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天皇ご一家思い出の軽井沢
消えゆく?西武・千ケ滝プリンス
天皇陛下が皇太子時代の毎年夏、ご一家で静養の際の滞在先だった長野県軽井沢町の千ケ滝プリンスホテル。その存続が危ぶまれている。所有者のコクド前会長の堤義明容疑者(70)が逮捕され、西武グループの遊休資産は売却される方向のためだ。皇室に接近する堤容疑者の「ロイヤルブランド」戦略がついえた今、千ケ滝プリンスも消え去る運命なのか−。 (吉原康和)
■戦後次々と買い取り
千ケ滝プリンスホテルはもともと皇族の朝香宮家の別荘だったが、終戦後の一九四七年八月、西武グループの創業者、堤康次郎氏が買い取った。この後、都内などでも旧皇族の宮家から土地を買収し、高輪、新高輪、赤坂、横浜の所在地名とプリンス(王子)という言葉を冠したホテルを次々開業させていった。
陛下が初めて軽井沢を訪れたのは、皇太子時代の四九年。英語教師のバイニング夫人の別荘に宿泊したのが最初だが、その後は千ケ滝プリンスホテルを宿泊先とし、五九年の結婚後は一家で毎年夏の間、一カ月近く滞在してきた。
敷地面積が約三万六千平方メートルあるホテルとはいっても、木造二階建て五百九十平方メートルの本館と社宅など五棟からなる別荘風だ。六四年以降、一般客を受け付けず皇室専用とされてきた。現状は「月一回ペースでメンテナンスしているが、宿泊は難しい状況」(コクド広報室)という。
「私も何度も(皇太子時代の)両陛下のお供して建物の中に入りましたが、フランス風の大変しゃれた建物でしたよ」
元宮内庁東宮侍従の浜尾実氏は、懐かしそうにこう振り返りながら、「建築物としては価値はあると思います」と語る。
■等価交換し敷地提供
地元・軽井沢町の佐藤雅義町長は「軽井沢は両陛下の友人、知人も多い所ですので、町民の間でも、いつでも来ていただくため、御用邸がだめなら別邸でもいいから、ぜひ誘致したいという根強い声があります」と話す。御用邸構想については「昨年五月に堤さんにお会いした時にもその話はしました」と言い、「これはあくまでも私案です」と前置きしながら、構想の一端を打ち明ける。
私案とは、数年前に町に寄付された同町長倉の町有地の山林約四万六千平方メートルと、千ケ滝プリンスホテルを等価交換し、同町が、同ホテル敷地を宮内庁に提供する形で御用邸を誘致したいという構想だ。
「建物はもちろん宮内庁の方で建ててもらうにしても、これなら、建設費は数億円で済む」とメリットを強調するが、「その後堤さんから(交換の)返事はもらっていません」。
■遊休資産 売却の方向
西武グループ経営改革委員会(諸井虔委員長)は、基本的に不採算のリゾート施設や遊休資産については売却の方針だ。佐藤町長は「機会をみて、経営改革委の諸井さんか、西武グループの新経営陣にあらためて提案したい」と話す。
軽井沢の御用邸構想が持ち上がったのは、初めてのことではない。
「昭和の終わりころ、宮内庁や長野県、営林署の関係者十人前後が四日間滞在したことがありますが、毎日、山林の伐採跡に入って測量などをしていました。御用邸の候補地は三つあって、ここの国有地が最有力だと聞かされました」と地元のホテル関係者。
平成に入ってからも、同様の御用邸構想にまつわる話は尽きない。
別の温泉関係者も「西武の堤さんが千ケ滝スケートセンター敷地に温泉を引きたいということで、地元の温泉組合が対応を協議したことがあった。その際、組合幹部が『温泉が出れば、将来、御用邸に引きたいという計画もある』と話していた」と証言する。
町議会幹部も「古参議員の間でも当時、スケートセンター周辺に御用邸ができれば大歓迎という声があったのは事実」と振り返る。
■皇后さま 懐かしみ歌
だが、両陛下は即位後の九〇年八月、静養の際に千ケ滝プリンスホテルに滞在したのを最後に、同ホテルを訪れていない。そして、これに歩調を合わせるように、御用邸構想もいつの間にか立ち消えとなった。
「那須、葉山、須崎の三つの御用邸があるにもかかわらず、即位後も一営利企業のホテルを使い続けるのはいかがなものか、という批判があったのも、その原因の一つ」と町関係者。
だが、思い出のたくさん詰まった軽井沢町への両陛下の思いは、想像以上のものがあるようだ。
<かの町の野にもとめ見し夕すげの月の色して咲きゐたりしが>
皇后さまが二〇〇二年、「夏近く」と題して詠まれた歌だ。〇三年の年頭に発表されたが、この歌には「かつてよく夏を過ごした軽井沢を懐かしんで」という宮内庁の注釈が付けられていた。その年の夏、両陛下の軽井沢訪問が十三年ぶりに実現したが、宿泊先はホテル「鹿島ノ森」だった。
「(両陛下は)皇太子時代に一家で毎年夏を過ごされた軽井沢には、人一倍の愛着がある。特に、皇后さまの思いが強いのは『夕すげ』の歌に表れている」
ノンフィクション作家で「祈り 美智子皇后」の著書のある宮原安春氏は、両陛下の胸中をこう推察しながらも、「皇太子時代の思い出の地の軽井沢に行くことと、千ケ滝プリンスホテルを使うことは、全く別問題だ」と話す。
■「堤容疑者が利用した」
浮かんでは消え、消えては浮かぶ御用邸構想。そのの中心にちらつくのが、コクドの所有する千ケ滝プリンスホテルだ。
前出の浜尾氏は「地元が御用邸用地の寄付を申し出ても、宮内庁はお断りすると思います。法的にも、そういったものの献上を受け付けないことになっています」と指摘する。
「軽井沢ものがたり」の著書があるノンフィクション作家の桐山秀樹氏も「これまでに何度も御用邸構想が持ち上がった。それを西武グループのブランドアップに利用しようとしたのも、つぶしたのも堤容疑者。今後、皇室が使うことはあり得ない」と言い切る。
■保存には多額の費用
では、千ケ滝プリンスホテルはどうなるのか。
同町で歴史的建築物の保存運動に取り組む「軽井沢ナショナルトラスト」メンバーの藤巻進町議は「軽井沢はこれまで西武のおかげで広々とした空間が整然と保たれてきたが、今後、切り売りされると乱開発を招く」と懸念し、「千ケ滝プリンスは軽井沢にとって、イメージアップにつながったのは事実。何らかの形で残せれば」と語る。
千ケ滝プリンスホテルは両陛下にとって、一家だんらんの時を刻んだ思い出の滞在先のひとつだが、すでに建物は廃虚に近い状況。移築、保存は新築以上にばくだいな資金がかかる。
御用邸構想とブランド力のアップ。堤容疑者の秘められた野望が朽ち果てた今、同ホテルはいずれ、静かに歴史の表舞台から消えゆく運命なのだろうか。
http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20050311/mng_____tokuho__000.shtml