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(回答先: 米フェデレーテッド:メイ買収で合意、規模110億ドル−業界2位に (ブルームバーグ) 投稿者 愚民党 日時 2005 年 3 月 01 日 05:55:47)
パリコレ 弱まる神通力 常連相次ぎ不参加
デザイナーの創造性正念場
【パリ=藤田綾子】世界的デザイナーが創造性を競う2005−06秋冬パリコレクションが二月二十八日、パリ市内で開幕した。約九十ブランドが七日まで、パリ市内各地でショーを繰り広げる。六日には鳥居ユキさんがパリコレ三十周年を迎えるショーを開くなど、日本人デザイナーにとって、パリコレは今も変わらず最高の舞台ではあるが、一方で常連組が相次いで参加を見送るなど、変化も見え始めている。デザイナーが創造性を競う場としてのパリコレは正念場を迎えている。
≪個性より市場?≫
「マーケティングではない、ちゃんとした服の力を見せたかった」
この日、ショーを終えた舞台裏で、山本耀司さんはこう語った。
計算し尽くしたカッティングによる構築的な服は、観客を大いに魅了した。布を重ねたり、シフォンのリボンで結んだり、コートだけでも幾通りもの表現がある。「次に何がはやるか」「何が売れるか」というマーケティングに、何の意味があるのか、と気を吐いた形だ。
ファッション界は今、巨大ブランドグループへの集約が進み、数字や効率が重視されるようになった結果、デザイナーの個性や創造力は以前より発揮しにくい状況になっている。もともと企業ビジネスとの関連が強いニューヨークやミラノコレクションとの差別化を図り、今後、パリコレが「創造性」をどう守っていくのかが問われている。
≪ショー漸減≫
最近パリコレが何となく元気がないといわれる。その大きな理由に、ショーの数自体が少しずつ減っていることがある。
例えば今回、プラダグループ傘下のヘルムート・ラングが、デザイナー本人の辞任などによりショーを取りやめたのをはじめ、経営難に陥ったマルティーヌ・シットボンが前シーズンに引き続き不参加。英国人デザイナー、ジュリアン・マクドナルドが去った後のジバンシィも、デザイナー不在のままショーの舞台に帰ってこない。
日本人デザイナーも相次ぎ参加を見送った。一九九二年から発表を続けてきた菱沼良樹さんは、きっぱりパリコレをやめた。
理由は「半年サイクルで服を作り続けるという忙しさや惰性から離れるため」。これからの人間に必要な服、もっと新しいモノ作りに挑戦したいという。
また、常連の田山淳朗さんや中野裕通さんは、スケジュールの不都合や準備不足を理由に、今回はそれぞれパリコレ参加を取りやめた。
≪エネルギーの場≫
華々しいパリコレのショーはデザイナーにとって、世界に通用するかどうかの力試しの場。と同時に市場へのプロモーションの場でもある。九〇年代前半まで十年間参加していたコシノヒロコさんは「日本市場へのプロモーション的側面が大きかった」と振り返る。
だが、相次ぐ不参加に見られるように、「パリコレ」の神通力が、プロモーション的にも以前よりは小さくなってきているようだ。
とはいえ、世界中からの新しい才能が集まるパリは、デザイナーにとって素直に魅力的な街といえるだろう。今年、パリコレ三十周年を迎えた鳥居さんは語る。
「新しいアイデアを出すだけでなく、吸収することができる街。パリコレという『場』が、私のエネルギーの糧になっているのです」
http://www.sankei.co.jp/news/evening/02iti002.htm