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『Star Wars-episode3』に見る『ネオコン・悪の帝国』への戦略
MM『from 911/USAレポート』(http://ryumurakami.jmm.co.jp/) 第199回「スターウォーズと善悪の崩壊」(冷泉彰彦氏:作家(米国ニュージャージー州在住))によると、今回のepisodeは、イラク戦争へ突入したアメリカの立場を限りなく追認するようなものとなっているそうです。善が究極的には悪に変わり、その悪の帝国が全(善)宇宙を支配するようなことになっているらしいのです。以下に、このMMの一部を(・・・引用・・・)しておきます。
・・・(ここからは、映画の内容に触れます。詳しいストーリーの記述は避けますが、どうしても大きな流れには触れざるを得ないことをお断りしておきます) 確かに「エピソード2」から「エピソード4(1977年の最初の作品)」へという時系列で続いてゆく物語は、巧妙に練られていました。CGを使ったアクションシーンなども、映像表現の最前線といって構わないでしょう。セリフに洗練された味が感じられないとはいっても、キャスティングの妙で、演技の達者な役者さんが揃っていますからドラマに破綻はありません。確かに出来は良い作品なのでしょう。
しかし、この作品には根本的な問題があります。この「エピソード3」単体で考えると、勧善懲悪では全くなく、とにかく悪の側が圧倒的に強いのです。それどころか、主人公は「善から悪へ」移行してしまうことになります。その「悪への移行」が全編を貫くテーマであるだけでなく、観客はその「悪になる人物」へ感情移入させられる仕掛けなのです。勿論、全六部のなかで、今回はそういう話の流れになっている、それは分かります。ですが、とにかく「悪への感情移入」がテーマというような話は、ハリウッドの大作映画としては映画史上前代未聞ではないでしょうか。
結果的にどうなったかと言えば、多くの人が語っているのですが、この「エピソード3」が加わることで、シリーズ全体が「アナキンの物語」に変わってしまったように思えるのです。「エピソード6 ジェダイの帰還」で、ルークは善の心を取り戻した父のベイダーと対面するのですが、その際に「何故、善なる存在のアナキン・スカイウォーカーは、悪のベイダーになったのか」という疑問が生じました。その疑問への回答が「新三部作」であり、この「エピソード3」で全ての疑問は解けたということになります。・・・
<注>映画『Star Wars-episode3』の日本公開は「7月9日全国一斉ロードショー」の予定です。代表的なHPが二つ(下記▲)あります。
▲http://www.lucasarts.com/ep3/indexFlash.html#gallery.ps2Screens
▲http://www.foxjapan.com/movies/episode3/
現在のアメリカの「ユニラテラリズム政策」(参照、http://www.jiten.com/dicmi/docs/k37/23550s.htm)の根本には、地球環境問題などは無視同然としながら「永遠の経済成長」という“幻のシナリオ”(永遠のアメリカン・ドリーム)を強硬に貫き通すという強い意志があります。そのために必須の理念を提供するのが「新自由主義思想」(参照、http://pol.cside4.jp/theory/16.html)です。そして、この「新自由主義思想」をグローバリゼーションの潮流の上で具体化するための重要な二本の柱が、“官から民へ”の掛け声も勇ましい「民営化戦略」(Privatization)と「世界一の装備を誇る米軍の軍事力」です。このように意図的な潮流が地球上を流れ始めたのは第40代レーガン大統領の時からです。 2003.12.25付朝日新聞に『アメリカ自身の民主化こそ必要という』という注目すべき内容の記事が掲載されていました。日本思想史を専攻するオーストラリア国立大学教授テッサ・モーリス・スズキ女史の記述による鋭い分析です。それによると、1990年、アメリカ合衆国ミズーリ州にあるフルトンという小さな町で、レーガン大統領が冷戦の勝利を祝福する記念碑の除幕式に臨んでいました。「鉄のカーテン」の名付け親であったチャーチルの孫娘がベルリンの壁の破片でこの町に記念碑を作っていたからです。
