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ヨハネ・パウロ2世の列福調査開始:『奇跡』を手回し良く報道、また世界は茶番で踊る
5月13日付のエル・ムンド紙(電子版)によると、教皇ベネディクト16世が、前任者ヨハネ・パウロ2世の列福へ向けて、調査を開始することを宣言しました。
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http://www.elmundo.es/elmundo/2005/05/13/sociedad/1115974490.html
El Papa anuncia el proceso de beatificación de Juan Pablo II
『教皇がヨハネ・パウロ2世の列福調査の開始を宣言』
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ローマ・カトリックでは、人間としての最高の「地位」は聖人ですが、その聖人に次ぐ地位が福者です。そしてこの福者の中から聖人が選ばれます。その福者に祭り上げられることを「列福」と言います。
福者になるためには、少なくとも死後5年の経過と、生きている時に「神による奇跡」を最低1回は行っていること、の二つが条件です。聖人になるためには少なくともあと一つ以上の奇跡が必要だ、と言われています。
ある人物(聖職者かどうかは原則として問題にされない)がその福者に値するかどうかは、教皇庁の中で極めて厳しい審査が行われる、ということなのですが、その中身はどんなものだか。
故ヨハネ・パウロ2世は、死亡直前の2004年末までの26年の在任中に、何と1337名の福者、482名もの聖人を作りました。もちろん一人の教皇としては空前絶後で、彼以前の17名の教皇が作った聖人・福者の数の合計よりも多い、といわれます。世間ではヨハネ・パウロ2世のバチカンを「聖人製造工場」と呼んだそうです。
2004年には「EUの父」ロベール・シューマン元フランス首相・外相までが福者の候補に挙げられた(故ヨハネ・パウロ2世が強行に主張した、と言われる)のですが、これはさすがに通らなかったようです。(シューマンはオプス・デイでした。オプス・デイの操り人形ヴォイティーワがシューマン列福にこだわったのは、EU内での地位を確保する以外にこんな理由もあったのです。)
またその『奇跡』についてですが、2003年10月にはマザー・テレサが、死後6年という前代未聞のスピードで列福されたのですが、そのときに『奇跡』とされたのは、胃ガンにかかったあるインド人女性が「マザー・テレサに祈った」ことが原因でガンが完治した、と申告したことが認められたようです。当然のように、彼女の胃ガンの手術をした病院からはクレームがついてかなりの問題になりましたが、ローマは知らんぷりをしています。
マザー・テレサにケチをつける気はありませんが、早い話が、その人の周辺にいた人物が病気から回復して「奇跡だ」と言えば「奇跡」になって福者に挙げられるわけで、まあ、レコード大賞の審査とどっちがどっちかの茶番でしょう。ちょうど今の教皇である「鉄腕ラツィンガー」が「カトリック以外に救いは無い」みたいな強硬なことを言い出してボロクソに叩かれていたときでしたので、格好の人気回復の道具になったようです。
・・・で、今回は手回し良く「ヨハネ・パウロ2世による奇跡」が死後すぐに発表されました。故教皇の秘書官であったスタニスラフ・ズィーヴィッツ(Stanislaw Dziwisz)大司教が教皇の死後まもなく、『ヨハネ・パウロ2世の行った奇跡』なるものを発表したのです。以下はそれを伝える英語情報です。
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http://thescotsman.scotsman.com/international.cfm?id=381302005
'Miracles' boost sainthood calls
『奇跡』が聖人を求める声を高める
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これによりますと、2つのイタリアの新聞がズィーヴィッツの声として次のように報道しました。「ある米国の億万長者のユダヤ人が脳腫瘍で死にかけていたのだが、1998年の夏に教皇に会いたいと強く希望し、彼は教皇主催のミサに出席して教皇から祝福を受けた。その2,3週間あとになって、腫瘍がわずかの時間で消えてしまった」と。ズィーヴィッツの談によりますと「これですぐに列福調査が開始できる」。
ただそのユダヤ人がどうしてカトリックの教皇に会いたがったのか、彼がその後カトリックに改宗したのかどうか、までは書かれていません。
さらにもう一つ、イタリアの新聞Corriere della Seraによれば、ある白血病のメキシコの少年が1990年に教皇に会った後で健康を回復した、と言うことですので、5年後に最短記録で福者にされた後、すぐに列聖調査、ということになるでしょう。
また茶番で世界を踊らせよう、ということか。