰が見ても、右のような意味での犯罪者国家ではなかった。犯罪もすることのある国家の一つにすぎない。この区別は大切である」(傍点原文)(10)。その一方、ナチ・ドイツの場合、「全ヨーロッパのユダヤ人の『最終処理』が紛れもなく犯罪であるのは、その規模ならびに方法からいって、それがまさに戦争犯罪ではなかった点にこそ求められる」(傍点原文)のだ(11)。戦争となれば戦争犯罪は大なり小なりある。日本もやった。それは認める。その方が普通なのだ。どこの国もやるのだから。ところがナチは違う。ナチは「戦争犯罪もする普通の国」ではなく、そのものずばり「犯罪者国家」なのだ。この違いは大きい。そう西尾氏は言う。

 西尾氏の言うことは本当なのか。いや、仮に本当だとして、だから何なのか。私には、この種の対比的議論をするときの論者の下卑た意図、何とかして日本の戦争犯罪を薄めよう薄めようという下心がほの見えて、それだけで嫌な気分になってしまうのだが、そもそも西尾氏が何故こんなことを言うようになったのかも気になる。

 それは多分、彼が読んだひとつの対談録に由来する。この対談は、さきにも出た哲学者カール・ヤスパースが一九六五年に、ナチ犯罪の時効問題をめぐって週刊誌『シュピーゲル』の編集者ルドルフ・アウクシュタインとの間で行い、後に著書の一部に収められたものである(12)。この中でヤスパースは、ドイツ国家を「犯罪者国家」と定義づけている。

 その議論はこういうものだ。まずアウクシュタインが、ナチ犯罪の実行犯としてSS隊員たちが訴追され続けることの問題性を指摘するために、ナポレオン戦争の最中のヤッフェの戦いでナポレオン軍が三千人の捕虜及びその家族を銃剣で突き殺したエピソードを持ち出し、この虐殺の責任者はもっぱらナポレオンで、実際に突き殺した兵士が個人的責任を問われたことがないのだが、と水を向けたのに対し、ヤスパースがナポレオンの国家は戦争犯罪を犯すこともある一国家に過ぎないが、ナチ国家は犯罪者国家だったのだ、といささか噛み合わない回答をする。さらに、アウクシュタインが、キリスト教社会同盟党首フランツ・シュトラウスの「まるでドイツ人だけが戦争犯罪を犯したみたいじゃないか」との発言を引用すると、ヤスパースはそれは戦争犯罪と人類に対する罪とを混同していると述べる。ヤスパースによると、戦争犯罪は単に「人道に対する罪」(Verbrechen gegen die Menschlichkeit)で、これは戦場の敵に対する犯罪である、それに対してナチが行ったのは「人類に対する罪」(Verbrechen gegen die Menschheit)であって、それは地球上からある人間集団を抹殺しようとする行為である、とする。

 さてお気づきのように、西尾氏は論文を書くときにこの対談をそっくり援用している。言い方もそっくり同じである。しかし私はここで二つのことを指摘したい。ひとつはここでのヤスパースの議論そのものが少しおかしいこと、二つは、仮にヤスパースの議論そのものが正当として、それでも彼はおよそ西尾氏とは百八○度違う態度でナチ犯罪と戦争犯罪の峻別を試みていることである。

 まず第一に、ヤスパースの議論はやや混乱している。ヤスパースが言っている「人類に対する罪」という名称の罪概念は国際法上も国内刑法上も存在しないが、もしこの「人類に対する罪」なるものがいわゆるジェノサイド(民族抹殺)犯罪という意味ならば、それは「人道に対する罪」と同義、少なくともそこから派生して成立した罪概念である。また「人道に対する罪」は戦争犯罪をそのうちに包含はするけれどもイコールではなく、また敵国民に対する犯罪のみならず、自国民に対する犯罪もそのうちに含む。だからヤスパースの言い分を正確に言い直せば、「ナチがやったのは『人道に対する罪』であり、他国が犯してきた通例の戦争犯罪とは訳が違う」ということになろうと思う。

 第二に、ヤスパースがここで「人類に対する罪」云々と言っている真の意図は、およそ西尾氏の言うこととは正反対である。ヤスパースが何故「人類に対する罪」とかを言い出すかとなれば、それは対談相手のアウクシュタインが、保守派のシュトラウスがこう言っているがどうかとか、スターリンの犯罪に関してはどうなのかとか、しきりにヤスパースを挑発しているからであり、それに対してヤスパースは、ナチと他の犯罪とを同一視してはならないと必死に防戦しているのである。