レーガンは、この演説で“アメリカは『ある神聖な使命を帯びた特別な(神から特別の恩寵を受けた)国』であり、世界中の神の子(キリスト教徒)が、いかなる障壁もなしに生きられる日が訪れるまで我々は更に励ま(戦い続け)なければならない。また、その努力が終わる日こそ、歴史上最も偉大な「帝国」(世界の頂点に立つアメリカ帝国)が完成する瞬間でもある。”と述べています。このレーガンの演説は、1095年に教皇ウルバヌス2世がクレルモン会議で十字軍派遣のを宣言したことを連想させます。いずれにせよ、このレーガンの言葉には、現在、世界中で起こっていることの予兆が見られたとテッサ女史は語っています。現在の日本政府が、このように反地球環境的で、非民主主義的な“幻のシナリオ”を強引に推し進めるブッシュ政権のアメリカに率先協力している(日本国政府への米国政府要望書に従って )ことは周知のとおりです。(参照、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050503)まことに恐るべきことですが、今の世界は、まったくこのように予兆(予定)されたシナリオに従って進んでいるのです。そして、その姿が特に急にリアルになり始めたのが「NY・9.11同時多発テロ事件」に次いで起こった「アフガン・イラク両戦争」の開戦以降のことです。このように見てくると、「NY・9.11同時多発テロ事件」の意味が非常に多義的なものになります。 ともかくも、このようなアメリカの新自由主義思想に基づく「ユニラテラリズム政策」は約20年前のレーガン政権時代のアメリカ(米ソ東西冷戦の終結直後)から始まっていた訳です。そして、このような新しい政策を推進するために、政権内部へネオコンと呼ばれる政策研究グループに加わる人々を本格的に呼び込んだのがレーガン大統領です。
1993年にIMF・世界銀行・米国政府関係者がワシントンに集まり、このような新自由主義思想に基づく考え方を一つの戦略として取りまとめたのが「ワシントン・コンセンサス」です。このコンセンサスは「8つの基本合意内容」から成っており、それは「W.C.に拠点を置く金融機関サイドに偏重した財産権の保護・政府主導の規制緩和・政府予算規模の縮小・資本市場の徹底自由化・為替市場の徹底開放・関税と輸入障壁の引き下げ・基幹産業の徹底的な民営化・外国資本による国内企業の吸収と合併の促進」です。実は、これには1991年のソ連邦崩壊後(ポスト冷戦構造)の全世界を、アメリカが再び経済面で強力に支配してゆくための“新戦略”の意味があったのです。このようなアメリカの“新自由主義を基本に据えた新戦略”のシナリオに従って現在の「グローバル市場原理主義」が世界的に進みつつあり、日本における「小泉構造改革」も米国のこのような要望に応じる形で、その一環として進められているのです。なお、アメリカから日本政府に対して、構造改革の要望書(その内容は、進捗状況をチェックした上で、毎年10月に更新される)が提出され始めたのは1995年からです。
(米国からの構造改革要望書の詳細については右URLを参照、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050503)
レーガン政権いらい新自由主義思想の実践を推進する役割を担ってきた「ネオコン一派」(クリントン政権の時には、一時的にやや退潮傾向を見せたが)について、その特徴的な側面をクローズアップしてみます。ネオコンの戦略の根本的特徴は、世界最強のアメリカの軍事力を最大限に活かすため「先制攻撃」という最も強硬な軍事戦略を柱にして、政治・経済面でのグローバルな覇権を樹立するということにあります。そこで、先ず、アメリカの軍事力の現況を概観しておきます。
ブッシュ政権の背中を押し続ける力強い一本の腕が「アメリカの産軍複合体」であることは、もはや周知の事実です。(もう一本の太い腕はキリスト教原理主義のグループです)二期目のブッシュ政権を誕生させた大統領選挙で、ブッシュ陣営の他を寄せつけない巨額選挙資金(日本円換算で約160億円以上に及ぶ/対抗馬ケリー陣営の4〜5倍)の多くの部分は、この「産軍複合体」がもたらしたとされています。また、1991年までの米ソ対立期、つまり冷戦時代における軍事関連産業は戦車・ミサイル・戦闘機など重装備用の兵器に特化していました。しかし、東西冷戦が終了するとともに軍装備関連の予算を民間の受け皿に手渡すという「軍装備の民営化」(Military Privatization)が着想され、戦争関連産業の外注化という新たなビジネスモデルが考案されました。その結果、今や軍事関連産業の裾野は広がる一方で、資源エネルギー・宇宙開発・情報・医薬品・食料関係などロジスティックス(兵站業務)を含めた凡ゆる産業部門と軍需産業部門のオーバーラップ現象が進んでいます。例えば、ブッシュ政権のチェイニー副大統領が直前までCEOを務めていたハリバートンの子会社KBR社(ケロッグ・ブラウン・アンド・ルート)やPMC シエラ社などがその代表格であり、これら戦争関連企業の下請け会社の約1万人〜2万人に及ぶ社員が、今でもイラクの「戦場」で軍事訓練請負・郵便・ロジスティックス・各種コンサルタントなど多様な業務に取り組んでいるのです。
