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超巨大カルト、バチカン研究:(1)第2バチカン公会議「カトリックの米国憲法化」
私はオプス・デイというスペイン出身のカルト集団の「追っかけ」をやりながら過去から近未来の世界を支配する勢力の実態を追及しています。これは今からも続けますが、そのためにはやはり魔都ローマに迫っていく必要があります。
ただこれは一人の力ではなかなか難しく、少し時間をかけて数多くの情報をつなげて種々の方向からの視点を検討していく必要がありますし、また極めて慎重に行わなければならない面もあります。情報収集と分析、検討は、できるなら多くの人々が参加していただきたいと思います。私は「言いだしっぺ」の役をしますので。
今後、数回にわたるシリーズの形でバチカンに関する多くの疑問を提出しますので、有志の方はご自分でそれぞれの面から追究し、私の投稿にレスをつけていただくなり、ご自分で新規に投稿していただきたいと思います。これは決して日本と無関係の遠い世界の話ではありません。日本は、裏からバチカンを動かしている勢力の攻撃目標の一つになっていると思われるフシがあります。
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超巨大カルト、バチカン:(1)第2バチカン公会議「カトリックの米国憲法化」
【注:私はこの論考の中で、カトリシズムそれ自体や「信教の自由」それ自体についての価値判断は一切行わない。冷徹に事実関係を追及していくことにする。】
●第2バチカン公会議は1962年10月から1965年12月までの3年をかけたカトリック教会の大改造であった。その途中でヨハネス23世が死亡し(63年6月)、その後を継いだパウロ6世の手によって続けられた。(この間に米国初のカトリック大統領ケネディが暗殺される。)この会議に関しては私の次の投稿でも触れている。
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http://www.asyura2.com/0401/war48/msg/134.html
イベリア半島「百鬼昼行図」 その7:オプス・デイはカトリック内の「ユダヤ勢力」の代理人か?
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この投稿でも明らかにしたとおり、私は以前からこの公会議でのカトリックの変貌ぶりに関心を抱いていたのだが、故ヨハネ・パウロ2世がまさに「ミスター冷戦」であったこと、そしてそれを支えてきたのがCIAとオプス・デイであったという事実を踏まえて、今回再びこの問題を取り上げてみると、新たに様々な面をとらえることができる。
●まず次のサイト(日本語)をご覧いただきたい。これは鹿児島在住のカトリック神父、成相明人師が主催する『フマネ・ヴィテ』研究会による訳文集からである。この研究会は守旧的カトリックの立場から第2公会議以後のバチカンの「自由主義」に対決しているものだが、同時に外国の多くの論文の日本語訳を手がけている。
ホームページ
http://www.hvri.catholic.ne.jp/
歓迎の言葉(この研究会の立場表明)
http://www.hvri.catholic.ne.jp/kangei.htm
さて、ご覧いただきたいのは次の訳文集である。
http://www.hvri.catholic.ne.jp/religiousliberty.htm
『第二バチカン公会議と信教の自由』 マイケル・デイヴィース
このマイケル・デイヴィースの論文の中に思わずハッとせざるを得ない箇所がある。引用してみよう。
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【引用開始】
信教の自由に関する第二バチカン公会議宣言Dignitatis humanaeについては、おそらく典礼憲章に次いで、もっとも数多くの論文が出されていることであろう。拙著Pope John's Council(教皇ヨハネ二十三世の公会議)で、公会議で実権を握っていたのは司教たちと言うよりペリティといわれる専門家たちであった、とするアイルランドはコークアンドロスの故ルーセー司教の観察がどれほど正しかったか、を証明する文書を掲載してある。R・M・ヴィルトゲン神父著The Rhine Flows into the Tiber(ライン川がティベル川に流れ込む)はその客観性で知られる古典的著書であるが、一人の専門家がドイツの司教団を説得できれば、全公会議に自分の考えを押しつけることができたと記している。本書では、一人の専門家が米国の司教団を説得できれば、全公会議に自分の考えを押しつけることができたことが示されている。問題の専門家はイエズス会のジョン・コートニー・マレー神父である。彼の長上は教会と国家の関係について書くことを禁止しており、公会議の第一会期にはその正統性についてローマが疑っていたために、専門家としての招聘を受けていなかった。
