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病める日本 子供と若者が危ない
http://www.bund.org/culture/20050325-1.htm
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性的犯罪から子供たちを守るには
佐伯 透
奈良女児誘拐事件の犯人が捕まり、性的犯罪者の再犯を防ぐために服役後の犯罪者に関する情報の警察への開示が決まった。アメリカでは再犯率の高い性的犯罪者に関する情報を、ネットに掲載するなどしている。これは「メーガン法」という法律にもとづく。94年にニュージャージー州で成立した法律だが、現在は連邦法になっている。これで性犯罪が1割減少したという。しかし、この結果については賛否の意見がある。
幼い子供に対する犯罪が増えてきている日本では、性的犯罪者に対してどうしたらよいのか。職場では頭を悩ましている。 私たちの身の回りに起こっている性犯罪
最近の日本では、性的犯罪が特に幼い子供たちに向けられている。私が用務員をしている小学校周辺でも、たびたび子供たちが痴漢に襲われている。遊んでいる子供たちに近づき「手品を見せてあげる」といって呼び寄せ、自慰行為をしてみせる。帰宅途中の女子児童が団地のエレベーターに乗っていたら、下半身をさらけ出した男性が入ってきたなどがあった。幸い児童はとっさにエレベーターから飛び出て無事だったが、彼女にとってはものすごい恐怖だったろう。新聞記者を名乗り子供たちを連れて行き写真を撮るとか、女子中学生が通学途中抱きつかれたり、スカートをまくられるといった事件も度々起こっている。
もちろん、私たちも手をこまねいているばかりではない。地域の警察が警戒に当たっているし、子供たちの登校下校時には保護者や学校職員が付き添ったり、集団下校をして警戒に当たっている。わたしも毎日のように子供たちの家まで引率して行く。学校への遅刻、早退の際は、必ず保護者が送り迎えをすることになっている。
事件が起きると警察も犯人のめぼしはつけるのだが、痴漢の場合現行犯でないと逮捕できない。それでそのまま放置されている。犯人の情報を警察は学校に教えてはくれない。
こうしたなかで、私たちや警察が警戒している最中に子供たちが襲われた。犯人もこちらの様子を伺いながら犯行を行っているのだ。保護者も私たちも大変ショックだった。大人の誰かが犯人を目認していれば事態は変わるのだが、犯人を目撃しているのは多くの場合子供だけなのである。
集団下校が解除された後も、子供たちは怖がって、「今日も主事さん一緒に帰って」とお願いされる。しかし、いつまでも家まで送ることはできない。帰宅しても、子供たちは安心して外で遊ぶこともできない。
こうなると、犯人の情報を教えて欲しくなる。悪質で卑劣な常習犯に対して、人権擁護する必要があるのかとさえ思ってしまう。
奈良の事件を受けて、法務省が警察庁に性的犯罪者の居住場所などを情報提供することになった。だが、地域住民には開示しないという。先の痴漢の場合、犯人である可能性の高い人物が同じ地域に住んでいるという噂が広まった。さらにこの噂は学校が流している、学校はその情報を警察から入手したという噂も持ち上がった。それで地域の自治会から学校が抗議を受けた。住民同士が疑心暗鬼になり不和がもたらされたというのだ。その誤解はすぐに解けたのだが、痴漢が出没した時点で地域内に不信感は起こっていた。犯人は外部から来た可能性もあるのだが、地域内にいる可能性も捨てきれないという不安からだ。
犯人の情報開示は犯罪抑止になるのか
私としては、地域に対して適切な対応ができない自治会にも不満があったが、そのような地域で警察が犯人の住所などの情報を提供したらどうなるか。情報公開の制度が導入されている英国や韓国では、性犯罪者が相次いで襲撃される事件や排斥運動が起きているという。アメリカでメーガン法により性犯罪が1割減ったのは、クリントン政権の経済政策により景気が回復し、犯罪全体が2〜3割減ったためという分析もある。
日本で情報開示の制度が導入されたらどうなるのか。性的犯罪を行った前科者が住んでいる地域の人は当然警戒する。地域でその人間に対して警戒態勢をしくことになるだろう。それこそ排斥運動につながりかねない状況となり、その前科者を見かけたら見下し、罵倒するかもしれない。そのために彼は町で生活できなくなるかもしれない。