このような軍事関連の民間請負会社の数は米国籍だけで少なくとも90社以上あり、米国以外の同種企業を加えると100社を超えると言われています(http://www.theexperiment.org/articles.php?news_id=1884)。今、イギリス国籍の“警備会社”の日本人社員1人がイラクの武装組織に拉致されて問題となっていますが、この種の“警備会社”はロジスティクスの受け皿ではありません。ここでは、いわば軍隊そのものが下請けされている訳で、歴史的表現を使えばこれらの社員は「傭兵」ということになります。一説では、既にアメリカの兵員の約1割が民営(傭兵)化されているようです。先に述べたとおり、このような軍事部門の民営化も、先に述べた自由主義思想に基づく「民営化戦略」(Privatization)の一環です。“警備会社”の「傭兵」は、あくまでも民間人なので、仮に彼らが“戦死”しても統計上の戦死者数にカウントされず、結果的に派兵に対する国民からの批判をかわすメリットがあるとされています。同じく、あくまでも民間人である彼らが戦争犯罪(拷問などの虐待行為、残虐行為など)を犯しても「ジュネーブ条約」
(http://www.mainichi-msn.co.jp/yougo/archive/news/2004/05/20040515ddm007030058000c.html)の違反者として裁かれることはない、ということになります。
しかも、イラク戦争ではこの“民営化”が必ずしも効率化を招くことにはならないことが実証されています。「傭兵」を請け負う“警備会社”や軍事訓練請負会社などの場合は、その社員(傭兵)たちの多くが軍隊の特殊部隊やCIAの特殊任務経験者(スパイ・特殊工作員)などであるため、このような“非効率の問題”はないのですが、ロジスティックス請負会社の場合には問題が起こっています。つまり、ロジスティックス関連部門を担当する社員の多くが殆ど戦場経験がない“本物の民間人”であるため、米軍海兵隊などの正規軍がイラクへ侵攻した後の食料物資等の供給が上手くゆかず、結果的に戦場が大混乱したとされているのです。(記事関連のHPより下に原文を抜粋するが、詳細については右URLを参照、http://www.leanleft.com/archives/001507.html)それにもかかわらず、国防総省はチェイニー副大統領が直前までCEOを務めていたハリバートン社、KBR社(ハリバートンの子会社)、ベクテル社などと大口の随意委託契約を結んでおり、特にハリバートン社のイラク戦争での総受注学は円換算で約1兆2千億円という巨額なものとなっています(2004.3.21、東京新聞・記事)。そして、これらの企業からブッシュ大統領陣営へ多額の選挙資金が提供され、一方で、これらの企業は国防総省からの委託受注で巨額の利益を手にしています。更に、これら民間企業への委託契約後の資金の流れや、その使い道については議会のコントロールが全く及ばないのです。これが“ナンデモ日本のお手本の国、アメリカ”での「民営化」モデルの典型的な実態なのです。
There's also another element in the Iraq logistical snafu: privatization. The U.S. military has shifted many tasks traditionally performed by soldiers into the hands of such private contractors as Kellogg Brown & Root, the Halliburton subsidiary. The Iraq war and its aftermath gave this privatized system its first major test in combat ? and the system failed.
According to the Newhouse News Service, "U.S. troops in Iraq suffered through months of unnecessarily poor living conditions because some civilian contractors hired by the Army for logistics support failed to show up." Not surprisingly, civilian contractors ? and their insurance companies ? get spooked by war zones. The Financial Times reports that the dismal performance of contractors in Iraq has raised strong concerns about what would happen in a war against a serious opponent, like North Korea.