マレー神父の目的は簡単で、一貫していた。彼が望んでいたのは教会と国家関係に関するカトリック教会の伝統的教義を、アメリカ合衆国憲法に基づいた新しい体系で置き換えたかったのである。しかも彼は自分自身で夢にも思わなかったほどの成功を収めた。1967年、彼は満足げに「この宣言と米国合衆国憲法に明記されている信教の自由に関する権利の目的もしくは内容は、同一である」。マレーは信教の自由に関する草案がしばしば「米国製の草案」と呼ばれたことを記している。そして草案は「米国司教団の一貫した堅固な支持があったために、またかれらが頻繁に介入してくれたこともその本質的部分と用語を決定するに当たって役に立った」。彼は本当であればこれらの介入の中でももっとも決定的な箇所、つまり、自分が書いた草案を自分で賞賛している部分に関しては、自分に責任があったと書いてもおかしくなかった。ある米国人高位聖職者の言葉を引用しよう。「声は確かに米国司教団の声ではあるが、そこにある思想はマレー神父のものだ」。
1992年7月20日発行のザ・カトリック・ヴァージニアンには、「リッチモンド・アメリカニズムと信教の自由の発祥地」という、米国カトリック史学会会長G・P・フォガティ神父の記事が掲載されている。フォガティ神父は自分がアメリカニズムにも信教の自由にも賛成である、と明白に書いている。さらに、「教皇レオ十三世の回勅『テステム・ベネヴォレンツィエ』が、信教の自由に関する米国カトリック教会の賞賛に影を落としているのが残念である」と付け加えている。引き続いて、彼はマレー神父が第二バチカン公会議中に果たした決定的役割を果たしたことを認めている。実はわたしも「決定的役割」という言葉を使っているのだが、彼の場合は同じ言葉でさらに無遠慮にマレー神父を褒めちぎっている。
【引用終り】
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注目していただきたいのは次の箇所である。
『マレー神父の目的は簡単で、一貫していた。彼が望んでいたのは教会と国家関係に関するカトリック教会の伝統的教義を、アメリカ合衆国憲法に基づいた新しい体系で置き換えたかったのである。しかも彼は自分自身で夢にも思わなかったほどの成功を収めた。1967年、彼は満足げに「この宣言と米国合衆国憲法に明記されている信教の自由に関する権利の目的もしくは内容は、同一である」。』
●ジョン・コートニー・マレー(John Courtney Murray:1903〜67年)はイエズス会士であり、名前から見るとJ.F.ケネディと同じアイルランド系と思われる。1940年代から50年代にかけて「自由」の問題で様々な波紋をカトリック神学の世界に投げかけてきた。そして上のデイヴィースの論文にあるように1962年の第1会期には専門家としての招聘を受けていなかった。しかし1963年9月に始まった第2会期になって、つまりパウロ6世に変わってから急に専門家としてローマに行くことになった。彼をローマに呼び寄せたのは、マフィアやCIA、マルタ騎士団、フリーメーソン、KKK、ブナイ・ブリス、オプス・デイなどとの様々な関係を噂され「黒い法王」の呼び名も高いイエズス会の重鎮フランシス・スペルマン枢機卿だったのだ。
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【参照:This Week in the Life of the Church】
http://www.ohareairportchapel.org/history75.htm
New York's Cardinal Spellman corrected that in time for 1963's session, and Murray went on to become the principal architect of the council's landmark declaration on religious liberty, Dignitatis humanae.
