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サウジ滞在記(2)服装にみる伝統パワー  田中宇の国際ニュース解説
http://www.asyura2.com/0502/hasan39/msg/1072.html
投稿者 愚民党 日時 2005 年 4 月 13 日 14:06:40: ogcGl0q1DMbpk

田中宇の国際ニュース解説 2005年4月7日 http://tanakanews.com/

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★サウジ滞在記(2)服装にみる伝統パワー
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●妻もサウジアラビア日記を書き始めました。
http://tanakanews.com/sayuri/

 サウジアラビアの人々の特徴として誰もが感じるのは、服装のユニークさで
ある。それは、欧米の様式が標準であり常識であるという今の世界のあり方と
は別の道、伝統を重視する独自の道を行っているサウジアラビアの社会のユニ
ークさを象徴している。

 リヤドのサウジ人の格好について、第一に印象に残ることは、大人の服装が
多様でなく、男性の格好と女性の格好がそれぞれ伝統的な1種類ずつであるこ
とだ。リヤド市民の半分ほどは外国人労働者であり、外国人はそれなりのふつ
うの洋服を着ている。

 つまり、サウジ人か外国人か、という見分けがひと目で分かるようになって
いる。リヤドのサウジ人は、外国人とは違う伝統的な格好にこだわることで、
サウジ人としてのアイデンティティや「正統性」を示しているようにも見える。

 男性は「トーブ」と呼ばれる真っ白な、かかとまで隠れるワンピースのガウ
ンを着て、頭には「グトラ」「クーフィヤ」「シマッグ」などと呼ばれる、赤
白のチェックもしくは白色の布をかぶり、その布を頭に固定するために「イガ
ール」と呼ばれる太い布の紐を頭に二重に巻いている。リヤドでは、大人のサ
ウジ人男性のほぼ全員が、この格好をしている。
http://www.toursaudiarabia.com/thobe.html
http://www.desertstore.com/For-Sale-Directory/Islamic-Clothing-Middle-Eastern-MenClothing.html

 グトラが白の人と、赤白チェックの人がいる。暑いときは白をかぶり、そう
でないときは赤白をかぶると聞いたが、男性の服装のバリエーションとしては、
このグトラの2種類の色だけである。暑くなる直前の今の季節だと、赤白の人
が7割、白色の人が3割といったところだ。20歳代ぐらいまでの若者の中に
は、伝統的な格好よりもジーンズなどの洋服を着て歩く人もいるが、それより
上の大人のサウジ人男性はほぼ全員が、伝統的な格好である。

 白いトーブを着て白いグトラをかぶり、頭に黒いイガールを巻いた姿は、白
くて頭に黒い毛が3本生えている「オバケのQ太郎」に似ているので、サウジ
人男性の格好を「オバQ」と呼んでいる日本人に、中東全域でこれまでに何人
も会った。金持ちのサウジ人男性たちは、周辺のドバイやカイロ、ベイルート
などに休暇で出かけ、金遣いや人使いも荒く、飲酒や売春など、母国ではでき
ない放蕩を行う(という印象を周辺国の人々に持たれている)ので「オバQ」
は「へんてこな金持ち」というイメージにつながっている。
http://www1.odn.ne.jp/cjt24200/yamada/text/q/

 しかし、リヤドに来てみると、サウジ人の男性の全員がオバQスタイルなの
で、異様な格好という感じではなく、むしろサウジ人のナショナリズムを示す
民族衣装であると感じられる。

 サウジ人男性が民族衣装を着るのは、宗教的な理由からではない。イスラム
教としては、男性はパンツをはいていれば問題ない。社会的な強制があるわけ
でもなさそうで、リヤドで親しくなったあるサウジ人男性は「ナショナリズム
が強いから、みんな伝統的な格好をしているのだ」と言っていた。

