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六マリアどころか六十マリア
文鮮明は韓鶴子と「小羊の儀式」を行い、鶴子が真の母親だと言いふらしているが、この代表的な六マリア以外にも、
文鮮明にもて遊ばれ、財産まで盗られた女性は何十人もいる。文鮮明に裏切られて捨てられ、今は六十〜八十歳くらいになったおばあちゃんたちは、人生を狂わされ、恨みをかかえながら、悲惨な生活をしている。
このような目にあまる行為は、人間の常識から見ても、宗教者の立場から見ても、絶対に許されざることであり、近い将来必ず、破綻をきたすことは必至だと私は思う。
そして私は、文鮮明こそ本当の大サタンだと思う。なぜなら、彼が選んだ六マリアというのは皆、財産家の妻ばかりで、貧乏な人は一人もいなかったからである。その事実を考えると、
「二千年前、イエスは、彼が出会った『姦通した女』『香油の女』など六人の女とセックスをしなかったから死んだ。六人の人妻を復帰するのは原理の根本である」
などと語った文鮮明の話は、実は聖書を悪用した都合のいい罠ではないかとさえ思う。
事実、彼女たちは文鮮明の好色なセックスのとりこになって狂い、夫や子どもを捨てて文鮮明のもとへ走り、金や財産が確実に文鮮明の手もとに集まった。そして、吸い上げるだけ吸い上げたあとは、新たに金のある女を探し出し、六マリアの名前で誘ったのである。まさにそのとおり、豊かだった彼女たちは一様にスッテンテンの裸同然となり、放り出された。そこには神の摂理も愛もない。文鮮明の色と金の欲の哀れな犠牲者の屍だけが残った。
しかも年代ごとに新しいマリアを入れ換え、用済みのマリアはどんどん捨て去って、二度とかえりみないのだ。
六マリアとは、恐るべき罠に落ちた女性たちの代名詞で、その裏に実は、何十人何百人という犠牲者の予備軍がいたのである。彼女たちの財産や資金がなければ、統一協会が発足し発展できなかったことは、当時を知る私が、一番の証人である。
(「六マリアの悲劇 真のサタンは文選明だ!! 統一教会創始者 朴 正華 恒友出版」の、第四章 犠牲にされた女たち P.159より)