冷戦終結後に、その見かけ上の予算規模が縮小しているとはいえ、今や世界全体に占めるアメリカの軍事費の割合は約40%という驚くべき大きさに達しているのです。更に、見逃してならないのは、グローバルな経済活動で特に目立つ国々の軍事費の伸び率の大きさです。1985年度を100とした対2000年度の軍事費の伸び率を大きい順に並べると、日本40%、中国40%、アメリカ26%etcで、日本と中国の伸び率が異常な大きさとなっていることが分かります。このように軍事関連予算の伸びの大きさという観点で見る限り、日本と中国が世界のトップの座を巡って激しく競り合っていることが分かります。小泉首相自身がこの問題をリアルに意識しているかどうかはともかく、“小泉・靖国参拝”をめぐる日中関係のリアルな意味が、この点にあることを見逃すべきではないでしょう。従って、もし、この夏に小泉首相が再び靖国神社参拝を決行した暁には、この隠れた意味が表面に急浮上して中国政府内部の権力構造のバランスが崩壊し、胡錦濤・政権の責任が厳しく追求される問題に発展すると思われます。少なくとも、アメリカ・ブッシュ政権は、この点を十分に織り込んで靖国問題をめぐる日中の対立を注視している筈です。
他方、日本国内では、このような軍事費の大きな伸びと反対に、年毎に農業・福祉・教育関係の予算が減らされ、一方で一般の国民にとっては、まことに過酷な税制強化と福祉・医療サービスが大きく削減される時代に入りつつあります(http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050315)。また、中国は、2005年度の軍事予算の伸び率(実績比)で11.6%を確保しており、これは前年度の実績9.4%増をかなり大きく上回ります。日本も、強固な日米同盟の路線上で動かざるを得ず、それは「トランス・フォーメーション」(米軍再編成)構想の中で明確に位置づけられています。このようにして、現在の日本は、北朝鮮の脅威を想定したMD(ミサイル防衛)システムやイラク派兵関連予算を中心に世界でトップクラスの軍事関連予算の伸びを維持しています。2004年の秋からアメリカのイージス艦が日本海に実戦配備されています。なお、アメリカの軍事費の1985年度対2000年度の伸びが26%であり、一見、軍事費が縮小しているように見える訳は、東西冷戦終結の影響もあるが、「軍装備の民営化」(Military Privatization)への移行が主な原因になっていると推測されます。
このような訳で今や世界の生命線を握ったかのようにさえ見えるネオコンを語る場合、忘れてならないのはネオコンが「アメリカ伝統の保守主義」(及びキリスト教原理主義)と結びつくことによって、アメリカ人一般の「現実認識(世界認識)のあり方」を根本から大きく変質させたということです。この点についての詳細は、既にBlog記事「『ヴェネツィア派の誕生』と歴史的リアリズムの意味(3/3)」(http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050318)で述べていますが、本稿と関係がある部分をここに再録しておきます。
・・・(部分再録の始まり)・・・
1990年代に入ったばかりの頃(レーガンを引き継いだパパ・ブッシュの時代)ですが、「アメリカの保守主義者」たちは、意図的に「二つの敵」をつくる作戦を着想しました。無論、それは冷戦構造の終焉(ソ連崩壊)によって「共産主義」という強大な仮想敵に代わるべく着想されたものでもあります。一つ目の敵は「リベラル派」で、もうひとつの攻撃ターゲットは、そのリベラル派が支配する「文化」です。中岡 望著『アメリカ保守革命』(中公新書ラクレ)によると、パパ・ブッシュを大統領候補に選んだ1992年の共和党大会で、パット・ブキャナン(レーガン政権を支えた二大保守勢力の一つペイリオコン(Peleo-conservatismの略称/彼らの祖先たちがヨーロッパを逃れて大陸に到達した時以来の古い伝統的な保守主義の立場/都会派のインテリで極左から転向したネオコンとは対照的な存在で、彼らの支持基盤は中西部と南部の保守層)を代表する人物)は次のように述べています。・・・「わが国ではアメリカ精神をめぐって「文化戦争」が展開中であり、「文化戦争」は冷戦と同じくらいアメリカにとって重要である」・・・また、ネオコンたちも“ソ連崩壊後も全体主義思想が死んではいない。経済的自由、ブルジョア的な価値観、コミュニティの連帯は実現していない。リベラルな思想に染まった文化的エリートたちが、依然、文化を支配している”と主張して「文化戦争」の必要性を説くようになっていました。つまり、この頃からアメリカ国内に「狂ったリアリズム意識」が広がり始めたといえるのです。