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マレーの唱える「自由」は単に「信教の自由」にはとどまらなかった。先ほどのデイヴィースの論文の続きには、パウロ6世がマレーの「自由なカトリック」にすっかり乗せられてしまい、ついにはカトリックが堅く禁じる堕胎まで放任してしまったことが書かれている。これに関連しては次の英語による論文にも書かれている。
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http://www.ratzingerfanclub.com/liberalism/murray_contraception_abortion.html
The Church & The Liberal Tradition
John Courtney Murray, Contraception, and the "Liberal Catholic" Justification for Abortion
『ジョン・コートニー・マレー、避妊そして「自由なカトリック」による堕胎の正当化』
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パウロ6世はローマに堕胎を行う医院が出来たことを聞かされて泣き出した、と伝えられる。伝統的なカトリックにとっては、これは単なる堕落以上にバチカンが悪魔にでも乗っ取られたような感じを受けるに違いない。そしてこのカトリックの変貌を招いた中心人物があの悪名高きスペルマンときたら、その裏に米欧ユダヤ支配中枢部が控えていることは誰の目にも明らかであろう。これは尋常なことではないのだ。
●なおスペルマンに関しては次の英文資料に目を通していただきたい。
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http://www.vaticanassassins.org/francis_cardinal_spellman.htm
“The Black Pope”より
The Sovereign Military Order of Malta,
Scottish-Rite Shriner Freemasonry,
The Order of the Illuminati,
The Knights of Columbus,
The Knights of the Ku Klux Klan, B'nai B'rith
The Club of Rome, The Nation of Islam
and its private army called "The Fruit of Islam",
The Mafia Commission, and Opus Dei
along with a host of lesser brotherhoods.
The Murderers and Traitors in the Assassination
and Cover-up of President John F. Kennedy.
もう一つ
http://cny.org/archive/ft/ft122399.htm
Catholic New York Feature Story : World War II and the Cold Warの項
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スペルマンは日本とも関係が深い。次のGoogle検索をご覧いただきたい。
http://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%80%80%E6%9E%A2%E6%A9%9F%E5%8D%BF&btnG=Google+%E6%A4%9C%E7%B4%A2&lr=lang_ca%7Clang_es%7Clang_ja%7Clang_en
さらにスペルマンはマッカーサーと組んでカトリックの日本国教化の謀略を図った、という説がある。十分にありうることだ。
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http://www.asyura2.com/0411/bd38/msg/347.html
戦後史の真相を解き明かした本、「天皇のロザリオ」
http://www.asyura2.com/0411/bd38/msg/373.html
神道とカトリックとの関連について:平成天皇はカトリック教徒?
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いずれにせよ第2次大戦後の日本の「米国化」の立役者の一人に相違ない。そして総本山バチカンの「米国化」をも画策したのである。
●マレーが死んだのが奇しくもスペルマンと同じ1967年、ちょうど第2公会議が終了して間もない頃であり、64才の死は少々早すぎる気がする。死亡の状況については調べた限りでは明らかではない。口封じの可能性すら考えられる。時あたかもベトナム戦争が最盛期を迎える時期。ジョンソンの時代である。
先ほどのマレーに関するデイヴィースの論文を読み直していただきたい。
