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2005年3月14日発行
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JMM [Japan Mail Media] No.314 Monday Edition
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http://ryumurakami.jmm.co.jp/
▼INDEX▼
■ 『村上龍、金融経済の専門家たちに聞く』【メール編:第314回】
■ 回答者(掲載順):
□真壁昭夫 :信州大学大学院特任教授
□中島精也 :伊藤忠商事金融部門チーフエコノミスト
□三ツ谷誠 :三菱証券 IRコンサルティング室長
□山崎元 :経済評論家・楽天証券経済研究所客員研究員
□菊地正俊 :メリルリンチ日本証券 ストラテジスト
□津田栄 :経済評論家
□金井伸郎 :外資系運用会社 企画・営業部門勤務
■ 『編集長から(寄稿家のみなさんへ)』
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■ 先週号の『編集長から(寄稿家のみなさんへ)』
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Q:552への回答ありがとうございました。あと1日で書き下ろし小説『半島を
出よ』がすべて著者の手を離れます。いわゆる校了を迎えます。見本ができるまでは、
ほかの仕事が手につきません。ボーっとして日々を過ごしています。
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■ 『村上龍、金融経済の専門家たちに聞く』【メール編:第314回目】
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====質問:村上龍============================================================
Q:601
わたしが生まれ育った高度成長期、「経済成長」という言葉はごく自然なものとし
て耳に入ってきました。成熟期に入ったとされる現在、「経済成長」について、どの
ように考えればいいのでしょうか。つまり、そもそも日本の「経済」は「成長」すべ
きなのか、日本経済にはどの程度成長の余地があるのか、今の中国のような「経済成
長」がバブル以外で可能なのか、そういったことです。
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※JMMで掲載された全ての意見・回答は各氏個人の意見であり、各氏所属の団体・
組織の意見・方針ではありません。
______________________________________
■ 真壁昭夫 :エコノミスト
基本的に、高い経済成長率を達成することは、それだけ国全体が経済的に豊かにな
ることですから、高い成長を達成できる方が好ましいと考えられます。ただし、公害
の発生など、国民の厚生にとってマイナスの要素を発生させてまで、つまり、無理を
してまで高成長を指向するのは合理的ではありません。そうした不経済の発生を抑え
ながら、高い成長を達成することは価値のあることだと思います。また、わが国が、
それを達成することは十分に可能だと考えます。
まず、経済成長の意味から考えます。経済成長率は、1年間に、わが国のGDPが
どれだけ増加したかによって算定します。現在、わが国のGDPは約500兆円です。
このGDPが年間5兆円増えると、経済は1%成長したことになります。GDPは、
わが国に存在する個人、法人等による付加価値の総合計です。付加価値が増えるとい
うことは、必ずしも私たちの給与水準が増加することにはならないかもしれませんが、
わが国全体がそれだけ経済的に豊かになったといえます。その意味で、経済成長は大
きなメリットをもたらしてくれると考えます。
次に、経済成長は、どのような要素によって達成されるかを考えます。主に三つの
要素に分けて考えることが出来ます。一つは、労働投入量、つまり働く人が増えるこ
とです。経済が堅調に展開して労働機会が増え、働く人が増加することです。二つ目
は資本装備率です。これは、投入された労働力に対して、どれだけ生産の設備が割り
当てられているかというメルクマールです。多くの生産設備が割り当てられていると
いうことは、それだけ1人の労働者が、多くの付加価値を生み出すことが出来るはず
です。そして、もう一つは生産性です。これは、どれだけ効率的に付加価値を生み出
しているかという指標と考えればよいと思います。
これら三つの要素を考えると、わが国の労働力人口はそろそろピークを打って、減
少に転じると考えられますから、長期的な視点から見れば、労働投入量を増やし続け
