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【第1戒 我は汝が神、主、汝をエジプトの地、その奴隷たる家から導き出したる神なり。汝、我の前において、我のほか何者をも神とするべからず。】出エジプト記20章3項、34章14項
当然、神がそう言う事を守り聞くべきだ。
しかし、【我の前において、我のほか何者をも神とするべからず】ということは、他にも神と同位のものがいるということか?
もし、神が唯一の存在なら、こんな事をいう必要はない。
神が一人ではないことを「聖書」はここかしこで語る。
【神は仰せられた。「我々に型どり、我々の形に似せて、人を創り、・・・」】創世記1章26項
【主なる神は仰せられた。「見よ、人は我々のひとりのごとくになり、善悪を知るものとなりけり。」】創世記3章22項
【主は仰せられた。「我々は降りていき、あちこちで彼らの言葉を混乱させ、互いに言葉を・・・」】創世記11章7項
【我々】という神の一人称。
これは神が大勢いるということだ。
神は出現するたびに「エジプトから導き出した神だ。」(出エジプト記20章3項)とか【我は、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神なり。】(出エジプト記3章6項)と、いちいち自己紹介する。
これは『他にも神様が存在するからこそ、その区別をつける為に』と考えなければ辻褄が合わない。
神が一人なら、そんな自己紹介は不要であり、不自然だ。
また、執拗なまでに「他神を拝むな」と怒るのもわかる。(出エジプト記20章5項、34章14項)
神がたくさんいるからこそ、自分以外の神に強烈に嫉妬するのだ。(申命記4章24項)
自分でも言っている【汝の神、主は嫉妬の神なり】申命記5章9項
他の神がいないなら、嫉妬の相手もいないことになる。(申命記6章15項)
神がたくさんいようが、そんな事が信仰を揺るがしてはならない。
自分の信じた神が「自分以外信じるな」と言っているのだから。
だけど、【我が、汝らに命ずるこの言葉を全て忠実に守りて行うべし。汝、これに、何ひとつ加えるべからず。減らすべからず。】(申命記13章1項)に照らして考えると、我々を変な理屈で曲解してはいけない事になる。
「たくさんいるが、俺しか信じるんじゃねぇ。」って、やっぱり、酔ったオヤジみたいなもんだな。