『彼が望んでいたのは教会と国家関係に関するカトリック教会の伝統的教義を、アメリカ合衆国憲法に基づいた新しい体系で置き換え置き換えたかったのである。』
米国初代大統領ジョージ・ワシントン、米国憲法の元になった独立宣言を作ったトマス・ジェファーソン、彼らの盟友で科学者でもあったベンジャミン・フランクリンがフリー・メーソンの会員であったことは有名だ。やはりバチカンは第2公会議でフリー・メーソンに乗っ取られたのか。そしてこのバチカンの変貌は現実に起こったことなのだ。これを単なる「陰謀論」と片付けることができるのだろうか。
●さて、「自由なカトリック」といえば、もう一つ忘れてはならない集団がある。オプス・デイである。ここでオプス・デイ自身の言葉を聞いてみよう。
日本でオプス・デイが経営する学校、精道三川台小・中学校(長崎県)のサイトから「第二バチカン公会議の先駆者 ホセマリア・エスクリバー【オプス・デイの創始者】」という文章で、著者は教団の第2代目の代表者であったアルバロ・デル・ポルティーリョ神父(スペイン出身)である。
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http://academic1.plala.or.jp/seidomik/centenary/5.html
第二バチカン公会議の先駆者ホセマリア・エスクリバー
アルバロ・デル・ポルティーリョ
【引用開始】
ヨハネ23世教皇とパウロ6世教皇のお望みにより、私は公会議の準備段階で聖職者委員会委員長として、公会議中は聖職者とキリストの民の規律委員会書記、さらに第二バチカン公会議中の広範にわたる諸問題のうち、すこぶる重要な教理ならびに規律に関する四つの委員会で専門家として仕事をしなければなりませんでした。公会議の種々の最終会議において、さまざまな委員会の仕事の具体的な結果を取りまとめていた時、既に聞いていた取るに足りぬようなことではあっても、非常に深い意味のある電話のエピソードを幾度も思い出しました。公会議文書が承認された時、オプス・デイ創立者と話し、おめでとうを繰り返すのが公正で当然であると思われることが幾度もありました。それというのも、1928年以来、創立者が心に持っていたこと、飽くことなく教えてきたことが、教会の教導職によって荘厳に宣言されていたからです。
【中略】
公会議の『教会憲章』は経験に裏打ちされた確かな道を歩んで宣言されたと保証できます。「どのような身分と地位にあっても、すべてのキリスト信者がキリスト教的生活の完成と完全な愛に到るよう召されていることは誰の目にも明らかである」。「したがって、すべてのキリスト信者が各自の生活の条件、職務、環境の中で(…)日々、ますます聖化されるであろう」。「すべてのキリスト信者は、聖性とそれぞれの身分における完徳を追求するように招かれ、また義務づけられている」。
他の多くの点と同じくこの点についても、エスクリバー・デ・バラゲル師の教えと公会議文書とは完全に一致しています。オプス・デイ創立者は第二バチカン公会議の偉大な先駆者の一人として公に認められて当然でしたし、教会の主だった人々もそう表明していたことですが、この点について私はその証人です。
【中略】
こういうことをお話しするのは、エスクリバー・デ・バラゲル師の多数の友人の中には、第二バチカン公会議に参加した多くの国の大司教や司教方が含まれていたからです。
【中略】
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この部分までは、著者のポルティーリョはこの文章の表題どおり、オプス・デイが第2バチカン公会議を先取りした、と言うよりは、彼らと同じ方向の「改革」を目指す『エスクリバー・デ・バラゲル師の多数の友人』がバチカン公会議の推進者の中にいた、ということを明らかにしている。
●次に後半の「自由」について述べている箇所を引用しよう。
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というわけで、カトリックの信徒の間に、倫理原理の面での一致と共に、専門職や社会的政治的事柄に関する個人の自由な振舞いにおいては、正当な多様性が見られるのは、不思議なことではなく、当然なことです。教会の教理は自由に意見を述べて良い事柄について教義を定めることがないからです。この点に関する公会議の指針は明白ですが、1932年頃は、市民生活においても教会関係においてもあまり明らかでなかったというより、全く理解されていませんでした。エスクリバー神父は、オプス・デイのメンバーにこう書いています。「誰の目にも明らかであり、事実、世界中で現れているように、現代猛威をふるっているこの行き過ぎを避けなければならない。すなわち、人々の正当な自由に反し、自由に意見を述べて良いはずの事柄に関して、すべての人が同じ意見を持つ唯一のグループを作るよう強制する傾向であり、現世的な事柄に関して教理上の教義(ドグマ)を造ろうという試みのことである」。
【中略】
このような文章【創始者エスクリバーの書いた文章:引用者注】が第二バチカン公会議文書の準備と検討を続けているところに届いた時、最初は、深い印象を引き起し、後には完全に受け入れられました。私はその証人です。師の教えが決定的な貢献をした結果、聖性への呼びかけに関して在俗教区司祭の生活と役務を階級的に考える解釈が崩れました。
【中略】