プライバシー権の侵害や、性犯罪者をことさら区別するのは公平性の原則に抵触するし、二重処罰禁止の精神にも反する。性的逸脱行為は嗜癖性が強いため再犯率が高いといわれるが、再犯をまだ犯していない人間に対して、人権侵害にもなりかねない。情報公開による弊害のほうが大きいという気がする。
しかし、私は服役後何の矯正処置もほどこさずに、世に放たれることに対しては疑問がある。法的な処罰は受けたかもしれないが、それだけで社会に溶け込んでいくのは社会の方のリスクが高い。情報公開をどうするのかより、再犯を防止するためは何が適切なのかを考える必要がある。
英国では、1991年に刑務所での性犯罪者処遇プログラムが定められ、92年から全国的に実施された。現在は170時間の矯正プログラムが行われている。日本の場合、性的犯罪者にたいしての矯正制度はない。性的犯罪から子供たちを守るにはどうしたらいいのか。どのような予防手段が考えられるのか。どんなに警戒しても、大人たちの目が届かないところで犯罪が起こる。子供たち自身が、予防意識をもって生活していかなければならないのだ。私の職場がある地域でも、子供たちの危機管理能力を高める必要があるといわれている。人に声をかけられてもついて行かない。人気のないところには行かない。知らない人とは話をしてはいけないなどだ。
全国の小学校で地域の安全マップを作って、自分たちの住んでいる地域でどこが危険なのかを子供たちが学んだり、保護者による地域パトロールが行われたりしている。今や子供にかわいいねえと声をかけたり、頭を撫でたりしたら不審者と見られる。いきすぎだと思われるかもしれないが、現実に子供たちを守るとしたらそうせざるを得ないのだ。
さもないと生命に危険が及ぼされるからだ。知らない人に声をかけられても、挨拶されても相手にしないこと、素早くその場から立ち去ること、これが子供たちへの指導だ。誰が子供に危害を加えるかわからない。大人は信用できないのだ。子供たちに対しては、不審そうな人をみたら、すぐに警察や親、学校に連絡するように呼びかけている。その一方で危機を煽りすぎて、子供たちが不審なもの、不審な人を見ても、怖がって誰にも話せないケースもある。非常に難しいのだ。
性的犯罪、暴力から子供たちを救うために、私たち大人がやるべき課題はきわめて多い。
(42才・小学校用務員)
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弟がひきこもりになった
戸坂零一
私の弟はひきこもりである。弟は勤めていた工場の寮で、夜中に大声を出すなどの迷惑行為を繰り返したので、管理人が弟を引き取りに来てくれと親に言ってきた。親は仕方なく弟を実家につれて帰った。弟は現在失業中である。弟が住んでいた寮を所有していた工場はもう潰れていて、弟は既得権で住んでいた。また弟は、呼吸をするときに常にゼーゼーと音をたてる。自律神経の異常で気管支が狭くなっているのだ。現在はその病気を治してから就職活動をすることになっている。
私は弟が家にいるのは、失業と病気という特殊な事情からであって、今世間で問題になっているひきこもりとは違うと思っていた。しかし厚生労働省の「ひきこもり」の定義によれば、「6ヶ月以上自宅にひきこもって、会社や学校に行かず、家族以外との親密な対人関係がない状態」のことをさす。その定義からすれば、弟は実家に戻って来てから6ヶ月以上になるので、まさにひきこもりの状態だ。病気を治すための自宅療養中だということもできるが、ひきこもり状態であることに違いはない。
病気が治る見込みがあるわけでもないし、ひきこもりの結果二次的に病気になったのかも知れない。私はたとえ病気だとしても、アルバイトぐらいは、やろうと思えば出来るはずだと思っている。弟が社会との接点を持たないで、このまま生きていくのは悲惨なことだ。ひきこもりがずっと続いた場合、親が死んだ後の経済的な面倒を考えるとほとほと困ってしまう。
職場で弟のことを話したら、「ニートっていうことになるな」と言われた。学校に行っておらず、働いてもおらず、職業訓練をうけているわけでもない状態だからニートだと。どっちだって家族にとっては同じことだ。