このような、アメリカにおける「狂ったリアリズム意識」の最も目立つ形での帰結(成果)が、今や、ますます混迷を深めつつある「イラク戦争」です。また、あまり目立ちませんがブッシュ政権下のアメリカ国内では「アーキビスト問題」という「文化戦争」が起こっています。(この問題の詳細についてはBlog『ベスのひとりごと/現代市民社会の現実(リアリズム)を考える』http://takaya.blogtribe.org/entry-2ff7664ef5d89c31e4f549022bc7fe06.htmlを参照)つまり、アメリカのブッシュ政権が「国際刑事裁判所」(International Criminal Court)、「国連」(United Nations)あるいは全地球的な環境基準たる「京都議定書」などの国際協力(国際法)に基づく枠組み(諸制度)を無視して強引に「一国主義政策」を進める背景には、この「文化戦争」を神(キリスト)の名において戦い抜くという「狂ったリアリズム意識」(主にネオコンとキリスト教原理主義が源泉)に基づく基本戦略が存在するからです。ネオコンが信奉する「リバタリアニズム」(自由原理主義、グローバル市場経済原理主義)とペイリオコンが信奉する「キリスト教原理主義的な宗教信念、官僚的ヒエラルキー信奉、権威主義信奉」は、本来ならば矛盾・敵対するはずの価値観なのですが、この点は奇妙なこと(ご都合主義的?)にネジレており、いわば倒錯し歪んだ形で病的に癒着(談合)しているのです。
そして、このように病的に歪んだ「文化戦争」の行く先にあるのは地球上の多元的な「文化の殲滅」(カルチャー・クレンジング/Calture-Cleansing)であり、やがて、それは「民族浄化」(地球上のあらゆる異端者の殲滅)につながる恐れがあります。なぜなら、文化を構成する根本を個別要素的に捉えて見れば、それは宗教・哲学・倫理・美学などの価値体系に他ならないからです。また、それは「民族」が“文化的な個別要素の集合概念”であることからも必然の帰結だといえます。このような訳で、ブッシュ政権(ネオコン&ペイリオコンの癒着政権)の「先制攻撃で世界を民主化するという論理」は本質的に非人間的で「狂ったリアリズム意識」がもたらしたのだといえるのです。また、「文化戦争」は、数多の人々の脳内表象を敵に回すことであるため、具体的な敵が目に見えるはずがなく、まことに絶望的な戦争となります。それ故にこそ、具体的な敵として「テロリストの存在」が必要になったともいえるのです。いわば、「テロリスト」や「悪の枢軸」は“文字どおり”の「必要悪」なのかもしれません。テロリスト発生の予防のためには、本来ならば資本主義の欠陥を自覚しつつ地球上の経済格差(貧富差の拡大)を防ぐ手立てに取り組むことが先決であり、それが最短コースのはずなのですが・・・。例えば、フランスには、“資本主義は各国や地域の制度や習慣の上に育つべきものだ”という視点から、アメリカ発のグローバル市場原理主義に異議(アメリカの資本主義には欠陥があるとの異議)を唱える「レギュラシオン理論」の立場から新たな資本主義を模索・追求する学者グループが存在し、その代表的な学者がロベール・ボワイエ教授(フランス数理経済計画予測研究所)です。彼らは、資本主義を生み出す様々な社会的制度(基盤)を重視し、労使関係、国家制度、法体系などの「制度」(レギュラシオン)の調整を経て経済は機能するのだと主張しています。(詳細については2004.12.19付・朝日新聞の記事を参照)
生命ある人間にとって昔も今も変わりようがない「現実とのかかわり方」(リアリズム)のヴァリエーション(人間と社会・経済環境とのかかわり方)の可能性は無限のはずであり、これが「文化」の多元性を保証し、人間社会の無限の発展可能性を保証するのです。従って、繰り返しになりますが、アメリカ・ブッシュ政権の病的に歪んだ「狂気の文化戦争」(テロとの戦い)の行く先にあるターゲットは、必然的に、地球上の多元的で多様な「文化の殲滅」とならざるを得ないのです。これこそが、「思いやりの保守主義」を標榜するブッシュ政権の大いなる自己矛盾です。このように見てくると、アメリカの民主主義(アメリカの資本主義社会)が持つ重大な欠陥が、実はレーガン政権以降ずっと引きずってきた「現実との歪んだかかわり方」、つまり「誤ったリアリズム観」であることが明らかになります。ところが、救いとなるのは、このことについて少なくとも約半数のアメリカ国民が気づいていることです。そのため、今回の大統領選挙でブッシュが再選されたとはいえ、見方次第では、一期目と同様に約半数に近い国民の批判を浴びている訳であり、その厳しい国民の監視の眼の中で第二期目のブッシュ政権がスタートしたということことになるのです。
・・・(部分再録の終わり)・・・