ることは難しいかもしれません。一方、資本ストックの蓄積が進めば、資本装備率を
上昇させることは可能です。また、新しい技術の開発などによって、付加価値の高い
生産物を作り出すことは出来るはずです。それが出来れば、付加価値ベースの生産性
を引き上げることは十分に可能です。この生産性の向上が、わが国の経済にとって、
最も重要なポイントだと考えます。
わが国の賃金水準は、世界的に見て、かなり高いところに位置しています。一方、
90年代中盤以降、世界経済はグローバル化していますから、何かものを作るときに、
賃金水準の低い諸国で生産活動を行うことは、一段と有利な状況になっています。し
かし、新技術の開発、例えば、デジタル家電のような付加価値の高い製品群を開発す
ることが出来れば、賃金水準の高いわが国での生産活動は、必ずしも不利にはなりま
せん。つまり、新しい技術の開発によって、他の国では作ることの出来ない新製品を
作り出すことで、わが国の経済活動を活発化することが可能です。それによって、高
い成長率を達成することは出来るはずです。
2002年1月から始まった、今回の景気回復の過程を振り返ってみても、わが国
発祥の新技術であるデジタル家電製品が元気だった当時は、製品や主要部財の輸出が
拡大したことがきっかけになって、経済が拡大局面に入ることが出来ました。労働力
人口が減少することが予想され、国内に天然資源を殆ど持たないわが国にとって、新
技術の開発がないと、高い経済成長を維持することは難しいといえます。付加価値の
高い新技術の開発は、経済成長にとって不可欠の要因と考えられます。
それは、わが国に限ったことではありません。米国は、80年代に一時、経済が低
迷した時期がありました。当時は、「米国は、これで長期低迷のプロセスに入った」
などとの指摘がありました。しかし、その後、米国経済は、情報・通信技術の開発に
よって、90年代に見事な復活を遂げています。IT革命と呼ばれる新技術を開発し
たことは、記憶に新しいところだと思います。また、それを“てこ”にして、現在で
も高い生産性の伸びを維持しており、米国経済の潜在成長率は3%台といわれるほど、
高い実力を保っています。わが国も、これと同じようなことが出来れば、無理をする
ことなく、高い成長率を維持することは可能になるはずです。
信州大学大学院特任教授:真壁昭夫
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■ 中島精也 :伊藤忠商事金融部門チーフエコノミスト
まず、日本経済にどの程度成長余地があるのかを考えたいと思います。成長余地が
なければ、いくら成長すべきか否かを議論しても余り意味がないと思うからです。さ
て、経済成長を決定づけるのは労働供給の伸び、資本ストックの伸び、そして技術進
歩の三つの要因です。
日本の場合は今後、少子高齢化が一段と進むことが予想されますので、労働供給の
伸びは低下、ないしマイナスになるとみられます。これは経済成長にはマイナスに働
きます。一方、技術進歩についてはゲノム、バイオ等の先端技術の実用化が今後期待
できますので、これは経済成長押し上げの要因でしょう。資本ストックについては企
業の設備投資意欲があれば、伸びていくでしょう。よって潜在成長率が具体的に何%
になるか、ということは分かりませんが、経済成長の余地があるとだけは言えるかと
思います。
ただ、経済成長も一方的に供給サイドだけで決まるものではありません。バブル期
には内需主導の高い成長が続くと皆が予想して、設備投資を増大させましたが、バブ
ル退治を目的とした経済政策の影響で、需要が抑制させられた為に、供給力の増大に
ついていけず、日本経済には過剰設備が残って、バブル期に実現した高い成長は長続
きしませんでした。よって、需要とのバランスも大事な要素であることも、付け加え
ておきたいと思います。
要するにバブル期のようなバランスに欠けた高い成長は望むべくもありませんが、
さりとて成長できないかというと、そんなことはなく、技術進歩と適度な設備投資の
伸びにより、ある程度の成長は十分に可能である、ということではないでしょうか。
さて、それでは次に日本は経済成長すべきか否かについて考えたいと思います。先
に書きましたように、成長要因として労働供給には期待できませんが、技術進歩が確
実なので、成長しようと思えば資本ストックを増やす、すなわち設備投資をネットで
増やす決断をすれば良いはずです。しかし、もう日本経済は十分成熟しているし、こ
れから先も相変わらず経済成長を追い求めて、何になるのかといった疑問が出るのも
自然でしょう。
確かに「成長すべきか否か」は回答に窮する質問ですが、仮に成長を断念すると、
ゼロ成長に止まらず、経済は長期下降のマイナス成長に陥る可能性が出てくるのでは
ないかと思われます。成長を放棄するということは、技術進歩という目前の成長要因