▼男は白、女は黒

 男性の服が白を基調にしているのに対し、女性の服装は黒が基調である。男
性が白いガウンを着ているのに対し、女性は「アバヤ」と呼ばれる黒いガウン
を着ている。男性が頭に白いグトラをかぶるのに対し、女性は頭に黒い「ヒジ
ャブ」(ヘジャブ)と呼ばれるスカーフを着用し、髪の毛を隠している。

 この格好は、サウジ人だけでなく、サウジに滞在する外国人女性にも義務づ
けられている。男性の服装が義務ではないのに対し、女性の服装は義務である。
男性の服装はイスラム教ではなく伝統に基づいたものであるのに対し、女性の
服装はコーラン(クルアーン)で女性が身体をおおい隠すことを求めているた
め、義務の意識が強くなっている。
http://muttaqun.com/niqab.html

 さらにリヤドでは、多くのサウジ人女性が、ヒジャブによって髪の毛を隠す
だけでなく、鼻と頬と口を「ニカブ」とか「ブルカ」と呼ばれる布で隠し、外
から見えるのは目と手の先だけという格好をしている。

(サウジの女性服は、アバヤとヘジャブとブルカの3点セットだが、アフガニ
スタンなどでは、これらがワンピースになった服装が普通で、それがブルカと
呼ばれている。ブルカは、アメリカがアフガニスタンのタリバン政権を批判す
る材料として非難したので有名になった)

 髪の毛を隠すのはイスラム教に基づく義務だが、顔を隠すことは、イスラム
教に基づく義務なのか。それともイスラムの教えの範囲外のアラビアの伝統に
基づくものなのか。この件に関しては、サウジ国内で以前から議論が繰り返さ
れている。コーランに書いてある「女性は身体をおおい隠すべき」という語句
は、身体のどこまでを隠すべきだという意味なのか、髪の毛までなのか、顔全
体なのか、目も含まれるのか、といった解釈の論争である。

 私の妻が親しくなった若いサウジ人女性は「私は外出するとき、髪の毛はお
おうが、顔はおおわない。髪の毛を隠すのはイスラムの教えなので積極的に守
っているが、顔をおおうのはサウジアラビアの伝統的な習慣でしかないので、
やる必要はない。町で宗教警察(ムタワ)を見かけたら、厄介な状況に置かれ
たくないのでヘジャブの端で顔を隠すけど、それは現実的な対応であって、私
の信仰心とは関係ない」という趣旨の説明を、妻に対してしていたそうだ。

(女性の会合に男性が呼ばれることはないので、私は直接彼女に話を聞くこと
ができない。私の妻は、自分のサイトでサウジ女性についての記事などを書い
ているので、詳しくはそちらを見ていただきたい)
http://tanakanews.com/sayuri/

▼女性の運転禁止はイスラム的か?

 宗教界が禁止したり奨励したりすることが、イスラムの教えに基づくものな
のか、イスラムの教えに基づいているように見えて実はそうではなく、アラビ
アの伝統にしか基づいていないものなのか、ということは、女性に自動車を許
可するかどうかといったことなど、いくつもの事柄に関して議論になっている。

 サウジアラビアでは女性の自動車の運転が禁じられているが、預言者ムハン
マドの妻は、自らラクダの隊列を率いて商品を運ぶビジネスウーマンだった。
当時のラクダは今の自動車に当たると考えると、女性が自動車を運転すること
がイスラムの教えに反しているという考え方は間違っていると主張する人もサ
ウジにおり、議論が続いている。

 サウジは公共交通の少ない自動車社会であるだけに、この議論は人々の生活
に密着した重要な問題だが、妻が知り合った十数人のサウジ人女性の中には、
くるまの運転なんかしたくない、そんなことは夫や運転手に任せた方が楽だと
言う人が何人もいたという。サウジの多くの職場では、男性の遅刻の理由とし
て「妻が買い物に行くので、自家用車で送迎しなければならなかった」という
のが認められている。

▼ヘジャブの強要と禁止、どちらが人権侵害か?

