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(回答先: Re: バチカンがカルトだ、と、延々と言い続けているのですが・・・ 投稿者 膝枕 日時 2005 年 5 月 11 日 18:23:27)
それよりも、もっと考えてほしい大切なこと
膝枕さんへ。レスありがとうございます。
どうも私の言葉は、しばしば、他の投稿者の人々にとってはやや厳しすぎる響きがあるかもしれません。もし私があなたを非難している(要望はしていますが)ようにお感じになったとすれば、私の表現のまずさのせいですので、お許しください。
この板に投稿をしながら感じることは、日本人は宗教に対しては本当に「軽いノリ」だな、ということです。もし私がスペイン語か英語で欧米のサイトの投稿欄に、私が今まで書いてきたようなことを投稿したならば、蜂の巣を突付いたような大論争になるでしょう。欧米ではそれだけ一神教の感覚が深く根付いているのです。内容は『反宗教』でも態度が『宗教的』になってしまう。日本ではわりとそれが少ない。
ただ私はこの「軽いノリ」はある意味で大切なものだと考えます。深く考えずにポンと飛びついてしまう、という面では危険につながることもありえますが、私が申し上げている「懐疑と内省」がベースになるのなら、逆にこの恐るべき一神教の世界を冷ややかに客観的に眺めることが可能になり、一神教的な世界観(近代の哲学、社会科学、政治思想なども含む)を乗り越える新しい道を作っていけるのではないのか、と考えるからです。
ですから聖書のような「経典」にどう書いてある、というような話ではなく、事実を見据えて事実から出発し、自らの「懐疑と内省」をベースにして、一つ一つのカルト的な集団が持っている現実の姿と現実の動き、その集団の構成員の現実の言動を、小さなところからでも分析していってほしいな、と思っています。
表現は人によって異なるのが当たり前ですが、読む人が分かるようにできる限り心がけているのならそれでよいと思います。
私が上で「そんな話なら雑談板か昼休み板でやるべきだ」と申し上げているのは、決してその人に「出て行ってくれ」と言いたいのではなく、ぜひ、今述べたような態度で「事実を見据える」ことから開始してほしい、ということです。
その途中で自分の信条がでてくることは当たり前のことですが、しかしそれを中心にしたら、せっかく管理人さんがこの板を作った意味が無いのではないか、と考えるからです。
以上です。では、また。