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数を表す文様の入った弥生式土器の首の部分。中央に10個の刺突文が並ぶ
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050615-00000003-maip-soci
熊本県山鹿市教委は14日、同市方保田(かとうだ)の方保田東原遺跡で出土した弥生式土器に、弥生人が数を認識していたことをうかがわせる文様が見つかったと発表した。土器に施された竹管文が5〜10個と順に並んでいることから、市教委は「数量を認識していたことが裏付けられる」と説明。弥生人に数の概念があったことを裏付ける資料は初めてだという。
この土器は、約1800年前の弥生時代後期後半の壷(つぼ)型のもので口径約15センチ、上部の約3分の1、高さ約15.6センチが現存する。土器の頚部(けいぶ)に、細い竹の筒を押しつけてできたとみられる直径約2.5ミリのドーナツ状のくぼみ(竹管文)が横に並んだ文様が見つかった。くぼみが5個あるのを最小に、時計回りに間隔を置いて6個、7個と、一つずつくぼみの数を増やしながら最大10個のくぼみまで施されている。途中「8」の部分は、上から施された別の波状の模様にかき消され確認できない。
方保田東原遺跡は弥生時代後期から古墳時代前期の大規模集落の跡。85年に国史跡に指定されている。03年の発掘調査で発見された遺物を整理していた山鹿市出土文化財管理センターの職員が、今年5月にこの文様に気付いたという。
土器を見た甲元真之・熊本大教授(考古学専攻)は「当時日本は中国と交易しており、数の概念を持っていてもおかしくないが、弥生人が数の概念を持っていたことを裏付ける資料はこれまで発表されておらず貴重だ。今後、類例が増えれば当時の人が抽象的な概念を持っていたことが証明できるのではないか」と話している。【伊藤奈々恵】
(毎日新聞) - 6月15日10時9分更新
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