 サウジアラビアでは、女性に対する独特の規制がいろいろある。アバヤとへ
ジャブを義務づけている服装の規定や、女性には自動車の運転が許されていな
い(運転免許証が交付されない)ということはすでに書いた。

 このほかにも、女性には身分証明書や旅券が発給されず、夫や父親の身分証
明書に付記される形式になっており、夫や父親などの親族が付き添わないと外
出や旅行に行けないこと、この女性に行動の自由がないことから派生する、女
性は外で仕事に就くことが難しいこと、家族法が男性優位になっていることな
ど、いくつも規制がある。

 これらを指摘して、欧米や日本では「サウジでは女性が差別されている」と
いう主張がなされ、アメリカの「人権主義者」は「イスラム教そのものが女性
を差別しているので、サウジなどイスラム諸国は、人権重視の民主社会を作る
ためには、欧米のように政教分離する必要がある」と主張している。特に過激
なネオコンなどは「サウジ国民の民主化運動を支援し、王政を倒すことを扇動
するのが良い」と言っている。

 しかし私がみるところ、これらの人権主義の主張は、おそらく根本的に間違
っている。

 リヤドのサウジ人の多くは、男女問わず、イスラム教の信仰心が非常に強い。
すでに紹介したように、顔をベールでおおうことは「イスラム教に基づいた決
まりではない」として守らなくても良いと主張する人がいるが、髪の毛をベー
ルでおおうことは、イスラム教に基づいた決まりであると広く認められたこと
なので、ほとんど誰も破りたいと思っていない。

「政教分離」にこだわるトルコやフランスなどで、学校の教室や役所の職場で
のヒジャブ着用が禁止されたのに対し、イスラム教の女性たちが猛反対すると
いう事件が起きているが、これも同じ現象である。敬虔なイスラム教徒の女性
にとっては、公共の場でヘジャブを着用することが強い要求であり、政教分離
の名のもとにそれを阻止することの方が抑圧であり、人権侵害だということに
なる。

▼宗教熱心な無神論者、政教分離を望まない政教分離主義

 サウジ人が伝統的ないしイスラム的な格好をしていることは、おおむね彼ら
個人の自由意志に基づいており、抑圧の結果ではない。サウジアラビアにおけ
る平均的な人々の信仰心は、他のアラブ諸国よりもかなり強い。これは、イス
ラム教の中心地であるメッカを国内に持っていることに由来する国民意識だと
思われる。

 人々が議論をする際にも「イスラムの教えに反してもかまわない」という考
え方に基づいて主張をしている人はおそらく誰もいない。あるサウジ人は「こ
こでは共産主義者でさえ無心論者ではなく、1日5回のお祈りを欠かさない敬
虔なイスラム教徒だ」と説明していた。

 サウジアラビアでは最近地方議会選挙があり、そこでは主にイスラム主義者
とリベラル派の間で選挙戦が展開されたと報じられたが、そこでの論争も、リ
ベラル派が政教分離を求めているわけではなく、イスラムに基づいた政治シス
テムを透明化・合理化することを求めている。

 欧米のリベラル主義は、個人が宗教的な拘束から逃れて自由になる政教分離
を求めるところから始まっているが、サウジのリベラル派は、イスラムの枠内
から出ていくことを求めていない。サウジのリベラル派は、報道や言論の自由
を求めている点では、欧米のリベラル派と同じだが、政教分離という本質的な
ところでは、リベラルと呼ぶべきものではない。

 人々の議論の前提は「良いイスラム教徒としてどうすべきか」ということで
あり、たとえば「女性が自動車の運転をして良いか」どうかという議論は「女
性は自動車を運転すべきではない」という考え方がイスラムにのっとったもの
であるか、そうではないかという部分で論争される。

 欧米タカ派の論調によくある「イスラムは遅れた宗教なのだから、そこから
離脱することが中東の改善につながる」という考え方は、サウジ(と中東の多
くの地域)では支持されない。宗教がからむ話の議論では、人々の理屈は「自
分の方が本当のイスラム教に基づいた主張である」という線に沿って展開され
る。欧米の人権論者が求める方向とは逆である。

▼ベールの起源は農地分配を防ぐため?

