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(回答先: ありがとうございます。カトリックは「支配の論理」で環境を語るか・・・。 投稿者 バルセロナより愛を込めて 日時 2005 年 6 月 03 日 06:53:31)
バルセロナより愛を込めてさん
>この「人」とは誰のことなのか、「万物」には人間も含まれているのか、興味深い
>ところですね。いつの世でも「他を支配できる人間」は限られていますから。
上に投稿した資料から、興味深いところを抜き出してみます。
「土地のより良いディストリビューションのために」とあるように、土地とそこに
実る恵みの所有権についての記述です。
「土地を支配する権利/義務が人に課されているのは、人が神に似せて作られた
という点に源を発する。誰かではなく、すべての者に創造物に対する責任が
ある。エジプトとバビロニアでは、この大権は誰かに属していた。一方聖書には、
支配権は人に、特定の誰かと示すことなく、よってすべての者に属すとある。
略
人は庭にあり、耕し管理する。そして実りを糧とする。エジプトとバビロニア
における労働は、神々の益のために人に課された過酷なものであったが、実際は
王、役人、司祭や大土地所有者の益であった。一方聖書が描く労働は、人の
自己実在のためである。
土地は主のものであり、すべての主の子供たちへの贈り物である。
ヘブライ人の土地所有権は、立法により様々なかたちで護られている。中略
よってヘブライ人が一片の土地を所有する時、何らの拘束を感じる必要がない
といえるだろう。しかし土地は主のものである。旧約で主張されているように、
主は土地をイスラエルの子孫たちに与え相続させた。よってすべての民族、
氏、家族によって分割されるべきなのである。人は自分の土地の真の所有者
というより、管理者なのである。真の所有者はレビ記に記されているように、
神である。
エジプトにおいては土地はファラオに属しており、農民たちは奴隷であり、
所有物であった。バビロニアには、王たちが忠誠、奉仕と交換に土地を預ける
封建制度があった。イスラエルにこのようなものは全く存在せず、土地は神の
ものであり、神が子孫たちに贈ったものだ」
つまりどういうことなのか?
基礎知識と語学力の乏しさゆえ、恥ずかしながらなかなか読み進めないでいますが、
また何かありましたら投稿しますので、よろしくお願いします。
レスをありがとうございました。