今のアメリカの政治・軍事・外交などの「一国主義」の推進をネオコン(Neoconservatives/新保守主義者たち)が牛耳っていることは周知のとおりです。ネオコンの思想的背景はシカゴ大学の政治学者、レオ・シュトラウス(Leo Strauss/1899-1973・・・後継者はアラン・ブルーム(Allan Bloom)教授)を信奉するシュトラウス学派(政治学分野で唯一の学派を形成)です。レオ・シュトラウスはシカゴ大学でカール・シュミット(Carl Schumit/1888-1985/一時、ヒトラーの下でナチス学会の活動をしていたドイツの政治学者だが、ユダヤ人であったため後にナチスから排除されシカゴ大学へ移った)と研究上の交流があり、シュミットもシュトラウスもユダヤ教徒です。このため、ネオコンを「シオニズム+ナチズム」から誕生した、危険で異常なアメリカの右翼思想家たちであると短絡して捉える向きもあるようです。しかし、レオ・シュトラウスの出発点はハイデッガー、ヴィットゲンシュタイン、ホッブズ、中世イスラムとタルムード(ユダヤ典範)の研究であり、さらにソクラテス、プラトン、アリストテレスなどの古代ギリシア哲学まで遡っており、極めて奥が深く、そのように単純なものとして捉えることは無理のようです。
しかし、迷路に嵌まり込んだ《近代》を2千年にも及ぶ壮大な思想体系を背景に《根底から批判し尽くして、古代ギリシア時代の古典的な政治合理主義を再生しようとする》という意味では、前代未聞の《全く新しいタイプの保守の立場》であるとも言えるでしょう。ただ、従来の定義どおり保守主義の根本が歴史重視であるとするならば、ネオコンの立場はその対極にあるので、むしろ彼らは「特異なタイプの帝国主義者」といえるかも知れません。なぜならば、彼らが究極的に信奉するのはホッブスの“リバイアサン”的なもの、つまり凡ゆる政治権力を超越した最高権力を想定しているからです。あるいは、強いて言えば、ネオコンは、深遠でエソテリック(esoteric/秘教的)な表現を好みラジカルで批判的な姿勢を貫いた難解な政治哲学者レオ・シュトラウスを、自分たちに都合が良いように解釈しているのだとも思われます。
シュトラウス(及び、その影響下のネオコン)の近代批判は、まず近代主義の出発点となったホッブズまで一気に遡り、ホッブズの最も重要な著書『リバイアサン』を再解釈・再検証することから始まります。その結論を端的に言うと、理性の根本を支える哲学的パラダイムを《性善説》」から《性悪説》へ転換するということです。『リバイアサン』には「人間の自己保存の問題」(=正当防衛の権利)という論点があります。ここを出発点として近代啓蒙主義の発展過程の全体を根底から批判します。また、シュミットの影響も受けているネオコンの考え方の根本には「悪を見逃す中庸・寛容=悪、憲法の番人としての独裁=善」というものがあります。また、カール・シュミットとレオ・シュトラウスを信奉するネオコンの考え方のもう一つの特徴を敢えて分かりやすく言ってしまうと、手間隙が掛かり過ぎて効率が悪くなってしまった「民主主義」よりも、一人の「独裁的な賢人」(善悪を超えた怪獣リバイアサン!)の決断に従う効率的・合理的な政治の方が望ましいという考え方があることです。この場合、「民主主義的な国家ガバナンス」や「憲法」の役割は「独裁的な賢人」の下に位置づけられるのです。
どうやら、この辺りが、ネオコン(=ブッシュ政権)の発想の異質性の原因となっているようです。我われのような議会制民主主義を国家ガバナンスの根本に据える国民意識の根っ子には「憲法の授権規範性」というものがあるはずです。つまり、「憲法」は、政治権力者の勝手気ままな暴政を許さぬために存在しているということです。もっとも、現在の日本の政治権力中枢を占める政治権力者たちが、本当にこの点を理解しているかどうかは疑わしい限りです。その証拠に、政権中枢の改憲論者の口から次々と出てくる言葉の中では「軍事国体論」、「天皇元首論」、「万世一系の神的な国体下での愛国心の復活」など、ファシズム時代の「大日本帝国憲法」への復帰を目指すような主張が目立ちます。これは恐るべきことです。確かに、経済合理主義の観点からすれば、ネオコンの考え方は正解のように思えますが、その一寸先にあるものは底なしに深い「ナチズムの闇」です。こんな考え方を真に受けて支持し実行するのは、まさに狂気の沙汰の筈です。しかし、残念ながら、今の世界では、本気になってリバイアサンに対する意義申し立てができる人々は少数派となりつつあるのです。大多数の人々は、強大な権力を握るリバイアサンに身を託しつつ安逸な目先の生活を選択する方向へ向かっているのです。これが、日本、アメリカのみならず世界中を覆いつつある「ポピュリズムと呼ばれる政治・社会現象」なのです。安易に「構造価格」、「民営化」あるいは「結果主義」が多数の人々によって受け入れられる傾向が強くなりつつあることには、このような背景があるのです。