がありながら、資本ストックの増加を断念することです。しかし、これだと生産性が
上がらないわけですから、自国製品の国際競争力が低下します。よって、輸出という
需要が減退しますので、成長はゼロでは済まなくなるからです。
成長がマイナスということは、雇用問題が生じますし、生活水準の低下は避けられ
ません。日本経済が閉鎖経済であれば、労働力と資本ストックを一定に保って、ゼロ
成長で行くことも可能でしょうが、開放経済ではゼロ成長を求めると、上記の如く需
要面からさらに成長がマイナスに押し下げられる可能性があります。ですから、一定
の生活水準を保とうと思うのなら、むしろある程度の経済成長を求めることが必要な
のではないでしょうか。
伊藤忠商事金融部門チーフエコノミスト:中島精也
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■ 三ツ谷誠 :三菱証券 IRコンサルティング室長
「想像力こそが」
最近新聞の記事で(確か、先週の朝日日曜版だったと記憶しますが最近めっきり物
忘れの度合いが増しており定かではありません)、平均的な現代日本人の食生活は歴
史上のあらゆる王侯、貴族のそれを凌ぐ水準になっている、という記事を読みました。
単純に感覚の問題ですが、週末家族と一緒に出掛けるスーパーマーケットやデパ地
下に溢れ返る世界中から集められた食材の豊富さを知る者として、かつまた、夜の街
を徘徊し今日は中華、明日はフレンチ、金曜日には懐石だい、と美食三昧に浸る(こ
ともたまにある)者として、それはそうだろう、さもありなん、と感じたものです。
経済成長が実現するもの、それはこのような類の豊かさであり、まごうことなく
「大衆」の一人である私でさえ嘗ての王侯貴族水準の生活を謳歌する世界でしょう。
勿論、複雑な生物である人間は、「他者の欲望こそを欲望する」(出た!)存在でも
あるので、豊かさの次には「差異」が問題になることは、ポスト資本主義の議論が盛
んであった80年代後半に学生であった我々には例の馴染みの話です。
しかし、ライオンが獲物を仕留め腹一杯になれば満足するように、とりあえず中華
のコースで相当程度の満足感は得られるという意味では、以前にも指摘したとおり、
「豊かさの限界効用」は随分と逓減、我々は相応に満腹つまりは或る種の成熟段階に
現代日本(特に東京圏)は達しているといっていいでしょう。実際、東京こそが、お
そらく世界中のあらゆる都市を凌駕し、資本主義のエッジを実現している世界だと個
人的には確信しています。
ところでGDPが計測するものは、最終的な消費者の効用の総和ですが、その金額
の分だけ、財やサービスは消費され、誰かのニーズが満たされる訳で、成長が増せば、
つまりはGDPとして計測される金額が増えれば、もっと多くの叶えられないニーズ
が叶う、であれば成長は重要だとまずは言えるでしょう。
しかし、逆に高度化し、或る一定のニーズが満たされた社会となればなるほど、貨
幣に換算されない領域、ボランティアの領域が、自らの生の意味を問う(笑)市民た
ちの動きにもよって増してくるでしょうから、貨幣換算されないサービスや財の交換
領域が増えることも見逃せない論点でしょう。
ただ、重要なのは、この巨大な生産と流通と消費のサイクルを多少のぎくしゃくは
あっても、整合性をもって運動させえるのは、「貨幣が介在する交換」が世界の中心
にあるからであり、閉ざされた小さな町の自立性を持った経済(その代わり財もサー
ビスも限られる経済)の世界か、貨幣による交換に基づく、開かれた巨大な経済世界
か、の選択を考えるならば、やはりそれは人間の性として後者を選んでいく事に必然
性があると感じます。
だから、「人為」に過度に期待をかけているという意味で設計主義的な匂いを持つ
「成長を止める」とか「持続性のある成長」とかいった、自生性を持つ経済に箍を嵌
めようとする議論は、それ自体に危うさがあると思いますし、ボランティア的な動き
も、見知らぬ人間と見知らぬ人間を互いに想像もしていなかった異国で出会わせるよ
うな巨大なエネルギーを生み得ないという点で、「閉ざされた小さな町」を開かれた
世界で再構築する動き(徒花)でしかないと感じています。
或いは、貨幣による交換の代わりに、金日成のバッチを胸に着ければ、それであら
ゆる交換が見知らぬ他者の間でも成立する世界を想定することも可能でしょう(金日
成のバッチが、NAMのメンバー証でも、抽象的な世界、例えばヌートピアの住民票
でも、毛沢東語録でも、資本論でも、ケネディの肖像でも、ボブ・マーリのレコード
でもハッシシでも、なんでも構いませんが)。
世界市民的な連携こそが、ポスト資本主義という議論をイメージ化すればこうなり
ます。
しかし、その世界が貨幣交換が作り出したこの豊かさを守りえるか、更にはもっと
激しい運動のエネルギーを引き出し得るか、その点、大いに疑問です。
結局それは、地理的な意味ではない「小さな町」を再構築するか、先祖帰りした