最初にお話したように、エスクリバー師は人問的な友情と司祭的な交際の面で無限の能力を持っており、これらは常に切り離すことのできない二面でした。キリスト者でない人も含めて大勢のカトリックでない人々が、個人的に指導を受けたいと望み、また様々な社会的条件や宗教に属するあらゆる年齢の男女とのカテケージスの集まりで皆の前で質問をし、助言を求めることがよくありました。
このような機会には常に、エスクリバー師は「人々の良心の自由(思想・信仰の自由)」を尊重しました。ただし、師は、『勝手気まま・なんでもしてよい自由』という認めることのできない自由と常にはっきり区別していました。とにかく良心の自由を濃やかな心で尊重する態度と、イエズス・キリストの唯一の教会への自己の忠誠とがあいまって、大勢の人々と直接的で、すこぶる効果的なエキュメニズムの仕事、人々を信仰へと導く使徒職に効果を上げていました。それも「エキュメニズム」という言葉がまだ通常の用語として教会内で使用されていなかった時の話です。
【後略、引用終り】
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読む限りでは、ジョン・コートニー・マレーの唱える『米国合衆国憲法に明記されている信教の自由に関する権利の目的もしくは内容』と大差は無いように思える。そして第2バチカン公会議の後、キリスト教の宗派間の対話、異宗教との対話が急速に進む。そしてこの文章の著者は、それこそオプス・デイが公会議のはるか以前から進めていたことである、と強調している。
●この点についてもう一つ、カトリック内の反オプス・デイの立場からの発言を見てみよう。著者は聖ピオ十世司祭兄弟会 司祭のトマス小野田圭志師である。
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http://immaculata.fc2web.com/library/sspxbbs/sspxbbs6.htm
FSSPX Japan 掲示板より 2002年 No.6
【引用開始】
【小野田師が引用するピオ10世(1903年−1914年)のシオン運動に関する手紙から:引用者】
かかる共同作業の結果として、何が生じてくるのでしょうか。それは単に言葉の上だけの幻想的な構築物に過ぎません。そしてその中には、誤って理解された「人間の尊厳」に基いた自由・正義・博愛・愛・平等および人間の発揚という言葉が混ざりながら映し出され、混沌のうちにも人の心を誘っています。これは騒乱をまき起こす種となり、意図されている目的のためには効果がありません。これはまたあまり理想郷を追い求めず人民を攪乱する者たちをして利得を得させるでしょう。
【中略】
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20世紀初頭の教皇ピオ10世は『誤って理解された「人間の尊厳」に基いた自由・正義・博愛・愛・平等および人間の発揚』というフリーメーソン的発想に対して非常な警戒心を抱いていることがわかる。この手紙の他の箇所では、カトリック教徒の中にこのような事柄に引かれ積極的に協力する者が多いことを嘆いている。
なお、この引用箇所で、「シオン運動」とあるのはもちろんシオニズムのことである。シオニズムの創始者テオドル・ヘルツルはカトリック教会の支援を得るために1904年に教皇ピオ(ピウス)10世に会っている。しかし厳格な伝統主義者であった教皇はシオニズムに良い顔をしなかった。以下をご覧いただきたい。
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http://www.cephas-library.com/catholic/catholic_pope_has_jewish_mother.html
Pope John Paul II Had a Jewish Mother?
【前略】
In 1904, Pope Pius X received Theodore Herzl, the founder of modern Zionism. You can find into on this meetings from many websites by going to google and searching for 'Pope Pius X Herzl Zionism' and here is an excerpt from of the web pages:
【中略】
Despite this sensitivity to Christian sensibilities, and the subsequent inclusion into central Zionist thinking of this sense of responsibility towards Christendom's shrines, Herzl failed to secure a papal blessing on his great venture.
"The Jews have not recognised our Lord, therefore we cannot recognise the Jewish people," Pope Pius X told him bluntly.