 ナチ犯罪と他国の類似犯罪とを比較するという問題は、実は八○年代にドイツ論壇を巻き込んだ「歴史家論争」で論じられたテーマでもあった。この論争は、ナチのユダヤ人絶滅政策を、第一次世界大戦時のオスマン・トルコによるアルメニア人虐殺事件や、スターリンの収容所列島、さらにカンボジアでのポル・ポト政権と比較し、二十世紀の大量虐殺史の一頁と見るベルリン大学教授エルンスト・ノルテの論文に発する。これに対して、哲学者ユルゲン・ハーバーマスや歴史家エーバーハルト・イェッケルなどの批判派は、ナチの犯罪を他の類似現象と比較することの危険性を指摘し、「ある国家が、一定の人間集団を老人、婦人、子供、幼児まで含めてできるかぎり一人残さず殺すことを責任ある指導者の権威をもって決定し、予告し、しかもこの決定を可能なあらゆる国家権力の手段を使って実行に移すなどということは、それ以前には一度もなかったという点ではナチスのユダヤ人殺害は特異なものであった」(イェッケル)として、ナチ犯罪の特殊性を強調したのである(13)。

 ヤスパースにしろ、ハーバーマス、イェッケルらにしろ、ナチの比類のなさを論じる論者の意図は、ナチと他の類似の独裁体制とをいかなる意味でも比較してはならないというのではない。そうではなく、比較に名を借りてナチの犯罪行為の意味を稀釈化する試みを排除しようとしているのである。つまりこうだ。ナチの犯罪行為はなるほど他の現代史上の類似現象と比較しうる。しかしその比較は、ナチの犯罪を相対化し、他国もやっているからというような弁明であってはならない、そうすることでナチ犯罪の性格を「薄め」てはならない、と。私もまたその通りと思う。ところが、西尾氏がやろうとしているのは、ちょうどこの逆なのだ。氏は、ナチの比類のなさを強調することで、それと比べればという風に日本の戦争責任を稀釈化しようとする。「薄め」ようとする。全然あべこべの精神態度なのである。先の対談でヤスパースは、スターリンの犯罪に関わって「『他もまた』という言い逃れはできない。……われわれが望んでいるのは自らの浄化なのだ」と述べている(14)。西尾氏はせっかくヤスパースを読んだのに、何故、ヤスパースのこの潔い態度から学ぶことをしなかったのか。

 それはさておき、では、日本軍がナチの行ったような残虐な犯罪は犯していないという西尾氏の議論そのものは正当なのだろうか。西尾氏はさきほどのヤスパースの議論を援用して、少なくとも日本軍はナチのやった「人道に対する罪」は犯していないと断言する。そうなのだろうか。

 この問題はいささかうんざりするほどの予備知識がなければ正確に理解できまい。まず、「人道に対する罪」とは何かということである(15)。この罪は、第二次世界大戦後のニュルンベルク裁判に際して設けられたもので、「戦前もしくは戦時中に行われた、すべての民間人に対する殺人、絶滅、奴隷化、強制連行などの非人道的行為や、政治的、人種的、宗教的理由に基づく迫害行為」を指す。ニュルンベルク裁判では、被告二二名中「人道に対する罪」を有罪として判決を受けたものが一六名、うち一二名は死刑判決を受けている。また、死刑判決を受けた被告中「人道に対する罪」が有罪の訴因とされていないものはない。これをみても、ニュルンベルク裁判でこの罪がたいへん重要な役割を果たしたことが察せられる。ところが一方、東京裁判では「人道に対する罪」は、起訴状中にきわめてあいまいな形ではあれ盛り込まれたものの、判決においては結局、この罪で有罪とされたものはいなかった。すべて「平和に対する罪」または「通例の戦争犯罪」で処理されたのである。ニュルンベルク裁判と東京裁判でなぜこのように判例が異なるのか、今にいたるも謎だが、とにかく東京裁判で「人道に対する罪」が裁かれなかったことは事実だ。西尾氏が、日本軍は「人道に対する罪」を犯していないと主張する最大の根拠はここにある。