「王国」を作り出すかしかない、試みなのではないでしょうか(貨幣交換の前に人間
を巨大なエネルギーで運動させたのは王でした。例えば信長という王の存在によって、
尾張清洲の土豪たちは、日本各地に散らばりその地域の大名として全く異なる世界に
定住していったのです)。
語りたいことが多すぎて今回議論が散漫ですが(あ、いつもか)、要するに何が言
いたいのか、と言えば、成長は必要かどうか、という議論自体に意味がなく、資本主
義はそのコアに飽くなき成長というDNAを組み込んでいるので、成長は自明のテー
マであり、成長なき世界は停滞し、没落するだけなのだという認識です。
ただ、そこには成長を志向しながら、そして同じそのGDPの枠の中で、交換され
る財やサービスは激しく変遷しながらも、貨幣総額は変わらないという「現象として
の停滞」が我々を蔽う、金利もゼロになり、世界は飽和点に達したように見える、そ
んな局面に我々が居るということでしょう。
この飽和状態を打破し、逆に高度成長を今後実現するもの、この豊かさの次の世界
を実現する動力たるもの、それは「技術革新」でしかない気がします。そしてまた、
その技術革新を可能にするものは、我々人間の「想像力」にしかない気がします。
新しい世界を夢想する力、過去、鳥のように空を飛べる世界を夢想した力、居なが
らにして遠い場所にいる恋人と話のできる世界を夢想した力、そのような力こそが、
成長の原動力であり、この世界を次の世界へと生まれ変わらせる鍵なのだと思います。
三菱証券 IRコンサルティング室長:三ツ谷誠
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■ 山崎元 :経済評論家・楽天証券経済研究所客員研究員
私自身が現在立派な具体案を持っているわけではないので、あまりに勇ましいこと
を言うのは気が引けるのですが、現状にあってなお経済成長を目標に据えたり、前提
条件と考えたりすることは、経済を考えるにあたって「知的に怠惰だ」といっていい
と思います。
人々が自らの効用を最大化する(最適な状態を選好する)行動を行う下で、取引を
通じて、資源が概ね最適な状態に配分され、利用されるなら、経済全体の活動規模が
大きくなること(=経済成長)は、人々の幸福を増進しているはずだ、というのが、
過去の経済学(特に厚生経済学、マクロ経済学)の大まかな思想(=中心的思い込み)
であったと思います。
こうした理解の下では、一方で経済活動の規模を、たとえば「完全雇用」と決めた
状態や、「自然成長率」として推定した成長率を目指して拡大し、他方で、富の分配
を棚上げして政治に押しつけつつ、「パレート最適」(簡単にいうと自由競争による
最適状態です)を価値基準として、市場原理が介在したことに一定の満足を見いだせ
ば、経済成長が個人の幸福の増進を意味するということが一応は言えるでしょう。
ところが、近年、行動経済学(イメージとしては心理学を応用した経済学の研究)
と、さらにこの基礎付けを脳神経科学に求める研究が発展した結果、人間の行動や意
思決定にあって、効用や選好といった経済理論の基礎概念とされていた(明示的でな
いものもありますが)ものが、少なくとも既存の理論が要求するような種類の一貫性
を持っていないことが分かってきたようです。しかも、その既存の理解からの乖離は、
ランダムに発生し且つ簡単に修正可能なミスのようなものではなく、脳神経学的基礎
を持った広く共通な現象のようです。
そうなると、(1)実際の人間の幸福の感じ方及び(2)意思決定と行動は、既存
の経済の合理性に関するイメージと、大きくちがいます。パレート最適に近づくこと
が、経済主体の大まかな幸福の改善を意味するかどうかが極めて疑わしくなりますし、
社会全体の経済成長がどのように達成されるかによって、集合的に見た個々人の幸福
の増進につながったり、つながらなかったりする、ということにもなる筈です。
端的に言って「(既存の新古典派的)厚生経済学はアウト!」でしょうし、厚生経
済学以外にも、多くの経済理論が既に致命傷を負いつつあるようです。
なお、脳神経から行動経済学に至る研究は、単に基礎理論の名目的な書き替えを
迫っているだけではなく、政策論の次元でも強力な影響を発揮しつつあるようです
(たとえば、証券市場の規制に関する考え方なども大きく変わる)。
幸福の尺度、といったものがまだ新たに登場したわけではありませんが、人間の幸
福がいかに達成されるかという観点から、大は政府の経済政策から、小は個人のライ
フプランまで(こちらの方が大事でしょうが)考え直す必要がありそうです。
かつて、たとえば「公害」といったマイナスの要素も含めて、社会全体の福祉ない
し幸福度合いといったものを考えるようなやや社会派的(?)な経済成長への懐疑が
あったように記憶していますが、現在、経済学研究の世界で問題になっているのは、
個人そのものの性質に関わる、より根源的な疑問であるように感じます。
