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村上ファンド100億円超!?大儲け…大量売却 (夕刊フジ)
15日、村上ファンドが関東財務局に提出した大量保有変更報告書によると、同ファンドは2月末までにニッポン放送株を大量に売却し、同月末時点で保有比率が18.57%から3.44%に低下した。
「村上氏は平成15年7月、ニッポン放送の第2位の株主(7・4%)になった。その後も買い増しを続け、18%超になっていた。当時の株価水準から推測すると、平均取得コストは1株3000円程度で、今回、村上氏は百数十億円を儲けただろう」(市場関係者)
言ってみれば、ファンドマネジャーとして「本来の仕事をした」(株式評論家の植木靖男氏)わけだ。
そもそも、村上氏の名が広く知られることになったのは、平成12年1月、不動産・電子部品関連会社の昭栄に対し、敵対的TOB(株式公開買い付け)を仕掛けた一件。当時、「風雲の株主」とも称された。
「敵対的TOBに馴染みが薄かった日本で、こうしたM&A(企業買収・合併)に嫌悪感を示す向きも多かったが、その気風は通産省(当時)時代から同じだった」(関係者)
灘高→東大法学部というエリートコースを進み、昭和58年に入省。名前を音読みして「せしょう」と呼ばれていた村上氏の口癖は「おかしいと思いませんか」「何とかなりませんか」だった。
「人間的な強さを感じる」と評価される一方、「自分を前面に出しすぎる」と煙たがる上司もいたといい、上から嫌われやすい構図は、今と少しも変わっていないようだ。
平成14年には、アパレル大手の東京スタイルに対し、当初予定されていた株式12円50銭の配当を500円に上げることを要求。株主総会では、委任状獲得をめぐって、プロキシファイトを繰り広げ、大紛糾となり、コーポレートガバナンス(企業統治)の象徴ともいわれた。
結局、10%弱の差で、会社側の提案が認められることになり、「この国には僕らの考え方が、まだマッチしていないのかもしれない」と悔しがった。
米国流の“物言う株主”としての素地は、少年時代につくられたともされる。
小学3年の時、貿易会社経営の父親から100万円を渡され、「もう小遣いはやらないから、自分で増やすことを考えろ」と言われ、株式投資を始めたとされる。
そうした素養から、村上氏は「M&Aのルール作りなどを手がけているより、コーポレートガバナンスを追求するため、退官した」と話す。
昭栄以降も東急ホテルやタカラ、そしてニッポン放送などの大株主となり、最近は西武鉄道株買収にも興味を示している。
そのバックには、オリックスの宮内義彦会長らがいるとされ、その動向はさらに注目される。
[ 2005年3月16日13時0分 ]
http://news.www.infoseek.co.jp/society/story.html?q=16fuji52267&cat=7