このポピュリズム現象を最も的確に代表するのが「政治的無関心」という言葉です。特に日本では、国民の中で政治的無関心層の占める割合が拡大の一途を辿っているように見えます。周知のとおり、近年の国政選挙における投票率の低さは惨憺たるものです。(参照、http://blog.goo.ne.jp/remb/e/4d88664a380ca983ffd4eec0b087ba0b)その悲惨な結果を見ると、これでも日本は民主主義の国なのかと疑いたくなります。民主主義の基本中の基本である“選挙権”を国民の殆どが放棄しており、日本人は最小限の「主権在民意識」すら捨て去ってしまったのでしょうか?「憲法」に関する「授権規範性についての理解」と「選挙権」の二つを放棄することは、民主主義国家の国民にとって自殺行為である筈です。そして、輪を掛けて怪しからんと思われるのは、現代日本の政治権力者たちの殆どが、このようなポピュリズム傾向の上に安住していることです。いや、安住どころか、むしろこのような傾向が続くことが自らの政権維持のために望ましいとさえ思っているふしがあることです。しかも、マスコミの多くも、このようなポピュリズム現象に迎合しています。恐るべきほどの政治権力者たちの堕落・退廃ぶりです。しかし、このような政治権力者たちの現実は、とてつもなく脆い幻想の上に構築されたものであることを自覚すべきです。本物のリバイアサンは未だ真実の姿を見せてはいないのです。つまり、今の日本の政治権力体制は“国民の無関心”の上に築かれた“砂上の楼閣”なのです。
フランス革命後の混乱の時代に生きた政治学者トックビル(Alexis Tocqueville/1805-59)が、かつて「アメリカ独立革命」後のアメリカを旅行した時に貴重な記録を残しました。トックビルは、その時の様々な見聞を基にして名著『アメリカのデモクラシー』を残したのです。それによると、トックビルは、独立後のアメリカでは「自由主義」が進むあまり既に《国民の平等化のマイナス影響》が社会の中に現れており、それは《利己主義》と《政治的無関心》という二つの大衆病理現象であると書き残しています。また、その一方で早くもこの時代のアメリカでは《権力の抑制》ということが忘れられつつあり、《人権の保障》も軽視され始めていると分析しています。今、我われは、もう一度、全ての根本に立ち戻るつもりで「民主主義の原点」は何であったのかをジックリ考えるべき時かもしれません。ネオコン一派のように17世紀以降の啓蒙主義の発展を根こそぎにして、人類の歴史のすべてをラジカルに否定するばかりが批判精神ではありません。このような時代にこそ、本格的な民主主義の時代はこれから到来するのだという謙虚な態度が必要なのかも知れません。
<注>レオ・シュトラウスは、1990年代以降になってから、日本でも各大学・大学院(政治哲学・政治学・哲学倫理学)のゼミなどで取り上げられるようになっています。訳本は下記があります。なお、Bはドイツ語が底本で、それ以外の原書は英語です。レオ・シュトラウスの思想・業績は、近年までドイツでも殆ど知られていなかったようです。
@著『自然権と歴史』(ナカニシヤ出版)1988
Aレオ・シュトラウス著、石崎嘉彦監訳『古典的政治的合理主義の再生』(ナカニシヤ出版)1996
Bレオ・シュトラウス著、添谷育志他訳『ホッブズの政治学』(みすず書房)1990
Cレオ・シュトラウス著、『政治哲学とは何か』(昭和堂)1992
ところで、第二期ブッシュ政権は、イラク戦争の後遺症が予想外に長引いていることもあって、発足当初は国際協調路線へ軌道修正したかのように見えた時もありますが、実際はネオコン一派及びその息のかかった人々が要職を占めており、第一期政権時代よりタカ派色が強まったというのが実態です。(参照、2005.3.1、東京新聞・特報記事、
http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20050301/mng_____tokuho__000.shtml) このような動向を象徴する人事が二つ発表されており、その一つはポール・ウオルフォウイッツ国防副長官(ネオコン)の世界銀行総裁就任です。もう一つはボルトン国務次官(超タカ派ネオコン)の国連大使就任です。後者の方は上院での承認をめぐって賛成派と反対派の激しい衝突が起こり、ボルトン氏の人格にかかわる疑惑や批判が噴出するなどして予定より約2ヶ月以上も評決が遅れています。ボルトン氏を大使に推薦したブッシュ大統領の意図は、中々アメリカ政府の思惑どおりにに動かない国連をボルトン氏の剛腕で強引に「改革」することです。