ご質問の本筋ではなかったかも知れませんが、(経済成長を)「どのように考えれ
ばいいのでしょうか」という部分に絞ってお答えすると、たぶん、個々の経済主体に
とって、国単位の経済成長は二の次以下の問題だと考えておくのが適当だろうとお答
えしたいと思います。
なお、日本という単位での経済成長は、労働人口が減少する今後の人口の有り様と
他国の模倣による急速な技術進歩が望めないことを考えると、国単位では落ちると考
えるのが自然と見えますが、技術進歩や国民のヤル気によって、向上する可能性も十
分ある、要は、先の分からない(いい加減な)ものだと言えるでしょう。
また、国ベースでの経済成長が落ちても、旧来のフレームワークで考えても1人当
たりの経済成長が確保できる可能性がありますし、また、個々人がより幸福になる可
能性は幾らでもあります。
ともかく、人間にとって、何がフェアであるか、何が(どうなることが)幸福か、
どのような目標と行動が可能なのか、では、それで世の中はどうなっているのか、と
いったことを改めて考え直す必要がありそうです。
経済評論家・楽天証券経済研究所客員研究員:山崎元
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■ 菊地正俊 :メリルリンチ日本証券 ストラテジスト
日本経済は成長した方が断然いいでしょう。日本経済は成長余力がある限り、成長
路線を目指すべきでしょう。特に実質ではなく名目ベースでの成長が望ましいです。
名目GDPはバブル以前の10年間で約2倍に拡大しましたが、バブル崩壊以降は、
500兆円前後であまり変わっていません。バブルはバブルに過ぎず、清算に15年
間も要した訳ですが、名目GDPが成長していた時代の方が幸せだったといえます。
バブル崩壊以降、デフレによって実質ベースでみた個人消費は堅調だった訳ですが、
名目所得が増えなかったため、あまり豊かさは感じられませんでした。しかし、最近
は日本を含む世界の経済見通しが改善することで、株価が上昇し、明るい雰囲気が出
てきています。経済成長と株価上昇は消費者や企業のセンチメントにポジティブな好
循環をもたらします。
企業の期待成長率を考えるうえでは、内閣府が毎年1月に実施している「企業行動
に関するアンケート調査」が注目されます。企業の今後5年間の実質GDP成長率予
想は、2003年1月時点の1.0%から2004年1月時点に1.6%と4年ぶり
に上昇しました。今週発表された機械受注は市場予想を下回りましたが、団塊世代の
大量退職を控えた労働代替的な設備投資の増加や、企業の金余りを背景に、設備投資
は堅調さを維持すると予想されます。
日本は不良債権など様々な構造問題をようやく片付けましたが、残された構造問題
は財政赤字や年金問題です。経済成長と株価上昇がなければ、財政赤字や年金問題を
解決することも不可能です。
不況が来る、年収半減の時代が来ると煽る経済評論家がいますが、悲観的見通しを
マスコミで頻繁に述べることで、自分の懐が豊かになっている面があるようです。一
方、日本経団連の奥田会長は『人間を幸福にする経済 豊かさの革命』の中で、「2
1世紀の日本にはまだまだ経済成長を実現するだけのパワーがあると考えています。
経済成長だけが政策目標ではないといった声も聞かれますが、経済成長を続けること
の意義を過小評価してはいけません」と述べられていますが、全く同感です。
日本経済にどの程度の成長余地があるかは、潜在成長力の議論ですが、一般には実
質年間1 -1.5%程度の成長と考えられています。潜在成長率は投入労働力や生産
性(いわゆる全要素生産性)向上などによって決まります。ベストセラー『「人口減
少経済」の新しい公式』の執筆者である松谷明彦政策研究大学院大学教授は、「人口
減少に伴って日本経済の縮小は避けられない。日本は既にロボットも多く、資本装備
率が高いため、省力化による生産性向上にも限界がある」と述べられています。
ロボットの導入余地は議論があるところです。今年1月にトヨタが安川電機のロ
ボットを大量導入すると報じられたことは、企業に生産性向上のためのロボット導入
余地がまだあることを示唆すると思います。労働力の減少は避けられませんが、情報
化投資の増加、規制緩和、産業構造の転換、対内直接投資の呼び込み、起業家精神の
高まりなどによって生産性を高めて、経済成長を維持することが可能と考えます。
メリルリンチ日本証券 ストラテジスト:菊地正俊
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『人間を幸福にする経済 豊かさの革命』奥田碵/PHP新書
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4569628303/jmm05-22
『「人口減少経済」の新しい公式』松谷明彦/日本経済新聞社
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4532350956/jmm05-22
