現在地 HOME > 国家破産39 > 786.html ★阿修羅♪ |
|
【メディア買収 私はこうみる】脚本家・倉本聰氏 株主より視聴者への責任
ライブドアのメディア買収は、朝起きたら強盗が家に入っていて家人が縛り上げられ、そこから話が始まるっていうスタイルでしょ。それでは話し合いもへったくれもない。強盗に入られたっていうこと自体に嫌悪感を感じる。倫理的に“法律違反”だと思う。事前に話し合いを重ねていた今回のソフトバンク・インベストメントとは、全然事情が違う。
堀江氏は株主への責任みたいなことばかり言っているけど、ラジオ局やテレビ局が持っているのは、株主に対する責任なのか、リスナーや視聴者に対する責任なのか。僕は後者だと思う。株価の上下に一喜一憂して金を稼ごうという立場とはまったく違う。
僕らは「情」の世界で仕事をしている。営利の次元でモノを考えて「上が代わったけれども仕事を続けてください」と言われても、感情的についていけませんよ。
現場はもっと悲観的だと思う。客観的に見ていても、堀江氏は筋が違うと強く感じる。僕は筋を重んじる方だから一緒に仕事はしたくない。ニッポン放送の亀渕昭信社長は昔、背中合わせに座って一緒に仕事をした仲。亀渕社長が辞めれば、現在出演している番組を降りる。
僕がニッポン放送に入った時期は、テレビが出てきてラジオがもうダメになるっていわれていた。でもラジオは消えなかった。映画も同じ。だから、将来インターネットに全部代わるという考え方に抵抗があるし、そういうことはないと思っている。
ラジオは聴覚だけのもの。耳から入ってリスナーの想像力を喚起させる。テレビは視覚と聴覚のもの。演劇は嗅覚(きゅうかく)とか触覚も含まれる。
インターネットはほとんどが視覚だけの世界。つまり五感がどんどん欠落していく。視覚と脳だけの世界に人間が閉じ込められた場合にどうなるのか。今の若者の育ち方を見て、もうIT社会の歪(ゆが)みが出ていると思う。それでいいのかっていうことだ。
確かに、フジテレビが上場したことにも問題があった。マスメディアには公共性があると思うけれども、新聞は上場しないのに、テレビ局は軒並み上場している。それは買収される可能性があるということ。
メディア全体が金銭感覚でモノを考えるのを中心にした結果、それが力を持ってしまって、制作現場の純粋さを圧迫していったことは事実だ。
(ニッポン放送OBとして後輩に声をかけるとすれば)「間違えるな」ということ。リスナーや視聴者の心を洗濯するのが僕らの仕事。金もうけは次の仕事をするためのもの。そういうつもりで僕はやっているし、そのことだけは間違えないでほしい。(談)
◇
くらもと・そう ニッポン放送を退社後、脚本家に転身。現在は北海道・富良野で、脚本家と俳優を養成する「富良野塾」を主宰する。代表作はテレビドラマ「北の国から」「前略おふくろ様」など多数。24日に最終回を迎えた「優しい時間」も好評だった。
http://www.sankei.co.jp/news/morning/27kei002.htm