 中東イスラム世界で女性が髪の毛や顔を隠すことが義務づけられているのは
なぜかということについては、地中海の農耕文明の古い習慣に基づいていると
いう見方がある。

 地中海周辺の農耕文明は、土地が子孫に細かく分配されていくことを防ぐた
め、親は娘を、地縁血縁のない男性とは結婚させないようにする伝統が古くか
らあり、その一環として、娘は親族以外の男性に顔を見せない(見せると男た
ちが娘と結婚したがるから)という風習ができ、それが地中海世界の周縁部に
あるサウジアラビアでも、イスラム教の発生以前から行われていた。

 たしかに、サウジを含む中東では今も、地縁血縁のある人どうしの結婚が多
い。地中海の東側にある中東だけでなく、西側にあるスペインやイタリア南部
などでも、女性がベールをかぶる伝統が存在し、これもヘジャブと同根だと考
えられている。

 ベールとヘジャブの文化は、古くは地中海全域にあったが、その後欧州では、
宗教界の腐敗を嫌い、神と人との間に介在していた教会をすっとばして神と人
間がつながろうとする宗教改革が行われた。それは、宗教界がおさえていた社
会規範から個人を解放する動きとなり、ベールの着用義務は一部のカトリック
教会の中だけに残り、社会一般には人々はベールを着用しなくなった。

▼地中海二大宗教の相克と近代化

 イスラム教では、もともと神と人とが直結しており、キリスト教で行われた
ような宗教改革は行われず、それとは全く逆に、イスラム世界で繰り返された
「改革」は、イスラムが発生した最初の姿に戻ろうと努力する「宗教純化」の
運動だった。

 欧州キリスト教世界は、宗教改革によって個人の自由な発想が増し、それは
産業革命につながり、軍事技術を急速に発展させた欧州は、地中海文明のライ
バルだった中東を分割し、植民地支配するに至った。

 欧州列強は、支配下に置いた中東諸国に作った傀儡政権において政教分離を
試み、欧州型の国民国家を作って市場として開拓しようとしたが、ほとんどう
まくいかなった。ライバルのキリスト教世界に敗北し、支配される側となった
中東の人々は、内省の結果、自分たちのイスラムやアラブの伝統思考を捨てて
欧州化するのではなく、逆に従来よりも強く伝統にこだわる方に向かった。

 キリスト教とイスラム教はかなり近い宗教であり、中東のイスラム教徒から
は、欧州の政教分離や近代化は、キリスト教信仰が形を変えたものに見える。
欧州が中東に求めた近代化(欧州化)は、中東の人々には「キリスト教への改
宗」と同じものに見えるため、中東の人々は、改宗を拒み、より自分たちの宗
教や伝統にこだわるという反応をした。

 欧州列強のアジア進出に対し、日本人は伝統思考を短期間に捨て、明治維新
を行って自らを「西欧化」した。これは中東の人々の反応とは対照的であるが、
それは中東の人々の宗教が欧州の人々の宗教と同根であり、西欧化の宗教的な
本質が強く感じられるのに対し、日本人(やその他の東アジア人)は、地中海
の一神教とはほとんど関係ないので、西欧化を比較的少ない抵抗とともに受け
入れられたという違いに基づくと思われる。


この記事はウェブサイトにも載せました。
http://tanakanews.com/f0407saudi.htm

●関連リンク

サウジアラビア滞在記(1)
http://tanakanews.com/f0329saudi.htm

The Saudi Enigma: A History
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/1842776053/ref=pd_nr_fb_3/249-8556971-1596363
リヤドで私が通っている王立研究所で、私のとなりの部屋にいるフランス人研
究者が出した新刊本。


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