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■ 津田栄 :経済評論家
「経済成長」という言葉に、私たちは明るいイメージを持ち、肯定的に捉えています。
それは、日本が過去の「高度成長」を経験し、その恩恵を当時の国民の多くが濃淡は
あっても共有してきたからだといえます。しかし、現在「経済成長」といっても、低
い伸びしか期待できず、しかもほとんどの国民がその恩恵が共有できるわけではなく
なっています。なぜなら、多様化と経済的格差により、一部のものが経済をリードし、
その成長の恩恵を独占し、多くのものに広がらない構造に変化してきているからです。
つまり、国が経済成長を達成できても、国民全体の問題ではなくなりつつあるという
ことです。
さて、過去を振り返ると、日本が高度成長を実現できたのには、冷戦という世界政
治・経済情勢の好環境がありました。つまり、日本にとって、東西対決により、欧米
の資本主義経済圏内で守られ、輸出主導型経済を容認されたことです。
また、戦後、日本にとって国内的にも、資本ストックの増加、労働力の増加、技術
革新という経済成長の3大マクロ要因が揃っていたことも大きかったといえます。す
なわち、戦中に失った設備への新規投資、軍隊や軍需関係にとられていた若年層を中
心とする大量の労働力の供給、加えて比較的高い教育水準から海外の技術を導入して
それを吸収し、改良してなされた技術革新という三拍子が整って、世界的に例を見な
い経済成長を日本は遂げられたのです。
一方、その背景には、この経済成長を支えた日本の特別な構造がありました。実質
的に大きな権限を持った官庁による中央集権的な行政です。そのもとで、護送船団方
式などで見られるように、通達や行政指導により、業界を実質的に管理し、経済をあ
る一定の方向にコントロールすることができました。また、全国総合開発計画により
公共事業を全国的に行い、地域格差を是正しようとしてきました。こうした官を中心
とする政・官・業による強い結びつきのもとで、市場メカニズムを利用しながら資源
配分を行って経済を運営できたことも成長に大きく寄与したといえます。また、労働
者にとっても、終身雇用制や年功序列などの制度で守られ、経済成長により拡大する
利益の分配に与ることができました。
このように、当時の内外の政治・経済状況や経済構造が、高い経済成長を可能にし
たといえます。この高度成長期での「経済成長」が、ほとんど全ての人に何らかの利
益をもたらし、物質的な充実に伴って幸せを実感することができたため、良いものと
して共有できたのではないかと思います。
しかし、今、日本経済を取り巻く内外の環境は、高度成長期とは大きく異なり、冷
戦の終結とともに市場経済のグローバル化が進展する一方で、少子高齢化による労働
力の伸び鈍化、バブル期の過剰投資による過大な資本ストックによる非効率性、IT
による技術革新の急速なグローバル的拡大で、国際競争力の優位性が低下した上、こ
れまで経済成長を支えた経済構造が、規制による大きな障害となってしまったため、
高い経済成長が望めなくなっています。
もちろん、少子高齢化といっても、これまで戦力化されていない女性や高齢者の労
働市場への投入で、労働力はある程度カバーできますし、過剰な設備投資も、この1
0数年の整理でほぼ適正な水準となり、今後新規投資が期待されます。また依然製造
業において技術革新が日本で進んでいて、国際競争力は大きく低下したとはいえませ
ん。その意味で、もちろん、中国のように潜在成長力が高いと行き過ぎたバブル的な
経済成長もありますが、今後日本の経済成長は、国内需要の鈍化に伴い伸びが低下し、
それでも潜在成長力である1- 2%の成長は可能だと見ています。
しかし、これまでほとんどの人が共有できた経済成長の利益は、もう過去のものと
なっています。というのも、構造改革が地域、企業、個人の間で格差を表面化させ、
経済成長の恩恵が受けられない多くの者が出てきたからです。つまり、長期にわたっ
て維持され、自己増殖してしまった中央集権的な経済構造システムが、規制により非
効率性を生み、一方で日本全国を金太郎飴のように画一的にしたことで地域、企業、
個人の間で存在する格差を隠して柔軟性を失い、その無理がコスト高を招いてきたか
らです。そして、ヒト、モノ、カネが都市部や特定の大企業など中央に集中して拡大
した地域、企業、個人の間での格差が、構造改革で表面化した結果、経済成長があっ
ても、その恩恵は特定の地域、企業、個人のものとなっています。
したがって、日本においては、「経済成長」は、今後も可能ではありますが、過去
のように、その恩恵をほとんどの人が感じることは難しく、一部の地域、企業、個人
の世界にとどまるものと思います。そして、「経済成長」は、必ずしもすべてに幸せ
をもたらさなくなっています。もちろん、経済成長による恩恵を受けるものにとって、
