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それは取得割合が3分の1超でなかったからというより、フジテレビという旧守派、既得利権屋を、他の大手メディアもできれば応援したいという気があるからではないのか。なぜか、フジテレビや日枝久会長のスキャンダルには端から目もくれず、ライブドア・堀江貴文氏の闇社会との癒着、下半身問題など、ともかくこちらのスキャンダルだけを血眼になって捜している同じマスコミで飯を食っている連中を見ると、この国のジャーナリズムの不毛さに、わかってはいるものの、改めて暗然たる思いになってしまう。
情報紙「ストレイ・ドッグ」(山岡俊介取材メモ)
http://straydog.way-nifty.com/yamaokashunsuke/
ライブドアを批判できるか!? ニッポン放送株買占めのため、自らも半年前、「立会外取引」をやっていたフジテレビ
●支配権を握るため12%以上取得。米国なら5%以上はTOB義務づけ
ともかく、まずは以下の記事をご覧いただきたい。
「日経新聞」(2004年9月11日朝刊)
フジテレビジョンは十日、自社の筆頭株主であるニッポン放送の株式四百五万株を取得したと発表した。ニッポン放送の発行済み株式数の一二・四%に相当し、村上世彰氏が出資する投資会社の一六・六%に次ぐ第二位の株主となる。フジテレビはニッポン放送への出資比率を高めて発言力を強め、グループ経営基盤の強化を狙う。
フジテレビは同日の立ち会い外取引でみずほコーポレート銀行など国内銀行五行からニッポン放株を取得。二百億円強の取得代金は手元資金でまかなった。これにより持ち株比率は〇・〇三%から一二・四%(議決権の比率は一三・六%)へと大幅に上昇した。 ニッポン放送はフジテレビの筆頭株主。春先にフジテレビ株の一部を売却するなどした結果、出資比率は三二・三%から二二・五%に低下した。商法上の規定により、ニッポン放送の出資比率が二五%以下に低下したことで、フジテレビはニッポン放送に対して議決権を行使できるようになったため、資本関係の強化に踏み切った。
両社の資本関係を巡っては、村上氏率いる投資ファンド「M&Aコンサルティング」がニッポン放送株を大量保有し、〇三年九月に筆頭株主に浮上。時価総額の小さなニッポン放送が時価総額の大きなフジテレビの筆頭株主になるという資本構造の是正など経営の見直しを迫っていた経緯がある。
M&Aコンサルティングは今回のフジテレビによる買い増しについて「グループ基盤強化の具体的な内容を見極めたい」と静観する構えだ。
このように、いまから約半年前、フジテレビは「立ち会い外取引」でニッポン放送の株を買い占めていたのだ。
たしかに、この時の取得割合は12%余りで、今回、法的に規制対象となる3分の1以上ではない。
だが、フジテレビ側がライブドアを批判する際の根拠は、「市場の調整機能」という立ち会い外取引の役割を超え、敵対的買収に利用する脱法行為と見たからだろう。要するに、支配権確保の問題だ。
とすれば、フジテレビはニッポン放送の味方で敵対的行為ではないというだろうが、それはニッポン放送、既存株主が判断すべきことだし、いずれにしろ、今日のTOBによる25%以上取得の布石だったのだから、本来の立ち会い外取引の市場調整機能外だったのは明らか。しかも、米国においてはTOBが義務づけられている5%以上の軽く2倍以上、200億円を超える買い占めだったのだ。
フジテレビは、声高にライブドアの「立ち会い外取引」を批判できないのではないか。
それに、当時、大株主だったみずほ銀行などから買ったとしているが、25%以上取得しないと支配権の意味がないことを思えば、他に購入できる当てがなく12%超に止まっただけでのことで、可能なら25%ないし3分の1以上「立ち会い外取引」で取得するつもりもあったのではないか?
この事実、実は本紙が今回のフジVSライブドア問題の関連で気付いたのではない。
すでに以下のようなサイトで、報道されている。
補足説明が付いているので、参考のため、リンクできるようにしておく。
○「時間外取引を先にやったのはフジテレビ 2005年3月9日 萬晩報」
○「フジテレビのニッポン放送買収 2005年1月22日 磯崎哲也事務所」
それにしても、この事実がなぜ大きく報じられないのか。
それは取得割合が3分の1超でなかったからというより、フジテレビという旧守派、既得利権屋を、他の大手メディアもできれば応援したいという気があるからではないのか。なぜか、フジテレビや日枝久会長のスキャンダルには端から目もくれず、ライブドア・堀江貴文氏の闇社会との癒着、下半身問題など、ともかくこちらのスキャンダルだけを血眼になって捜している同じマスコミで飯を食っている連中を見ると、この国のジャーナリズムの不毛さに、わかってはいるものの、改めて暗然たる思いになってしまう。