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竜のつえの頭部分。白い目が二つと、その真ん中に鼻がある=中国社会科学院考古研究所提供
二里頭遺跡で出土したトルコ石でつくられた竜のつえ。右側の長方形の部分が頭とみられる。中央にあるのは青銅の鈴=中国社会科学院考古研究所提供
2005年06月14日08時53分
中国の伝説上、最古の王朝「夏」の都城と推測されている河南省偃師市の「二里頭遺跡」で、多数の青いトルコ石で竜をかたどった、つえが見つかった。3700年以上前とみられる貴族の墓に副葬されていた。中国で竜は権力の象徴とされる。殷(いん)(前1600年〜同1100年ごろ)に先立つ王朝の実在を裏付けるとの見方が中国の研究者の間で強まっている。
調査している中国社会科学院考古研究所によると、02年春、墓の中で骨の上に重なっていたトルコ石の副葬品を発見し、現場から土ごと切り出し北京の研究所に運んだ。慎重に調査を進め、04年秋からようやく全体像が浮かび上がってきたという。つえは長さ約70センチ。1個0.9〜0.2センチのトルコ石を2000個余りあしらい、竜の形にしていた。木か竹と見られるつえ本体は腐って消失、石だけが残った。竜の頭の部分は縦約11センチ、横約15センチにわたり、白い玉の目玉二つと、トルコ石と玉でつくられた鼻がある。
遺跡からは、これまでに宮殿や街路、城壁などの大規模な都市跡や祭礼に用いる青銅器なども出土しており、夏王朝の都の可能性があるとみられている。同研究所研究員で、二里頭チームの許宏(シュイ・ホン)隊長は「今回これほど精巧なつえが貴族の墓から出土したことに大きな意味がある。竜は中国で特別な存在。二里頭に強大な権力の中心があり、王朝もあったとみられる。文字が発見されておらず、直接の証拠はないが、夏王朝が存在した可能性は高い」と話している。
〈夏王朝〉 司馬遷の「史記」などの文献に記され、中国最古の王朝とされる。最新の調査の結果では、夏が存在したのは紀元前2070年から同1600年ごろとの見解が出されている。確認されている最古の王朝、殷の甲骨文のような文字の発見はなく、このため二里頭が殷王朝初期のものとの見方もある。
★中国考古学界では二里頭を夏王朝の首都遺跡として扱っている。いっぽう日本の古代中国学界は夏王朝を今でも存在の不確実な伝説的存在としている。
私は、二里頭遺跡が殷の直前の時代に当たる発達した都市遺跡であることから、夏王朝の都という見方は妥当だと考えている。しかし文字が発見されないことから、夏王朝の絶対的な存在証拠は得られていない。殷代の甲骨文字は相当に発達した文字であり、夏代に文字が存在しないことは考えられない。これまでの発掘調査によっても夏代の文字資料が発見されない理由として、殷代に前王朝の文献破壊(焚書)が行われたと考えることはできないだろうか?(シジミ)
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