経済は成長すべきであると言いましょう。そして、政府にとっても、経済成長は評価
される基準ですから、経済は成長すべきと言うでしょう。しかし、格差により、経済
成長は、もう共有できるものではなくなると、恩恵のない者にとって、必ずしも必要
不可欠なものと捉えられなくなってきているのではないでしょうか。
最後に、小泉構造改革は、これまでの経済成長の意味を変化させてしまったといえ
ます。これまで古い経済構造が経済成長の恩恵を広く薄く分配する機能であったため
格差をあまり気づかせなかったのですが、中央集権的な構造を残しながらの小泉構造
改革は、この格差を明確にし、経済成長の恩恵を一部のものに集中することを容認し
ました。そして、圧倒的な格差が存在するなかで競争を促したため、格差の固定化・
強化につながり、経済やその成長も一部の地域、企業、個人の独占になりつつありま
す(その点で、小泉構造改革は、失敗なのではないかと感じます)。結局、構造改革
は、そういう経済は果たして成長すべきなのか、さらに経済成長が本当に個人を幸せ
にするのかというもっと根源的な問題を私たちに突きつけたのではないでしょうか。
経済評論家:津田栄
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■ 金井伸郎 :外資系運用会社 企画・営業部門勤務
経済成長については、成長の3要素である「労働力」「資本」「生産性」の面から
考えるのがやはりわかり易いと思います。その中でも、「労働力」についてはあまり
議論の余地は無いでしょうから、「資本」と「生産性」の面から考えて見ることにし
ます。
「資本」の面では、これまで日本の経済成長を支えてきた成長要素のひとつとして、
経常収支の黒字による貯蓄超過を通じて自国内で成長をファイナンスする構造があげ
られます。しかし、既に「国民経済計算」などに見るように、マクロでの貯蓄率の低
下など、やはりここでも人口構成の変化(端的には老齢化)に伴う影響により、この
構造による成長要素は縮小ないし反転してマイナス要因となる可能性が高いといえま
す。
今後は、資本の面では、海外からの投資を通じた調達の重要度が相対的に高まるの
でしょう。今回、東京地裁がニッポン放送のフジテレビに対する新株予約権の発行に
よる増資の差し止めを決定しましたが、この裁判所の判断には、この買収劇の行方に
対する関心とともに、海外からの日本市場に対する評価への影響という観点からも注
目が集まっていました。仮に企業買収に対する安易な対抗策が容認された場合に、日
本市場の閉鎖性と受け取られ海外からの投資資金の流入にも影響するのでは、との懸
念はとりあえず後退した格好です。
一方で、カルフール撤退や、ウォルマートによる西友の経営改善の遅れなど、日本
に進出した流通外資の苦戦が報じられています。こうした「外資撤退」といった報道
にも、国内の流通産業の再編としての側面ばかりではなく、中国などの競合する市場
との投資誘致競争や資本獲得競争という側面を意識する論調が増えています。こうし
た意識の背景には、今後は「資本」という希少な資源をめぐる国際間の競争が激化す
る中で、わが国が成長市場としての魅力を維持できるのかという不安感があるので
しょう。
最後に「生産性」の面に関しても、基調としては必ずしも楽観的な見通しを許す状
況ではありません。これは、先進国での傾向として、90年代の好況期の米国は例外
とするものの、労働生産性の上昇率の鈍化が見られるという点です。これには、生産
性の高い製造業などの工業分野から、相対的に生産性の劣るサービス分野への労働人
口のシフトがその要因の一つとして指摘されています。こうした経済構造における
サービス分野の構成比率が高まっていくという傾向は、今後の日本経済に対する一般
的な認識とも一致しています。
こうした生産性の面から見てより非効率な分野への労働人口のシフトは、一種のパ
ラドックスとしてとらえられることもありますが、必ずしも経済合理性に反するもの
ではなく、「限界労働生産力」により説明されるものです。限界労働生産力とは、労
働の追加投入により、追加的な生産がどれだけ増大するかを表しています。限界労働
生産力が労働生産性を下回る状態であれば、労働の追加導入により労働生産性は低下
することになります。このような追加的な労働による労働生産性の変化、限界労働生
産性が資源配分上は重要な機能を果たします。
例えば、先進国の成熟した製造業のように、リストラによる生産性の改善が見られ
る工業分野では限界労働生産性がマイナスと認識され、こうした産業分野からは労働
力人口の流出が進みます。一方、サービス分野など労働生産性は低いものの、限界労
働生産性がプラスないしは相対的に高い分野へは、労働人口が流入することになりま
す。
こうした産業構造が変化する過程ではある程度の経済合理性が働くため、必ずしも