 しかし東京裁判で「人道に対する罪」が裁かれなかったからといって、日本軍の残虐行為がこの罪にあたらないとは、ただちには言えない。というのも、東京裁判で「人道に対する罪」が重要視されなかったのは、日本の被告たちがこの罪を犯していなかったからではなく、この罪を適用するまでもなく有罪と認定されたためであるとも言えるからである。そもそも「人道に対する罪」とは、ユダヤ人迫害などナチによるドイツの自国民に対する非人道的行為を裁きたいがために導入された新概念であったといっても過言ではない。それに対して、日本軍の残虐行為の被害者は主として連合国戦争捕虜、及び占領地住民であり、これらの犯罪は従来の戦争犯罪の範疇で処罰することが可能であった。東京裁判での起訴状第三類が「通例の戦争犯罪および人道に対する罪」と、二種の罪概念をほとんど区別して使っていないのは、この点を裏書きする。おそらく東京裁判の判事、検察官は、東京裁判の被告たちを有罪と認定するために「人道に対する罪」という新概念をわざわざ使う法律上の冒険を敢えて冒す必要性を感じなかったのではないかと私は推測する。だとすれば、日本軍の行った犯罪が「人道に対する罪」と認定されなかったからといって、日本軍がこの罪を何ら犯していないと即断することはできないのである。ましてや、「通例の戦争犯罪」に過ぎないから「人道に対する罪」違反よりも軽微の犯罪であったなどと言えたものではない。

 もともと、ニュルンベルク裁判判決においても、「人道に対する罪」は同時に戦争犯罪でもあることが明示されていた。判決はこう述べる。「一九三九年の戦争開始以後、大規模な戦争犯罪が行われており、それらは人道に対する罪にも該当する。そして、起訴状中にその責任が問われている戦争開始後に行われた非人道的行為が戦争犯罪を構成していない場合であっても、それらはすべて侵略戦争の遂行として、あるいは侵略戦争に関連してなされたものであり、従って人道に対する罪を構成する」、と。要するに判決は大戦開始後の戦争犯罪は同時に「人道に対する罪」でもあり、また各種の非人道的行為が狭義の戦争犯罪に該当しない場合であっても、それらは「人道に対する罪」に該当すると言っているのである。これを見ると「人道に対する罪」とは「通例の戦争犯罪」よりもずっと幅の広い罪概念であったことが分かる。「人道に対する罪」と「通例の戦争犯罪」は戦場で行われる非人道的行為という点では何ら差異はないが、ただ「人道に対する罪」の場合は、種々の非人道的行為をとらえて、それらが必ずしも戦争犯罪の要件を満たしていなくても犯罪と認めようとする、かなり幅の広い概念であった。もしニュルンベルク裁判の判決をそのまま東京裁判に踏襲させれば、日本軍は種々の戦争犯罪を犯したことによって、同時に「人道に対する罪」も犯したのである。それを判決の際に明示しなかった理由はいまだに謎である。

 

(五)

 それにしても、東京裁判で日本軍の戦争犯罪が「人道に対する罪」と明示的に認定されなかったことが、こんな風に悪用されるとは、私は考えもつかなかった。西尾氏に言わせれば「戦後西ドイツの補償は確かに質量ともに大きい。しかしドイツ人は東西ヨーロッパで犯した一般の戦争犯罪に対しては、いわゆる『国家賠償』はいっさいしていない。すべて国家間の条約や協定によって処理している。だから補償を支払ってきたのは……戦争犯罪に対してではなく、ナチスの不法と被害に対してだけである。どこまでも『人道に対する罪』に対してであって、それも目立ったケースに対してだけである」。つまり、戦後補償はナチの「人道に対する罪」にのみ対応している。「いわゆる戦争犯罪とは別個の、戦闘遂行目的から出ていない『人道に対する罪』を、過去の日本がもし犯している事実が判明するなら、われわれとしても、補償を実行することを躊躇してはならない。たとえそれが何であれ、今私が述べた定義に当て嵌まる事例に対しては、進んで補償の手段をとるべきだろう」(16)。なんとも便利な説ではないか。日本は戦争犯罪はやった、しかしそれは「人道に対する罪」ではない。一方、ドイツの戦後補償は「人道に対する罪」に限ってやっている、従って日本は戦後補償をする必要はない、とこういう訳だ。

 この議論にはいろいろな誤りがごちゃまぜに入っている。それをひとつひとつ解きほぐしてみよう。

 第一に、ドイツは「国家賠償」をしている。ここでドイツ賠償問題の展開について詳細に論じる紙幅はないが、簡単に要約すれば、東西分裂と冷戦の進行の結果、ドイツ(全体)と連合国との講和条約は締結されず、賠償協定も存在していない。当然、賠償協定に基づく賠償支払いも行われていない。それではドイツは全然賠償金を払っていないのかと言えば、これはそうではなく、敗戦後の占領統治期間に、特に東部のソ連占領地区において、ソ連占領当局により大規模な現物賠償措置がとられており、はっきりとは算定できないが、東ドイツの工業生産能力が一九三六年水準の六○%に減少するくらい工場設備等が接収、ソ連領内に移送され、その額は少なくとも百億ドルと推定されている(17)。正規の賠償協定に基づくものではないが、事実上、ドイツは賠償を支払っているのである。