ずっと働いてきた人が、年をとって隠居生活するというのはあることだ。しかし青年期に社会との接点がないまま、何年間も、仕事もせずに一生生きるというのは、まさに生き地獄である。ひきこもる行為自体は、ストレスからの自己防衛ということで誰にでもある。学校をサボるとか、会社をサボるとか、誰でも経験することだ。問題はその状態が続くことによって社会から隔絶されていき、ますます人付き合いが苦手になり、社会復帰が困難になる悪循環に入ることだ。
家族もつい「いい年して、働きもしないで」と言ってしまう。それがますます本人を追い詰め、自分は駄目な人間だということを確認することになるという指摘もあるが、家族としてはそう言う以外ない。
ひきこもりシステム
結局ひきこもりは、ひきこもりの状態から抜け出せない状態が問題なのだ。精神科医の斎藤環の本(『社会的ひきこもり』PHP新書)などを読むと、悪循環から抜け出すには、本人の努力だけでは無理で、家族や社会の治療的介入が必要だと言う。ひきこもりは、「社会恐怖」や「回避性人格障害」など精神病の一種と考えることも可能であるが、そもそも本人が医者にかかりたくないという場合が多いので、精神分析を行うことすら困難であるし、そうなると治療はもちろんできないのだと。ひきこもりできわだっているのは、個人、家族、社会の領域が、互いにひどく閉鎖的なものとなりがちである点で、ほかの精神障害では個人レベルで悪循環が生じていても、家族の協力でそれを解決できる場合があったり、家族関係が悪い場合でも個人がじかに社会に接したり、家族以外の対人関係の中で問題を解決したりできる場合があるが、それとは違う問題だというのだ。医者にとっても結局家族の協力が頼みの綱なのだ。なんだか私にとっては気の重い話だ。
斎藤氏はひきこもりは、人格発達の途上における未熟さゆえに起こってくる思春期の病理なのだ、現在の学校教育が均質化を重視し、「誰もが無限の可能性を秘めている」という幻想を強要していることが問題なのであるという。「あきらめ」を知りつつある子供たちに、このような幻想が「誘惑」として強いられる。ひきこもりの80%が男性なのは、女性の場合、早くから「女の子」として扱われることを通じて、「あきらめ」を受容させられるので、学校で流布される「無限の可能性」という幻想がそれほど強く作用しないからだと書いている。
たしかに弟は高校の時に「俺は東大に入るんだ」と何の根拠もなく喚いていた。結局、いわゆる三流大学に入り、その大学を中退した後、今度は「俺はパチンコで儲かっているんだ、パチプロでやっていける」と、客観的に見れば負け越しているのに喚いていた。自分の能力がないのに勝手に無限の可能性を信じてしまったのだ。その後弟はパチプロでやっていくことができないことが分かったとき、突如、家を出て住み込みで働きに出た。自分の限界を知り、その中で現実的な生き方を選択することは出来たということか。だから、私は弟はそんなに重症ではないのかもしれないと思う。
弟は、たまに母親に怒鳴るが暴力をふるうことはなく会話も出来る。親はたまに弟を食事に誘っている。私は一緒には住んでないが、頻繁に実家に帰って、弟と話をしている。家族としては気長に関われば社会復帰できると思う以外ないのだ。
斎藤氏はひきこもりの人に対して、「人として間違ったあり方をしている」という見方をするのではなく、「そこにある」ことを認めることが重要なのだと書いていた。実際その通りだ。本人に説教をしても基本的には本人は心を開かないし、「そこにある」状態からしか問題の解決は始まらないだろう。長い時間の経過の中で解決されていくことを願ってる。
(33才・印刷工)
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ニートという現象から考える
小杉凛太朗
厚生労働省は、昨年9月、日本の15〜34歳のニートが52万人との統計を発表した。ニート(NEET)とはもともとイギリスで発生した造語で、1999年イギリスの内閣府の社会的排除防止局(Social Exclusion Unit)が作成した調査報告書『Bridging the Gap』によって広く知られるようになった。Not in Employment, Education or Trainingの頭文字をとったものだ。つまり「働いておらず、学校に行ってもおらず、職業訓練をうけているわけでもない状態にある若者」ということだ。ニートはいわゆる失業者とは区別され、その違いは就職するために具体的に行動しているかどうかにおかれる。ニートは就職活動の前段階で立ち止まってしまっている人々なのだ。ニートは社会的ひきこもりやパラサイトシングルにも似ているが、ニートの全てがひきこもっているわけではなく、独身に限られるわけでもない。親と別居している場合も多い。捉えどころが無い、つかみにくいのがニートと呼ばれる存在の特徴なのだ。