【後略】
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この文章の「教皇ヨハネ・パウロ2世の母親はユダヤ人か?」という題名も気になるが、今回は置いておこう。
バチカンはピオ(ピウス)12世以降はシオニズムに対して色目を使うことはしても決して非難することは無い。そしてピオ10世が非難した『誤って理解された「人間の尊厳」に基いた自由・正義・博愛・愛・平等および人間の発揚』が、第2バチカン公会議以降はローマ・カトリックを導くものとなっている。この間のカトリックの「変節」に例の「ホロコースト」が極めて大きな影響を与えていることは言うまでもあるまい。
●小野田師の文章に戻ろう。
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【小野田師はオプス・デイの神父ドミニック・ル・トゥルノーの言葉を引用している:引用者】
「オプス・デイの精神の最大の特徴の一つは自由の尊重である。それはオプス・デイの代弁者たちがたびたび言及していることであり、創立者もそれをとくに強調した。自由を愛すると言うことは、オプス・デイに内在する世俗的精神構造に密接につながりをもっている。だから、職業的、政治的、社会的な全ての問題について、一人ひとりが社会のなかのそれぞれの場において、正しく養成された良心の声に従って行動しさえすればよいのであるが、そのさい、自分の行動や決断から生じた結果はすべて自分の責任として背負わなければならない。また、人間に関わりのあるすべてのものの多様性を尊重するだけでなく、実際的・積極的にそれを愛さねばならない。」
【中略】
また「創立者にとって、世界のさまざまな問題にたいし『カトリック的解決はこれだけだ』というあり方は存在しない。」(p52)と言うことを考えると、この「自由」の問題は、第2バチカン公会議後の「アッジョルナメント(現代化)」そのものだと言うことが出来るのではないでしょうか?
【中略】
「創立者が聖座から非カトリック者と非キリスト者を事業の「協力者」としてオプス・デイの中に入会させる許しを得たその時、オプス・デイの霊的家族は完成した。」(Peter Bergar, Opus Dei, Rialp, p. 244)
【中略】
オプス・デイの弁護士であるフランソワ・サルトルは、創立者の列福のすぐ後にCourrier de l'Ouestというフランス紙にこう言っています。
「スペインでは、オプス・デイは堕胎反対運動には公式の立場を取ることを常に拒否してきました。それはオプス・デイの役割ではありません。」
【中略】
オプス・デイのメンバーであるジャック・ギユメブリュロンとの次のようなインタビューが1966年5月16日のフィガロ紙に掲載されたそうです。
「信教の自由について言えば、オプス・デイはその創立当時から、どのような差別もしていません。オプス・デイは全ての人と働き平和に生きています。・・・これは言葉だけのことではありません。私たちの事業は、聖座の許可を得て、非カトリック者を、キリスト者か否かを問わず全てを協力者として入会させるカトリック最初の組織なのです。」
【後略、引用終り】
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オプス・デイが第2バチカン公会議の決定に実に忠実な教団であることが分かる。と言うよりも、第2バチカン公会議こそがオプス・デイに忠実だった、ということなのだろう。そしてまたそれは間違いなく『誤って理解された「人間の尊厳」に基いた自由・正義・博愛・愛・平等および人間の発揚』という近代フリーメーソンの思想、そして米国憲法の発想そのもの、ということになる。
●先ほどのマレーもスペルマンも米国のイエズス会士だった。そして60年代から中南米で米国(CIA)とオプス・デイによって抑圧される民衆の側に立って「解放の神学」を唱えたのも同じアメリカ大陸のイエズス会である。
一方で欧米ユダヤ権力中枢の一部を成して彼らのための「自由」を唱えると同時に、その一方で米国の抑圧にさらされる中南米の下層大衆のための「自由と民主主義」を唱えて「左派」の面を持つ、このイエズス会は、言ってみればオプス・デイ「大先輩」であろう。「左右」の手を使い分けながら伝統的なカトリックの本質を破壊していく手口もよく似ている。この二つのカルト集団の関係はいずれ明らかにしなければなるまいが、残念ながら今その余裕は無い。
また彼らとフリーメーソンとのつながりも私にはよく分からない。ただこの第2バチカン公会議で現れた「自由」に対する一致は、私には偶然とは思えない。
しかしこの公会議にまつわる影はそればかりではない。というよりもこちらの方が重要だろう。「ユダヤ」である。次回は『第2バチカン公会議「カトリックのユダヤ化」』と題して、1週間内に投稿する予定にしている。