 第二に、ドイツが一般の戦争犯罪犠牲者に対する損害賠償を充分に行っていないのは、他ならぬドイツの補償推進派が批判し是正を求めている問題であり、ドイツ自身が解決すべき問題である。戦後の国家間賠償とは戦争責任の認定に基づくものであり、ドイツも日本も侵略戦争の責任を認めるからこそ賠償責任も承認する。少なくとも国際法上は、負けたから仕方なく支払うというのではない。その際、賠償には戦争犯罪の犠牲者に対する損害賠償も含めている。ドイツの場合、前記のような現物賠償が、例えばソ連の戦争犠牲者個人に対する損害賠償に使われたかと言えば、これはそうではないであろう。その意味では戦争犯罪犠牲者に対する賠償は確かに行われていない。特に、戦時中の強制連行労働者に対する補償などは是正すべき問題として現在もなお、ドイツに残された課題なのである。

 第三に、ドイツがやっている戦後補償は「人道に対する罪」の被害者に対してではなく、「ナチの不正に対する補償」である(18)。この場合「ナチの不正」は「人道に対する罪」とオーバーラップするが、「人道に対する罪」の認定は補償の必要条件ではない。では「ナチの不正」に匹敵するものが日本軍の場合に存在するかどうかだが、例えば元「従軍慰安婦」といった人々が主張するのは、この種の日本軍の不正そのものであり、これを個人補償に値するほどの被害と認定するかどうかは、あくまで日本国民の意思の問題である。事実、太平洋戦争犠牲者遺族会はこの不正を「人道に対する罪」にあたると主張しているし、私もこの罪の意義からして「従軍慰安婦」に対する売春強要は「人道に対する罪」そのものだと考えている。

 第四に、戦時の被害者個人に対して賠償措置を採るかどうかは、犯罪行為の有無(賠償責任の有無)、被害の程度、賠償能力の有無、現に採られてきた賠償措置の内容、その他様々な条件を考慮したうえで、その国の国民が自発的に考えるべきことである。私の考えでは、いわゆる戦後補償というのは、国際法上義務づけられているかどうか(例えば戦後賠償の如き)という問題とは違う。むしろ、戦争に伴う個人的犠牲の救済手続きの前例が歴史的に存在していないからこそ、例えばドイツにおいて連邦補償法等の国内法上の措置が採られたと考えられる。その意味では、個人補償を認めようとする国民の意思の問題がとりあえずは不可欠であろう。まずその意思を確認することが先決である。そのうえで、必要な法整備、あるいは外国との条約上の関係を取り決めればよい。それをするために、ドイツの事例は参考になる。それだけだ。ドイツがやっているからやるとか、ドイツがやっていないからこちらもやらなくてよいとかいう問題ではない。

 第五に、西尾氏はナチと日本軍の戦争犯罪の質が違うから、日本は補償しなくてもよいと言いたいようであるが、この発想そのものがそもそもおかしい。ナチと日本軍の犯罪行為に差異があること自体は当然のこととして承認してよい。その際、ナチのユダヤ人虐殺が史上例を見ない規模と方法によるものであって、それは日本軍の行った南京事件や七三一部隊の人体実験と比べてもはるかに大々的かつ系統的なものであったと認めるのも問題ない。しかしながら、二種の犯罪の規模や態様が異なることを認めることは、それらの事実がいずれにせよ犯罪的事実であることを隠蔽することであってはなるまい。数百万単位のユダヤ人をガス室で工場的に殺害するか、または数万ないし数十万単位の南京住民を日本刀で斬殺するかの違いは、それら二種の行為が戦闘行為を目的としない「殺人犯罪」であるという一点において、何ら意味ある違いではない。いずれの場合も、法的にも道義的にも非難さるべき行為であることに変わりなく、加害者は処罰されるべきだし、被害者またはその遺族は正当な賠償を受ける資格がある。だから、その殺害行為が「人道に対する罪」と呼ばれるか「通例の戦争犯罪」と呼ばれるかは本質的には何ら重要ではない。ナチがやったのは「人道に対する罪」で、日本軍はそこまではやってない、だから日本はそれほど反省をしなくてもよい、などという議論は、「○○ちゃんなんか、もっと悪いよ」と駄々をこねる幼児のわがまま勝手と何も変わるところはない。