昨年11月24日、茨城県で偶然同じ日に起きた2件の両親殺害事件の犯人が、いずれもニートだった。一件目は水戸市で午前0時頃19歳の少年が、ともに教師である両親が眠っているところを4sの鉄アレイで撲殺。「他の家族も皆殺しにしようと思っていたが、両親を殺したところで気力が失せ」、自ら110番したという。
もう一件は土浦市で28歳の青年が起こした。正午頃、まず母親を包丁で刺殺。続いて姉を包丁で刺した上、ハンマーで撲殺。夕方5時頃帰宅した博物館副館長の父親の頭部をハンマーで何度も殴って殺した。その後自分で110番している。
青年は、その日の朝(既婚で実家に帰ってきていた)姉に「学校に行ってないなら働け」と言われ口論となり、殴って怪我をさせた。その後「姉が病院に行ったら(自分が)警察に捕まり、父の思うつぼになる」と思い、「自分が殺される前に殺そうと思った」。青年はかつてコンピュータの専門学校に通っていたが途中で行かなくなり、学校をやめた後は何もせず家にいた。そして常日頃、父親や姉から就職するように口うるさく叱責されていた。その鬱憤のはけ口として母親へ暴力を振るうことがあった。
水戸の19歳は前年の3月にコンピュータの専門学校に合格していたが入学せず、ニートになっていた。少年が学校に行かなくなってから、母親は教職を辞め海外に連れて行ったりして、何かを探させようと努力していたようだ。自分が養われている身でありながら、その養い手をなきものにしてしまうのはあまりにも短絡している。自分のその後の人生が成立しないことは容易に想像できるし、それによって普通なら思いとどまる筈だ。
うまくやっていける自信がない
玄田有史(げんだゆうじ)・曲沼美恵(まがぬまみえ)共著『ニート フリーターでもなく失業者でもなく』(幻冬舎)によると、ニートが求職活動をしないもっとも多い理由は、「人づきあいなど会社生活をうまくやっていける自信がないから」だ。仕事についても、うまくやっていける自信がないというのが主な理由なのである。若者がニートの状態に陥ってしまう最大の要因は、自信の喪失なのだ。仕事をしていないことへの焦燥感を一方では抱えつつ、でも職場でうまくやっていけないという理由で働けない自分がいる。やむなく家族に養い続けられる状態を続けていくなかで、無業の状態からの脱却が次第に困難になっていくのだ。
そんなニートの特徴の一つとして、困ったことを相談する相手がいないということがあげられる。親は生活費をまかなう金銭的な援助者だが、困ったことを相談できる相手ではないのだ。困ったことを相談できるような人づきあいを持たない、持てないのがニートの特徴なのである。誰にも相談できないまま思いが閉塞していってしまい、肉親殺しというような結末に至ってしまう。
しかし就労支援の機関やイベントには、現状を脱したいというニートや、ニートではないが「本当にやりたい仕事」を模索しているニート予備軍も参加してくる。そこで何かをつかみ就職したりアルバイトを始めたりする人もいる。本当の問題は、ニートが犯罪を引き起こす可能性よりも、むしろ今後ニートが増加することによる社会的負担の増大だろう。
このままニートが増加すれば、将来その親の世代が亡くなる頃になったとき、彼らが生活保護の対象となる。社会保障の負担は増大する一方になるのだ。その解決策はいま政府がやろうとしているような、フリーターからも徴税できる社会システム作りという安易な方法にあるとは思えない。もっと雇用形態の見直しも含め、働き方・ライフスタイルの見直しという根本の変革が必要なのだと思う。
(28才・会社員)
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(2005年3月25日発行 『SENKI』 1173号5面から)
http://www.bund.org/culture/20050325-1.htm