ウオルフォウイッツ氏の世界銀行総裁就任の目的は、冒頭で述べたとおり、1993年に決定した新自由主義思想に基づく金融・経済戦略である「ワシントン・コンセンサス」の徹底を図ることにあるのは明らかです。これで、全世界のグローバル経済は一層のアメリカ型「民営化路線」(privatization)への傾斜、そして際限のない効率化の追求と貧富差拡大政策が強要されることになると思われます。また、ボルトン氏の国連大使就任が承認されれば、ブッシュ政権が国連改革に関して米国ベースでの強硬な介入を押し進めることは間違いありません。また、2005.5.3付東京新聞・特報記事(http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20050523/mng_____tokuho__000.shtml)の分析によると、このように益々タカ派色を強めつつある第二期ブッシュ政権のシリア侵攻が、愈々、現実味を帯び始めているようです。アラブ諸国で最後の対イスラエル強硬派とされるシリアへの軍事侵攻が実現すれば、「イラク戦争」に引き続いて再び「軍装備の民営化」(Military Privatization)による巨額の“戦争ビジネス”が中東・シリアで展開されることになります。
オーストラリア国立大学教授テッサ・モーリス・スズキ女史は、このようなブッシュ政権(ネオコン)が強引に「永遠の経済成長」という“幻のシナリオ”を追い続ける、世界における軍事・政治・経済政策を称して「これは人間の歴史を忘却する一方で、ホッブズの架空の自然状態(想像上の理念的世界)のなかに新たな社会を創るというフィクション」を追いかけている姿なのだと言っています。つまり、ブッシュ政権とネオコン一派は「人間の歴史と地球上の自然環境という現実」を在りのままに直視することができなくなっていると言うのです。また、テッサ女史は、これらの本当に実在する(した=歴史)現実をすっかり覆い隠して、そこにどうやって新しい秩序を打ち立てるかという、ある意味で権力側だけにとって非常に都合がよいロジックが創られたのだとも言っています。このような観点から見ると、やはりブッシュ政権の背後には、ネオコンとともに「キリスト教教原理主義」のオーラも輝いていることが分かります。そして、恐るべきことには、ブッシュ政権とネオコンたちの会話のなかにはハルマゲドン(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%82%B2%E3%83%89%E3%83%B3)という言葉が、時折、顔を出すのです。
ところで、現在、日本政府が取り組みつつある「司法制度改革」にせよ、「郵政改革」にせよ、一連の「構造改革」と「規制緩和」の中身は悉くアメリカ政府のお達しに従ったものであることが、下のURL(●)の内容を読めばで分かるはずです。 (詳細は、Blog記事『米国に追従する「規制緩和」のお粗末な?実態』、
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050503を参照)見方によっては、人類のハルマゲドンを想定した“幻のシナリオ”を実現するための手段として、この「要望書」が日本政府に提出されている訳です。このままでは日本という国そのものが、「JR西日本の悲惨な列車事故」のような事態(大クラッシュ)に突入することが懸念されます。だから、今こそ日本国民一人ひとりが、自分自身の問題として“リアルな自然と現実の人間社会(歴史と現実)を見失ったネオコンの「幻のシナリオ」のため、「要望書」に対し、ひたすら盲目的に追従し隷属する以外の道がないものかどうか”ということについて良く考えるべきだと思います。「善と悪の葛藤」が最終的には悪の支配によって終わる、という壮大な宇宙ドラマがテーマの映画『Star Wars-episode3』を鑑賞しながら、このような観点から日本の行く末を考え併せることには大きな意義があると思われるのです。
●日本政府に規制改革要望書を提出/米国通商代表部(米国大使館HP)
http://japan.usembassy.gov/j/p/tpj-j20041015-50.html
●日米規制改革および競争政策イニシアティブに基づく日本国政府への米国政府要望書
http://japan.usembassy.gov/j/p/tpj-j20041020-50.html#mineika-s(米国大使館HP)
(参考URL)
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/
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