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(回答先: フジのTOB、状況次第で応じる可能性も…堀江社長 (読売新聞) 投稿者 愚民党 日時 2005 年 2 月 27 日 04:54:32)
情報メディアの融合―天の板と地の板
堺屋 太一 (作家、経済評論家)
http://www.hbf.or.jp/30/07_sakaiya.html
この20年間に、世の中はすっかり変わった。それは技術革新とか、経済発展とか、社会改革とか、政治刷新とか、個々別々の変化の集積ではない。世の中全体が根本から変わったのだ。私はそれを産業革命に次ぐ文明の大変化「知価革命」と呼んでいる。この20年ほどの間に、近代工業社会が終わり、知価社会がはじまったのである。
近代工業社会と知価社会とは、すべてが違う。もちろん、情報環境もまったく違う。
近代工業社会の情報環境は、天の板マスコミと地の板口コミのニ板で形成されていた。
天の板マスコミは、専門家によって管理運営され、選定された情報だけを広く雨のように降らせる。これに対して地の板口コミは、すべての人々が思いのままの情報を発信するが、その対象は氏名や住所、電話番号を知った特定の知人に限られている。だからこれを受け取る側は、発信者の立場や人柄などを知っており、それを加味して情報を咀嚼する。
この情報環境(社会的な仕組み)は、産業革命以降変わらなかった。マスコミの主役が新聞からラジオとニュース映画になり、テレビになっても、天の板が少数の専門家によって管理運営され、選定された情報を広く降らせることには変わりがない。むしろ、メディアの発達は、発信者による説得力を高め誘導力を強くした。
このため、近代工業社会の政治家はみな、マスコミの操作に気を遣った。ラジオと映画の時代のヒトラーやルーズベルトも、テレビ時代のケネデイやカストロも同じである。
これに対して地の板口コミは、郵便と電話など通信の発達で、ネットワークを拡げはしたが、特定の知人間の交信の域を出なかった。一般のマスコミ受信者が、マスコミに参加することはほとんど不可能だ。敢えて意見を出すとしても投書か電話、つまり通信によってマスコミ管理者に訴えるに過ぎない。
80年代のケーブルテレビや衛星放送の発達は、マスコミの単位を細分化、放送に参加する人数を増した。ここまではまだ天の板が低く降りて来たような現象に過ぎない。
だが、90年代に普及したインターネットはまったく違う。誰でも少しの費用と手間で、不特定の見知らぬ人々に情報を発信することができるようになったのだ。
これによって天の板と地の板の間は埋め尽くされた。知価社会の情報環境は、天地の間がぎっしりと詰まった立体形である。
この結果、私たちは「見知らぬ発信者」から多種多様な情報を受け取る。その中には相手の性格も立場も、住所や氏名も、年齢性別さえ分からないものも多い。
知価社会とは、誰もが世間一般に対して情報を発信し、誰からも多様な情報を受け取れる楽しくも猥雑な世の中である。ここに生きる者は、多源多様な情報を楽しむ好奇心と、猥雑な情報に冒されない免疫力を持たなければならない。知価革命による情報環境の変化は、人間の生き方と人類の文明全体を変えようとしている。
<執筆者のご紹介>
堺屋 太一(さかいや たいち) 作家、経済評論家
1935(昭和10)大阪生れ。東京大学経済学部卒業(1960)後、通産省入省。日本万博博覧会を担当したり、沖縄開発庁に出向中は沖縄海洋博を手掛けた。1962年通商白書では「水平分業論」を展開し、世界的に注目される。1978年に退官。作家として予測小説手法を開発、「油断!」「団塊の世代」「平成十三年」等のベストセラーのほか歴史小説「巨いなる企て」「峠の群像」「豊臣秀長」等を執筆。また、1985年に出版した経済理論「知価革命」は世界8ヵ国語に訳され国際的評価を得ている。(財)アジアクラブ理事長、国会等移転審議会委員、政府税制調査会委員などを歴任。1998年7月より2000年12月まで経済企画庁長官を務める。現在、東京大学先端科学技術研究センター客員教授、早稲田大学大学院ファイナンス研究科客員教授。
http://www.hbf.or.jp/30/07_sakaiya.html