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府中街道の是政橋で多摩川を南に渡ると、JR南武線南多摩駅の手前で、”玉川梨の里”稲城の梨園を潅漑する大丸用水に出会う。大丸用水は、南多摩駅の西側で谷戸川の陸橋下を立体交差して流れている。府中街道は、南武線南側の大丸三叉路で川崎街道に出会う。
西進する川崎街道の南側は、大丸の城山(金毘羅山)から連光寺の相談山へと続く丘陵地帯で、先程の谷戸川の水源はここにある。
現在の稲城市大丸から多摩市連光寺にまたがる丘陵地帯の大半は、太平洋戦争中は旧陸軍省の所有で、戦後は接収されて米軍基地となり「米軍多摩サービス補助施設」と呼ばれている。
かつて「東京第2陸軍造兵廠多摩製造所」と呼ばれた多摩火薬工廠は、米空軍の「多摩弾薬庫」となり、その北側は「米軍多摩レクリエーションセンター」となっている。
この施設内の「第二工場」と呼ばれる地域の丘陵斜面には、旧陸軍時代の横穴式建造物が幾つも残っており、米軍によって外壁も新たに塗装されている。
施設の西端は丘陵の頂上地域に当たり、「第三工場」と呼ばれていたが、今では米軍多摩ゴルフ場となっており、横穴式建造物などは撤去されている。
「米軍多摩サービス補助施設」の地下を通過する線路がある。それは、梶ヶ谷貨物ターミナル〜府中本町間を走行するJR「武蔵野南線」の第二稲城トンネル。
全長10,539m の生田トンネルを始め、殆どが山中の地下を通る「武蔵野南線」は、今も横田基地に燃料を運ぶタンク車が使っている。
「米軍多摩サービス補助施設」の南側には、都営および公団の向陽台団地が隣接している。
地元民が”確信”するところによると、「米軍多摩サービス補助施設」の地下には核兵器が格納されているという。
また、トンネルを多用して1976年に秘密裏に開通した「武蔵野南線」は、横須賀に寄港する米原潜の武器と燃料を、多摩弾薬庫や横田基地に輸送することを裏の目的にしているという。
であれば、東京都の度重なる返還要求を米軍が頑としてハネツケて来たのもウナヅケるところ。北朝鮮や中国に対する押さえのためでなく、占領国の首都東京の押さえのために。
一方で東京都は、この施設の返還(「第三工場」跡地のゴルフ場を除く)を米軍に求めている。
石原都知事が提案する米軍基地の日米共同利用の一環として、平成17年度の稲城市の予算に、「米軍多摩サービス補助施設」用地を借地して、稲城市立病院の隣に「健康プラザ」(仮称)を建築するための調査費として450万円が計上されている。5年後にオープンし、米軍の軍族と日本の民間人の共同利用という形態をとる模様。
「武蔵野南線」は複線で、通常は貨物しか走行しないが、かつては「ホリデー快速鎌倉号」が走行していた。
これは、朝に小山を発ち午後に鎌倉から帰る臨時列車で、「ヨコハマ博」の時に小山(栃木県)〜横浜間に運転されていた列車の延長版で、休日に2往復運転し、府中本町〜鶴見間で貨物線を走行していた。
「ホリデー快速鎌倉号」の替わりに今は、「臨時急行ぶらり鎌倉号」がいわき〜鎌倉間で休日に運転されている。
http://www010.upp.so-net.ne.jp/tc209-69/JRE_EC_653_001.jpg
貨物専用ということで、工事中も開通当時も公表されなかった「武蔵野南線」は、観光客を乗せる列車が運行するようになって以来、そのルートが地図にも記載されるようになったが、東京都が米軍多摩ゴルフ場の返還を求めない理由は不明。
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