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(回答先: 「シルバー・バーチ」について、ご教示の願いします 投稿者 ジャック・どんどん 日時 2005 年 5 月 20 日 22:29:32)
日本の出版社やスピリチュアル業界も、次から次へと・・・(笑
英国の3大霊訓のひとつのようです。
ケルトの影響か英国は伝統的に「霊」がお好きなようですね。
簡単な経緯らしき記述をみつけました
http://www.810.co.jp/book/ISBN4-89295-473-X.html
人間はいったい何のために生きているのだろうか? はたして地上人生には生きる意義があるのだろうか?――これは誰しも抱く疑問ですが、この本はそうした疑問についての答えを模索しながら歩んでいる方々のために、フランク・ニューマン氏がやさしく語ってくれたものです。言うなればスピリチュアルな巡礼の旅の道標です。
ニューマン氏は、れっきとした物理学者です。モーリス・バーバネルが霊媒をつとめる交霊会に出現した“シルバーバーチ”と名のる聡明な指導霊からのメッセージとの出会いによって、それまで抱いていたさまざまな問題――人生の疑問だけでなく専門の物理学の原理まで――を理解する上でのヒントを得たといいます。
かく言う私は、実は、そのシルバーバーチの交霊会に四十年から五十年ばかり出席したレギュラー・メンバーの一人でした。「四十年から五十年」という言い方は変ですが、シルバーバーチの霊言と出会った頃の私は英国国教会の牧師で、交霊会に出席した時はまだその説くところが容易には信じられず、何度も議論し、疑問点を質し、悩み苦しみ、出席したりしなかったりしたあげくに、ついに得心して牧師職を辞しました。その迷いの期間が十年ばかりあったということです。
シルバーバーチは、自分の説くことは絶対に間違っていないとは言っておりません。真理を述べるに際して独断を一方的に押しつけることを嫌います。ドグマとは理性の介入を許さない説のことだから、というのがその理由です。そして自分の説くことを理性の光に照らして判断し、納得がいかなければ拒絶し得心がいけば受け入れる――それでよろしい、と言うのです。半世紀にわたって交霊会に出席してきた私は、真剣に道を求める魂を得心させないようなことは、シルバーバーチは決して語っていないことを断言します。
人間がたどる巡礼の道は一人ひとり違います。私の旅は二二歳の時に始まりました。戦争に次ぐ戦争で人間の生命のはかなさを痛感していた時に、第一次大戦の従軍牧師だったスタッダート・ケネディの「来世の存在を確信せずして地上生活の本当の幸せは有り得ない」という言葉を何度も反芻したものです。
次の出会いは著名な英国人ジャーナリストのハンネン・スワッファーで、エドワード・マーシャル・ホール卿と二人で、スピリチュアリズムの普及のためにクイーンズ・ホールを借り切って講演会を開いていました。それに何度か出席しているうちに、スピリチュアリズムの真実性を確信するようになりました。そして、国際スピリチュアリスト連盟の会長で、最初にスピリチュアリズムに関するラジオ放送をしたアーネスト・オーテンの次の言葉が決して大げさでないことを知るに至りました。
「これまでに得た証拠によって私は、すでに死の関門を通過した人々と(交霊会で)対話を交わしていることは間違いない事実であることを断言します。その確信は、たとえこの事実を信じる者が地上で私一人であっても、絶対に揺らぐことはありません」
ここまで巡礼の旅を続けてきた私がシルバーバーチの教えをまとめると次のようになります。
(1)この地上生活は魂の幼稚園のようなもので、死後に始まる次の段階の生活に必要な体験を積む場所であること。
(2)物質の仮面をかぶっている実在の霊的世界について、少しでも多くを理解するように努めることが望ましいこと。
(3)「神」とか「大霊」と呼んでいるものは全存在の総計であると同時にそれを超越した存在であり、自然界のあるゆる側面に顕現していること。それは愛と叡智と真実の極致であり、それが法則となって森羅万象の営みの中で一瞬の休みもなく働いていること。
(4)「祈り」の霊的な意味を理解することが必要であること。すなわち、自我の内と外に存在する大霊のパワーとのつながりを緊密にするために、憧憬の念をもって常に祈ることを怠らないようにすること。
こうした教えは、ニューマン氏の解説によって一段と理解を深められるに違いありません。最後に私自身の体験を述べておきましょう。
モーリス・バーバネル氏は若い頃よくハイドパークにある“スピーカーズ・コーナー(演説広場)”でスピリチュアリズムについての演説をしたものですが、急用ができた時などに私に代役を頼むことがありました。当時はまだスピリチュアリズムは物笑いのタネにされる時代で、酷いヤジが飛んだものでしたが、演壇から降りて解散した後に必ず一握りの真面目そうな人たちが残っていて、キリスト教への疑問と不満を真剣な面持ちで私に語ったものでした。
その人たちのように、真剣に真理を求めながら在来の説に飽き足らず、あるいは大きな疑念を抱いている人が少なくありません。そういう人たちは言わば“地上の迷子”のようなもので、既成宗教から脱しようと思いながら、さまざまな理由で躊躇しているのです。本書はそういう人々にこそ読んでいただきたいものです。
ヴァーノン・ムーア
〈訳者補注〉
本書で初めて“シルバーバーチ”という名前を知った方のために、少しばかり解説しておく必要がありそうである。
シルバーバーチと名のる霊が無意識(トランス)状態のモーリス・バーバネルの口を使って初めてしゃべったのは一九二〇年のことで、当時バーバネルは十八歳、知人に誘われて交霊会に出席した時だった。自分では“うたた寝”をしたと思い込んで、目が覚めると慌てて“非礼”を詫びたが、出席者たちから「あなたは寝ていたのではない。シルバーバーチとか名のる霊があなたの口を借りてしゃべりましたよ。 あなたもいずれこうした交霊会を催すようになるそうです」と言われて、何のことやら、それこそキツネにつままれたような気持ちだったという。
が、それが間もなく現実となる。バーバネルは自宅でもトランス状態にさせられて、やはりシルバーバーチと名のる霊がしゃべるようになった。最初のうちは居合わせた者だけが聞く程度で、記録というものを一切遺さなかったが、ハンネン・スワッファーが出席し始めてからは日時を金曜日の夜七時と定め、速記録を取って霊言の抜粋を翌週の『サイキック・ニューズ』紙に掲載するようになり、それがまとめられて単行本として発行されるようになった。第一巻が出たのは一九三八年。ついでに言えば、その速記役を務めたのは、この序文を書いたムーア氏とのちに結婚したフランシスで、テープに録音するようになってからも速記は続けられた。ある意味では、このフランシス・ムーア女史が隠れた最大の貢献者と言えよう。
シルバーバーチは、初めのうち自分は地上でアメリカ・インディアンだったと述べ、霊視能力を持った人の目には確かに叡知あふれるインディアンの顔が映り、それを描いたフランス人霊視画家マルセル・ポンサンによる肖像画がシルバーバーチその人という認識が固定し、シルバーバーチ自身も交霊会の初めと終わりに行なう神への祈りを「あなたの僕インディアンの祈りを捧げます」という言葉で締めくくっていたが、ある時期から、つまり正しい霊的知識が十分に行き届いたとみた段階で、実は自分はインディアンではない――三千年前に地上で生活したことがあるが、長い長い生命の旅の末に、もうすぐ地上圏に別れを告げて二度と地上に戻れない階層へ旅立つところまで到達した、言わば「古い霊」であると告白した。しかし、地上時代の姓名・民族・国籍・地位などの個人的なことは、ついに述べずに終わった。