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宮崎県西都市の国特別史跡「西都原古墳群」にある81号墳が、3世紀中ごろに築造されたと見られる国内最古級の前方後円墳の可能性が高いことが宮崎大の調査で確認された。奈良盆地とほぼ同時期の前方後円墳の発見により、南九州までが古墳文化の成立にかかわった可能性が出てきた。
2005年05月19日00時00分
(毎日新聞)
http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__1162107/detail
西都原古墳群:
国内最古級の前方後円墳の可能性 宮崎
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/gakugei/news/20050519k0000m040124000c.html
宮崎県西都市の国特別史跡「西都原古墳群」にある81号墳が、3世紀中ごろに築造されたと見られる国内最古級の前方後円墳の可能性が高いことが宮崎大の調査で確認された。大和政権は全国の有力豪族が連携して成立したとの見方が近年有力になってきているが、地下式横穴などの独自の葬送文化を持つ南九州は、そのらち外にあったと考えられてきた。奈良盆地とほぼ同時期の前方後円墳の発見により、南九州までが古墳文化の成立にかかわった可能性が出てきた。
調査した宮崎大の柳沢一男教授(考古学)が22日、東京である日本考古学会総会で発表する。
調査は04、05年度の2カ年計画。柳沢教授によると、81号墳の後円墳から3世紀中ごろのものと見られるつぼなど計4点の土器が発見され、墳丘の形も前方後円墳出現期に特徴的な前方部が丸みを帯びた「纒向(まきむく)型」で、3世紀中ごろの築造の可能性が高まったという。
81号墳は西都原台地東端にあり、墳長は46メートル。後円部の高さは3メートル。
柳沢教授は10年前の論文で既に81号墳が3世紀中ごろにできたものと推定し、調査していた。これまで4世紀とされていた西都原古墳群の築造開始年代も半世紀さかのぼることになる。
近年の発掘調査の成果により、弥生時代後半から列島各地に地域的な政治連合が形成され、それが相互に結びついていき、近畿から北部九州に至る広域的な政治的まとまりが形成されたというのが、有力となっていた。3世紀半ばから、纒向型古墳がこれらの地域に出現し始め、3世紀後半から墳丘が200メートルを超える巨大な前方後円墳が奈良盆地に相次いで築造されるためだ。
ただ、地下式横穴などの独特の葬送文化を持つ南九州は全く無関係と考えられてきた。
柳沢教授は「大和政権と呼ばれているものは全国の豪族が広く連携したシステムと考えられ、南九州の勢力もいち早く、古墳を取り入れたと言えるのではないか」と話している。
毎日新聞 2005年5月18日 22時42分
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