 第六に、これに対して西尾氏はこういうかも知れない。日本軍が犯した罪が「人道に対する罪」か単なる戦争犯罪かは見逃すことのできない差異である。なぜなら、戦争犯罪となれば日本軍だけではない、どこの国も多かれ少なかれ犯すものだからだ、と。私はそれも承認してよい。しかし、だから何なのか。どこの国もやる、日本もやった、それで……?。そこからどういう結論が導き出せるのか、私には分からない。西尾氏が例えばアメリカの原爆投下をとらえて、日本軍の非人道的行為を上回る、それこそ「人道に対する罪」に該当すると主張したければ、それに比べれば日本は……などと言わず、現在のアメリカ政府に対して堂々と抗議し、正式に謝罪を申し入れ、場合によっては損害賠償の必要性を主張したらよかろう。そのことは、例えば元「従軍慰安婦」といわれる人々が日本軍の残虐行為を糾弾し、損害賠償を要求することと何ら矛盾するどころか、むしろ精神において軌を一にするものなのである。

 

 そろそろ紙幅も尽きてきた。これまで述べてきたところからすれば意外に聞こえるかも知れないが、私は、わが国の論壇でしばしば見られる無自覚なドイツ礼賛から無縁な立場で、ドイツの現実をいたずらに理想化せずにリアルに見つめようとする西尾氏の態度それ自体は、高く評価している。正直に言えば、ドイツの現実についての西尾氏の個々の指摘は半分は正しいとさえ思うときがある。少なくとも示唆的である。しかし氏は、ドイツの事例を利用して日本の現実を批判する大マスコミのやり方に我慢ができないあまり、今度は逆に、自らの歴史観を貫徹するためにドイツを利用しているように見える。氏の歴史観は保守的であり、国家主義的であり、そう言ってよければ愛国的である。それはいい。個人の考え方の問題だ。しかし、自らの愛国主義を正当化するためにドイツを引き合いに出すのは、比較ではない。日本軍の行った犯罪行為は他との比較で稀釈化してはならないものであり、戦争犠牲者に対する個人補償を拒否するのは他がやっていないことを指摘することによっては正当化できない。氏の言う通り、日本とドイツの歴史を冷静に比較することは必要で、共通性と同時に差異もまた率直に見つめるべきだろう。ドイツ文学者であるならば、ドイツ国民の心の襞にまで分け入って、戦後ドイツの「過去の克服」過程を紹介すべきであろう。西尾氏に期待するのはそういうことなのである。

 

(1)Berliner Zeitung, 2, 3. Juni 1997.

(2)例えば、足立邦夫『ドイツ 傷ついた風景』(講談社、一九九二年)。

(3)『朝日新聞』一九九六年六月五日朝刊。

(4)『諸君』一九九三年一一月号所収。後、西尾幹二『異なる悲劇 日

   本とドイツ』(文藝春秋、一九九四年)に収録。以下、引用は本書

   から行う。

(5)『荒れ野の四○年 ヴァイツゼッカー大統領演説全文』永井清彦訳

   (岩波ブックレット、一九八六年)、一四〜一六頁。

(6)『異なる悲劇』、七七頁。

(7)この点については、清水正義/芝野由和/松本彰「ドイツにおける

   『ナチズム後』の政治と歴史意識」『現代史における戦争責任』青

   木書店、一九九○年、を参照されたい。

(8)Daniel Jonah Goldhagen, Hitlers willige Vollstrecker, Berlin 1996.

(9)ヤスパースの四つの罪類型については、カール・ヤスパース『責罪

   論』橋本文夫訳(理想社、昭和四○年)を参照されたい。

(10)『異なる悲劇』、八八〜八九頁。

(11)『異なる悲劇』、七五頁。

(12)Karl Jaspers, Wohin treibt die Bundesrepublik?, Muenchen 1966,

   Neuausgabe, 1988, pp.19-45.

(13)Frankfurter Rundschau, 6. Juni 1987.

(14)Jaspers, Wohin treibt die Bundesrepublik?, p.29.

(15)「人道に対する罪」については、拙稿「国際軍事裁判所憲章第6条

   c項『人道に対する罪』に関する覚書」『東京女学館短期大学紀要』

   14号(1991年)を参照されたい。

(16)『異なる悲劇』、八九〜九二頁。

(17)クリストフ・クレスマン『戦後ドイツ史』石田勇治、木戸衛一訳

   (未来社、一九九五年)、一二九〜一三○頁。

(18)ドイツの戦後補償については、さしあたり、広渡清吾「ドイツに

   おける戦後責任と戦後補償」粟屋憲太郎他『戦争責任・戦後責任』

   (朝日選書、一九九四年)が参考になる。

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