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(回答先: 戦争請負会社を運営してるのは、バチカンを支配する秘密結社群だろう 投稿者 HAARP 日時 2005 年 5 月 19 日 07:59:02)
・・・〜フジモリ〜日本財団〜バチカン〜ナチ〜マルタ騎士団〜オプス・デイ〜・・・
HAARPさん、いつもながらの興味深い情報、ありがとうございます。近頃少々他のことに忙しくて、マルタ騎士団やシオン修道会などの秘密組織についての勉強を怠っているのですが、この人脈(金脈)でいくと、勝共連合が作られた裏にもやはりマルタ騎士団がからんでいそうですね。(ま、これは当然か。)
日本財団の曽野綾子に匿われているフジモリもそろそろまた表舞台に復活しそうな雰囲気ですが、フジモリの後ろにはオプス・デイが絡まっているし、米国ではオプス・デイ人脈とマルタ騎士団の人脈がかなり重なっているようです。
ところで、私は以前から、バチカン・ラットラインで南米を中心に世界へ散ったナチ幹部が、その後どうしたのか、に疑問を持っています。ひょっとしたら南米の麻薬ルートだけではなく、中南米やアフリカでの戦争請負会社の運営なども任されてやってきたのではないか、と、これは単なるヤマカンですが、推測しています。何せこの点は、明らかに「あっち側」であるサイモン・ヴィセンタール・センターでは調べてくれませんので。
ナチ幹部にもマルタ騎士団系統の人脈があったはずですよね。だからこそOSS、バチカンとの連携が取れたわけで、数万人もいたはずの「ネズミども」がどこに消えたのか。単に南米で「年金生活」をおくらせるためにあんな大規模な陰謀を企むはずもない。そしてその人脈をたどってオプス・デイが南米に勢力を拡大していったとすれば、筋が通ります。その末端にフジモリがいるわけで、ここで太平洋を渡って日本列島につながります。
もっとも日本にはそれ以前にマニラ経由のつながりができていたでしょう。マニラはオプス・デイのアジア最大の活動基地で、そこにあるアジア太平洋大学は彼らの経営です。(日本にも立命館アジア太平洋大学というのがあるそうですが、これとのつながりは分かりません。)マニラと言えば、笹川や文鮮明とともに勝共連合を担った一人のマルコスがいて、例の「山下資金」の亡霊がうろつく街です。
このあたりの追究は、時間をかけてぼちぼちとやっていきましょう。もっとも実際にマニラあたりに行って調べるのは命がいくらあっても足りませんけど。バルセロナでもヤバイ。シオン修道会の本部はバルセロナだ、といわれていますので。ここも魔都の一つです。
取り留めの無いレスになってすいません。