生産性の低下など経済の非効率化を直ちにもたらすものではありませんが、生産性の
上昇率の鈍化には結びつくというのが妥当な見方でしょう。
こうした認識のもとでは、あくまで経済成長に固執した政策を追及することは無理
があると思われますし、国民の個々人の幸福とも整合的であるかは疑問です。「成長」
よりは「幸福」が今後の国家の政策のキーワードになるという認識はその通りだと思
いますし、そうなることを個人的にも願います。
もちろん各個人の「幸福」とは客観的にどういう状況を指すのか定義が難しい概念
ですし、そもそも本人にしか判定できないものですので、結局は当人が現在の状況を
「幸福」と判定することに同意するかどうかという尺度で把握するしかないのでしょ
う。とにかく、そうして測られる「幸福度」と所得水準には明らかに正の相関がある
でしょうから、わが国においても、国民の「幸福度」と経済成長には一定の相関があ
ることは完全には否定できないでしょう。しかし、「幸福度」と1人当たりの所得水
準が1万ドルを超える国・地域では、相関が弱まるという傾向が見られるようですし、
あくまで経済成長に固執するほどの根拠にはなりえないように思います。
実際のところ、所得水準がそれ未満の成長国でも、幸福度は一様に所得水準と比例
しているわけというではありません。
成長国といえば、最近何かと注目されているのがBRICs諸国(ブラジル・ロシ
ア・インド・中国)です。これらの国々は政治体制、歴史、民族、宗教など、きわめ
て異なる背景を持つなど、成長国の「多様性」を象徴する一方、経済発展のモデルに
おける「共通性」を象徴する存在と言えます。これらの国々の間では、こと国民の
「幸福度」に関しては、圧倒的にブラジルが高いという調査結果があります。この結
果は、ブラジル人のおおらかな国民性など、われわれがブラジルに抱く一般的なイ
メージと合致しています。しかし、客観的には、ブラジルはこれらの4カ国の中で1
人当たりの所得水準が必ずしも一番に高いわけではないこと、水準と同様に「幸福度」
に影響を与えると言われる「所得の平等性」についても、国内に南北問題(州民の平
均所得格差が数倍以上に及ぶと言われています。ちなみに豊かなのは南部です)を抱
えていることなど、ブラジルが必ずしも国民の「幸福度」を高める上で有利な状況と
は言い難いことと不整合です。
実際のところ、何が「幸福度」を左右するかは複雑です。政治体制の面から見ます
と、ブラジルは4カ国の中で最も完全な民主主義に近い体制を有しています。皮肉な
ことにそのためもあり、ブラジルは、いまだに大統領選挙など国内の政治情勢が動く
たびに海外の企業や投資家あるいは金融機関などを神経質にさせずにおきません。し
かし、これまでのところ、そうした海外からの懸念をよそに、まがりなりにも経済改
革の路線は継続されています。前大統領のカルドゾ氏以来、こうした改革を国民に積
極的に説明しその合意を前提に進める路線を踏襲していることが、こうした安定度を
もたらしているのでしょう。若干、理想論的な見方になりますが、経済や生活の面で
は苦しい状況がありながらも、国民の間に国をよりよい方向に向かわせているという
自覚が持たれていることが、その「幸福」感に幾らか繋がっているのかもしれませ
ん。
こうした「幸福な発展途上国」と対照的に、日本は「不機嫌な先進国」とでも形容
したらよいのでしょうか。確かに「各個人が勝手にそれぞれの幸福を追求すればよい」
という立場もありますが、政治的な課題としては「国民の幸福度」を高めることは重
要だと思います。ただし、ここで必要なことは実態のない幸福感を演出することでは
ありません。国民が現状を正しく認識して、必要なことを必要と認め、その上で選択
した政策がよりよい将来の方向性を向いているとの自覚を持てることだと思います。
いたずらに「不幸感」にとらわれる国民のもとでは、年金改革や財政改革など必要で
も痛みを伴う改革は進みません。
外資系運用会社 企画・営業部門勤務:金井伸郎
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■■編集長から(寄稿家のみなさんへ)■■
Q:601への回答ありがとうございました。今週半ばに書き下ろし『半島を出よ』
の見本が出来上がってくる予定です。実際に本を手にとって見るまでは、どうもほか
の仕事が手につきません。版元である幻冬舎と相談の上、『半島を出よ』に関する画
期的なJMM特別配信号を考えています。
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Q:602
ソニーが初めてトップに外国人を起用するようです。このことは何を象徴している
のでしょうか。
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村上龍
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